141:神獣化
白銀の髪に、蒼海の瞳。
それは、類稀なる加護の証。
《SIDE:FLIZ》
「これ、超越……?」
話し合いの最中に響いてきた銃声に、あたしたちは慌てて外に出て、手分けして煉の姿を探し回っていた。
けど、探し回ってる間に銃声は止み……そして、あまり間を開けず、この黄昏の光に包まれた世界が姿を現していたのだ。
でも、どういう事だろう。これを展開したのは煉? それとも、蓮花?
あの二人の力にしては、あまり脅威というか、害意みたいな物を感じないんだけど。
「でも、これなら……」
超越の中にいると、絶えず力が震えているような感覚がする。
これの感覚の強い方へと行けば、あいつらが見つかるのではないだろうか。
確証はないけど……少なくとも、この世界を展開した奴はそこにいる筈!
「場所は……よし、向こう!」
頷き、あたしは駆け出す。
目指す場所は、何か湖のような物がある方向だ。
石で出来てるっぽい建造物がその中に沈んでるけど……この世界、本当に何なのかしら。
何か、中にいるとずっと穏やかな気分って言うか……妙に、落ち着いてるんだけど。
とりあえず、相手が見つかれば分かるかしら―――って、あれ?
「あそこにいるの……ミナ?」
さっきから姿が見えなくて、銃声が聞こえて勝手に探しに行っちゃったのかと思ってたミナ。
あの子は、隣に獣化したリルを従えて、あたしの方に背を向けるようにしながら浅瀬に座り込んでいた。
この世界を展開したのって、まさかミナなの?
……正直な所、納得出来そうではある。
煉や蓮花が超越を使うにしても、こんな穏やかな世界を創り出すとは思えなかったからだ。
まあとにかく、近づいてみない事には始まらないか。
「ミナ、そんな所で何して―――」
ミナに走って近付き―――次の瞬間、あたしは思わず目を疑っていた。
あたしには見えない方向でミナが抱きかかえていたもの……それは、胸を撃ち抜かれて血まみれになった煉の姿だったのだ。
ミナは煉の事をそっと抱き締めたまま、目を瞑っている。
「う、そ……」
穏やかだった気持ちも吹き飛び、あたしは思わず後ろに下がる。
全身の力が抜けていくような、そんな感覚。
手足が震え、凍えているようにカチカチと歯が鳴った。
「れ……煉? 嘘、でしょ……?」
「……レンは、レンカに倒された」
ポツリと、ミナがあたしにそう告げる。
それと共に、ざわついていたあたしの心が再び冷静に戻ってゆくのを感じた。
何なの、これ……一体、この世界はどうなってるのよ?
―――そんなあたしの思考を読んだのか、ミナはあたしの疑問に答えるように声を上げた。
目を見ずとも心を読めるのは、この超越の効果なのかしら。
「……ここは、わたしの超越。この中にいる人は、わたしの精神と同調する。
だから、誰とも争おうと思わない。わたしが取り乱さない限り、誰も慌てたりしない」
「それが、ミナの力……でも、何でミナはそんなに落ち着いてるのよ?」
強制的に落ち着かされて、ちょっと複雑な気分だけど……まあ、取り乱してしまうよりマシだ。
しかし、その同調させている主のミナは、どうしてこんなに落ち着いているのだろうか。
煉の傷は、どう見ても致命傷だ。普段のミナだったら、盛大に取り乱していてもおかしくない筈なのに。
けれど、ミナは煉を抱き締めたまま、小さく穏やかな声を上げる。
「……レンは、死んでない」
「え……?」
「見て」
言われて、じっくりと煉の事を観察する。
傷のついている場所は、疑うまでもなく致命傷となる場所だ。
けれど……瞳を閉じている煉は、よく見てみれば緩やかな呼吸を繰り返していた。
確かに、生きてる……けど、これって一体?
「煉には回復系の魔術式は効かないんだし、こんな傷を癒せるポーションだって持ってなかった筈なのに……ん?」
どうして、と言おうとして、あたしはふと妙な点に気がついた。
煉の髪……日本人らしい黒髪の根元の辺り。そこが、銀色に染まっていたのだ。これ、一体何なの?
「……リルに、右の牙で噛んでもらった」
「え……右の牙って、まさか、フェンリルの―――」
「不死を産む右の牙。人を神の獣と化す神威の牙……レンを助けるには、これしかなかった」
……話には、聞いた事がある。
フェンリルは不死を産み、不死を殺す神であり……その右の牙で噛まれた者は祝福を受けて不死者となり、その左の牙で噛まれた者は呪いを受けて不死を剥奪される。
フェンリルから『娘』と呼ばれるぐらいに強い加護を受けたリルなら、同じ事ができるって訳なのかしら。
じゃあ、ミナはその不死の力を利用して、煉の傷を癒したって事?
「煉って、直接影響を及ぼすような力は効かないんじゃ?」
「あれは、相手の意思を拒絶してしまうから。だから、わたしの超越で、わたしと煉を同調してる。
わたしの心なら、リルの意思を拒絶する事無く受け取る事ができるから」
「……成程」
随分とおあつらえ向きな能力って訳ね。
何か、ミナの事だから、煉に合わせて自分の力を構築したと言われても納得できそうだわ。
けどまぁ、本当に安心した。煉に死なれたら、あたしは―――
「いや、うん、まあ……悲しいのは当たり前よね、うん。仲間なんだし」
「……近くにいるだけで、心の声が聞こえちゃうから……気をつけて」
「……了解」
流石に、からかうような余裕が無かったのかしら。
いや、別にからかわれたかったって言う訳じゃないんだけど。
うん、変な事を考えるのは止めにしとこう。ミナに素通しなんだから。
とりあえず、何かやって気を紛らわせとこうかしら。
「えっと……何か、手伝う事ってある?」
「ん……もう少しで、必要になる」
「もう少しで?」
何だろう。何か状況が変化するみたいだけど。
あたしが首を傾げていると、ミナは突如としてその魔力を己の腕輪に集中し始めた。
この行動に関しては、あたしにも心当たりがある。
「……出てきて、リコリス」
「はっ、お呼びでしょうかお嬢様」
腕輪から放たれた光より現れたのは、紅い髪をしたメイド服の女性、リコリス。
旅の時は、こうして腕輪の中にいる事が多くなっていたのだけど……人手が足りない時とかは、よく手伝ってもらっていた。
助けが必要になるみたいな事は言ってたけど……リコリスにまで?
そんなあたしの疑問をよそに、ミナは瞳を閉じたまま、静かにリコリスへと告げた。
「《光糸》で、レンを縛って」
「は?」
「ちょっと、ミナ!?」
突然何を言ってるんだ、と思いあたしは思わず声を上げる。
リコリスの方も困惑した様子だったけれど、ミナの言葉に逆らうつもりは無かったのか、すぐさまその命令を実行した。
蒼く輝く光の糸がリコリスの指先から放たれ、煉の身体に絡みつく。
かなり雁字搦めな感じで、これでは起き上がるどころか腕を動かす事すらできないだろう。
「ミ、ミナ? 一体何やってるのよ?」
「これだけじゃ、足りないかもしれない……フリズも、レンを押さえて」
「押さえてって……一体、何が起こる―――」
刹那、死んだように目を閉じていた煉が、カッとその瞳を開いた。
そして―――
「がッ、あああああああああああああああああああッ!!」
「ちょ……っ!?」
「む、くぅッ!」
突如として、その身を捩って暴れだしたのだ!
身体を縛られているから派手に動き回る事はできないけれど、それにしたってこの様子は尋常じゃない!
咄嗟にあたしは煉の体の上で馬乗りになるようにしながらその動きを押さえつけ、リコリスも放っていた糸の本数を増やした。
しかしそれでも尚、あたしの体は振り落とされそうなほどに揺さぶられてるし、リコリスもその腕を引かれそうになっている。
「ちょっと、何よこれ……煉って、こんなに力強かったっけ!?」
「神獣化……フェンリルの力で、体が造り変えられようとしてる……ッ! 凄い、苦痛なの……!」
煉の頭を押さえているミナも、振りほどかれまいと必死になってしがみ付いている。
ミナの意識同調が無くなってしまえば、煉がフェンリルの加護を手に入れる事は不可能になってしまう。
そうしたら、まだ塞がり切っていないこの傷は致命傷の筈だ。
何が何でも、押さえないと―――!
「でも、それにしたって……!」
自分に身体強化の魔術式をかけつつ、あたしは呻く。
全力で押さえつけているにもかかわらず、異常なほどに力が強い。
耐え難い苦痛でリミッターが外れた上に、神獣化とやらで身体能力が強化されてるって事!?
ッ……結構やばいわ、これ。ただ押さえるだけのあたしはともかく、比較的自由度の高い頭を押さえてるミナは結構きつい筈。
しかも、ミナはこの超越も維持してる訳だし……!
「リ、リル! 辺りに皆がいる筈だから、探してきて!」
「ガゥ!」
あたしの言葉に、獣化状態のリルはコクリと頷くと、風のような速さで遠くの方へと走っていった。
肩を押さえてたリルがいなくなったおかげで、余計にきつくなった訳だけど……流石に、いつ来るか分からないのを待ち続けるのはキツイ。
リルなら、さっさと皆を見つけ出してくれる筈だ。
皆だって、この超越が展開されてるのには気付いてるでしょうし。
「ガッ、ぐ……あああああああああッ!!」
「レン、頑張って……」
煉の悲鳴の合間から、ミナの祈るような声が聞こえてくる。
その抱え込んでいる頭はといえば、髪が半ばほどまで銀色に染まってきていた。
見開いたその瞳も、少しずつ蒼に染まってきているようだ。
と―――
「ぅ、わ!?」
思わず跳ね飛ばされそうになり、必死に煉の身体にしがみつく。
ここに来て、更に煉の抵抗が大きくなってきていた。
ちょっと、流石にこれ以上あたし達だけで押さえるのは―――
「何や、凄い場面に遭遇してもうたんかと思ったで。見た目ちょいとエロいんとちゃう、フーちゃん?」
「い、づ、な……! 冗談言ってられるような状態に見えるの!?」
「うい、ゴメンゴメン……とりあえず、うちが足を押さえるからまーくんは肩!」
「ああ、了解した」
視線を横に向けるような余裕が無かったから気付かなかったけど、いつの間にかいづなと誠人が駆けつけてきていたみたいだ。
二人は言った通りに足と肩を押さえて、煉の動きが少しだけ押さえられる。
そして更に、一足遅れて桜も駆けつけてきた。
「お、お待たせしました……!」
「桜、ミナと一緒に煉の頭を押さえて! ミナが振りほどかれたらヤバイの!」
「は、はい!」
意識の同調だけだったら、別に離れていても出来るのかもしれないけど……ああやって必死でしがみ付いてる以上、この形が必要だって事なんでしょう。
煉の能力を相殺しながらやるにはこうしなきゃいけないとか?
まあとにかく、余計な事を考えられる程度には余裕が出てきたみたいね。
煉の抵抗が小さくなってきたのも、その一因だろうけど。
「ぐっ、あ……ぅ」
そして、その髪が銀色に染まり切り―――煉は、蒼く染まった瞳を閉じて再び眠りについた。
その様子に、皆してほっと息を吐く。
「ふぅ、終わった……」
「とりあえず状況はよう分からんかったけど……まあ、お疲れ様やね」
煉の腹の上で深々と息を吐き出すあたしに、いづなが苦笑交じりに声をかける。
いつもならこのタイミングでからかってくるんでしょうけど、生憎とそんな余裕も無かったみたい。
流石に、今回はあたしも疲れたわ……でも、本当に良かった。
「……それで、これはどういう状況だったんだ?」
「煉君が一人で先走っとったみたいやけど」
塞がった傷口を見下しつつ、いづなは声を上げる。
その言葉に、あたしは小さく肩を竦めていた。
「見ての通り、蓮花にやられて……それで、こんな荒療治をする事になったんでしょ」
「気持ちは分からないでもないが……しかし、煉が倒されるとはな」
「相手は回帰を使える訳やし、まあ無理も無いやろ。それでミナっち、その相手は何処に行ったん?」
それは、あたしも疑問に思ってた。
あの女の事だし、倒したら死体を自分で持ち帰るとか言い出しかねないと思うんだけど。
でも、あたしが駆けつけた時には影も形も無かったし―――
「……もう一度戦う約束をして、帰った」
「って、もう一度!?」
「ん……大丈夫。レンは、もう負けない」
何故か自信満々に、ミナは頷く。
そしてそれとほぼ同時、周囲に広がっていた黄昏の水辺は光の粒子となって消失して行った。
そういえば、この超越の事に関しても説明してなかったわね……色々とあり過ぎたわ、こりゃ。
と、そこで後ろに控えていたリコリスが声を上げた。
「お嬢様、そろそろ戻られた方がよろしいかと。
それに、レン様の状態に関しても、調べておいた方が良いでしょう」
「ん……アルシェを、呼ぶ。レンの状態も、それで分かると思う」
「呼ぶって……あの人、呼んだら来るの?」
確かにあたしたちには友好的だけど、それでもそう易々と動いてくれる人じゃないと思うんだけど。
妙にミナは自信満々だけど、大丈夫なのかしら。
……正直、もう疲れたからあんまり考えたくはないけど。
「……はぁ、まあいいわ。とりあえず、もう運んでも大丈夫なの?」
「ん……レンはもう痛みを感じてないし、大丈夫だと思う」
「りょーかい。ほんならまーくん、運んだって」
「ああ、分かった」
いづなの言葉に頷き、誠人が煉を抱え上げる。
肩で荷物のように担いでる辺り、割と適当な気がするんだけど。
今回の事、ちょっと怒ってるのかしらね……あたしも人の事は言えないけど。
まあ、起きたら文句を言ってやろう。
とりあえず、今日は疲れた……帝国も一応退けた訳だし、もうゆっくりと休みたい。
「厄介な事になってきたわね、ホント……ん?」
誠人の背中を追って歩き出した所で、視界の端に映った光景にあたしは首を傾げていた。
ミナと桜が、何やら二人で話をしていたのだ。
あのツーショットは珍しいわね―――
「フーちゃーん、はよ行くでー」
「あ、うん」
煉が『蒼銀』を手に入れちゃった事とか、また色々と悩んでいたらしいいづなが、疲れたような声音であたしを呼ぶ。
色々と気になる事があるけど、正直追求とかはもう後でにしたかった。
再び振り返った時には、二人とも元に戻ってたし……まあ、いいか。
とにかく、妙な事になったのは事実だし……さっさと戻るとしましょうか。
《SIDE:OUT》