149:黒きヒトガタ
それは、不吉なる一つの予兆。
《SIDE:MASATO》
「―――斬る」
回帰を発動し、オレは駆ける。
ミナの超越によって探し当てた魔人―――それを倒すのは、オレの仕事だ。
一応、ミナの力が働いている間に、その周囲にいた人間には魔人の存在を警告していたが……成程、これは面倒な所だ。
「おのれ……!」
忌々しげな声音を発する魔人―――どうやら、あまり力があるタイプではなかったようだな。
この魔人が取り憑いていたのは、どうやら使用人の女だったらしい。
女から男の声が聞こえてくるのは、相変わらずひどい違和感を覚えてしまうが。
魔人が放ってきた魔術式は、オレの視界にはとうの昔に見えている。
ガープのような戦闘系の魔人ではない……ならば、オレの敵ではないだろう。
無論、油断をするつもりはないがな。
『―――遊んでいては、城に被害が及ぶ。早々にケリをつけるぞ、誠人』
「ああ、分かっている」
響いてきた椿の声に頷き、オレは駆けた。
果たして、ヒヒイロカネの刀で魔人を殺し切れるのかどうかは不安だったが……もしもの時はミナに止めを任せればいいだろう。
「来るな、来るなあああッ!」
「……我ながら、絵面がいかがわしいな」
オレから逃げながら、雷の魔術式を放ってくる魔人……小さく嘆息しつつも、オレは奴の未来を観測した。
見定める場面は―――あの魔人が、足を縺れさせて転ぶ光景。
オレ達がその光景を観測した次の瞬間、それは現実のものと化す。
「うぁっ……ひぃ!?」
転んだ魔人の背後に立ち、刃を振り上げ―――放たれた雷を、半身になって躱す。
どうやら必殺の不意打ちを放ったつもりだったようだが……生憎と、相手が悪い。
凍りついた表情を浮かべる魔人へと、オレは刃を振り下ろした。
「ぎ―――」
悲鳴を上げる暇すらなく、五体をバラバラにされた魔人が床に転がる。
一応魔人相手という事で念入りにやったが……どうやら、最早動き出すような未来は存在しないようだ。
小さく息を吐きだし、回帰を解除する。
「……お疲れ様、マサト」
「ああ……そちらもな」
頷きつつ、振り返る。
ホーリーミスリルの檻を消したミナはこちらへと歩み寄りながら、虚空を見上げるように視線をさまよわせていた。
超越はもう消している筈だが……どうやら、まだ回帰の力を繋げてはあるみたいだな。
「それで、他の二体はどうなった?」
「……リンディーナとクライド王子が一体を倒した。通信兵に化けてた、みたい」
「ふむ……となると、敵の狙いはやはり情報だった訳か」
城内の内情を得やすい使用人と、情報を扱う通信兵。
ベルヴェルクは、リオグラスの情報を得る為に魔人を利用していたようだ。
となると、残る一体が気になる所だが……まあ、行けば分かるか。
「ミナ、残る一体の檻はまだ消していないのだろう?」
「ん……あっち」
そう言ってミナが指差したのは……どうやら、城の別棟の方角のようだな。
というか、あちらは王族たちの住居だったと思うのだが……勝手に入っても大丈夫なのだろうか。
「……合流する。そうすれば、だいじょうぶ」
「まあ、確かにそうだな」
もう心を読まれるのにも慣れたものだ。
近くにいた兵士に、先程の魔人の後片付けを頼みつつ、オレ達は合流するために歩き出す。
向かう先に関しては、既にミナが伝えているだろう。
……しかし、気になるな。
「どうして、ベルヴェルクがこの城の人達に直接手を出そうとしてこなかったか?」
「ああ……あの男の事を知っている訳ではないが、効率主義者と言う印象を受けたからな。
そうであれば、わざわざ情報を得るだけになどせず、直接手を出してしまえばいいだけだからな」
魔人ならば、城の人間の姿を使って暗殺する事はそう難しくは無いだろう。
しかし、ベルヴェルクはそのような事はしなかった。
それは、一体なぜなのだろうか。
「……ベルヴェルクが求めるものは、わたしにも分からない」
「ミナクリールの記憶でもか?」
「そう……誰も、あの男を理解する事は出来なかった」
目を閉じ、ミナはそう呟く。
その言葉はミナの物なのか、あるいはミナクリールの物なのか。
その抑揚のない声の中には、あらゆる感情を感じ取る事は出来なかった。
「神の力を求めたと、そう言っていたけれど……わたしには、その言葉の真意が理解できない。
ベルヴェルクが見ていた物が、一体なんなのか……今、一体何をしようとしているのか」
「そうか……いや、分からないのならばいいんだ」
どうにしろ、あの男は理解不能な領域の存在だからな。
経歴からしても、狂人としか思えない……その手の手合いは、考えている事を想像するだけでも毒だ。
目的を知るべきであるのは確かだが、結局倒す事に代わりは無いのならば、あまり複雑にはしたくない。
「ただ―――」
「む?」
「国としての勝利が、ベルヴェルクの目的に通じるのか……本当にそうなのかどうかは、分からないと思う」
「……!」
虚を突かれるような言葉に、オレは思わず目を見開く。
国として戦うのは目的に達するための手段でしかなく、本当の目的はその先にあると……そういう事か。
憶測の域は出ないのだろうが、不思議と説得力はあった。
「そうだとすれば、その戦いの途中に目的となる者があるという事だろうが……」
「それが何なのかを断定出来なければ、はっきりと言う事は出来ないけど……あの男は、強いだけじゃない。
とても狡猾……だから、油断しちゃダメ」
強力な力を持つくせに、力に奢らず策も廻らせる……成程、厄介な相手だ。
どうしたものか悩むほどに……危険な相手だな、あいつは。
そも、奴の前に立てるだけの力が無ければ難しいだろうが―――
「……そう言えば、奴の操る力は、回帰には……?」
「かつては、至っていなかった。けれど、今は分からない。
力の大きさは十分足りているし、そこまで辿ってしまう可能性もある……」
「そうか……」
通常の能力行使ですら、オレ達の回帰を容易くあしらってしまった。
そんな力の持ち主が、回帰や超越を扱えるようになってしまったら……今から憂鬱になるな、全く。
さて、そうこうしている内に、とりあえず今いる建物を出て目的の建物の前まで来た訳だが……流石に、勝手に入る訳には行かんしな。
「……ミナでも、勝手に入る訳には行かないか?」
「ん。ここは、許可を取らないとダメ」
流石の公爵令嬢とは言えど、王族の住居には許可無しには入れないか。
まあ、当然と言えば当然の事ではあるが。
一応相手は捕まえてあるのだし、緊急性があると言う訳ではないのだが―――
『―――何だこれはッ!』
と―――建物の中から聞こえてきた声に、オレは小さく肩を竦めていた。
早速誰かに見つかってしまったか……変に手を出されても困るし、これは手を出さざるを得ないだろうな。
ミナに視線を向けてみれば、彼女の方もオレに向かって小さく頷く。
小さく肩を竦めつつ、オレ達は建物の中へと駆け出した。
扉を潜った先は、高級ホテルのロビーのような場所になっていた。
そのまま晩餐会の会場としても使えそうな感じではあるが……まあ、流石にこの場所でそんな事はしないだろう。
そしてその端の方……そこに、銀色の檻に拘束された少女と、その檻にしがみついている少年の姿があった。
……というか、あの姿は。
「……クローディン王子」
「まあ、ここは王族の住居だからな……確かにいても不思議では無いとは思うが……面倒な所で出くわしたな」
まあ何にしろ、やる事に変わりは無いのだが。
檻の中に入っているのは、先ほどと同じような使用人の少女。
ただし、着ているものが若干高級に見える。どうやら、この王族の住居の中で働いている類の使用人らしい。
状況を見るに、あの王子専属の使用人と言った所か……?
「―――お前たち、こっちへ来い!」
と―――どうやら、あの王子はこちらの存在に気付いたようだ。
ジェクト・クワイヤードの事もあってか、オレ達の事を目の敵にしていた筈だが……状況が状況と言った所だろう。
小さく嘆息しつつも、そちらへと歩いてゆく。
「どうしてここにいるのかは知らないが、早く彼女をここから出すんだ! お前達なら出来るだろう!?」
「まあ、それは確かにその通りなのだが……ミナ、どうだ?」
意外とうろたえている……自分の従者は大事にしていたのか。
この目の前で殺すのは少々心苦しいし、この中に入っているウェーブのかかった短い茶髪の少女も、オレ達の姿を見ても敵意を露にして来ない。
今までの魔人とは、少々勝手が違うようだ。
「……ちょっと、変。少し、詳しく見てみる」
眉根を寄せて、ミナはそう呟く。
そしてそれと同時、《欠片》が震えるような感覚を覚えていた。
どうやら、超越を仮展開しているようだが……どういう事だろうか?
「ク、クローディン様……」
「怖がる事は無い……お前達、何をしているんだ!」
あまり焦らしていると何を言われるか分からんからな……早目に結論が出てくれるといいんだが。
さて、どうなる?
「……これ、変」
「何? どういう事だ?」
「魔人は確かにいるのに……人間の意識が残っている。支配と言うより……寄生?」
「な、何……?」
寄生……?
今までの魔人は、取り憑いた相手の魂を消滅させ、その上でその肉体を操っていた筈だが……それは一体どういう事だ?
ミナ自身も良く分かっていないのか、困惑気味な様子だが。
……だが、魔人である以上やる事は変わり無いか。
小さく嘆息し―――刀を抜く。
「な……貴様、何のつもりだ!?」
「その娘は魔人となってしまっている。ここで始末せねば、国に大きな損害を与える事になるだろう」
「魔人だと!? 彼女の何処がそんなバケモノだと―――」
予想通り食って掛かってきたクローディン王子に嘆息し―――オレは、ふと能力の視界に映った姿を見て、目を見開いた。
黒いヘルメットのような仮面、全身を覆う黒い何か、そして銀色の胸当てと肘から先を覆う手甲―――!
「ミナ!」
「……!」
オレは王子の身体を抱えて大きく跳び離れ、ミナもローブの力を使って後方へと跳躍する。
そして、オレ達が距離を取ったその時―――ホーリーミスリルで創られた檻が、内側から一瞬で弾け飛んだ。
中から現れたのは、先ほどオレが見た姿と全く同じ魔人……!
『え、え……な、何これ……?』
「マサト……!」
「ああ」
人間の意識が残っている。
けれど……その身体は、確かに魔人のものだ。
先ほどとは違い、今度はしっかりと戦闘能力を持ったタイプ……油断は出来ない。
「……椿」
『分かっている。行くぞ』
回帰―――《未来選別:肯定創出・猫箱既知》。
能力を発動し、オレ達は広がった未来の光景を観察する。
どうやら、ガープと同じ肉弾戦で戦うタイプのようだが……どうやら、それだけではないらしい。
「ミナ、盾を!」
「ん……《創造:魔術銀の盾》」
その言葉と共に、オレの前に現れるミスリルの盾。
その場に王子を置き去りにし、オレは前へと飛び出した。
『ああ、王子、クローディン様……今、お助けします……!』
意識はあるが、何やら妙な想像に取り憑かれているようだな。
自分の状況を理解しておらず、その上オレ達を敵として認識しているようだ。
魔人はこちらへと右腕を向け……その手首の上に付いた銃口から、黒い魔力弾を発射する。
それを旋回するように走って躱しながら、オレは静かに未来の光景を観察していた。
『ふむ……行けそうだな?』
「ああ、そうだな。先ずは―――」
あの精度の低い弾丸が、自分自身に命中しない未来を選択する。
そしてその上で、オレは奴へと正面から吶喊した。
オレが選択した未来の光景は、現実の物へと変化する。
弾丸は掠りもしないままオレは直進し―――
『クローディン様を離せ、下郎……!』
「生憎だが……それは貴様の方だ」
魔人へと向けて、刃を一閃。
しかし魔人は、その一撃を強く後ろへと跳躍する事で躱す……無論、それを失敗する未来を選択する事も出来たが、今はそれよりも都合のいい未来が見えている。
後ろへと跳んでいる最中の魔人へと、放たれた火炎の砲弾が命中する光景だ。
そしてその光景は、オレが認識するのとほぼ同時に現実のものと化す。
火炎弾は命中して爆発を引き起こし、魔人の体を地面へと叩きつけた。
「大丈夫か、マサト君!」
「クライド王子……ええ、この通り」
見れば、クライド王子とリンディーナがこちらへと駆け寄ってくる所だった。
やはり待っているべきだったかどうか……分からないが、とりあえずは何とかできそうだ。
何故なら、地面に叩きつけられた魔人は、空中に創造されて放たれたミナの剣によって地面に磔にされていたからだ。
『ぅ、ああ……クロー、ディン、様……!』
「……マサト君、この魔人は?」
「新種、と言うべきなのか……どうやら、人間に寄生するタイプの魔人のようです」
「寄生……!?」
信じられない、という様子で二人は目を見開く。
まあ、オレとしても同じような心境だからな……何とも言えない所だ。
と―――そんな魔人の傍へと、盾の後ろへと置いてきた王子が歩み寄っていた。
咄嗟に駆け寄ろうとするが……魔人が暴れだす未来が見えなかったので、とりあえずは踏みとどまる。
しかし、一体何をしようとしているんだ……?
「……ソフィー」
『クローディン、様……わた、し―――』
「お前の心は嬉しく思う。だが、僕はこの国の人間として……この国に害を与える者を見逃す訳には行かない」
そう言って、王子は魔人に突き刺さっていたホーリーミスリルの剣を一つ引き抜いた。
そしてその切っ先を魔人の心臓へと当て、囁くように声を上げる。
「赦してくれとは言わない……だが、この国の為に死んでくれ」
『―――』
魔人の、小さく囁く声。
オレの耳にすら届かないほどの小さな声は、恐らく王子にしか聞こえなかっただろう。
その言葉を受けて、押し当てていた切っ先が僅かに揺れる―――が、その覚悟を折るには至らなかったようだ。
彼は目を閉じ、そして言い放つ。
「―――さらばだ」
そのまま、クローディン王子は躊躇う事無く刃を突き刺した。
一瞬、魔人の体がびくりと震え―――そのまま、動かなくなる。
オレの目にも、あの魔人が動き出す未来は一つとして見る事は出来なかった。
小さく息を吐き出し、刀を納める。
「……クライド王子」
「ああ……言われなくても分かっているよ。君達は、父上の所へと戻っていてくれ」
そういうと、彼はクローディン王子の方へと歩いてゆく。
その姿は王族ではなく……ただ、弟を案ずる兄のものだった。
ここから先は、他人が見るべき光景ではないだろう。
「……とりあえず行くぞ、ミナ」
「ん……リンディーナも」
「そうね……まあ、邪魔しちゃ悪いわ」
三人で頷き、王族達の住居を出てゆく。
さて、妙な事になってきたが……一応、いづなにも連絡しておくべきだろうな。
《SIDE:OUT》