164:銀の拳
託されたもの、それはかつての戦いの遺産。
《SIDE:MASATO》
シルフェリアの処置が終わると、オレの意識は急速に覚醒した。
どういう仕組みなのかはさっぱり分からないが……長々と休眠した状態のままと言うのも面倒だからな。
この仕様に関しては、特に文句を言うつもりは無い。
言いたい事といえば、本当に全裸になる必要があるのかどうかという事だ。
こんな状態とは言え、一応羞恥心はあるのだからな。
「……とりあえず、簡易でいいから服を寄越せ」
「目を覚まして早々の台詞がそれか、貴様は」
呆れたような表情を見せつつも、シルフェリアはオレの隣に置いてあった机を視線で示す。
そこに乗っているのは、オレの着替え―――いづなが用意してくれていたのか。
とりあえず服に手を伸ばしながら、隣に置いてあった時計を見る。
「ふむ。意外と、早かったんだな」
「そらまぁ、うちも手伝ったからなぁ」
響いた声に、視線を向ける。
見れば、奥の椅子に体を沈み込ませるように体重を預けて座っているいづなの姿があった。
成程、例の回帰の力を使って、二人で作業していたと言う事か。
本人はあまり強力ではないと言っていたが、色々と便利な能力だな。
「慣れない作業で大変やったけど、中々面白い経験やったよ」
「それは良かったが……視線の方向が危ないぞ、お前」
いづなの視線は、オレの顔ではなく、そこから若干下の方へと向いている。
処置の直後でオレは服を着ていない。幸い、局部はシーツで隠れているが……その視線の先がどこであるかは、言うまでもないだろう。
「やー、うちも女の子やし。そーゆーんは興味津々なんやで?」
「堂々と言うな。そして、処置している間にいくらでも見ただろう」
この体の筋肉の付き方などは、いづなが事細かに指示していた筈だ。
つまりいづなは、オレの魂が宿る以前から、この体の隅々まで把握していたのである。
羞恥心を感じなかった訳ではないが、もう諦めも付いていた所だった訳だ―――が、そういう反応をされると、こちらとしてもどう返したものか困る。
とりあえずシーツの中でもぞもぞと下着を着込み、それのベッドから出て服を身に纏い始めた。
「サービス精神が足らんで、まーくん」
「そんなサービス精神など要らん」
嘆息交じりにベルトを締め、シャツの方へと手を掛ける―――と、そこで部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、ずりずりと景禎を引き摺る桜と、その刀から上半身を現している椿の姿だ。
……随分と、椿の姿がはっきり見えるな。これは一体どういう―――
「ひゃっ!? ご、ごめんなさい!」
疑問に思い視線を細めた所で、顔を赤く染めた桜が景禎を取り落としながら部屋の外へと逃げていってしまった。
しばし沈黙と共に扉のほうを見つめ、オレはいづなの方へと視線を向ける。
「女としてはああいう反応が正しいんじゃないのか?」
「女の子に幻想抱いちゃあかんって。さくらんが天然記念物なだけや」
「胸を張って言うな」
まあ、こいつにその辺りの事を求めるのは、シルフェリアに思いやりを持てと言っているのと同じ事だろう。
嘆息しつつシャツを着込み、扉の外へと声を掛ける。
「大丈夫だから、入って来い」
「……は、はい」
「相変わらず、茶番劇のような事をやっているのだな、貴様らは」
呆れた表情のシルフェリアには何も言い返せず、オレは小さく肩を竦める。
この軽い感じが持ち味であると言えるのかもしれないが……これは少々緩過ぎたかもな。
特に、いづなが。
「……まあ、いい。それで、今回はどのように調整したんだ?
椿の姿がはっきりと見えるようになっているが」
『何? 今は力の密度を高めている訳ではないぞ?』
「ああ、分かっている。だから聞いているんだ」
オレの視線を受け、シルフェリアは煙草に火をつけつつ肩を竦める。
そのハーブのような香りを放つ煙を吐き出し、その火の付いた先端をオレの方へと向け、シルフェリアは声を上げた。
「ツバキの姿が見えるようになったのは、貴様の霊的感性を高めた結果だ。
貴様らは力を同調させる必要があるからな。その二つの乖離を縮めるには、それが手っ取り早かった」
「成程……霊も普通に見えるようになるという訳か」
流石に、精霊は見えないようだったが。
あれは、桜の《魂魄》という強大な《神の欠片》の力があってこそだろう。
そもそも、あの力がなければ見えた所で操れる訳でもないのだし、その辺りは気にしなくてもいいだろう。
オレが小さく頷いたのを見ると、シルフェリアは更に続ける。
「身体能力の強化などもを行った。筋肉の効率化や密度の向上に成功したので、その辺りを全体的に入れ替えておいたぞ」
「……それをこの短時間で行ったのか」
「フン、私を誰だと思っている」
どれだけ性格に問題があろうとも、コイツは確かに最高の技能を持つ錬金術師だからな……厄介な事に。
だが、筋力の強化したのならば、純粋に強くなる事が出来たと言う事だろう。
景禎も前より重量を増していたし、刀を振るうのには都合がいいかもしれない。
「後は、若干歪んでいた骨格の調整……ああ、そうだ。もう一つあったな」
「……む?」
シルフェリアは思いついたように視線をずらし、手に持っていた煙草を再び口に咥える。
その肩が若干上がると共に先端の炎は紅く輝き、口から吐き出される紫煙の香りが部屋の中を満たす。
今更ながら、そのタバコの中身は一対何なんだろうな。
ともあれ、一息間を空けたシルフェリアは、その口元に笑みを浮かべながら声を上げた。
「貴様の生殖機能、元に戻しておいたぞ」
『ぶっ!?』
奇しくも、四人の噴き出した音が重なる。
流石に予想外だったと言うか……何を言っているんだ、この女は。
「ちょ、ちょっと……うちが休んどる間に、そないな事してたん?」
「コイツのかつての肉体は、完全に破壊された訳ではなかったからな。一応、一部は貴様の元々の肉体を使ってあると言っておいただろう。
その部分を、少し増やしただけだ」
「い、いや……それは覚えているが、何故そんな事を」
「特に理由は無いな」
そう言いつつも、コイツの口元に浮かんだからかうような笑み……要するに、オレ達の反応を楽しんでやっているだけのようだ。
元々良く分からん奴だとは思っていたが、ここまで突拍子もない事をやりだすとは予想外だったな……本当に。
「基本的に、調整内容としてのメインは最初のものだけだ。この先は貴様次第、自分で何とかしろ。ではな」
「あ、ああ……」
さっさと言いたい事を言い放ち、シルフェリアは踵を返して部屋を出てゆく。
何を突っ込めばいいのかも思いつかず、その背中を呆気に取られたまま見送り―――気まずい沈黙が、部屋の中に降りた。
「……こほん。えーと、まぁ……うん。とにかく、これで戦いにも備えられたやろ」
「あ、ああ」
『……そうだな』
どうやら、流石のいづなでもこれをからかう事は出来なかったらしい。
桜に至っては真っ赤になって俯いているのだから、ある意味当然と言えば当然か。
とにかく、何とか気を取り直したいづなは、深々と息を吐いて視線をオレへと向ける。
「……ゴメンな、まーくん」
「ん?」
「しっかりとした準備、出来てへんやろ? あの男に挑むんに、超越が無いんは明らかに無理や。
出来る事はやってきたつもりやったけど……結局、こないな状況で送り出さなあかん」
「……いづなさん」
いづなはオレの手を握り、そう呟いて顔を伏せる。
この中で唯一、超越に目覚めている桜が、申し訳無さそうに俯いているのが視界の端に映っていた。
そう……だな。確かに、無謀としか言いようのない戦いだろう。
だが―――
「気にしすぎだ、全く」
「まーくん……?」
小さく笑い、オレは床に倒れたままだった景禎の方へと歩み寄り、それを持ち上げた。
いづなが……いや、仲間達が力を合わせて鍛え上げた刀。
これだけの手間暇をかけたのだ、今までの積み重ねが無駄だったなどとは思わない。
「確かに敵は強大だし、オレ達の届く相手ではないかもしれない。
けれど、オレ達は負ける為に戦いに行くのではないんだ。必ず勝つ……勝って、望んだ未来を手に入れる。
だからこそ、オレ達の為に心血を注いで来てくれたお前が、その努力が無駄だった等と言うような真似は止めろ」
「……せやね。うん、ちっと弱気になってた」
小さく苦笑し、軽く頭を振って、いづなは笑みを浮かべる。
状況は確かに途方も無く不利だ。だが、確率は決してゼロではない。
そして、ゼロではないのならば―――
「例え万に一つ、億に一つであろうとも……勝利する可能性を見る事が出来たなら、オレ達は勝てる。そうだろう、椿」
『ああ。いくらでも未来を見て、その求めた場所を探し出して見せるさ。だから、そう心配するな』
勝機は必ずある。
例え相手がどれほど強かったとしても、結局は人間だ。
何一つ隙が無いなどと言う事はありえない。
そしてそこに可能性があるのならば、オレは必ず勝ち取って見せよう。
今は可能性を見る事が出来なくとも……必ず、勝ち取る為に。
《SIDE:OUT》
《SIDE:FLIZ》
ミナと一緒の部屋の中、あたしは窓際の椅子に座り、静かに外を眺めていた。
思い返すのは、昼間の戦いの事。あたしの力を測り、そして確実に近付いてきていたあの女。
あたしだからこそ、まだ戦えた。けれど……他の皆では、あのスピードに対応できるかどうか分からない。
まあ、煉は一応大丈夫だとは思うけど。
「で、いつまで一人で黄昏てんだお前は」
「もう、夜」
「……いや、そういう意味じゃないでしょ」
思わずツッコんでしまった……小さく溜め息を吐きつつも、あたしは振り返る。
まあ、同じ部屋だからミナがいるのはいいんだけど―――
「何でアンタまでいるのよ、煉」
「いいだろ、別に。明日は出発しないとならないんだから」
「いや、そりゃ分かってるけどさ……」
あたしもディンバーツに潜入する側だし、それに関して文句を言うのもおかしいか。
ミナと一緒にいたいんだろうし。
「……じゃ、あたしは廊下で黄昏てくるから」
「いや、だから別にいいだろうが。悩む必要も無いだろ、敵を倒せばいいだけだし」
「それで悩む必要が無いって言えるアンタの図太さは尊敬できるわ」
小さく、嘆息する。
正直勝てるかどうか分からない相手……いや、負ける可能性の方がずっと高いだろう。
少なくとも、あたしではベルヴェルクと戦う事はできない。
仕事は、あの男に通用する可能性なる煉と誠人を、無事に敵の本陣まで送り届ける事の筈だ。
星崎和馬や、アリシア・ベルベット……あたしが戦う相手は、あいつら。
煉たちに比べれば、遥かに組し易い相手だろう。
「って言うか、アンタは恐くないの? もしかしたら―――」
「はいストップ。考えるだけ無駄なんだよ、そういうのは」
呆れたような表情であたしへと指を突きつけ、煉は小さく肩を竦める。
まあ、確かに負けた時の事なんて考えても―――
「誰か一人でも欠けたら、意味が無い……そうだろ、ミナ」
「ん。全員で勝たないと、ダメ。だから、勝つ事だけを信じるの。絶対に諦めない……それを教えてくれたのは、フリズだよ」
「あたし?」
「そう、フリズ」
……あたし、そんな立派な事なんて言ったかしら?
ミナがこんな事で嘘を吐くとも思えないし、確かなのかもしれないけど。
「……でも、そうよね」
あたしたちに、勝つ以外の道は無い。
あの男を倒せなければ、私達はこの世界で未来を掴む事は出来ないだろうから。
あいつを倒して、邪神というシステムを破壊して、それでようやくスタートラインに立てる……あたしが願った幸せを掴む為の―――
―――思考に、ノイズが走る―――
「時計……?」
「ん、何か言ったか?」
「え? あ、いや……ううん、何でもない」
何かしら、今の……一瞬、何か見えたような気がしたんだけど。
得体は知れないけれど、恐いとは感じない。一体、何だったのかしら?
と―――フラッシュバックした光景を思い出そうとしていたちょうどその瞬間、ノックも無しに部屋の扉が開け放たれた。
唐突な出来事に、全員の視線がそちらへと向かう。
そこに立っていたのは、見覚えはあるけれど意外な人物だった。
「シルフェリアさん?」
「部屋にいたか。手間が省けていい事だ」
煙草を口に咥えたシルフェリアさんは、あたしの方を見つめつつそう呟く。
何、あたしに用があるって事?
正直、この人とはあんまり接点なんて無いんだけど。
しかし、彼女はあたしの疑問なんてお構い無しにずかずかと近付いてくると、手に持っていた包みをあたしへと投げ渡してきた。
「わっ、と……って、重!? な、何これ?」
「開ければ分かる。貴様も見覚えのあるものだろう」
何か、妙に長く出っ張ってる棒みたいなのがあるんだけど……疑問符を浮かべながらも、あたしは包んでいる布を解いてゆく。
気になったのか、煉やミナもあたしの隣に並んで手元を覗き込んできていた。
もうちょっとで……って、これ―――!
「お母さんの……!?」
「あのパイルバンカーのついた手甲か!」
「アルバート……あの小僧が、貴様に渡せと言ってきてな。今の貴様なら、扱えるだろう」
布に包まれていたのは、銀色に輝く左右一対の手甲。
特徴的なのは、右の手甲の腕の部分についている長い銀の杭と、それを射出する為の四角い金属の筒。
そして左の手甲は、強大な衝撃波を発する事が出来るようになっていた筈だ。
お母さんが邪神との戦いの時に使っていた、アルシェールさんによって製作された武器。
「あたしが、これを……?」
「どう使うかは貴様の自由だ。だが、使わずに勝てる相手などと思い上がっているのなら、さっさと死ぬ事になるだろうな」
……分かっている。これは、相手を殺す為の武器だ。
あたしは、人と戦う為にこれを使う事はできない。けれど―――
「必要に、なるんでしょ。だったら、使うわよ」
「……そうか。なら、私の用はここまでだ。ではな」
特に反応を示す事無く、シルフェリアさんは踵を返して部屋を出てゆく。
礼を言おうと思ったけれど、顔を上げた時にはその姿は廊下に消えている所だった。
発しようとしていた言葉の行き先を失い、あたしは再び視線を降ろす。
「お母さん……」
「フリズ、大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫。行けるわ」
あたしには、お母さんがついてる……そう、思える。
あたしの魂にはお母さんの《欠片》が、そしてあたしの拳にはお母さんの武器が。
一緒に戦える……なら、きっと願いを見失わずにいられる。
必ず勝って、幸せな日々を取り戻す―――それを、ずっと抱きながら戦える。
「……ゴメン、煉。ちょっとネガティブになってたわね」
「ま、その辺は仕方ないだろ」
「でも、もう大丈夫でしょ?」
「ええ、そうね」
ミナの言葉に、あたしは力強く頷く。
相手が強いかどうかは関係ないんだ。
ただ、あたしには欲しい物があって、あの男を始めとした敵の連中がそれを阻んでいる。
何も悩む必要なんて無い。譲れない物なんだから、譲らなければいいだけだ。
譲ってしまったら、それは死んでいるのと同じ事なのだから。
「行きましょ。そして、必ず勝つ」
「ああ、必ずだ」
あたし達は、笑いながら拳を突き合わせる。
もう、迷いは無い。全力を尽くす―――ただ、それだけだ。
《SIDE:OUT》