142:加護を受けるという事
手の届かぬ場所に届いてしまった者が近くにいる事は、途方も無く苦痛なのだ。
《SIDE:FLIZ》
「ふむ……はい、もういいでしょ。とりあえず、問題は無いみたいよ」
眠ったままの煉を連れて、アルメイヤの拠点へと戻って来たあたし達。
そこで待っていたのは、どうやらミナの呼びかけに即行で応えたらしいアルシェールさんだった。
……暇だったのかしら、この人。
「しかし、無茶したものね」
「戦いの方? それとも治療法?」
「どっちもよ。男ってのは、本当に良く分からない生き物だわ」
やれやれと肩を竦め、アルシェールさんは呟く。
まあ、思考回路の特殊さという点に関して言えば、煉が変なだけだとは思うけどね。
ともあれ、煉の身体に問題は無し……目覚めるのを待てばいい、って事なのかしら。
と、話を聞いて駆けつけてきたマリエル様が、曖昧な表情で呟く。
「私達が望んでも手に入らなかったものが、こんな形でとはな……少々、複雑な気分だ」
「俺は元から一つも持っていなかったから、あまり関係は無かったが……こうなるとはな」
「まあ、彼のこれに関しちゃ、直接フェンリルから貰った天然物のようなもんだからねぇ」
アルシェールさんは、小さく肩を竦めながら苦笑する。
マリエル様、そしてゼノン王子が複雑そうな表情をしているのは、煉が手に入れた『蒼銀』の事だろう。
王位継承権を持つ者の証であり、逆に言ってしまえば、これが無ければ王家の生まれでも次の王となる事は出来ない。
マリエル様やゼノン王子からすれば、喉から手が出るほど欲しい物だった筈。
それを、元々ただの傭兵だった煉が手に入れたとなれば……そりゃ、流石に複雑でしょうね。
「言っとくけど、同じ方法で手に入れようとするのはお勧めしないわよ?」
「それはどういう事ですか、アルシェール殿?」
アルシェールさんが言い放った言葉に、マリエル様が首を傾げる。
まあ、いくらなんでもそんな軽率な行動は取らないと思うけど……でも、他にも理由があるって事?
「彼は元々、その身に神性……というより、正の側の強大な力を宿す存在だった。それ故に、こんな大雑把な方法でもフェンリルの祝福を受けられたのよ。
他の人間だったら、成功率は五分五分……しかも、もっと長い時間苦痛を味わう事になるでしょうね。
終わるまで正気を保ってるとは思えないわ」
あのたった数分の間ですら、アレだけ暴れるほどの苦痛を味わってたって言うのに……更に長くなるって?
あたしたちの中では、桜も似たような事をやってた訳だけど……アレだって、正直危険だったはずだ。
とにかく、アルシェールさんの言葉を聞き、マリエル様はしばし虚空を見上げ―――深々と、嘆息を漏らした。
姿勢を戻したその顔に浮かんでいるのは、小さな苦笑。
「とうの昔に諦めていた筈だったのだが、こうも揺らいでしまうとはな。しかし―――」
「我らは、ルリアの王としての器を認めた。今更どうこう言うつもりは無い」
「……そ、ならいいわ」
興味は無い、と言うように、アルシェールさんは視線を外して煉の方を見る。
それに釣られて、あたしもその顔を見つめていた。
今は穏やかな表情で眠る煉……けれど、あの時見た光景は、しばらく目から離れそうになかった。
やっぱり、人の死を見るのは苦手だ。
と―――そんなあたしの握り締めた手に、そっと触れるものがあった。
「……大丈夫だよ」
「ミナ……?」
「もう、レンは負けない。絶対に」
言って、ミナはそっと煉の頭を撫でる。
その表情は何処までも慈愛に満ちていて、正直思わずドキッとするほどだった。
ホント、この子はどうしてここまで煉の事を信頼できるのかしらね。
羨ましいと言うか何と言うか……いや、それもちょっと違う気がするけど。
でも……コイツは、これから大変ね。
「色々、面倒な事になるやろうなぁ……まあ、煉君は王位継承権なんぞまず興味あらへんやろうけど」
「あの王様、変な事言わなきゃいいんだけど」
一緒に部屋に入ってきていたいづなの言葉に、あたしは小さく嘆息する。ちなみに、誠人と桜は部屋の外だ。
しかしあの王様、ルリアと結婚してどうこうとか言い出しかねないような気がするわね。
まあ、その辺りは煉の性癖の特殊さがあるから、あんまり心配はしてないけど。
「彼の重要性は階段飛ばしで上がっていくな……最早、我が国に無くてはならない存在だ」
「故に、これ以上はあまり無茶をして欲しくないのだがな」
「多分、言っても無理やと思いますけどね」
王族二人の言葉に、やれやれといづなは肩を竦める。
まあ、確かに言っても無駄だろう。蓮花と戦わない事には、コイツは納得しそうにないし。
分かっては、いるんだけど……やっぱり、心配なのは変わらない。
あたしにだって……いや、あたしだからこそ、これ以上無茶して欲しくないという思いはやっぱりある。
「一応言っておくと、レンの能力はかなり強化されてるわ。私があげた装備を使わなくても以前と同じだけの動きが出来るだろうし……フェンリルの加護を受けたって事は、より強い不死性と不死殺しの力を手に入れたって事よ。
貴方たちの持つ力を抜きにして考えれば、まず間違いなく最強でしょうね」
「ただでさえ視力が異常やったんに……具体的には?」
普通、肉眼じゃ見えないようなものまで見えてたからねぇ、あいつ。
それが更に強化されるって訳か……おまけに、不死性と来た。まあ、回復の効かない身体だったし、都合はいいだろうけど。
いづなの問いかけに対して、アルシェールさんは右の人差し指を立てながら声を上げる。
「とりあえず、身体能力の強化。そして、第四位レベルの不死性を手に入れてるでしょうね。
後、これは推測になるけど……貴方たちの持つ力を、より使い易い状態になったかもね。
種族まで変わった訳じゃないから、牙の力は使えないでしょうけど……」
「へぇ……力に関しては、朗報かもしれないわね」
煉の力は強力すぎて使い辛かったみたいだし、恐ろしく燃費も悪かった。
今回蓮花と戦った時の状況は分からないけれど、これはかなり有利になった筈だ。
何だかんだ言っても、結局あいつは倒さなきゃいけない訳だし……あいつを倒すには、あいつの力を貫ける煉じゃないと難しい。
一応、超越を使える桜でも何とかなるかもしれないけど……あの力は、あんまり無闇に使うものじゃないでしょうしね。
「……力、かぁ」
「いづな?」
「っと、何でもあらへん。とりあえず、煉君はこれで大丈夫なんですね?」
「ええ、私が保証するわ。まあ、あれだけのダメージを受けた訳だから、しばらくは眠ってるかもしれないけど」
「了解や。ほんなら、今日はここで解散しとこか。正直、今日は皆疲れとるやろうし」
まあ、それに関しては賛成だ。
あたしは直接戦ったわけじゃないけど、今日は戦争してた訳だしね。
誠人と桜はその最前線で戦ってたんだから、もう休んでもいい頃だろう。
「ふむ。それでは、アルシェール殿はどういたしますか?」
「そうね……レンの様子は、魔術式使いとしても気になるし……しばらく、ここに滞在するわ。
それに、あのバカ女が敵に回ってるみたいだし……ちょっと挨拶しとくのもいいかもしれないしね」
「そうですか。では、部屋を用意しましょう」
……王女様に敬語使われるような人なのね、今更ながら。
まあ、気難しい人なのは確かだけど。王族として、その扱いはどうなのかしら?
本人達が納得してるんなら、別に口を挟む理由も無いんだけどさ。
小さく肩を竦め―――あたしは、もう一度だけ煉の顔へと視線を向ける。
「……煉」
こいつが死んでしまったと思った時、途方も無いほどの恐怖があたしを襲った。
こいつが死ぬなんて、考えたくも無かったから。
……唐突過ぎて受け入れられてないけど、こいつは確かにあたしに好意を持ってくれている。
このままじゃ中途半端だし……終わってしまうのは、嫌だった。
「……起きたら、文句言ってやる」
あたしに、皆に心配かけまくった事……しっかり反省して貰わないと。
一人で先行するなと何度も言い聞かせてやってるのに、全く反省してないし。
蓮花の事だけは自分にやらせて欲しいとか言ってたのは確かだけど……こんな事になるなら、しっかりと見張っておけばよかった。
……無茶は、して欲しくない。
「……フリズ」
「ん、何でもないわ。行きましょ」
ミナに呼ばれて、あたしは頭を振って考えていた事をリセットする。
ゴチャゴチャ考えていても仕方ない。こいつが起きてからやればいいだけの話だ。
今は、休もう。
「……本当に、疲れたわよ。もう」
《SIDE:OUT》
《SIDE:IZUNA》
解散した後、夜遅く。
うちは、刀を持って一人建物の外へと出てきとった。
流石に通りで刀振る訳にも行かんし、適当に広い所を探して、小さく息を吐き出す。
「はぁ……未熟やなぁ、うちも」
自分が役に立ってないっちゅー程、うちは自分を過小評価しとる訳やない。
せやけど、やっぱりこれから先、回帰の力があらへんと、戦ってく事は出来んやろう。
まだ確定やないけど、煉君にも目処がついてもうた……後は、うちだけや。
「……はぁ」
刀を抜き、正眼に構える。
ヒヒイロカネの少しだけ赤みがかかった刀身は、闇の中でも僅かな光を反射し、輝きを放っとった。
その先には何も無く―――せやけど、うちは闇の中に一人の姿を幻視する。
「……お姉ちゃん」
うちと同じ長い黒髪、胴衣に袴、そして一振りの刀。
霞之宮和羽……うちとは違う、ホンモノの天才剣士。
その姿へと向かって、うちは駆ける。
「ふ……ッ!」
地面を滑るように接近、完璧な形での無拍剣をお姉ちゃんへと放つ。
せやけど、その一閃は簡単に受け止められ、尚且つ身体を泳がせるように受け流されてまう。
想像の中の姿に身体を合わせるのは大変やけど、うちは重心を崩されんように体重移動し、地面を擦るように足へと向けて一閃を放つ。
せやけどそれは読まれとって、跳躍したお姉ちゃんの足がうちの顔面を襲った。
「っ……!」
咄嗟に、腕を使って防御―――せやけど、顔面を覆ってもうた時点で、うちの負けは確定しとった。
その一撃で仰け反ったうちへ向かって、お姉ちゃんは袈裟斬りの一閃を振り下ろす―――
「……はぁ」
嘆息して、うちは構えを解いた。
能力を使わな、うちはこんなモンや。
決して、お姉ちゃん以上の天才とか、そんな風に持て囃されるような存在やあらへん。
……だから、上へ上へ持ち上げられるんは嫌いなんや。あの時の気持ちを、思い出してまうから―――
「―――いづな」
「ぃ……っ!? ま、まーくん?」
突然声をかけられ、仰天しつつも振り返る。
そこにおったんは、その声の示した通りの人物やった。
「誰かが外に出た気配がしたからな。昨日の今日……ではないが、気になったんだ」
「あー……ゴメン、今は控えるべきやったね」
うちとした事が、アホらしいミスをしてもうた。
フーちゃん辺りに気付かれとったら、また過剰反応しとったかもしれへん。
まーくんは周囲を見つめ……そして、うちへと声をかけてきた。
「お前も、大概難儀な奴だな」
「……何や、お見通しなん?」
「お前が皆の事を見ている分、オレ達もお前の事を見ているんだ……それぐらい、気付けなければならんだろう」
そんなモンなんかね。
うちはそんな分かりやすい反応しとったつもりは無いんやけど……まあ、色々知られとるまーくんやったら、構わへんか。
そうして苦笑するうちへ向けて、まーくんは続ける。
「お前という頭脳が無ければ、オレ達は立ち行かないんだ……あまり、焦る必要も無いんだぞ?」
「……せやけど、答えが見つからな、うちはいつまでも辿り着けへんからね。そしたら、皆と同じ時間を生きる事が出来ひんやろ?」
皆は、きっと超越まで辿り着く事やろう。
そして人としての命の枠を超え、永い時を一緒に生きてゆく。
そん中で、一人だけ置いてかれるなんて事はゴメンや。
「……願いは、決まっとるんや」
「なら―――」
「せやけど、うちにはそれを掲げる覚悟が無い。もう一度あの頃と同じように、なんて無理な話やし」
お姉ちゃんがうちを許す事は、霞之宮の当主として不可能や。
うちらがあの頃に戻る事は、もう二度とあらへん。
願ってしまうんは事実やけど……その、虚しさを感じてまうんや。
「……言い換える事は、出来ないのか?」
「おん?」
まーくんの言葉に、うちは思わず問い返す。
まーくんは小さく苦笑しつつ、うちへ向かって声を上げた。
「オレも同じようなタイプでな。過去にばかり目を向けていた所為で、願いを定める事が出来なかった。
だが、ミナの言葉で気付く事が出来た。その願いは、未来へ向けて言い換える事も出来るのだとな」
「未来へ、向けて……」
うちが欲しいんは……絆。
うちの能力だけや無くて、うち自身を見てくれる人との繋がりを、無くしとうない。
せやから、うちはお姉ちゃんとの絆を失いたくなかった。
「例え、かつてとは決定的に違ってしまっていたとしても……違う形で、それを手に入れる事が出来るかもしれない。
そう考えるのならば、願いを諦めたくないと思えてくるものだ。まあ、他者の言葉に影響されるようではまだダメだ、という事らしいがな」
言って、まーくんは苦笑する。
オチ付けてどうすんねん、って言おうかと思ったんやけど……でも、まーくんの言っとった事は、かなり的を射ている感じやった。
「……ん。ほんなら、ちっと考え方を変えて探してみる事にする。ありがとな、まーくん」
「礼には及ばないさ……オレも、お前と同じ時間を生きたいからな」
「……最近思うんやけど、わざと言うとるん?」
うちの言葉に、まーくんはくつくつと笑う。
成程、冗談を言うような余裕は出来てきたっちゅー事やね。
ええ事なんやか、悪い事なんやか……その手の冗談は、その内痛い目見るで?
「はぁ……ま、ええか。ほんならまーくん、一緒に戻る?」
「ああ。奴らを退けたとはいえ、まだ仕事は終わった訳じゃないからな。早めに休むに越した事は無いだろう」
「せやねー」
まだまだ、戦いは始まったばっかりや。
いつまでもウジウジ悩んどったって仕方ない。
うちは、うちのやるべき事をやるだけや。ほんで、合間合間に考えてけばええ。
……もう少しで、何か見えてきそうな感じがしてきたし、な。
《SIDE:OUT》