148:真実を識る者
「さあ、最後の戦いへの序曲が始まる」
《SIDE:MASATO》
いつも背中にある筈の重みが無く、少々落ち着かない感覚を覚えながら、オレは身じろぎをする。
オレは、いづなの指示の通り、ミナと共に王都フェルゲイトへと戻って来ていた。
あの時の話の通り、オレの背中にはいつもの太刀は無く、腰にいづなの持っていたヒヒイロカネの刀を佩いていた。
一応椿は刀の柄に宿っているようだが……眠っているのか、こちらへと語りかけて来る事は無かった。
「……マサト」
「どうした?」
「不安?」
「む……」
ミナに隠し事は通じない……それは、いつもの事だ。
小さく肩を竦めつつ、オレは苦笑を漏らす。
「流石に、お見通しだな……その通りだ」
「……別に、心は読んでないよ」
「そうなのか?」
てっきりそうなのだと思っていたが……いかんな、先入観があり過ぎたか。
「今、不安になるのは無理もない事。わたしも、不安だから。
これから戦わなければならない事も、ベルヴェルクの思惑も……みんな、不安だと思うから」
「……そうだな」
無表情に言い放つミナの言葉に、オレは嘆息しつつも視線を上げる。
赤茶けたレンガで造られたアルメイヤの街とは違う、白亜の王都フェルゲイト。
この街並みを見ていると、向こうに待たせている仲間達の事をつい考えてしまう。
……流石に、心配する必要はないと思うがな。
話に聞いた煉の能力は強力無比。あいつと桜の存在さえあれば、あの街の防衛も不可能ではないだろう。
しかし―――
「……辛い戦いになるだろうな。恐らく、オレ達が今までしてきた中でも、最も危険な戦いに」
「ん……」
視界の左下で、ミナの頭が小さく動くのが見える。
ミナの感情は、声や表情よりも、むしろこういった仕草の方に現れやすいのかもしれないな。
いつもの澱み無い動きと違い、少しぎこちない―――やはり、ミナも不安なのだろう。
視線を上げれば、先程まで遠かった城は既に見上げるほどに大きくなっていた。
ここからは、忙しくなる。ならば、込み入った話が出来るのはしばらく後になるだろう。
故に―――今のうちに一つだけ、聞いておきたい事があった。
「ミナ」
「何?」
「お前は、どちらなんだ?」
「……」
ぴくりと、ミナの肩が跳ね―――その黄金の瞳が、オレの方へと振り向いた。
オレの真意を確かめようと言うのだろう。力を使って、オレの内心を読んでいるようだ。
少々、神経質すぎる気はするがな……この辺りは、やはり昔のままのミナだ。
「……なら、昔のままじゃない所もある?」
「まあ、第一印象とは違っている所は、いくつかな」
オレにとって、ミナの第一印象は『造り物じみた』というものだった。
まあ、それは事実その通りだったのだが……何処か、現実と乖離しているようなイメージがあったのだ。
浮世離れした、と言うのとも少し違う。何処か、遠く離れた場所に存在しているような印象だった。
「煉にしか懐かない……扱い辛いと言うか、距離の取り方の難しい存在。それが、オレにとってのミナだった訳だ」
「……わたしは、違う?」
「そうだな……いつからかは分からないが、お前は今のように積極的に動くようになっていた。オレ達に、何かを隠しながらな」
それは、たいてい結果的にオレ達の為になっているものだったし、それを諌めるつもりはない。
大方の原因は、エルロードによる口止めなのだろうからな。
しかし―――そのように動くミナは、オレの印象とはかけ離れたものだったのだ。
どこか申し訳なさそうな様子で目を伏せるミナに、オレは小さく苦笑する。
「オレの考えを読んだのなら、分かっているだろう。別に、オレ達はお前の行いを責めるつもりはない。
お前は、オレ達の為に動いてくれていたのだろう?」
「わたしは……分からないの」
「む?」
分からないとは、どういう事だろうか?
少々戸惑いながらも、俺はミナへと問い返す。
このように分かりやすく感情を伝えてくる姿には、あまり馴染みが無かったのだ。
そんな様子のまま、ミナは続ける。
「わたしは、自分が幸せになりたいからやっているのか……それとも、皆を幸せにしたいからやっているのか。
自分の為だったら……それは、マサトが考えるような優しい事じゃない」
「……ふむ」
しばし、黙考する。
自分の為にやっているのか、皆の為にやっているのか、か。
煉辺りであれば、自分が幸せになる為にやって、ついでに周りの全てを幸せにしてやると言った感じだろうか。
まあ、オレから言わせれば―――
「どちらも、ではないのか?」
「え……?」
俯いていた顔を上げ、ミナは目を見開く。
疑問に満ちた黄金でオレの心を見据えているのだろう―――けれど、考えだけを伝えるなどと言う横着はしない。
「自分の幸せと、皆の幸せ……同時に求めてはならない決まりがある訳でもないしな。
それが、どちらも同じ方法で実現できるのだから、悩む必要も無いと思うがな。
お前は、恐らくそのどちらもを望んでいたのだろう」
「……そっか」
まあ、言葉で何もかも言い表せるほど簡単なものでもないのだがな。
けれど、その足りない部分はオレの心を読む事で納得できたのだろう。
小さく頷いたミナに、オレも満足して頷き返す。
「……さて、話が逸れたな」
「ん……ごめんなさい」
「いや、謝る必要はないがな」
思わず、苦笑する。
ミナはいつの間にか、こうやってよく謝罪の言葉を口にするようになった。
これも、例の記憶とやらの影響なのか。
「……ミナ。お前がそうやってオレ達の為に動こうと思ったのは、お前自身の想いなのか?
それとも、お前の《欠片》に刻まれているミナクリールの願いなのか?」
「……みんなの為なのは、わたし。ミナクリールは、アルシェとエルを助けたいだけ」
「成程、彼女はあの二人の母親だったな」
ミナクリール・ミューレ。
アルシェールとエルロードの母親で、ミナ以前の《読心》の欠片の持ち主。
彼女が護ろうとしていたのは、あの二人だったと言う訳か。
ならば、オレ達を助けようとしてくれたのがミナ自身の意思であるのは間違いないだろう。
まあ、それに関してはいい。ミナは仲間なのだから、信じるのは当たり前だ。
気になっているのは、そういう事ではない。
「《欠片》の前の持ち主の記憶……それは、オレ達の《欠片》にもあるのだろう?」
「……ん」
オレの問いかけに、ミナは小さく頷く。
まあ、それは当然だろう。オレ達が、この《欠片》の初めての持ち主であるとは思っていない。
そして……オレの不安とは、まさにそこだった。
「ベルヴェルクは、その記憶でリンディオを乗っ取ったと言っていた……オレ達にも、同じ事があるのではないか?」
「……それは、無い」
「それは何故だ?」
断言したミナに少々面喰いながらも、オレは再び問いかける。
ミナは止めていた足を再び動かし始めながら、オレの質問へと答えた。
「みんなの《欠片》がここまで成長したのは、これが初めて。それだけ、《欠片》はみんなの記憶で埋め尽くされている。
過去の使い手たちの記憶はかなり薄くなってるから……それは無い、ってエルが言ってた」
「……成程な」
《欠片》の力は時を追うごとに弱体化していっていたようだったからな。
オレ達は意識してこの力を育てたのだから、それだけ記憶を刻まれた部分は多いと言う訳か。
しかし、その場合ミナやベルヴェルクはどうして未だにそれだけの記憶を残していたのだろうか。
ミナはちらりとこちらを振り向き、オレの内心の疑問に対して回答する。
「わたしたちの力は、それだけ大きさが大きかった。ベルヴェルクは、力を意識して奪って行ったから。
そして、ベルヴェルクによって与えられたミナクリールの《欠片》も……だから、それだけ深い記憶が刻まれていた。
ミナクリールは、わたしを乗っ取るような事はしなかったけど」
「……成程な。今、そのミナクリールの記憶とやらはどうなっているんだ?」
「わたしの意識と、同化した。誠人がわたしに違和感を感じていたのは、それの所為だと思う」
……つまり、唐突に性格が積極的になったのはそれの影響だったという事か。
煉以外のメンバーへの苦手意識がいきなり無くなっていたのも、それの影響だったのだろう。
まあ、そういう意味ではミナにとってプラスだったのかもしれないがな。
「ミナクリールの抱いた幸せは、わたしの願った幸せの一部だったから……だから、きっと協力してくれた」
「……そういうものか」
「そういうもの」
ミナの感覚は良く分からんが……本人が言うのであればそうなのだろう。
とりあえず、オレ達が《欠片》に乗っ取られるような心配は無いようだし、無駄な不安は減ったか。
ただでさえ心労が積み重なっていると言うのに、これ以上無駄な心配は必要無いからな。
「さて……急ぐか。出陣されてしまったら元も子もない」
「いづなが、出陣を遅らせるように、とは言っていた」
「……流石に、無茶苦茶になってきたな、あいつは」
最早王にまで指図するか……いや、前からだったか?
気に入られている事を辟易しているくせに、それすらも利用するとは……流石と言うべきか何なのか。
まあ、ある意味では自業自得なのだろう。
「……まあ、仕事が残ってるんだ。さっさと行こう」
「ん」
いづなの狙いが何処までの物なのかは知らないが、あいつはオレ達よりも遥かに先を見越している。
未来を見れるオレが言うのもなんではあるが……まあ、あいつの指示に従って状況が悪化する事はまず無い。
オレ達がすべき事は、あいつの指示を迅速に実行する事だ。
フェルゲイトの城はもう少し……そして、オレ達の訪問は王以外には抜き打ちだ。
王が魔人と化していないことはミナの力で確かめてあるし……後は、簡単だな。
オレ達は小さく頷き合い、白亜の城へと向かっていった。
《SIDE:OUT》
《SIDE:MINA》
「―――響くのは、心の慟哭。その面に笑顔を繕い」
城の中心である中庭。
ここは、つまりこのフェルゲイトの中心でもある。
わたしは、王様とルリア、そしてリンディーナの前で静かにわたしの祝詞を紡いでいた。
「―――紡ぐのは、無垢な愛情。その面に、嫌悪を繕う」
名目としては、全軍と国民に対して王の言葉を発すると言うもの。
それと同時に奇跡のような光景が起これば、王様に対する信頼も増す―――というのが、いづなの考え。
わたしの超越の世界は、ミナクリールが最期を迎えた場所の光景。
忌まわしき研究所の跡地の光景だけれど……それでも、わたしもあの光景は美しいと思う。
「―――わたしは全てを知っている。秘されし人の真実を」
けれど、今回の目的は、入り込んでいるかもしれない魔人を探し出す事。
わたしの超越の世界は、中に入り込んだもの全ての心をわたしに繋ぐ事ができる。
異常があれば、すぐに気付く事ができるのだ。
「―――ならばここに言葉は要らず。我は心を紡ぐ者なり」
そして、祝詞が完成する。
わたしの望んだ世界によってこの世界を塗り替える為の黄金の輝きが、周囲に満ちて塗り潰してゆく。
「超越―――《読心:古き時に言葉は要らず》」
そして―――周囲には、黄昏の湖に沈んだ石造りの建物が現れる。
わたしの望んだ世界……争いの終わった世界。
誰も争う事の無い、全ての人が心を通わせる世界。
「これが……ミナは、やっぱり凄いのね」
「話には聞いていたが、実際に目にすると感動も一入だな」
目を輝かせるルリアと、うんうんと頷いている王様。
リンディーナは、魔術式使いとして仕組みを考えているのか、難しい顔をしていた。
……ううん、色々と考えて、忘れていたいんだ。
リンディオがいなくなってしまった事を、出来るだけ考えないようにしているのだろう。
「……陛下、それでは」
「ああ、そうだったな。あまりこのままにしておいても、民を不安にさせてしまう……ではミーナリア、頼むぞ」
王様の言葉を受けて、わたしは王様の心と領域内の人たちの心を繋げる。
意識のシンクロ……王様の心の高揚は、繋がった人たち全ての高揚へと変わる。
誰もが共感できるからこそ、声を掛ける方法としては最適。
「勇猛にして誇り高きリオグラスの兵、および我が親愛なるリオグラスの民よ!
我が名はレオンハイム・クレス・ディン・リオグラス! 汝らが王なり!」
びりびりと響く気迫……一方通行で影響され辛いわたしの心すら、その感情に心を揺さぶられていた。
人の上に建つ者の覚悟。それを為すだけの精神力。やっぱり、凄い人だと思う。
……けど、あんまりボーっとしている訳にも行かない。
わたしの仕事は、この国に紛れ込んでいるかもしれない魔人を探す事。
「諸君らも状況は理解していよう。愚かなるディンバーツ帝国は、我が民を手にかけただけでなく、この国を侵そうとすらしている!
しかし、恐れる事は無い! 諸君らが見ているこの世界……このような奇跡の体現者が、そしてかの英雄ジェクト・クワイヤードの後継者が我らの味方としてついている!」
探す……負の側の力は、領域の中に在れば簡単に見つける事ができる。
この超越の世界において、邪神の力は異物でしかないから。
「恐れる事は無い。諸君らが我を信じるのならば、我は諸君らに勝利を約束しよう!
更なる奇跡を、諸君らに見せようぞ! さあ、我に着いて来い!」
王様の感情が最高潮に達する。
それと同時に周囲の人々も影響され、わたしの超越の世界の中に巨大な歓声が響き渡った。
沢山の思考が流れ込んでくるけれど、みんな同じ思いだから処理するのはそれほど大変じゃない。
そして、そんな中でも高揚を押さえている者が三体―――
「見つけた……《創造:聖別魔術銀の檻》」
見つけ出した相手を、魔人にとって毒となる聖別魔術銀で拘束する。
やっぱり、入り込んでいた……あまり増えてはいなくて、良かったけど。
ベルヴェルクは、この間わたしの―――いや、ミナクリールの存在に気付いたみたいだったし、この国にいる間はあちらの意識ははっきりしていなかったのかもしれない。
……僅かな時間だけで、《創世》の力を使って帝国を操っていたのは、流石としか言いようが無いけれど。
「それとも……意識を、分離させていた?」
分からないけれど……とにかく、魔人が少なかったのならば好都合。
わたしはマサトに目配せをして、この場所から歩き出した。
《SIDE:OUT》