182:勝利すべき未来を
「手の届かぬ己自身の弱さが嫌だった」
『故に、勝利の未来だけを欲したのだ』
《SIDE:REN》
水晶が砕け散る音が、俺の耳にだけ響く。
それは、幻だったと言えるだろうか?
少なくとも―――まるで、白昼夢のように一瞬の出来事であったのは確かなようだ。
俺の目の前には、大口を開けて俺の体を噛み砕こうとしている化け物が一体。
小さく、笑む。
「俺なんぞ食ったら、腹壊すぜ?」
横から噛みつこうとして来ていたその両顎を、俺は両手で掴み取る。
その強大な力を膂力で抑え込み―――俺は、その顎を思い切り蹴り飛ばした。
『■■■■■■■ッ!?』
後方へと吹き飛んだ奴を尻目に、体を完全に再生させて立ち上がる。
再生速度も今まで以上……むしろ、復元と言うべきレベルだな、こりゃ。
まあ、何はともあれ、さっさと傷が塞がるに越した事は無い。
ぐるぐると肩を回し―――俺は、奴の方へと視線を向けた。
『■■■■■■■――――!!』
「―――《拒絶》」
奴は、蹴り砕かれた顎をすぐさま再生させ、こちらへと向かってくる。
振り上げた前足の一つが唐突に巨大化し、その刃のように尖った先端を、俺へと向かって振り下ろす―――
「―――俺の体が傷つく事を、拒絶する」
仮展開―――そう、胸中で小さく呟く。
刹那、振り下ろされて俺の体を二つに裂く筈だった刃は、俺の頭上で砕け散った。
その様を見つめ、俺は嗤う。
『■■■■ッ!?』
攻撃したつもりがその武器を破壊された為だろう。
困惑したような唸り声を上げるが、奴はすぐさま気を取り直すと、跳躍してその巨大な尻尾を俺へと向けて叩き付けた。
しかし、その一撃もまた、俺の体に触れる前に砕け散る。
虚空に消えて行く負のエネルギーの向こうにある巨体―――俺は、そこへと手を触れさせた。
「もういい―――」
『■■■ォッ!』
俺の手を振り払おうとするかのように、体を翻しながら噛みつこうとして来る。
その哀れな姿に、しかし憐憫は抱かない。
道を誤ったのはお前の責任だ。お前はただ、俺の世界に必要なものを傷つけた。
だから―――
「―――お前はもう、必要ない」
―――この化け物の起点となる、『天道遼』という存在そのものを拒絶する。
刹那、立ち上った銀の炎は、容赦なくその黒い体を焼き尽くしていた。
『―――』
燃え盛る銀の炎の向こう、僅かに見える黒い人型のシルエット。
怨嗟と共に俺へと向けて手を伸ばすその姿は、しかしすぐさま塵と化して消滅していた。
火の粉と言う僅かな残滓を残して焼き尽くされた天道―――俺は、その場から踵を返す。
「バカな奴だよ、テメェは」
ただ、愚かだった。
アルシェールさんへと抱いた想いを否定するつもりは無いが、それを良いように利用されたのを同情するつもりも無い。
だからこそ、奴に繋がっていたラインも、奴の存在も、宿った邪神の力も全て拒絶し尽くした。
「ま、魂は残したんだ。次は上手くやれ」
このまま行けば次の機会なんて失われるだろう。だが、俺はそれを許しはしない。
ベルヴェルクは、この手で必ず倒す。
だから、ここで立ち止まっている暇はない。
さて、行くか―――奴の所へ。
後は、俺の戦いだ。
《SIDE:OUT》
《SIDE:MASATO》
―――自覚した瞬間、オレの左腕はすぐさま再生していた。
これで、力負けする事は無い。
両手で持った影禎で、オレはベルヴェルクの振るう刃をしっかりと受け止めていた。
その結果に、奴は目を見開く。
「何……!?」
すぐさま肯定創出の力を使われなかったのは僥倖だろう。
剣を受け止めたこの体勢では、あの攻撃を躱すのは至難の業だ。
だが、油断は出来ない。すぐさま後方へと跳躍し、更に横へと走り出す。
「―――時間が無い。行くぞ、椿」
『ああ、分かっているさ、誠人』
どうやら、椿もあの空間での体験をしっかりと覚えていたようだ。
ならば、問題は無い。オレ達二人が至らなくてはこの世界を築き上げる事は出来ないが、条件はこれで揃ったのだ。
理解はしている。オレ達の力では、この男に届きはしないと。
無限と言えるほどに積み上がった記憶の中で、それは揺るぎない答えとして存在している。
そう……オレ達では、勝てないのだ。
だが、あいつならば―――
「―――赤月よ、虚を黒く染めてオレ達を見下ろせ」
『―――黒陽よ、天を朱く染めてワタシ達を包め』
―――オレ達が届かぬ場所へと、手を届かせる事が出来る。
故に、オレ達がお膳立てをしてやらねばならない。
舞台は、この男とあいつだけ……それだけで、十分なのだ。
「―――宵の明星は東へ廻り、狂い咲きの花は薄紅に染まる」
『―――愛されぬ真夏の雪は、破滅への予言を告げるだろう』
「……!」
ベルヴェルクが、オレ達の方へと掌を向ける。
けれど、奴の動きなどとうの昔に見えている。
オレ達を塵と化そうとしている奴の攻撃を躱し、オレ達は駆け抜けた。
「―――その終焉を、オレ達は認めない」
『―――その未来を、ワタシ達は赦さない』
仮展開、とオレは小さく胸中で呟く。
刹那、オレの視界に見えていた未来は、たった一本に絞られた。
周囲が次々と消滅してゆく中、全ての攻撃を悉く躱す未来を……オレ達の超越の仮展開は、望む未来を自動で検索する能力だ。
だが、それでは足りない。
「求めるものは、ただ―――」
『―――勝利すべき、本当の未来だけを!』
力を願え―――求めたものへ、手を届かせる力を。
無限の可能性の彼方より、たった一つの勝利を引き寄せる力を!
『超越―――』
視界に広がるのは、回避不能な範囲で奴が力を解き放つ光景。
けれど、もう遅い―――!
「―――《未来選別:万象の観測所》!」
光が世界を塗り替える。
それと共に、オレの視界を覆っていた滅びの光景は消え去った。
現れるのは、天高く上る太陽。
遠く続く景色は、ここが山頂である事を物語っていた。
そして、目に付くのはそこに建てられた天文台―――これこそが、オレ達の創り上げた世界だ。
「……よもや、この領域まで達していようとはな。やはり……面白い」
「この期に及んで余裕だな、ベルヴェルク」
言って、オレは腕の中にアルシェールを抱え込んだ。
突如として現れたその姿に、ベルヴェルクが目を見開くのが見える。
これが、オレ達の超越の力。
無限の可能性の彼方より、望んだ未来の結果のみを引き寄せる能力。
たった一つでも勝利する可能性が存在しているのならば、この世界を創り上げた時点で勝利が確定する。
家族を護れる力が、その未来が欲しいと願った―――オレ達の、望む世界。
―――刹那、空間に走った斬撃がベルヴェルクの首へと襲い掛かっていた。
甲高い音を立ててその一閃は弾かれたが、ベルヴェルクは反応し切れなかったそれに大きく目を見開く。
『誠人、お前は攻撃の未来に専念しろ。ワタシが回避を請け負う!』
「ああ、任せた」
無数の未来から、オレはオレが放つ攻撃の未来を引き寄せる。
届かぬ一閃も、弾かれる一閃も、全ての未来をここに具現化させる。
その剣戟の嵐の中で―――神威を纏う男は、口元にただ愉快そうな笑みを浮かべていた。
「それが貴様の力か……!」
たった一太刀、掠り傷であろうと届きさえすれば致命へと至る無数の斬撃。
それを全て受け止めながら、ベルヴェルクはただただ愉快そうに笑う。
分かっている。オレの攻撃は奴に届かないという事が。
だから、これは時間稼ぎだ。アルシェールを無事にここから連れ出す為の……奴が無視できない力が、ここにたどり着くまでの。
強く覚悟を決める俺の視線を受け、ベルヴェルクはこちらの方へと切っ先を向けた。
刹那、オレ達の周囲へと奴の力が収束する。
『当たるか……!』
椿が未来を選別する。
瞬間、オレが塵と化す未来が破却され、奴の背後へと回り込む未来の結果のみが引き寄せられるのだ。
奴に近付く未来が無数にあれば、その数だけオレの攻撃の未来が増える。
例えオレの勝利する結末が無かったとしても……オレの敗北する未来を、許しはしない!
「おおおおおッ!」
アルシェールを抱えたまま、オレは剣を振るう。
一手でも多く、奴へと攻撃を届かせねばならない。
敗北は許されないのだ……オレ達には、最早勝利しか残されていない。
「だが、その力では余に届かん―――」
「……!」
ベルヴェルクから、力が放たれる。
この男、このオレの世界ごと喰らい尽くそうというのか。
だが―――時間は、十分に稼いだ。
「後は、お前の役目だ」
オレの世界の領域内に、一つの気配を感じる。
強大な力を滾らせ、こちらへと向かってくるその気配―――あいつは、獰猛に笑っている事だろう。
「回帰―――」
そう―――
「―――《拒絶:因果反転》!」
―――こんな風に!
「ぬ……ッ!?」
飛来した銀の弾丸は、ベルヴェルクの纏う力の鎧を食い破り、咄嗟に差し込まれた黒い剣へとぶつかり―――互いの回帰を、相殺した。
放たれた方向へと視線を向ければ、そこには奴へと銃口を向ける男が一人。
「グーテンモルゲンクソ野郎。借りを返しに来てやったぜ、ベルヴェルク!」
「……! そうか、貴様が……フッ、ハハハハ!」
オレの世界だというのに、二人の男が放つ力は留まる事を知らない。
世界を揺らす力の奔流から退避し、オレは煉の方へと視線を向けた。
「……手助けは、必要無いな?」
「ああ、後は任せろ。お前は護衛に専念すればいいさ。アルシェールさんは兄貴の大切な人なんだ、傷つけたら承知しねぇぞ?」
「ふ……分かっている」
小さく笑い、オレは頷く。
知覚系の《欠片》の出力では、決して辿り着けぬ境地。
奴らのいる次元を僅かながらでも垣間見て、その差にいっそ馬鹿馬鹿しさすらも感じてしまう。
だが……オレ達の役目はここまでだ。
後は全て、あいつに懸ける。
「―――任せたぞ、煉」
「―――ああ、任されたぜ、誠人」
そう僅かに言葉を交わし―――オレは、この領域から抜け出す未来を引き寄せた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:REN》
誠人の超越が消滅する。
後に残るのは大きな広間だけ。そこに穿たれた無数の破壊痕も、ここまで来たら最早意味の無いものだ。
ここで戦いはしない―――
「お前も至ってるんだろ、ベルヴェルク」
「貴様こそ、な」
主語の無い会話は、分かりきっている問答の証。
馬鹿馬鹿しさすらも感じるかもしれないが、それはある意味必要な事であった。
ここまで来たんだ……一瞬で終わっちまったら、面白くない。
「なら、気をつけろよ」
「ほう?」
銀色の長い髪を揺らし、ベルヴェルクは面白そうに首を傾げる。
分かりきった問答だ……何故なら、俺は。俺の、世界は―――
「生憎と、誠人の世界みたいに優しくは無いぜ」
武器は破壊したが、奴はそんなモノなど無くとも十分に強い。
けれど―――
「―――焦熱、怒りに焼き尽くされた生命と大地」
ベルヴェルクは、その力を俺に向かって放つ。
あらゆる物を塵に変える、この世界に存在する万物に干渉する《創世》の能力。
けれど―――滅びる事を拒絶した俺の身体に、その力は届かない。
「―――炎を宿すその目には、己の知らぬ嫉妬があっただろう」
昔の俺ならば、奴の力に嫉妬しただろうか。
正しく全能と呼べる、その力に対して。
「―――俺はその道を捨てる。肉體を侮蔑する者達よ」
けれど、そんなものに意味は無い。
腕を消し飛ばそうとしても、頭を消し飛ばそうとしても、領域全体を消し飛ばそうとしても―――回帰では、俺には届かない。
「―――己の生き方も知らぬ憐れな者達よ」
俺は強欲だ。
俺の欲しいモノしか、俺の世界には必要ない。
だから、お前は必要ない。
「架橋にも至らぬと言うのなら―――この炎に焼かれて消えろ!」
お前の世界を全て―――焼き尽くしてくれる!
「超越―――」
魂の奥底から吹き上がる銀の炎。
俺の力の形、俺の望んだ世界……俺が望んだモノだけが存在する、その他を全て拒絶し尽くす、絶対者の世界!
「―――《拒絶:絶対の選別》!!」
天には黒陽を。
地には焦熱にひび割れた大地を。
その合間には、吹き上がる銀の炎を。
俺が不要と断じたモノ、万象一切を拒絶する煉獄の楽園。
―――領域内に取り込んだ敵全てを即座に消滅させるこの世界で、未だに変わらぬ姿で立ち続けるベルヴェルクに、俺はただただ歓喜の笑みを浮かべていた。
「さぁ……どちらの世界が勝っているか―――勝負だ、ベルヴェルク」
「―――」
そして奴もまた、俺の言葉に口元を歓喜で歪める。
奴もまた、口を開いた―――
《SIDE:OUT》