138:月蝕の世界
魂を喰らい尽くす月蝕の門。
未だ訪れぬ未来を定める瞳。
《SIDE:SAKURA》
広がるのは、月の失われた闇夜。
超越―――《魂魄:魂喰らいの月蝕門》。
古来より異界への入り口とされてきた月……その蓋を取ってしまった場所こそが、私の創り上げた世界。
超越は、理不尽な世界への怒りを原動力に、己が望む世界を創り上げてしまう力。
無論、それは発動している間だけの話なのだけど―――
「……何よ、それ」
呆然とした、水淵さん―――いや、蓮花さんの声が響く。
そうか、やっぱり彼女も知らないんだ……この力のことは。
「私の超越……これが、私の世界です。誰もが同じなら、きっと拒絶される事がないと……そんな狂った願いの元に創り上げられてしまった、壊れた世界です」
「誰もが同じ……?」
―――あまり、話している時間は無い。
まずは、門に取り付いた兵士達を何とかしなくては。
私は、彼らの方へと視線を向け―――それと同時に、足元から広がっていっていた影が一気にその範囲を広げた。
私のローブから伸びる影は、手足のように私の意思で自在に操る事ができる。
攻撃にも使えるし、防御だって思いのまま。けれど、本当の使い方はそんな事じゃない。
「―――捕らえて」
地面から盛り上がった影が手のような形になり、兵士達の足を掴んで地面へと引き倒す。
突然の事態に彼らは大きな悲鳴を上げるけれど、伸びた影に顔を掴まれる事でその頭すらも押さえ込まれてしまった。
そして影は腕を、足を、胴を、首を掴み―――
「うおぉッ!?」
「な、何だっ!?」
「止めろ、止め―――ぅああああああッ!!」
そのまま、逃げようとした彼らの身体は影に覆い尽くされてゆく。
逃がさない、逃げられない。この影は触れたものを二度と離さず、この私の世界の中に飲み込んでしまう。
そして―――全てを飲み込んだその後、沈んだ影の中からふわふわと漂う光が浮かび上がり始めた。
「な……何よ、それ」
「私は、触れたものの魂を抜き取る事ができる……この影は、私の手足と同じ……だから、この影に触れたら、もう助からない」
影に触れた者を捕らえ、魂を奪い去る能力―――それこそが、私の超越の力。
例えどんな不死者であったとしても、魂を奪われれば生きてゆく事は出来ない。
触れた時点で、全てを終わらせてしまう……それが、私が望んだ世界。
「全てが同じ、魂だけの存在だったなら……差別なんて、無いですよね?」
「ッ……それが、願いだって言うの!?」
「昔、思ってしまっただけの事ですけど……でも、それが私の根幹なんですよ」
誰かに愛して欲しい、愛されないのは私が他人と違うから。
私が同じになる事が出来ないなら、皆が同じになってしまえばいい―――そんな風に、考えていたのだ。
無論、それが狂った願いである事は分かっている。
そんな世界は、成り立たないと言う事も。
でも―――それでも。
「根本となった願いは変えられない……人は、そう言う物です」
抜き取られた魂達は、天にある月蝕の門へと吸い寄せられてゆく。
あの先は、魂だけの世界―――普段は私の中にある、冥界へと通じる扉。
回帰で死霊たちを呼び出すのは、いつもあの先からだったのだ。
それを現実世界に広げてしまうのは、とても危険な事だけれど……制御は、可能。
「……蓮花さん」
「っ……何、よ」
「貴方は……逃げた方が、いいです」
「何ですって?」
困惑したように、蓮花さんが視線を細める。
疑問は尤もだけれど、今の私には彼女を仕留めるつもりなど無かった。
一応、前にも言った通り、邪神の力の混じった魂を食らってしまいたくないのが一つ。
今の私は自分の力を完全に把握しているし、それをやったとしても何ら問題が無い事は分かっているけれど、やっぱり気分的にあまりやりたくは無い。
そして―――
「やっぱり貴方は、煉さんと戦うべきだと……私は、思います。貴方達を、私が倒すべきじゃない……」
「さっきアレだけやっておいて、何を今更」
「思い出しましたから……だから、そうしようと思っただけです」
言いつつ、私は蓮花さんとあの魔人を迂回するように影を広げてゆく。
周囲の兵士達を捕らえ、飲み込み……一人一人、魂を奪い取ってゆく。
恐怖に引き攣った悲鳴も、泣き叫ぶ声も……私にとっては、どうでもいい。
みんな同じになってしまえば、変わらないから。
蓮花さんの銃口はこちらに向いているけれど、特に脅威を感じる訳でもなかった。
影の鎧は、彼女の銃弾程度ならば容易く受け止められる。
「っ……流石に、分が悪いわね……いいわ、ここは退かせて貰う」
蓮花さんはそう吐き捨て、足元に黒い水溜りを展開した。
そして魔人と共にその中に飛び込み、完全にその姿を消す。
……流石に、兵士達を連れて行くような余裕は無かったみたい。
尤も、周囲の兵士達は既に全員捕らえて、影の中に沈んで行っている最中だったけれど。
「……じゃあ、いただきます」
影の中に捕らえた人々の魂を抜き去り、月蝕門で喰らい尽くす。
この夜の及ぶ範囲だったら何処まででも影を伸ばせるけれど……流石に、北側の方に展開するのはやめておいた。
流石に消費は激しいし、そもそも敵味方の判別が付けづらい。
誠人さんの魂を喰らってしまう訳には行かないのだ……あの子のように。
「……フェゼニアちゃん」
あの子の魂は、あの門の向こう側。
今の私の力では、向こう側の魂を正確に指定して呼び出す事は難しい。
今の私では、まだあの子を呼び出す事はできないだろう。
「でも……必ず、取り戻して見せるから。だから、待っていて」
小さく呟いて、瞳を閉じ―――そして、天空の門も閉じてゆく。
崩れて消えるように私の世界は空気に解けて、その向こうから元々の明るい空が見え始めた。
展開されていた夜は消え去り、辺りに残るのは魂を抜き取られて、意思の無い人形と化した無数の肉体だけ。
一応、これを《死霊操術》で操る事は出来るけれど、それをやると戦場が混乱してしまう。
今は、とりあえず―――
「……いづなさん」
『さくらん! 無事だったんか!』
「はい……南側は、敵の撃退に成功しました」
『そか。ちゅーか、さっきのもさくらんの仕業だったん?』
「詳しい事は後でお話します……」
流石に、今すぐ超越の事を説明すると慌しくなってしまう。
まだ状況は緊迫したままなのだし、説明は後回しにした方がいいだろう。
いづなさんも了解してくれたのか、頷くような気配と共に声を上げた。
『了解や。とりあえず、北は拮抗しとる状況やったけど、さっきの変化の所為でどちらも混乱しとるみたいや』
「そうですか……とりあえず、味方には害は無いです」
『うん、そう伝えとく。とりあえず、さくらんはそこで待機を頼んだで』
「……はい」
正直、もう敵はこないと思うけれど。
でも念の為という事もあるし、今はここを離れるべきではないだろう。
向こう側の事は少し気になるけど……自分の役目を、忘れるべきではないと思う。
「誠人さん、煉さん……それに、蓮花さん」
彼女の事は、ほんの少ししか知らない。
けれど、彼女は……煉さんが思い出すために、必要だと思う。
私が倒してしまうべきではない。
けど……それでも、良かったのかどうかと思ってしまうものだ。
倒してしまえば、確かに皆が危険な目に遭う事は少なくなるのだから。
「……どうか、御無事で」
言って、私は目を閉じる。
私の中の世界を、感じ取りながら。
《SIDE:OUT》
《SIDE:MASATO》
「……何だったんだ、一体?」
先程の奇妙な現象に、オレ達は思わず首を傾げていた。
唐突に夜に変わり、月蝕が起こり、再び元に戻っていたのだが。
星崎の方も困惑していたので、あの状況に心当たりは無いようだったが……何だったのだろうか、一体。
『まーくん、聞こえる?』
「いづなか、どうした?」
『さっきの、どうやらさくらんが関わっとったみたいや。とりあえずうちらに害はないらしいから、安心してええよ』
「成程……了解した」
どういう事なのかはよくわからんが、とりあえず害はないと言うのならば問題は無い。
先程ので敵も動きを止めているし、防衛する身としては有益だったからな。
さてと、とりあえず、こいつらを何とかする事を考えるか―――む?
あそこに見えるのは―――
「誠人、気をつけろ! 黒い水だ!」
「……!」
背後から、煉の言葉が耳に届く。
しかしその声は、警告と言う内容にもかかわらず、愉悦の感情が含まれていた。
成程、あいつらが来た訳か。
困惑したままの星崎は置いておき、オレはその黒い水の方へと向き直る。
そこから現れたのは―――やはり、二人の人影だった。
「―――ガープ!」
「お? クハハッ、いい所に出たな!」
オレの声に反応し、ガープが愉悦の表情を浮かべる。
しかし、すぐにでも飛び出してきそうな様子だったガープを、隣に立つ水淵が押し留めた。
人の姿のままで、ガープは訝しげに眉根を寄せる。
「おい、レンカ。テメェ、何のつもりだ?」
「作戦は失敗、だから撤退するのよ。正直、あんなバケモノみたいな力に、何にも考えずに挑むなんてやりたくないわ」
力? 先程の、桜の攻撃の事か?
しかし、精霊化による無数の攻撃の事を言っているにしては、随分と時間が経っているしな。
それでは、先程の月蝕の事か?
確かに訳の分からない現象だったが、別段危険は無かったように思えるのだが……そもそも、あの中では脅威を感じる事自体が無かったしな。
「アンタは《欠片》が無いから分からないのよ、あの力の危険さが……!」
「テメェこそ何言ってやがる。目の前に全力で戦える敵がいて、それがしっかり戦闘準備してやがる。
この状況で挑まずに、いつ挑むってんだよ!?」
「アタシだってそれぐらい分かってるわよ! それでも、作戦を失敗した以上ここにいても仕方ない!」
……何だか分からんが、どうやらこちら側で陽動して、背後から突くのが作戦だったようだな。
定石だが、桜以外では成功していただろう。
まあ、何はともあれ―――
「……来い、ガープ。星崎だけでは退屈していた所だ」
「何だとッ!?」
「クハッ! 良いねェ……さぁ、殺り合おうじゃねェか!」
「ああもう!」
苛立った様子の水淵を無視し、ガープはその姿を変貌させる。
本来の姿―――あの、魔人の姿へと。
『さぁ、決着をつけようじゃねェか、マサトォ!』
「よし……行くぞ、椿」
『了解した……さあ、本気で行こうか』
もとより、ガープが現れたらあれを使うと決めていた。
戦局もかなりこちらに傾いている……ここで奴を倒せば、敵の士気は大きく下がるだろう、
故に―――
「『回帰―――』」
ここで、新たな力を使わせて貰う。
オレ達の力、《未来選別》の回帰を―――!
「『―――《未来選別:肯定創出・猫箱既知》』」
そう宣言した、刹那―――オレ達に見える世界の様相は、一瞬で様変わりした。
オレ達の感覚に映っているのは、あらゆる未来の光景……これから先起こるであろう未来だけではなく、無数にある選択肢の先までも見届ける事が出来るのだ。
そして、その中から……オレ達にとって、最良の未来を探し当てる。
『行くぜェ、マサトォァアアアッ!!』
背中の魔力噴出孔が開き、奴の両腕と背中に強大な魔力が収束してゆく。
それに対し、オレは刃を脇構えに構え、奴の攻撃を静かに待ち受けていた。
―――そして、跳躍。
『ぅおッ!?』
奴の攻撃の未来と、オレ自身の動きの未来を観測する。
オレがその中から選び取ったのは、オレが奴の肩に手をかけ、右の魔力噴出孔に向けて蹴りを入れるのを成功させた未来だ。
そして、選び取った未来は―――そのまま、現実と化す。
バランスを崩しかけながらもガープは着地し、こちらへと向き直った。
『チッ、前より更に動きが良くなってるじゃねぇか!』
「甘く見てもらっては困るな……オレにはまだまだ成長の余地がある。他の面子を見ていて、それを実感したさ」
『クハッ! そいつァ、ほんっとうに楽しみだなぁ、オイ!』
嗤い、ガープは更に魔力を収束させる。
それに合わせてオレは刀を構え―――再び、未来を観測した。
複数の未来の中から、選択したものは―――
「楽しみにするのはいいが……せめて、生き残れるようにする事だな」
『クハハッ! そいつはこっちの台詞だァァァァァアアッ!』
ガープが叫び声を上げながら、再びオレの方へ突撃する為に魔力を収束する。
オレはそれに合わせ、大きく跳躍した。
そして、それと同時―――
『ぬ、おおおっ!?』
ガープの右の魔力噴出孔から魔力が止まり、ガープは勢い余って転倒する―――オレが、落下しようとしている地点に。
オレが観測したのは、魔力噴出機能の故障によって、ガープの動きが止まる未来。
そして―――
「―――火之迦具土神」
―――炎を纏う刃が、ガープの体を両断する未来!
オレ達の回帰は、数多ある未来の内から選択した一つを、現実の光景に変える能力だ。
タイミングも過たず、オレの振り下ろした刃は、ガープの肩口から下腹部までを一気に斬断した。
そして、それと同時に吹き上がった炎が、ガープの黒い身体を焼き尽くしてゆく。
『が、か、クハハ……ッ! つええ、な、マサト……!』
「……悪いな、こんな終わり方で」
『カ、カカカカカ……次の、俺様は……もっと、テメェに―――』
ガープは身体を焼かれながらもそう声を発し―――最後まで語る事無く、炎によって焼き尽くされた。
小さく息を吐き出し、刀に残った炎を振り払う。
「魔人だからか……流石に、一体潰した程度では終わらんか。まあいい……何度来ても、オレが勝つ」
絶対の可能性が無い限り、オレは勝利の未来を導き出せる。
故に、オレに敗北は無い。
「ったく、だから言ってるじゃないの……星崎、撤退するわよ」
「何だと!? ここまで来て―――」
「こちらの動きを読まれて、しかも奇襲を防がれた時点で敗北確定! 死にたいんだったら一人で戦ってなさい!
全軍撤退、相手にはこちらを追撃するだけの兵力は無いわ!」
水淵はこちらの様子を見て、すぐさまそう判断すると、兵に指示を飛ばして撤退し始めた。
中々迅速な対応だが、流石にそこまで消耗していたら敗走と変わらないだろうな。
小さく肩を竦めつつも、オレは外壁の上のマリエル様を見つめる。追撃は必要かどうか、と。
しかし、生憎と水淵の言っていた通り、追撃に割けるような人員はいなかったようだ。
「ちっ、命拾いしたな!」
「……どこをどう見てその結論が出てきたのだか」
典型的というか何と言うか、分かりやすい捨て台詞を吐きながら去って行く星崎の背中を眺め、オレは深々と嘆息していた。
回帰の力を解除し、身体から力を抜く。
さてと、理想的な勝利ではあったが……煉が荒れていそうだな。
まあとりあえず、時間稼ぎには成功したようだし、完勝だろうな。
「さて、どうなる事やら……」
いくら上手く防衛できたといっても、味方の消耗が無い訳ではない。
いつまでもこの調子で防ぎ続けるのは不可能だろう。
早い所、味方の援軍に来て貰わねばな。
去ってゆくディンバーツの軍勢をしばし眺め―――オレは、アルメイヤの方へと戻って行った。
《SIDE:OUT》