171:進軍
最終決戦―――戦闘開始。
《SIDE:SAKURA》
陣の陥落から二日、リオグラスの軍はグレイスレイドの軍とタイミングを図り、共に進軍を開始した。
進軍速度は比較的遅め……歩兵や攻城兵器が軍の中に混ざっているからだ。
そんな中で、私達は馬に乗りながらウルエントへと向かっていっていた。
勿論……と言うか、まあ胸を張る事でもないのだけど、私は馬に乗れない。
なので、相乗りさせて貰っている次第なのだけど―――
「……いづなさんって、馬乗れたんですね」
「おん? んー……まあ、せやね。一応、多少は乗り方知っとったけど、別にそんなにやっとったって訳やないで?」
「え、でも……」
素人目でしかないけれど、いづなさんが馬を操っているその様子には緊張やぎこちなさは欠片も無い。
とても、そんな少し齧った程度、という風な様子には見えないのだけれど。
そんな私の言葉に、いづなさんはその背中を少しだけ揺らす。笑っているのかな?
「そんな大層なモンやないって。上手いっちゅーなら、ミナっちの方が上手いやろ?」
「乗馬は……貴族は、大体勉強する。女の子でやるのは、少ないけれど」
隣で馬に乗っていたミナちゃんが、いづなさんの言葉にそう呟く。
まあ、それは分からないでもない。家に引き篭もりがちだったらしいミナちゃんの事だから、そういった勉強をする時間はいくらでもあっただろう。
ミナちゃんの事は理由もあるし納得できる。
けれど、現代日本で乗馬なんて、そういうスポーツをやってる人じゃないと難しいものなんじゃないのだろうか?
私も修学旅行で海外に行った時とかに体験したけれど、結構恐かった。
そんな私の疑問に、いづなさんは肩を竦めた。
これなら、後ろからでも見える―――ちなみにだけれど、私はいづなさんにしがみつくような形で乗っていた。
最初は前に抱えられるような形になるかと思ったのだけれど、胸で押されてしまう為に、急遽後ろに変更になったのだ。
その光景を視ていたゼノン王子は大笑いしていたけれど、隣のマリエル様は複雑そうな表情を浮かべていた。
……うん、気持ちはよく分かる。それを押し付けられていた私の方が、その大きさを一番身近に感じていたのだから。私だってそんなに小さい訳じゃないんだけど。
まあ、それはともかく―――
「にゃはは。さくらん、うちが今掴んどるのって何や?」
「え、何って……手綱ですよね?」
「せやね。さて問題です。この手綱、うち以外に握った事のある人間がおるでしょうか?」
「それは……借りたものなんですし、当然誰かが使った事―――あ」
そうだ、いづなさんの能力をすっかり忘れていた。
物に刻まれた記憶を読み取る能力、《記憶》。その回帰は、道具に刻まれたかつての使い手の研鑽を、自分自身のものにしてしまう能力。
確かに、それなら自分自身が馬に乗る事が出来なくても大丈夫。
かつて乗馬の上手い人が乗った事があるのなら、いづなさんに乗れない筈が無いのだ。
……まあ、ちょっとずるい気はするけれど。
「っていうか、いづなさん……そんな事ぐらいで回帰を使うのは……」
「や、うちの能力は格が低いし、しかも知覚系の能力やからね。燃費に関しちゃかなりええんや。回帰でも、殆ど消耗はせぇへんよ」
「それはそうですけど……」
《神の欠片》の力……恐らく正の側の力と言うやつなんだろうけど、それは体外に放出する放出系の方が燃費が悪い。
まあ、その辺りの単語は私達が適当に名付けただけなのだけれど。
とにかく、体の中で循環させて能力を発揮する知覚系とは、燃費の桁が違うのだ。
唯一、自分自身を加速させるフリズさんはかなり燃費がいい方なのだけど……アレはまあ、例外的な能力の使い方だ。
「……羨ましい、です」
「そうは言うけどなぁ。うちからすりゃ、燃費が悪かろうと放出系の方が羨ましいんやで?
そっちの方が、戦略的には美味しい能力が多いからなぁ」
「確かに、威力と言う点では私達の力の方が上ですけど……」
力を使いきってしまった時の虚脱感は、あんまり好きではない。
だから私としては、燃費がいい能力の方がいいのだ。
……まあ、今更言った所でどうしようもないものだけれども。
「ってかそもそも、回帰を使っとるんはうちだけやないやろ?」
「それは、そうですけど」
小さく、肩を竦める。
私は必要だからこそ力を使っているのであって、「便利だから」とかそういう理由で使っている訳じゃないんだけどなぁ。
今私は、《死霊操術》を使って、魂を奪ったディンバーツ軍の人々の身体を操っていた。
既に自意識で動く事は無いとは言え、後ろを歩かせるのは兵士達が安心できないという事で、彼らは軍の前衛の辺りに位置している。
まあ、多少矢に射抜かれた位では止まらないのだから、盾としての役割を果たす事も出来るけれど。
ちなみに、進む方向を間違えないようにする為に、上空から風の精霊さんの力で索敵を行っている。
今の私は、俯瞰視点で軍全体を見ているような状態だ。
……まあ、普通にしててもいづなさんの背中しか見えないし、そっちの視点だけでもいいのだけど。
「さくらんの方こそ、消耗は大丈夫なん?」
「あ、はい……操ってる数は3000ほどですし、それ位なら《死霊操術》も重いと言うほどの消耗じゃないです。
ただ、《精霊変成》との併用は厳しいですし、操っている人たちが全滅するまでは直接戦闘に参加するのは難しいかと」
「まあ、今はそれでええと思うよ。あの不死身の兵隊は、役に立つ場面がありそうやからね」
「はぁ……」
よく分からないけれど、いづなさんの台詞は悪い事を考えている時の声音だった。
何か変な事をして怒られないといいんだけど……大丈夫かな。
「とにかく、今回の戦いは軍として戦う事が必須……郷に入りては郷に従えっちゅー奴やね。
さくらんの能力は集団対集団にはあんまり向いとらんのやし、無理せんでもええよ」
「……はい。でも、《人形遣い》は……」
「あー、アレはまあ、出てきたらさくらんに相手して貰えると助かるんやけど。
流石に、アレに対抗できるんはそうそうおらんて」
やっぱり、そうかな……でも、今度は流石に超越を使う事は出来ない。
到着した頃には、あの能力を使うだけの力は残されていないだろう。
《精霊変成》ぐらいならば問題は無いだろうけど……この間のような戦い方は、流石に無理。
「……あの人は、どうすれば」
「面倒な相手やからねぇ」
聞かせるつもりは無かったけれど、私の声が聞こえてしまったのか、いづなさんは苦笑の混じったような声を上げる。
強大な魔術式、高速戦闘を可能にした人形、そして本体が姿を現さないが故の不死性。
超越を使っても倒し切る事は出来なかった相手……退けられたとしても、幾度と無く姿を現す事だろう。
「問題は、あのやたら速い人形やね……まあ、数を作れたような事は言っとらんかったし、二つで品切れって考えときたい所や」
「はい……私だと、反応するのでギリギリでしたから。やっぱり、フリズさんの方が安定するかと」
「せやねぇ……まあ、向こうに行ってまってるから、無いものねだりしてもしゃあないんやけど」
私の能力に対する対策は、魂が存在しないという時点で出来ているに等しい。
私にとってはかなりやりづらい相手なのだ……まあ、今度はもう超越は使えないのだけれど。
ミナちゃんでも倒す事は出来ないだろうし、となるといづなさんが超越に至る……?
……ううん、不確定要素が多すぎる。やっぱり、私が何とかするしかない。
とりあえず、退ける事だけなら不可能じゃないと思うし、頑張ろう。
「さて、そろそろ山の間抜けるけど……先で敵軍が布陣しとるとか、そういう事はあらへんよね?」
「あ、はい。敵の姿は見当たりません……まあ、ウルエントの街はすっかり臨戦態勢になってるみたいですけど」
門は閉じ、周囲を覆う外壁の上には多くの兵士達が弓を持って待機している。
どうやら、迎撃の準備は完全に終わっているようだ。
あの陣を落とした時は、誰一人として逃がさなかった筈だけど……《人形遣い》は、そもそも本体があそこにいなかったから、話を伝えられてしまったんだろう。
厄介だけれど、まあ覚悟はしていたのだし、構わないだろう。
「まあ、多少予想外な事はあったけど……概ね問題ないみたいやな。後は、皆でがんばればええ」
「ん」
「……はい」
いづなさんの言葉に、私は小さく頷く。
落ち着いた声音だけれど、身体が少しだけ強張っている……いづなさんと言えども、緊張しない訳ではないんだ。
それだけ、この戦いは大変だって言う事だろう。
「……がんばら、ないと」
今度こそ、聞こえない程度に小さく、私は呟く。
山と山のその間、二つがずれて行ったその先―――そこに、ウルエントの街は存在していた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:FLIZ》
「近付いてきたわね……」
「ああ、そうだな」
遠景に見えてきたディンバーツの首都、グランレイヤール。
黒く重厚なそれは、まるで要塞のようにも見える威圧感のある様相。
巨大な円を描くそれは、規模だけで言えばフェルゲイトよりも大きく感じられていた。
威圧感から大きく見えてるだけ……って訳でも無さそうね。
実際、かなり大きいみたいだわ。
眼下では、その巨大な都市から、次々と軍が姿を現してきている所だった。
増援か、それとも本隊なのか……分からないけれど、これに到着されたら、リオグラスもグレイスレイドも押し切られてしまうのではないか―――そう思ってしまうほどの数だった。
正直、恐ろしい。けれど―――
「これだけ吐き出せば、中は手薄になるだろ。ある意味、チャンスかもしれないぞ?」
「そうね……あたし達の目的は、アルシェールさんの救出とベルヴェルクの撃破だけだもの」
あいつら全てを相手にする必要なんてどこにもない。
暗殺じみててちょっと微妙な気分だけど、そもそも正々堂々挑まなきゃいけない相手って訳でもないのだ。
って言うか、正面から挑んだらむしろ危険だ物ね、あいつ。
とにかく、高度を保ったまま城まで突撃して、そこであたし達は降下しよう。
シルクにはそのまま退避して貰って、アルシェールさんを救出したらあたしは脱出。
煉と誠人の二人は、ベルヴェルクと戦う……って言う感じになるのかしらね。
どうしても不安は残る作戦だけど、仕方ない。
奴と戦う以上はどこまで行っても不安は残るんだから、ここは覚悟を決めないと。
「……とにかく、手筈通りでいいのよね?」
「ああ、さあ、行くぜシルク―――」
「―――ッ!? 煉、防御だッ!!」
「ッ、回帰!」
唐突に響いた誠人の声に、あたしは思わず目を見開く。
煉も似たような表情だったけれど、その切羽詰った声音に、半ば反射的に能力を発動していた。
そしてそれとほぼ同時―――あの聳える巨大な城から、強烈な力の波動を感じ取る。
この魂の奥が震える感覚……まさか!
「―――《拒絶:肯定創出・魔王降臨》ッ!」
煉の回帰が発動し、周囲に七つの魔弾が生成される。
それらがあたし達の前方へと終結した、その刹那―――城から発せられていた力が、急激に膨れ上がった。
「来るぞ!」
「『当てさせるな』!」
その声とほぼ同時、城から発せられたのは―――黒い光線とでも言うべきか、とんでもない力を感じるエネルギーの奔流だった。
煉の弾丸は、その一撃を受け止める……けれど、あたし達はその圧力に押され、シルクの上から放り出されていた。
バレてたって事か……!
「ッ……シルク! あたしたちの事はいいから、ミナ達の所へ帰りなさい!」
ギリギリ攻撃を躱していたらしいシルクに指示を飛ばしつつ、あたしは真下―――あの軍達が布陣している辺りへと落下して行く。
くっ、落下の勢いを減速―――
「シナツ、頼んだ」
『りょーかい』
と、能力を発動しようとしたちょうどその時、あたし達の体を風が包み込んだ。
落下の勢いを弱めつつも、その強力な旋風で地表辺りの兵を吹き飛ばしてゆく。
そして、あたし達は、ぽっかりと人がいなくなったその場所に着地した。
が―――
「……厄介な事になったな、こりゃ」
周囲を見渡しつつ、煉は小さく肩をすくめる。
その周囲に浮かべた七つの弾丸は、いつでも動き出せるように狙いを定めているようにも思えた。
そしてその隣に立つ誠人もまた、背中から景禎を引き抜いて肩に担ぐ。
「どうする、この数を相手にするのは流石に骨が折れるが」
「つっても、タダじゃ通してくれないだろ」
周囲の兵士達は、あたし達の姿を認め、すぐさまその武器をこちらへと向けてきていた。
―――そんな連中の身体から、黒いエネルギーが湧き上がる。
これは……やっぱり、あの量産型の魔人って訳ね。
だったら―――
「あたしが道を開ける」
「何……?」
「血は争えないって言うか……お母さんみたいに、アンタ達の障害を取り除いてあげるわよ」
カレナ・フェレスは、邪神龍と戦う前の最後の障害を全力を以って排除したと言われている。
要するに、直接邪神と戦った訳じゃない。その前の敵の大軍を倒して、力を使い果たしてしまったのだ。
だから、これはある意味、あたし向けの状況って言えるのかもしれない。
「アンタ達を、あの城壁の向こう側まで連れて行ってあげる……後は、アンタ達で何とかしなさいよ」
「……いいんだな?」
「誰に言ってんのよ」
さて、もうあまり時間は無い。
周囲の包囲は、徐々に狭まってきている。
さっさと、行くとしましょうか。
「回帰―――」
迷いは無い。
元々不利な戦いだったんだから、今更気弱になることもないし……やれる事を、全力でやるとしましょうか。
「―――《肯定創出・神獣舞踏》ッ!」
そして、あたしは加速する。突撃しながら突き出すのは、左の拳。
お母さんから預かったこの手甲……その左拳は、凍結した相手を粉砕するために造られた、強力な衝撃波発生装置だ。
あたしの能力で加速された衝撃波は、進路上の敵達を容赦なく粉砕してゆく。
「このまま、門まで―――ッ!?」
瞬間、あたしは目を疑った。
この加速したあたしの世界の中で、あたしへと向かってくる存在があったのだ。
見覚えは、ある。けど、それ故に信じられなかった。
何故なら、あいつは―――
「星崎……ッ! 何で、アンタが!?」
「ははははっ! ようやく捉えたぜ、フリズ・シェールバイト!」
星崎は跳躍し、あたしへと向かって剣を振り下ろす。
その一閃を、右拳の杭で受け止めながら、あたしは思わず舌打ちしていた。
どういう仕組みなのかは知らないけど、こいつがあたしの速度についてきた事だけは認めないといけない。
あたしは左の拳から衝撃波を放って星崎を押しのけると、腰にぶら下げておいた道具―――ミナに創って貰った、オリハルコンの杭を取り出した。
「回帰―――《神速の弾丸》!」
加速した感覚の中、更なる加速を得た弾丸が、星崎へと向けて直進する。
けれど、あいつはそれを易々と躱してしまった―――思わず、舌打ちする。けど、一応そこまではこっちの狙い通りだ。
あいつに当たらなかった弾丸は、そのまま正面の敵陣へと突き刺さり、門までの道を無理矢理押し開ける。
「……後は頼んだわよ、二人とも」
小さく呟き、あたしは構える。
非常に不本意だけれど―――コイツが、あたしにとって最後の敵のようだった。
《SIDE:OUT》