183:破壊と創造
「この世にあるのは、俺の求めるものだけでいい。他は、何も要らない」
《SIDE:REN》
「―――原初。彼の者は、天と地を創造した」
ベルヴェルクは黒い外套を翻し、銀の長髪を揺らして、俺の世界の干渉に耐えながらそう声を上げる。
恐らくは、肯定創出の効果だろう。
敵対する存在を問答無用で消し去る俺の力を受けながら、こうして存在出来ているのは流石と言った所か。
「―――形なき天地は望まれし光と共に、昼と夜を創り出す」
ベルヴェルクの詠唱は、どこか願いにも似た響きがあった。
コイツが何故、俺達のように繰り返した訳でもなくこの領域に達したのかは分からない。
けれど、超越へと至るその精神力は、脅威と考えてもいいだろう。
「―――光を得た大地には、木々がその根を張るだろう」
じわりと、だが確実に、奴の力が俺の力を押し返している。
確かな脅威だ。だが、それでも俺は満足気な笑みを浮かべていた。
「―――昼と夜を司る輝きは、木々を見守り続けるのだ」
圧迫されるような感覚。奴の身体からにじみ出る確かな『世界』。
両の手に抜いている銃を静かに握り締め、俺は奴の姿から目を離さずに待ち構える。
今この瞬間に攻撃しないのは、超越という力の性質を理解しているからだ。
仮展開は、詠唱中の術者を護る為に存在している。
放出系能力の仮展開は、それだけでもかなり強力な力を持っているしな。
「―――そして彼の者は、魚を、鳥を、そして己の姿に似せた生命を解き放つ」
しかしそれとは別に、俺は元々コイツが超越を展開するのを邪魔するつもりはなかった。
この男は、正面から打ち破ってやらなきゃ気がすまない。
コイツの全てを否定して、そして全てを奪い去ってやらなきゃ気がすまない。
「―――ならば、彼の者とは何者ぞ?」
ミナの事、蓮花の事……俺の女に手を出しやがったこの男の、全てを打ち破り、屈服させてやる。
だから―――
「知らぬならば聞くが良い。我が名は―――」
―――見せてみろ、お前の世界を!
「超越―――」
そして、その全てを……俺が、飲み込む!
「―――《創世:永劫無限の絶対者》」
刹那―――強大な重圧が、俺へと圧し掛かった。
二つの世界が押し合い、互いに喰らい合う境界が、俺達の立つこの場所を軋ませてゆく。
俺の背負う煉獄の大地と―――ベルヴェルクの背負う無限の宇宙が、互いに一歩も退く事無く干渉し合っている。
「良くぞここまで辿り着いた、我が怨敵よ。貴様の名は何だ?」
「九条煉。宿す力の名は《拒絶》」
「そうか……ならば九条煉よ。この世で唯一、我が世界に届く力を持つ者よ」
奴の背負う宇宙に、無数の星が煌き始める。
そしてそれに呼応するかのように、俺の世界で銀の炎が燃え上がった。
生成されるのは、幾千に達しようかと言う無数の魔弾。そして奴の世界から飛来するのは、俺の世界を焼き尽くそうとする無数の流星だ。
今だからこそ分かる。アレは、一つ一つが世界として創り上げられた物であると。
一つの世界、一つの宇宙に匹敵するエネルギーを、一点に凝縮したものであると。
―――それがどうした。
「―――貴様の全て、我が世界に飲み込んでくれよう」
「こっちの台詞だ……全て、焼き尽くしてやる」
刹那、無数の魔弾は宙に銀の軌跡を描いて射出された。
翻る閃光たちは、ベルヴェルクの放つ流星に激突し、相殺し、或いは破壊され、そして或いは貫いた。
無数の世界が銀の弾丸に焼き尽くされてゆく中、その中の一つがベルヴェルクへと向かう―――
「―――無為」
「!」
ベルヴェルクが右腕を振るう。
それと共にその手の中に現れたのは、一振りの長大な剣。
かつて回帰で創ったものと同じ……否、それ以上の力を放つその剣の一閃で、俺の魔弾は吹き散らされていた。
そして、返す刃でベルヴェルクは力を放つ。
振るう剣は、距離も時間も次元すらも無視し、俺の命脈を刈り取ろうと迫る―――
―――それを知覚出来るのは、ここが俺の世界だからだろう。
「甘ぇよ」
「ぬ……!」
その囁きと共に、ベルヴェルクの手の中にあった剣は銀の炎によって燃え尽きた。
あっさりと吹き散らされた力に、ベルヴェルクは一瞬だけ目を見開く。
「俺を侮るな、ベルヴェルク。《欠片》が格下だったとしても、世界に込めた願いが劣る訳じゃない」
「……成程、道理であるな」
腕を焼く銀の炎を振り払い、奴は満足そうな笑みを浮かべる。
無限の創造と無限の破壊……俺達は、対極に在り対等な存在だ。
故に、侮っているのならば―――
「容赦なく、刈り取ってやる」
銃口を向ける。
放たれるのは、銀の炎より発した魔弾などとは比べ物にならない程に強大な一撃。
その一撃は奴が展開した無数の世界を喰らい尽くしながら迫り―――その手の中に、握り潰された。
手の中に世界を作り出して、その世界ごと弾丸を潰したって訳か。
「器用な真似しやがるな―――!」
「ふ……!」
ならば、と両手の銃を構え、奴へと向けて無数の弾丸を放つ。
一つ一つが、奴の創り上げる世界を容易に打ち破る、俺の超越の力が込められた弾丸。
放たれた瞬間には命中しているはずの弾丸は、奴の創り上げる世界の壁に阻まれて減速しているが、それでも外れると言う事はありえない。
―――刹那。奴は、掌の上に一つの世界を創り上げた。
「連結世界創造―――爆ぜよ」
命ずる声と共に、奴の創り上げた世界がその箍を外される。
瞬間、封じ込められていた力が外へと溢れ、巨大な爆発としてこの世界に顕現した。
弾丸は飲み込まれ、俺の世界もまたその爆圧に曝される。
「ッ……! 燃え尽きろッ!」
吹き上がる銀の炎。
俺の放つ炎は、いくつもの世界をそのままエネルギーとして変換した炎……奴の放った技それ自体を焼き尽くして行く。
そして、次の瞬間―――その炎の壁を乗り越えて、奴が剣を構えながら飛び出してきた。
「ちッ!」
「ははははははッ!」
振り下ろされる刃を右の銃のグリップで弾き、左の銃口を奴へと向ける。
放たれた回避不能の理を持つ弾丸を、奴は真正面から受け止める。
世界を焼き尽くす炎を生身で通り超えて無傷なのだ、この程度の力では通じないのだろう。
「多頁世界創造―――縛れ」
「なっ!?」
俺の周囲に、いくつもの球体が浮かび上がる。
見ずとも分かる―――これら全て、奴の造り出した世界だ。
それは無数に連結し、円環と化して俺の体を何重にも縛り付ける。
何者にも抜け出す事は不可能であろう、宇宙そのもののエネルギーによって創り上げられたロープだ。
けれど―――
「―――しゃらくせぇッ!」
全身から銀の炎を発する。
その輝きだけで魂すらも焼き尽くす炎は、俺の体を縛る無数の世界を焼き尽くした。
だが―――奴の狙いは、俺の動きを一瞬でも止める事!
「審判の矢よ」
「―――!」
強大な力が頭上に集中する。
そこにあったのは、無限の世界を束ねて創り上げた漆黒の矢。
……ただ意思の力だけで焼き尽くすのは、不可能。
「回帰―――《拒絶:因果反転ッ》!」
放たれる矢へと、力を込めた弾丸を放つ。
あの矢を破壊する以外の結末を持たない俺の弾丸は、たとえ相手が無数の世界であろうと止まりはしない!
銀の輝きは無数の世界を容赦なく焼き尽くし―――その弾丸を掠めるように、俺へと肉薄してきた。
「《創世》―――!」
「《拒絶》―――!」
発されるのは無数の世界と銀の炎。
上位世界たる俺達の世界すらも蹂躙し、二つの力は嵐の如く荒れ狂う。
「ふッ、ふははははははははッ! 良い、良いぞ九条煉! 余に此処まで付いて来るか!」
「舐めるなって……言ってるだろうがッ!!」
拮抗した力が、弾ける。
一瞬だけ漏れ出した力が、互いの頬に一筋の傷を付け、俺達は同時に距離を取った。
滲んだ血を愉快そうに拭い、ベルヴェルクは声を上げる。
「舐めてなどおらぬさ、九条煉。余は、ただ歓喜に身を震わせているだけだ。貴様との戦いは際限なく心躍る。これこそが、余の求めた願いであるが故に!」
「ハッ、対等な相手と戦いたいってか?」
「否……余が求めたのは、たった一つの疑問のみ」
何処までも強い渇望を、乾き満たされぬ願いを掲げ、奴は何処までも深く笑みを浮かべていた。
その願いへと至ろうとしているこの瞬間に、至高の喜びを感じていると言わんばかりに。
―――苛立つ。テメェだけが満たされるなど、許さない。
「人の身が、神に至れるのか―――その疑問こそが、我が永劫の命題。故に、余は貴様の存在を歓迎するのだ、九条煉よ。
余と同じ領域にまで駆け上がった人間よ。貴様と戦う事で、余はさらに上へと駆け上がる事が出来る。
何処までも、何処までも……永劫の果ての絶対なる存在へ!」
「……そうかよ。なら―――届く前に、死ね」
世界を広げる。
俺の世界を焼き尽くす銀の炎。その全てを纏い、俺は駆けた。
この炎を―――振り払う事は、許さない!
この一撃が、己にとって脅威となる事を理解したからだろう。
奴は……更なる歓喜を表情の中へと浮かべていた。
「《創世》。多頁多元多階層世界、創造―――」
「ぉぉおおおおおああああああああああああッ!!」
手の中へと、全ての炎を収束させる。
間違いなく、俺の全力―――そうであるが故に、奴が避けない事は分かり切っていた。
正面から打ち破る。奇しくも、俺達の思いは一致していたのだ。
そして、避けないのならば!
「ここで、燃え尽きろォッ!!」
俺の右の掌に収束する純銀の輝き。そして、奴の掌の上にある一つの世界。
防御も無く、押し負けた方が欠片も魂も残さずに消滅するであろう一撃。
それらを―――真正面から、ぶつけ合う!
「く、はッ! ハハハハハハハハハハハハッ!!」
「らあああああああああああああああああッ!!」
燃えろ、燃やし尽くせ、拒絶し尽くせ!
テメェの世界など、一つも要らない!
―――すべての意志を束ねようとした、刹那。
「―――閉じよ」
「ッ……!?」
奴の手の中にあった世界が、大きく広がった。
何十層、何百層と折り重なった世界が、俺を飲み込もうと口を開ける。
「しま……ッ!」
咄嗟に後方へと跳躍―――しようとした、その瞬間。
俺の周囲へと、先程のロープが現れる。
縛られるのはたった一瞬。次の瞬間には焼き尽くす事が出来るもの。
しかし、その一瞬が致命的だった。
口を開けた世界が俺の背後まで回り込み、周囲は数え切れないほどの層を持つ世界に包み込まれる。
周囲は俺の煉獄の大地を覆うように、漆黒の空が渦を巻いている。
「このッ!」
咄嗟に展開していた炎を放ち、覆う世界を焼き尽くしてゆく。
しかし、一つの世界を喰い破れば、上にあるのは無数の世界が展開された上位世界。
それが何重にも重なったこれは、正しく無限の牢獄と言えた。
『感謝しよう、九条煉。貴様との闘争が無ければ、余はこの領域に至る事は無かっただろう』
世界が、揺れる。
軋む世界から響くのは、崩壊の足音か。
ここにいるのは、拙い―――
『故に……我が全霊を以って、貴様を滅ぼそう』
世界を食い破ろうと力を放つが、世界を焼けば焼くほど、その数だけ外側から補充されてゆく。
この牢獄から抜け出そうとするには、圧倒的に出力が足りない。
そして―――世界は、灼熱に燃え上がった。
「ッ……があああああああああああああッ!?」
魂すら燃え尽きる灼熱と、万物を砕く無数の雷。
咄嗟に、広く展開していた世界を俺の周囲へと収束させる。
高密度に束ねられた炎が周囲の炎や雷を焼き尽くす―――が、流石に無傷では済まなかった。
「ぐ……!」
燃え尽きた体の一部が崩れ落ち、再生する事もままならない。
相手も超越に至っているからか。
太陽の表面温度を遥かに超える灼熱に曝されながらも俺が形を保っていたのは、俺自身が超越に至っているからに他ならない。
だが……防いでいたところで、奴の攻撃が止まる事は無いだろう。
「クソッ!」
方法が無い。
この攻撃を耐え切る方法も、この牢獄から抜け出す方法も―――敗北する訳には、いかないのに!
『―――レン』
刹那。
幾度と無く聞いた声が、響いた。
「ミ、ナ……?」
世界を隔て、遠く離れている筈なのに。
それでも、俺の事を見つけてくれたというのか。
『負けないで、レン』
「だが、このままじゃ……」
『レンは一人じゃない。わたしが、一緒にいるから……だから、負けないで』
―――押されていた心に、炎が灯る。
ミナの回帰の力か……例え劣勢だったとしても、決して心が折れる事は無い。
そうだ。まだ、諦めるには早過ぎる。
全ての手を尽くした訳じゃ、ない!
「《魔弾の射手》!」
辛うじて再生させた手に、二丁の銃を握り―――それを、長大なライフルへと変化させる。
周囲に浮かべた七つのマガジンから、内包する全ての魔力を銃身の中へと移し変えた。
そして、俺の世界から、可能な限りの力をこの弾丸へと込める。
諦めない。
万策尽きたとしても、絶対に歩みを止めるものか。
こんな所で―――
「終われるものかッ! 最高位魔術式―――《魔弾の射手:放て魔弾の悪魔》!」
そして―――俺の全霊を込めた魔弾が、天へと向けて放たれる。
一条の閃光が駆け抜け、吹き荒れる炎の嵐を散らし、無数に折り重なった世界を貫いてゆく―――!
「あああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
その後を追って、俺は駆ける。
炎に焼かれようと、凍て付いた冷気に曝されようと―――止まりはしない!
後ろから、誰かがしがみついている感覚があるから。耳元で、頑張れと囁いてくれる声があるから。
だから、こんな所で立ち止まっている暇は無い。
「貫けぇぇぇぇええええええええええええええええッ!!」
そして―――ばきん、と砕け散るような音と共に、俺の身体は牢獄の外へと弾き出されていた。
勢いよく上空へと飛び上がり、見下す先にいるのは、忌まわしきあの男。
「ベルヴェルクぅぅぁあああああ!!」
「九条、煉……ッ!!」
―――奴の呟く俺の名は、どこか感動に戦慄いているようにすら思えた。
だが構わず、世界を貫いた魔弾を、奴へと向けて放つ。
その一撃と、穴が開いたとは言えいまだ形を保っていた奴の無限世界―――二つが衝突し、そして相殺する。
そして煉獄の地面へと降り立ち―――俺は、その場に倒れこんだ。
「ぅ、くぁ、が……!」
動けない。
俺の超越の範囲は既に俺の周囲数メートルほどの範囲しか存在しておらず、力が既に尽きかけている事を物語っていた。
対し、ベルヴェルクの超越は、当初の範囲から大きく狭まってきてはいるものの、未だに広大な領域を保っている。
「見事……見事だ、九条煉。よもや、余の傑作を打ち破るとはな。貴公は確かに、余の命脈を食い破るだけの力を持っていた」
賞賛が聞こえる……そんなモノに、意味は無い。
俺は、勝たなければならないんだ。
もうやり直す事は出来ない。ここで勝たなければ、俺達が今まで積み重ねてきた敗北の意味が失われてしまう。
だから、まだだ。まだ、終わるな。
「故に確信したぞ。我が道の先に、必ず余が求める答えがあると。全てを手に入れた暁には、貴公の魂は余の世界に永遠に刻まれる事だろう」
五月蝿い、どうでもいいんだ、そんな事は。
何がある。何かがある筈だ。あいつに一矢報いる為の何かが。
何かが―――っ!
「は、はは……はははははははは……!」
「ぬ……?」
そうだ、一つだけ、俺が奴に勝っている点がある。
奴の超越は自分が支配する世界の中では全能だが、それ以上の領域では力が一歩及ばない。
けれど、俺の力はその領域でも全能のレベルで力を使える。
因果も万象も捻じ曲げるのが、俺の力だ。だから―――
「そんなに、見たいなら……ッ、見せて、やるよ!」
己の胸を、握り締める。
食い込むほどに爪を立て―――その痛みと共に、俺は叫んだ。
まだ、世界は展開されている。だから、聞き届けろ、俺の世界よ。
「この身が、神に至らぬ事を……」
「っ!? 貴公、まさか―――」
「拒絶、するッ!!」
―――そして、その刹那。
『俺』という存在は、粉々に砕け散っていた。
《SIDE:OUT》