14:女神の洞窟
母を尋ねて山登り
《SIDE:REN》
「オラ、へばってんじゃねーぞ」
「ぜー……はー……」
ニアクロウの街をミナを伴って出てから数日。
俺たちは一端ゲートに戻り、準備をして一泊してから、兄貴の言っていたミナの母親の所へと出発していた。
が―――
「何で、こんな山の中に……」
ゲートの街から北東に馬車で一日進んだ辺りにある山岳地帯。
そのふもとの街に一泊してから、俺たちはこの山を登ってきていた。
俺には山登りの経験なんて無いので、かなり厳しい。
だが、同じく経験なんて無さそうなミナはと言えば。
「レン、ふぁいと?」
「ぜー……いや、無理に俺の世界の言葉を覚えなくていいから……っていうかホントいいな、それ」
「?」
俺の恨めしげな視線も気にせず、地上から10cm辺りの所をふわふわと浮いていた。
何でもミナが着ているローブはかなり高級な品らしく―――俺の持ってるアルシェールさんの装備の方が高級だが―――その中には《浮遊》の魔術式が刻まれているらしい。
任意で自分の体を浮かす事が出来るらしく、非常に便利な品らしい。
とは言っても、魔術式の発動には自分の魔力を消費するので、普通に歩いているのと同じぐらいの体力は消費する。
その為、利点と言えば足を痛めない事と、こういった山登りでは重宝すると言った事ぐらいらしい。
まあ、ミナの魔力容量は常人よりも遥かに多いらしいから、山を登る程度では殆ど問題ないらしいが。
「はー……ふー……よし」
「息は整ったか? 今日中に山間の村まで辿り着く予定だからな、キリキリ歩け」
「……了解」
兄貴はいつもの装備に加えて、槍に袋を引っ掛けながら持っている。もしもの時の為の食料その他らしい。
ただ、金属製の物はミナが創れるので今回は持って来なかったそうだ。
便利だな、創造魔術式。
リルもいつも通り。だが、こっちも小さなリュックサックを背負っている。
しかしその身軽さは変わらず、むしろ山の中に入ってから生き生きと周囲を走り回っている。
あんだけ無駄に動いてるのに体力が尽きる気配が無いのは、流石と言った所だろうか。
で、俺だが……実は、何も背負ってない。
兄貴に山登りの経験はあるかと聞かれ、無いと答えたらこうなった。
今回はさっさと中継地点である村に着きたかったからだそうだ。
もし急いでなかったら荷物を持たされていたのかと思うとぞっとする……いや、そんな贅沢言える身分じゃないんだけどさ。
ちなみに、ミナも何も持たずに浮いてるだけ。一番楽そうだ。
ちょっと前から思ってたが、兄貴はミナに甘い気がする。名付け親馬鹿か?
「何か言ったか?」
「いや、何も」
その勘の鋭さは何とかしてくれ。思わず転ぶ所だったぜ。
さてと、とにかく進もう。この先に、ミナのお母さんがいるんだ。
その結果次第で、ミナのこれから先が決まる。
「……? レン、どうしたの?」
「……いや、何でもない」
俺の視線に気付いたミナが首を傾げる。
苦笑しつつ、俺は首を横に振った。
俺個人の願望としては、ミナと別れたくない。
折角仲良くなれたんだし、もっと色々な事を教えてあげたかった。
いや、俺のこの世界の事は知らないんだし、一緒に色々と探検をしたいのかもしれない。
でも、俺達と共に来る事はやっぱり危険だと思う。
命の危険だって少なからずある筈なんだ。
俺がミナを護ってやるとか言えたらいいんだが……生憎、そんな事を言ったら兄貴に張り倒されるだろう。
『自分の世話も見れねぇガキが舐めた事抜かしてんじゃねぇ』とか言われながら。
それにしても、ミナは緊張してないのか?
今回の旅は兄貴からのテストみたいなもんだし、それに本当の母親に会う為の旅でもある。
ミナはどうにも表情に出ないから、どう思ってるのかが分かりづらい。
あんまり気負ってなければいいんだがな。
「わぅう!」
と、響いた声に顔を上げてみれば、少し先の方でリルが飛び跳ねながら手招きをしている所だった。
その隣にあるのは……看板か? どうも、道案内みたいなものが書いてあるらしい。
「ふむ……あと少しみたいだな」
「ええと、左が『山間の村ケルド』……右は『女神の洞窟』?」
何だこりゃ? 洞窟に向かって立て札なんて付いてるのか?
とりあえず目的地は左みたいだけど、右は一体何なんだ?
「……小僧、お前はここに近付くにつれて魔物が出なくなった事に気づいてるか?」
「え……ああ、そう言えば、確かに」
山を登り始めた当初は時々魔物と遭遇していた―――俺が銃を抜く間もなくリルが倒してたが。
けど、山の中腹辺りを越えてからは一度も魔物を見かけていない。
登るのに必死で全然気にする余裕はなかったけど。
「この辺りには、魔物を寄せ付けないようにする結界が展開されてるんだ。
その基点となっているのが、この洞窟って訳だな」
「へぇ……何かがあるのか?」
「後で来る事になるから、その時に分かる」
観光でもするのか?
そういうのに興味なさそうな兄貴にしては珍しいな。
気にはなったが、兄貴はさっさと左の道を進んで行ってしまったので、慌てて背中を追いかける。
するとすぐに、少しだけ窪地になった場所に有る小さな村が見えてきた。
「見えたな……あれが、ケルドだ」
木で作られた小屋のような家々の立ち並ぶ村を見つめ、兄貴は小さく目を細めていた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:JEY》
ケルドの村に着いて、まず最初に行った事は宿の手配だった。
まあ、当然といえば当然だ。ここに到着するまでに体力を使い尽くした馬鹿がいるからな。
とは言え、おおよそ予定通りなので問題はない。
どの道こちらからミナの母親に接触する手段は、直接会う以外に存在しないので、あらかじめ連絡などしていないのだが。
しかし、ミナの母親の事は小僧に説明しておくべきかどうか。
こいつが想像しているようなものとは遥かにかけ離れたものなんだが。
どうにも、言葉で説明するのが面倒な存在だった。一言二言では語りつくせない背景がある辺りが特に。
元々俺は説明その他は苦手だからな……何つーか、面倒臭い。
まあともあれ、部屋を二つとって荷物を置き、一息ついた所で俺達は宿にある食事場まで出てきた。
適当に席に着き、給仕に適当に注文してから、深々と息を吐く。
「やれやれ……妙に疲れたな」
「兄貴は精神的な疲れだけだろ……俺はそれに加えて肉体的疲労だぜ」
「そりゃぁテメェが未熟なだけだ」
何泣き言ほざいてがる。単に朝から夕方まで歩いていただけだし、途中で休憩も入れてやったんだから文句を言われる筋合いは無い。
「って言うか兄貴、何で部屋を分けないんだよ」
「逆に聞くが、分ける意味があんのか?」
「いや、そりゃあ……」
机に突っ伏していた小僧は、横目でちらりとミナの方を盗み見ている。
山に来た事の無いミナは、周囲をキョロキョロと見回しているが。
「俺はガキには興味ねぇ。そっちは問題あるかもしれんが、テメェには公爵の娘に手を出すほどの度胸があるとは思えん」
「……ごもっとも」
突っ伏したまま呻く小僧は置いておき、運ばれてきた酒の杯に手を伸ばす。
特に高い酒って訳でもないので、適当にグラスを空にしながら嘆息した。
「金の節約にもなるし、後の予定からしてもこの方がやり易い。文句あんだったらテメェだけ他の部屋を借りろ」
「金無いの分かってて言ってるだろ……まあいいよ。それより、ミナの母親の事なんだが」
その言葉を聞き、グラスから視線を外す。
見れば、小僧は突っ伏した姿勢から視線だけを上げ、俺の顔を見つめていた。
まるで、俺の表情を探るように。
「この山に住んでるのに、この村にはいない。どういう意味だ?」
「どうもこうも、そのままだが」
「おかしいだろ、態々離れて暮らす理由なんて無い。この村で村八分にでもされてない限りは」
「……」
まあ、疑問は尤もだ。この小僧は、ミナの母親がそういう目に遭ってないのかどうか案じているのだろう。
そういう心配は全く必要ないのだが。
「説明がとんでもなく面倒なんでな。どうせ、もうじき分かるだろう」
「兄貴さ、その説明嫌いの性格、何とかなんないのか?」
「ならんな」
「即答かよ……まあ、『説明したくない』じゃ無くて『説明が面倒臭い』なだけまだマシだとは思うけど」
「あん?」
よく分からん事を言うな、こいつは。
どっちも説明してない事には変わりないだろうが。
「別に、俺は隠し事すんなとかそういう事言える身分じゃないけどさ」
上げていた視線を、小僧は額を覆う掌で隠す。
口元に浮かんでいるのは、どこか自嘲的な笑みだ。
「俺がこの世界で頼れるのは、兄貴だけなんだよ。だから、信じていたい」
「あー……ったく」
こいつと同じように、俺もまた手で額を押さえ、嘆息する。
要するに―――
「お前は、自分より下のガキが出来た結果親から構って貰えなくなって拗ねるガキか」
「その表現には苦言を呈したい」
突っ伏したまま手をヒラヒラと振る小僧に、俺は苦い吐息を吐き出していた。
ったく、だから俺にはガキの世話は向いてないって言うんだ。
こういう不安定な時期の連中の世話なんぞ、俺に出来るはずも無い。
あの頃の俺は、戦う事に何の疑問も覚えていなかったからだ。
いや……それは今も、か。
小さく、嘆息する。
「妙な心配してんじゃねぇよ、ガキが」
「兄貴……?」
「俺は傭兵だ。引き受けたモンは、最後まで責任を持つ。お前は黙って俺に付いて来りゃいいんだよ」
「……サンキュ」
ったく、本当に面倒だ―――
「ま……たまにはいいが、な」
《SIDE:OUT》
《SIDE:REN》
「ごふ……ッ!?」
―――唐突に腹部に走った衝撃により、俺は強制的に目覚めさせられた。
圧し掛かってくる重みに呻きつつ、閉じようとする目蓋を押し上げる。
「何だ、こんな夜中に……」
「わふ」
「……リル?」
そこにいたのは、俺の腹の上に馬乗りになっているリルだった。
夜の闇の中にじわりと光る蒼い瞳で、俺の顔を見つめている。
一体何なんだ、こんな時間に。まだ早朝どころか明け方にすらなってない。
「何なんだよ、こんな夜中にいった―――いっ!?」
そして暗闇に目が少し慣れてきた瞬間、ベッドの横に浮かび上がった黒い影に思わず悲鳴を上げかける。
そこにいたのは、いつも通り黒ずくめの格好をした人物。
「兄貴……何なんだよ、一体」
「出るぞ」
「は?」
「これからミナの母親の所に行く」
「いやいや、何でこんな時間にわざわぶっ!?」
兄貴が投げつけてきたジャケットを喰らい、文句を中断させられる。
よく分かった、これは冗談ではなく本気だ。
と言うか、兄貴は元々殆ど冗談なんて言わない。
「……とりあえず、これだけは教えてくれ」
「何だ?」
「何でこんな時間に?」
「見られると拙い場所にいるからな」
OK、厄介事だという事は良く分かった。
嘆息交じりにジャケットを着込み、いつも通りの装備を装着する。
しっかし、暗いな。周りが良く見えない……向こうみたいにいつでも電気がついてる訳じゃないからなぁ。
「おい小僧、お前のゴーグルとやらに《暗視》の魔術式は刻まれてたか?」
「いや、《熱源探知》と《強化:感覚能力》だけ」
「……そうか。なら、これを着てろ」
そう言って兄貴が投げつけてきたのは、普段兄貴が纏っているマントだった。
反射的にキャッチしたが、どういう事だ?
「そいつには《暗視》が刻まれてる。俺は自分で唱えられるが、お前は無理だろ。
俺が魔力は込めたから、後は唱えればいい」
「なるほど……了解」
言われたとおりマントを纏って、件の魔術式を唱えてみる。
瞬間、暗闇しか見えなかった視界は、昼間の日陰ほどの明るさに照らし出された。
いや、照らされた訳ではなく、俺の目にはそう見えるようになったと言うだけだが。
「第一位魔術式、『夜の書』第三章第二節、《暗視》」
俺にマントを渡した兄貴はといえば、本来の正しい手順で魔術式を唱えていた。
普通はああやって、魔術式が刻まれた書の名前とその記述の場所を指定しなければならないらしい。
記述の内容を暗記している場合は第何位かを指定するだけでも大丈夫らしいが。
準備を終えた兄貴は、そのまま俺に何かの紐を手渡してきた。
「お前はこれを持ってろ」
「何だよこれ……ぶっ!?」
紐の続いている先を視線で追って、俺は思わず絶句した。
そこには、紐で繋がれながら風船のように浮かんでいる、眠ったままのミナの姿があったからだ。
水死体のように見えるが、あそこは地上どころか空中だ。
「どうにも起きなかったんでな。とりあえず、ローブだけ着せて魔術式を強制的に発動しておいた」
「いいのか、これ……?」
「この際仕方ない。出来るだけ短く持っておけよ、下手すると木の枝にぶつかる」
「……いえっさー」
もう、何か緊張感もクソも無い。潜入任務みたいなもんじゃなかったのか?
嘆息しつつ頷き、ミナを繋いでる紐を手繰り寄せる。
これ、紐が切れたらどうなるんだ? そのままふわふわどっかに飛んで行っちまうんじゃないか?
「よし、行くぞ……《強化:身体能力》」
「窓からかよ……《強化:身体能力》」
兄貴と共に身体能力強化の魔術式を唱え、二階の窓から飛び出した。
ちょっぴりビビったのは、まあ仕方ないだろう。多分。
リルは軽々と強化も無く着地、ミナはゆっくりと地上近くまで手繰り寄せた。
「よし、それじゃあ出発するぞ」
駆け出した兄貴を追いかけ、俺もミナに気をつけながら走り出す。
俺達はそのまま、夕方この村に入ってきた入り口を抜け、森の中へと進んでいった。
「……なあ、兄貴」
「何だ?」
「これ、いいのか?」
俺の視線の先には、リルによって気絶させられた人間が二人ほど。
兄貴を追って辿り着いた場所は、ここに来る途中に看板で見た『女神の洞窟』だった。
ここはどうやら観光名所と同時に文化遺産みたいなもんになっている場所のようで、入り口の近くに椅子に座った警備の人間が二人いたのだ。
が、死角から襲いかかったリルの一撃で、二人ともあっさりと夢の世界の中だ。
「気にすんな、バレなきゃ問題ない」
「……うん、まあ気にしない事にしとく」
主に精神衛生的な意味で。
とにかく、警備の人が気絶している間に、俺達は洞窟の中に侵入した。
ちなみに、ミナもさすがに目を覚ましている。
目を擦りながら付いて来るのは、非常にこう胸に来る物があったが。
「で、この奥にいるのか?」
「ああ、付いて来い」
言われたとおり、兄貴に付いて行く。ミナの手を引きながら。
何でも、ミナは創造魔術式を唱えられる代わりに、普通の魔術式が唱えられないらしい。
装備に刻まれている魔術式ならば問題は無いらしいが、こういう時は少々不便だ。
明かりの無い洞窟の中では、ミナは何も見えていないだろう。
しばし歩いて、辿り着いたのは洞窟の奥。
そこに立つ、女神像の前だ。
「これは……?」
「扉だ……さて、向こうから反応があると思ったんだが」
「向こう? って、ミナ?」
聞き返そうとした瞬間、俺の手を握っていた感覚が消え去った。
驚いて振り向くと同時、何も見えていないはずのミナが、俺の横を通り過ぎて女神像へ近付いてゆく。
暗闇の中、でこぼこした地面の上だと言うのに、危なげなく。
「ミナ……?」
「わたし、は……どう、して?」
夢遊病のように、うわ言のように。
ミナが伸ばした手が―――女神像に、触れた。
瞬間。
「う、お……!?」
「……ミナの奴にも開けられた、か」
女神像は中心から二つに裂け、両側に開いてゆく。
その先にあったのは、以前俺がこの世界に降り立った場所と同じ、不思議な石材で出来た真直ぐな通路。
「こんな仕掛けが……!?」
「行くぞ」
兄貴が先行し、歩き出す。
躊躇う事無く付いていったリルを見つめ、俺は小さく嘆息した。あの通路は、半ばトラウマだ。
―――覚悟を決めよう。
何が何だか分かっていないのだろう。立ち止まっているミナの手を、もう一度掴む。
「レン……?」
「行くぞ、ミナ」
ミナの手を引いて、歩き出す。
その先にあるものに、漠然とした不安を覚えながら。
《SIDE:OUT》