180:絶望
「あと一歩、君たちでは及ばない。故に―――」
《SIDE:REN》
「くっ!?」
爆散する家屋の瓦礫から身を躱しつつ、俺は街中を走り抜ける。
そんな俺を追うように、背後からは大きな地響きが伝わって来ていた。
周囲の人々は、ただ俺の事をじっと見つめているだけ……例え吹き飛ばされようと踏みつぶされようと、その体勢を変えようとはしなかった。
いつ襲いかかってくるかも分からず、気の休まる暇が無い。
だが、それ以上の問題は―――
『■■■■■■■■■■■■■―――!』
あの、漆黒の塊となった化け物の方だ!
もはや原型も留めていない巨大な怪物……天道だった筈のモノは、漆黒の巨獣と化していた。
昆虫のような足は数え切れないほど多く、その一つ一つが刃のように鋭く尖っている。
背中には鬣のように立ち並ぶ棘。それは尻尾の先まで続いており、尻尾の先端には棘付きの鉄球のような塊が備え付けられていた。
何よりも醜悪なのはその頭部……平べったい頭は大きく口が裂けており、その巨大な口に街の住人を数え切れないほど飲み込んでいる。
そんな頭の上部、眉間の辺りには、黒い涙を流し続ける天道の顔が残っていた。
「FUCK……!」
思わずそう呻きながら、天道の頭へと向けて弾丸を撃ち放つ。
フェンリルの加護に加え、魔術式による強化を行った俺の肉体、感覚能力は、狙い違わず標的を撃ち抜いた。
が―――苦悶の声を上げる事すらなく、その体は再び再生する。
「足止めにもならねぇかよ!」
吐き捨て、俺は跳躍する。
近場にあった家の屋根の上へと飛び乗りつつ、俺は《魔王降臨》の弾丸を操作した。
命じてある拒絶は単純に、『近寄らせるな』という事だけだ。
弾丸達は忠実に、俺の拒絶した内容を実行する。宙を駆け、天道の足を全て破壊するのだ。
が―――
「……やっぱり、再生するか」
奴は一瞬地面へと横たわったが、次の瞬間には何事も無かったかのように元の姿を取り戻していた。
思わず、舌打ちをする……あまり、下手に攻撃する事も出来ないのだ。
あいつを撃てば撃つほど、負の力があいつへと注がれ、世界のバランスは崩れて行く。
あれにどれだけのエネルギーが注ぎ込まれているのかは知らないが、あまり楽観視する事は出来ないだろう。
とは言え、防がなければこちらの命が危ない。
だが、厄介な事に、あいつは周囲の人間を取り込めば取り込むほど、力を増して行っているようだった。
逃げる気配も無いから次々と取り込まれて行くし、それだけあいつが世界から吸い上げる力も大きくなる。
面倒この上ない、としか言いようがない。
『■■■■■■■■■■■!』
「―――!」
天道……と言っていいのか良く分からんが、奴は俺の方へと尻尾を向け、その力を高ぶらせる。
その先端に存在している棘が揺れているのを見て、俺は目を見開いた。
咄嗟に、弾丸達を引き戻す。
「『当てさせるな』ッ!」
弾丸達が俺の周囲を舞う。
それとほぼ同時、奴の尻尾の先に生えていた球体から、無数の棘が弾丸の様に周囲へと放たれた。
棘は家々を崩し、石畳を砕き割り、周囲の人々を穿ち、俺の弾丸に弾き返される。
威力はそこまで高いって訳じゃなかったが……飛び道具まで使えるのか、あれは。
「……」
周囲の惨状に、思わず閉口する。
本当に、どうしようもないほどにボロボロだ。
そしてそんな状況でも尚、騒ぎ立てる事もせず俺の事を一心不乱に見つめ続けている住人達。
最早不気味を通り越して、自分自身がおかしくなっちまったのかと思うぐらいの光景だ。
―――とまれ。益体も無い事を考えていた所で、現状を打破する事はできない。
俺がすべきなのは足止めだ……だが、誠人があの城に向かっても尚、奴に向かっている力の流入が止まる気配が無い所を見ると、どうやらあいつは何らかの妨害を受けているみたいだ。
もしもベルヴェルクとぶつかっているのであればすぐにでも救援に向かいたいが、そうすればこいつを連れて行く事になってしまう。
あの男と戦うのに、背中を気にしながらというのは不可能だろう。
『■■■■ッ、■■■■■■■……!』
「……言葉を喋れってんだよ、クソッタレ」
俺一人で、コイツを倒す事は可能か?
正直、分からない。可能性があるとしたら、《因果反転》唯一つだけだ。
けれど、それでコイツに向かっている力の流れを断ち切る事が出来るというのだろうか。
分からないが、試すのも危険だろう……しかし、それでも。
「一か八か、しかないか」
苦々しく、そう呻く。
何も障害が無ければ、既に力の流れは止まっていてもおかしくないのだ。
もしも俺の考えている事が当たっているのならば、時間稼ぎは不利な結果にしかならない。
なら―――
「……行くか」
そう、覚悟を決めた。その、刹那。
『■■■■■■■■ッ!!』
「なっ!?」
漆黒の巨体が、俺の方へと向けて跳躍した。
思わず、一瞬呆然としてしまう。
十数メートルもの巨体を持つあの化け物が、いきなりそんな挙動を見せるとは露ほども思っていなかったからだ。
咄嗟に俺は後方へと跳躍し、奴の落下地点から身を躱す。
そして俺と入れ違いになるように、奴は俺が足場にしていた家を踏み潰しながら着地した。
瞬間、横殴りに尻尾の先端が襲い掛かる。
「Shit!」
七つの弾丸を防御に回す。
迎撃となるような形で放たれた弾丸達は、奴の尻尾を弾き返しつつ砕け散らせる。
しかし息を吐く暇すらなく、砕け散った家の破片が俺へと降り注いできた。
引き戻した弾丸の一つで弾き返しつつも、俺は再び後退する。
逃げれば逃げるほど、時間がかかればかかるほど、俺達は不利になってゆく。
確かに、ここで《因果反転》を使えば、ベルヴェルクと万全の態勢で戦う事は出来なくなってしまうだろう。
けれど……ここで敗北しても、意味は無いのだ。
牽制の弾丸を放ちつつ、俺は冷静に奴の姿を見つめる。
吐き出してくる怨嗟は、俺に対してか、はたまた兄貴に対してか。
こいつがアルシェールさんに助けられたって事は一応知っている……そこまでの経緯とかは全く知らないが。
ゲートの迷宮で出会った頃は、確かに兄貴に嫉妬してはいたけれど、決して道を踏み外すような奴ではなかった。
何かに絶望したか、それとも唆されたか……どちらなのかは、知らないが。
「仲間を捨ててまで、馬鹿な事してんじゃねぇよ」
―――思考に、ノイズが走る―――
苦々しく顔を顰め、俺は奴へと銃口を向けた。
奴を見ていると、妙にイラついてくる。
何か嫌なものを見せ付けられている気分にグリップを握り締めながらも、俺は静かに力を集中させた。
「回帰―――」
『■■■■■■■■■ッ!!』
咆哮と共に、奴は再び俺へと向けて直進してくる。
拒絶するのは……奴に対し力が流れ込んでくる事、そして奴がこの一撃で死なない事。
その拒絶の意思を込め―――
「―――《拒絶:因果反転》!」
弾丸を、放つ!
強大な正と負のエネルギーがぶつかり合い、互いに力を放出する―――!
「ッ……!」
そのあまりのエネルギーに耐え切れず、俺は勢いのまま後方へと向けて跳躍、退避していた。
俺の弾丸と奴が衝突したその地点は、銀の閃光に包まれたまま見通す事は出来ない。
大量の力を放出した事による倦怠感に苛まれつつも、俺はそこから視線を逸らそうとはしていなかった。
まだ分からない。油断は禁物だ。
俺が注視する中、閃光は納まって行き……そこに、横たわったまま動かない奴の巨体が転がっていた。
「……ふぅ」
ほっと、息を吐く。
これまで一瞬で再生してきたのに動かない所を見ると、どうやらしっかり効いてくれたみたいだ。
……しかし、参ったな。残る力は《因果反転》一発分って所か。
拒絶内容を重ね掛け出来るほどの余裕は無さそうだし、無駄遣いを避ける為に《魔王降臨》の方は解除しとくか。
こんな状態で、あいつと戦えるのかね。
「……いや、一発でもいい。一瞬でも隙が出来れば、誠人は必ず隙を拾ってくれる筈だ」
あいつは、そういう能力を持っている訳だからな。
さてと、さっさと救援に向かうとするか。
城は向こうの―――
―――その、刹那。
「ぃ、ギ……ッ!!?」
横殴りに叩きつけられた衝撃によって、俺の身体はひしゃげながら吹き飛ばされていた。
二重城壁の上部へと叩きつけられ、そこに蜘蛛の巣状のヒビを走らせながら、俺は大量の血でその壁を濡らす。
状況が理解できず、目を見開き―――俺が先ほどまで立っていた場所に、奴が無傷のまま立っていた事に気がついた。
「が、ぐ……」
オイ、さっきは確かに動かなかった筈だろ……どうして、無傷なんだよ?
声も出せぬまま、俺は驚愕に身を固めていた。
身体はすぐさま再生してきている……が、目に見えて速度が遅い。
これも奴の能力って事か? 拙い、早く動かないと、このまま―――
「ぁ……がッ!?」
無理矢理身体を起こそうとして、俺は城壁の下へと落下した。
その衝撃で再び身体を損傷し、焦りを募らせる。
余計なダメージを負ってる暇なんて無いってのに……!
血に塗れた腕で身体を押し上げようとし―――ふと、目の前に影が落ちた事に気がついた。
恐る恐る、顔を上げれば……そこに、予想した通りの姿がある。
「ッ……!」
ああ、クソ。嫌な感じだ。
どうしても、何か妙な違和感が拭えない。
ただ、この死の予感に苛まれているだけなのかもしれないが―――
「どう、して……」
どうして、俺は……コイツが大口を開けた光景なんて、クソッタレな記憶を持っているのだろうか―――
ぱりん、と―――何かが、割れるような音が響いた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:MASATO》
「おおおおおッ!」
「ふ―――ッ!」
光を纏う剣と、星達の渦巻く剣が打ち合わされる。
その強大な力同士がぶつかり合う事により、余波として発した衝撃波が周囲を切り裂いてゆくが―――生憎と、そんな事を気にしている余裕は無かった。
『力が強力なだけではなく、剣の心得までしっかりあるとはな……! 誠人、右だ!』
「分かっている!」
椿の言葉に頷き、オレは奴の剣を弾き返す。
そして翻した刃で奴の胴を薙ぐが、この男はその一閃に対して正確に反応し、剣を立てて防御してきた。
景禎の効果で身体能力を高められた状態での無拍剣……普通に考えれば、人間に反応出来る攻撃では無い。
だと言うのに、奴は正確に、そして軽々とオレの攻撃を受け止めていた。
「ふ……剣士としての実力も十分。やはり貴様らは面白い」
「抜かせ……!」
即座に刃を返し、腕を斬り落とすように小手を狙う。
しかし奴は一瞬の判断で腕を離してその一撃を躱すと、刃を跳ね上げてオレの胸を狙ってきた。
オレは咄嗟に斜め前へと身体を沈み込ませ、掠らせるように刃を躱してゆく。
返す刃で狙うのは、奴の脇腹……!
「速いな……!」
「っ!」
しかし、奴はそれすらも正確に反応した。
リンディオ・ミューレの持っていた剣士としての技量は、この男に引き継がれていると言う事なのだろうか。
互いに無理な体勢で刃を打ち合い、硬直し―――そして、同時に跳躍して距離を取った。
「面白いな、やはり貴様は面白い……それでこそ、余の怨敵となり得る存在だ」
「余裕だな、ベルヴェルク……剣士として戦うのであれば、オレにも分はある……一太刀でも触れれば、貴様の命を刈り取るぞ」
「そうでなくては面白くないだろう……尤も、この剣に打ち合える剣など、本来は存在しない筈なのだがな」
そう言って、奴は回帰の剣……否、剣の形に固められた宇宙を示す。
《創世》と呼ばれるその力は、神のごとき所業を容易く実現して見せた。
オレ達の持つ力も十分に強力だと思ってはいるが、この男のこれは常識を遥かに超えている。
宇宙一つ分のエネルギーなど……一体、どれほどの力を持っていると言うのか。
「貴様の世界の理という訳か……成程、そちらも飲み込めば中々に面白そうではある。だが、先ずは目の前の相手をしなくてはな」
……こちらを格下と見てはいるが、油断はしていない。
強く在ろうとも慢心はしない、本当に厄介な相手だ。
と―――ふと、ベルヴェルクはオレから視線を逸らした。
誘いか? いや、確かに意識は逸れている。ならば―――
「おおッ!!」
全速力で、オレは駆けた。
一切の無駄を省き、全挙動を一閃の為に集約する。
一太刀でいい。掠り傷でも負わせれば、景禎は相手の命脈を喰らい尽くす。
刺し違えてでも―――!
『誠人ッ!』
「―――ッ!?」
刹那―――椿の声と共に見えた未来に、オレは即座に身体を横へと投げ出していた。
そしてその一瞬後、オレが突っ込もうとしていた空間が、塵と化して消滅する。
これは……!?
「……やはり獣か。使えはせんな……あの《欠片》は貴重だ。早々に貴様を喰らい、あの《拒絶》を回収するとしよう。回帰―――」
「な……ッ!?」
体勢を立て直したオレは、その言葉に思わず耳を疑っていた。
また回帰だと?
奴はまだ剣を握っている……もう一振り創るつもりか?
いや、まさか―――
「―――《創世:肯定創出・神威招来》」
やはり、肯定創出か!
即座に、オレは横へと跳躍する。瞬間、先程と同じようにオレの立っていた場所が塵と化して消滅した。
何だ、この力は!?
『止まるな、誠人! 狙い撃ちにされるぞ!』
「分かっている!」
未来を観測しつつ、オレは駆け出す。
奴の力に捕まれば、この身体は一瞬で消滅するだろう。
厄介極まりないが、文句を言っている場合では無い。
『《創世》……創るのも壊すのも思いのままとでも言うつもりか?』
「さあな。だが―――」
捉えられればその時点で終わり。
それは、こちらにしても同じ事だ。この攻撃を潜り抜け、奴に一太刀当てる方法を、その未来を探し出せ……!
『お前は回避に専念しろ。ワタシが未来を探し出す!』
「ああ、任せた」
二人で探す未来を分担し、模索する。
見つからなければ、待っているのは死だけだ。
「《未来選別》……成程、中々に強力な《欠片》だ」
ベルヴェルクの言葉と共に、オレ達の前にある未来が提示される。
この大広間全体……否、あの男とアルシェールのいる場所以外の全てが、消滅する未来だ。
これだけの規模で能力を発動できるというのか……!?
「ちッ!」
舌打ちしつつも、駆ける。
今この場所では、アルシェールの所まで逃げ込む事は難しい。
となれば、オレに取れる選択は奴のすぐ傍以外に存在しない!
しかしそうすれば、次の一拍で詰む事になる……オレに残された手は、この一太刀にすべてを懸ける事だけだ。
刃を握り―――
「―――だが、大事の前の小事と言うのは、見落としがちなものだな」
―――オレの左腕が、消滅した。
「な……!?」
この身体は痛みを感じない。
けれど、衝撃だけは伝わってきた。
見落としていた……確かに、周囲に気を取られていたのは事実だが、こんな―――!
オレの体は、既に奴の刃の領域へと入り込んでしまっている。
しかし、片腕だけで奴の攻撃を凌げるか?
否だ。答えは分かっている。オレの目が、既にその未来を捉えているのだから。
それ以外の未来を、探さなければ―――
―――思考に、ノイズが走る―――
―――これは、未来では、ない?
ぱりん、と―――何かが、割れるような音を聞いた。
《SIDE:OUT》
「―――僕の城へ、招待しよう」