152:最後の《欠片》
それは、万物に刻まれし記憶を読み取る力。
《SIDE:MASATO》
「お久しぶりです、公爵」
「ああ、マサト君。ミナも、よく帰ってきたな」
「はい……お父様」
王都からニアクロウへ……最終防衛線担当の公爵はまだ残っていたようだったが、状況によっては出る事になるのだろう。
この辺りはまだ慌しさは感じられないが、それでも動いている兵士はそれなりに多いようだ。
一応、戦時体勢へと移行しているのだろう。
ともあれ、ミナにとっては久しぶりの家族との再会だ。ゆっくりさせたい所ではあるが、今はあまりそんな時間は無いからな。
時間が経てば経つほどこちらが不利になってゆく……あまり、悠長にもしていられない。
「さて……いづな君の言っていた物だ。きちんと用意してあるよ」
「ありがとうございます」
公爵の差し出してきた、白い布に包まれた長い棒のようなもの……これが、いづなの要求してきた物のうちの一つだ。
布を開けてみてみれば、そこにあるのは彫刻のような物が表面に刻まれた黒い槍―――ジェクト・クワイヤードの愛用していた武器だ。
フェンリルによってもたらされた兵装であり、あの男にしか使えない筈の武器。
本来であれば、オレ達にとっても無用の長物だ。だが、いづなはこれが必要だとオレ達に告げてきた。
「用意してから聞くのもなんではあるが……これをどう使うつもりなのかな?」
「どうやら、いづなが何かを考えているようですが……流石に、あいつの思惑を全て分かる訳ではありませんので」
まあ実際の所、オレはあいつから説明を受けてそれなりに分かっているのではあるが。
いづなの持つ《神の欠片》は、《記憶》と呼ばれる力。
万物に刻まれた記憶にアクセスし、その研鑽を呼び起こすと言うもの。
あいつの普段の能力は、道具に刻まれた記憶の中から最適な使い方を検索する、と言う力だったのだ。
オレやミナと同じ、知覚系の《神の欠片》……格としては低いらしいが、それでもあいつに向いた能力と言えるだろう。
まあ、いつの間に回帰に至っていたのかは知らないが……この間のアドバイスが役に立ったと言うのならば、こちらとしても誇らしい所だ。
「いうまでもない事ではあると思うが……扱いには、十分気をつけてくれ。この国にとっては、神器にも等しい物なのだから」
「……はい」
フェンリルを主神と崇めるこの国では、フェンリルによってもたらされたこの武器は、非常に貴重な物だろう。
そもそも、あまり人目に出すべきですらないと思う。まあ、なりふり構っていられないような状況になってしまったのは確かではあるが。
とりあえず、後はアルシェールの持物だけか……一応、喫茶店のマスター―――本当はマスターでは無いが、そう呼んでいる―――には、王都に向かう途中に一度寄って話しはしてあるんだがな。
ジェクト・クワイヤードの記憶が刻まれた武器と、アルシェール・ミューレの記憶が刻まれた道具……果たして、何をするつもりなのだか。
と―――そこで、この応接間の扉が二度ほどノックされた。
入ってきたのは、メイド服を着た茶髪の少女。
「失礼します。公爵様、お呼びになられたニヴァーフの方を待合室の方へご案内いたしました……それと、お久しぶりです、二人とも」
「……ノーラ」
「久しぶりだな、元気そうで何よりだ」
「まあ、これでも吸血鬼ですからね」
茶目っ気を込めて笑うノーラには、吸血鬼と言う言葉に対する嫌悪感のような物は見受けられない。
あの村の事を吹っ切った訳では無いだろうが……自分自身の事に関しては、折り合いをつけられたと言う事か。
とりあえず、思い出させる必要も無いので、その辺りを指摘するような真似はしないが。
「さてと、話は聞いていると思うが……」
「はい、私も連れて行ってくれるんですよね? でも、どうして?」
「さあな……いづなの事だ、また妙な策でも考えているのかもしれないが」
適当に言っただけではあるが、あながち間違いでもなさそうだから困る。
まあ、向かう先は戦場とは言え、ヴァンパイア・ロードに匹敵する力を持つノーラだ。早々滅多な事にはならないだろう。
それに、最近は公爵の護衛の人々と軽い戦闘訓練程度はやっているらしいからな。
一応、護衛としても働くつもりらしい。
「まあでも、フリズに会えるんですから……喜んで付いて行きますよ」
「……ああ」
何と言うか、煉の事もあるし、泥沼にしかならないような気はするんだがな。
まあ、今では身体能力のスペックでも煉は劣っている訳ではないし……いや、余計にじゃれ合いの被害が酷い事になるか。
フリズの態度も、最近は少しずつ軟化してきているし、果たしてどうなる事やら。
「ところで、マサト君」
「む……何でしょう?」
公爵の言葉に、逸らしていた視線を元に戻す。
彼は、こちらの方へと少しだけ口元を笑みの形に変えた表情を向ける。
小さく微笑むその姿は、何かを期待しているような印象を受けた。
そんな表情のまま、公爵はこちらへと問いかける。
「レン君の様子はどうかな?」
「煉の、ですか?」
思わず、ちらりとミナの方へ視線を向ける。
ミナの様子が特に変わらないあたり、公爵は煉に対して悪い感情を持ってはいないようだが。
ふむ……しかし、あいつの様子か。
「あ、それは私も気になりますね。私のフリズに変な事をしてないかどうか」
「お前な……まあ、よくやっていると思います。強力な敵将を撃破しましたから……煉があの女を倒さなかったら、戦況はさらに厳しくなっていたでしょう」
「そうか……しっかりと活躍しているようだね」
とりあえず、ニコニコと殺気を漂わせるノーラは置いておき、公爵の質問に答える。
実際、水淵蓮花が生きていれば、戦況が傾きかねなかったからな。
桜の能力すらも受け止められる相手だ、煉以外の能力で勝てるとは思えない。
「話には聞いたが、彼はフェンリルの加護を受けたのだったね」
「……やはり、面倒な事になりますか?」
「それは、間違いなくそうだろう……かつて、ジェイが王家に預けられた時も、それだけで騒ぎになったのだから」
まだ幼い子供であった筈のジェクト・クワイヤードですら、か。
うまく傀儡にする事が出来れば、自分の手の内で操れる相手を王にする事が可能かもしれないのだからな。
流石に表立ってそのような事をする奴はいなかっただろうが、考える人間がいないとは思えない。
オレ達の場合、国に所属するだけでも騒ぎになっていたと言うのに……さらにフェンリルの加護ともなれば、面倒事が起こらない方がむしろ不自然なくらいだ。
「まあ、戦時中におかしな真似に走るほど分別の無い連中はいないと思いたいがね……」
「あいつの戦闘を見れば、そう簡単に手を出せる相手じゃないと分かるとは思いますが」
「君が言うのであれば、その通りなのだろうな」
懐柔しようにも、煉の価値観は一般人のそれから遥かにかけ離れている。
女を使った懐柔は通用しないであろうし、金品にも興味は無いだろう。
さらに言うと、無理矢理に言う事を聞かせようとするのはさらに無理だ。
ミナやフリズに手を出された時の煉は、最早手をつけられないレベルだからな。
「ともあれ、彼を手に入れるのがどこになるのか、と言うのは貴族の間では話題になっている。
フェンリルの加護を手に入れた事が知れ渡れば、その声もさらに大きくなることだろう」
「あいつの事を知っていれば、『手に入れる』等という事は言えないでしょう」
「それは……確かに、その通りだ」
苦笑しつつ、公爵は同意する。
まあ、何はともあれ……邪神すら討てる戦力である煉を逆撫でするような事をする奴はいない筈だ。
それらの問題に関しては、この戦いを終えた後に考える事になるだろう。
一応、あらかじめ手を打っておく程度の事は出来るだろうがな。
「とりあえず、既に陛下とは一度話をしてある。彼が爵位を得る事になるかどうか……我がフォールハウト家は、既に彼を招き入れる準備をしているがね」
その視線をミナへと向けつつ、公爵はそう声を上げる。
それがどういう意味であるかは、ミナも分かっているのだろう。何処となく嬉しそうな表情をしていた。
「爵位を得た場合、それに関する問題をクリアできると?」
「政略結婚などに頼らなくてはならないほど、我がフォールハウト家は弱くはない。
その位の事は、ミナの為に無理を押し通す覚悟だよ」
やはりこの人も、娘が可愛いと言う訳か。
小さく苦笑するが、この人の元ならば安心出来るだろう。
そうなった場合、煉は色々と勉強する羽目になるだろうがな……いづな任せばかりにはしていられないだろう。
オレは貴族になどなるつもりはないし、気楽にやらせて貰うとするがな。
「ともあれ……そちらの方の問題は、私の方でけりをつけておく。君達は、周りの事などは気にせず、戦いに集中してほしい。
大人として恥ずかしい事だが……話を聞く限り、私達に何とかできるような相手ではないようだ。
邪神を可愛く感じるほどとは、想像を絶する相手だよ」
「いえ……奴と戦う事は、最初から決められていた事のようなものですから」
この世界の歪みが生まれた原因……《神の欠片》の力を使って戦う以上、いずれは激突する事になる相手だっただろう。
普通の人間にあれの相手をしろなどと言うつもりは無い……精々、問答無用で消し飛ばされるのがオチだろうからな。
苦笑し―――席を立つ。
「ふむ……もう、行くのか?」
「ええ。あまり、あいつらに任せてばかりもいられませんから。貴方がたの負担を軽減する為にも、この戦いは早く終わらせなければ」
オレ達は、英雄などではない。
断じて、そんな意識を持って戦っている訳ではないのだ。
オレ達はただ、自分たちが幸せになる為に……ただ、生きて行く為だけにこうやって戦っている。
祭り上げたいのならば勝手にすればいい。異端として排除したいのならば牙を剥けばいい。
オレ達はただ、互いを救い合うだけなのだ。
公爵の無事や、この国の無事を望むのは、ミナやフリズだろう。
その思いがあるのならば、オレ達はこの国を護ろう。
それは、ただの偽善―――いや、善ですらない、己の願望だ。
そしてその願いこそが、オレ達にとって何よりの力となる。
「それでは、またいずれ……できれば、次に会うのはこの戦いが終わった後にしたいものです」
「お父さま、行ってきます……」
「やれやれ……いつの間にか、奔放な娘になっていたものだ」
その苦笑の中に含まれているのは、一体どのような感情だろうか。
止めても無駄であるという事は、流石に分かってしまったようだ。
オレ達としても、ミナの力が無くては勝つ事は難しいだろう。
申し訳なくはあるが、共に行かせてくれるのは助かる所だ。
「では、オレ達はこの辺りで……ノーラ、あのガラムというニヴァーフを待たせているんだったな」
「はい、一緒に行くんでしたよね」
「ああ。とりあえず、ゲートに寄ってからだがな」
ノーラに声をかけつつ、席を立つ。
向かうは、ゲートにある喫茶店……品物を受け取るだけだし、さっさと終わる事だろう。
あまりのんびりもしていられないからな。さっさと向かう事としようか。
《SIDE:OUT》
《SIDE:MINA》
ゲートまで飛んで、ノーラたちはシルクと一緒に待ってもらう。
その上でわたしと誠人は、一緒にあの喫茶店へと向かっていた。
あれ以来ゲートに戻ってくる事は殆ど無かったから、少しだけ懐かしい感じがしてしまう。
少し前まで、わたし達は……何も知らずに、この街で暮らしていたのに。
「ミナ、どうかしたのか?」
「……ううん、何でもない」
マサトの言葉に、わたしは首を横に振る。
今のは、意味のない考えだった。
あの日々は失われてしまった……奪われてしまった。だから、取り戻すまで再び享受する事は出来ない。
だから、今は気にしていても仕方ない。
「っと……そこの角を曲がった所だったな」
「ん」
ちょっと考えてたら、思わず通り過ぎる所だった……人を待たせているんだから、早くしないとダメ。
と―――角を曲がった先、アルシェがやっていた喫茶店から、二人の人物が飛び出してくるのが見えた。
アルシェがいなくなって、あの店もやらなくなってしまったはずなんだけど……何故だろう?
首を傾げつつ、その二人の心を読もうとして―――そこで、目が合った。
「あ……アンタ達!」
「む……お前達は確か、天道とパーティを組んでいる傭兵だったか」
エルフィーンの女性と、人猫族の女の子の二人……心を読んで、ようやく思い出した。
でも、そんな二人が何でこんな場所にいたのか……とりあえず、心を読めば分かるかな。
えっと―――
「ねえ、アンタ達! リョウが何処に行ったか知らない!?」
「天道を……? いや、最近色々な場所を回っていたから見ていないが、どうかしたのか?」
「そうですか……ごめんなさい。彼、突然行方をくらませてしまって……見かけたら、私たちにも教えてくださいね。それじゃ、リュリュちゃん」
「約束だからね!」
……心を読むまでも無かった。
慌てているんだろう。一方的に告げて去ってゆく二人の背中をしばし見つめて……わたし達は、思わず視線を見合わせる。
「あの男が、か……一体、何があったんだか」
「わからない……でも、今はとりあえず」
「ああ、そうだったな」
今は、お使いの方が大事。
アルシェの道具を借りないと、マサトの刀が完成しない。
いづなは、その為にアルシェの道具から記憶を引き出すつもりなのだから。
とりあえず、中に入ろう。
「失礼する」
「おお、お前達か」
マサトが扉を開ければ、いつも通りカウンターの奥にヴァントスの姿があった。
ただ、その表情は少し疲れているように見える……やっぱり、アルシェの事が心配みたい。
「ご所望の物はそこに置いてあるぜ。勝手に持って行け」
「ふむ……これは?」
「アルシェの奴が研究の時に使っていた眼鏡だ。一応、あいつの持ち物の中じゃ一番古い物の筈だぜ?」
置いてあったケースの中にあったのは、ヴァントスの言った通り一つの眼鏡。
じっくりと見てみれば、色々と魔術式が刻まれてあるのが分かる。
……これなら、いづなの回帰にも利用できるはず。
「よし……感謝する、マスター」
「礼はいい。その代わり……あいつを、必ず救い出してやってくれ」
「ああ、分かっている」
わたしの中のミナクリールが、彼に対して凄く感謝しているのが分かる。
彼はずっと、アルシェの事を見守り続けていてくれたから。
ミナクリールに出来なかった事を、やってくれたから。
そして今、こうやってあの子の事を心配してくれているから。
「……必ず、助けるから」
「お……ああ、よろしく頼むぜ、嬢ちゃん」
わたしの言葉に、ヴァントスは口元に小さく笑みを浮かべる。
その心の中の不安はまだ消えて無かったけれど、わたし達の事は信用してくれているみたいだ。
それならば、その信用に応えなくては。
「……いこ、マサト」
「ああ……それでは、また」
「おう、いい報告を期待してるぜ」
ヴァントスの声を背中に受けながら、わたし達は歩き出す。
早く、皆の所に帰らないと。
わたしたち全員で勝ち取ってこそ、意味があるんだから。
《SIDE:OUT》