137:超越
「愛して欲しい。でも、私は皆と違うから、誰も愛してはくれない。
―――皆、同じなら良かったのに」
《SIDE:SAKURA》
―――ラ。
何かが、聞こえる。
私は確か、水淵さんの力に飲み込まれて、そして―――
―――して、サクラ。
そして……それから、どうしたんだっけ。
思い出せない……頭が、痛い。
聞こえてくるこの声は、どうしてこんなにも頭に響くのだろう。
―――思い出して、サクラ!
「え……?」
頭に大きく響いたその声に、私は目を覚まし―――そして、周囲の光景に目を瞬かせた。
視界いっぱいに広がったのは、砂浜のような場所。
けれど、それが海ではない事は、打ち寄せる波が存在しない事からもわかる。
そして、その水の中には、崩れた石の建物がいくつも沈んでいた。
「ここは……私、どうしてこんな所に……痛っ」
ずきんと響いた頭に、私は思わず顔をしかめながら頭を抱える。
何だろう……この場所に来てから、妙に頭が痛い。
外からではなく、中からずきずきと響くような痛み。
―――何だろう、前にもこんな事があったような気がする。
「……でも、私……どうして?」
私は水淵さんの力に捕らえられて、あの黒い水の水底に沈められたはずだ。
ここが、その水底?
見たことの無い場所ではあるけれど、どうにもそれは違う気がする。ここからは、あの禍々しい力は感じないから。
でも、それならここは一体何処なんだろう……?
夕暮れのその世界を見渡し―――私はふと、その金色の光を反射する物がある事に気がついた。
「え……?」
いや、違う。物じゃない。
アレは……人だ。水の中に佇む、白いワンピースを着た女性。
ウェーブのかかった長い金色の髪を揺らし、彼女は私に向かって微笑んでいる。
―――何故だろう。私は、彼女に見覚えがある気がした。
『……サクラ』
「え? 何で、私の名前……」
『わたしは、貴方を……貴方たちの事を、ずっと見ていたから。ずっと、ずっと……気が遠くなるほどの長い間、あの子と二人で』
「あの子……?」
彼女は、その黄金の瞳を真っ直ぐと私に向ける。
心の奥底までを見透かされてしまっているみたいで、少しだけ落ち着かなかったけれど。
『サクラ、貴方は覚えていないの?』
「覚えて、って?」
『貴方が望んだ世界を、奪われ続けてきた事を』
私の望んだ、世界?
私が、世界に何かを望むなんて、そんな事―――
『【私はどうして、愛されないの?】』
「ッ……!?」
『【私が、皆と違うから?】』
「な、何で……止めてっ!」
どうして、この人はそれを?
確かに、そう思っていた事はあった。けれど、それはありえない事。
だって、そんな事になってしまったら……世界は、世界として成り立たない!
『貴方は望んだ……貴方は、焦がれ続けた。その記憶は、貴方の《欠片》に刻まれている』
「き、記憶……?」
この人は、一体何を言っているの?
ここは何処で、この人は誰で、そして私に一体何をさせようというの!?
まるで、そんな私の考えを読んだかのように……彼女は、表情を悲しく歪ませた。
『わたしを、覚えていないの?』
「分からない……貴方は、誰なの!?」
『貴方が知っていて、知らないわたし……ミナクリール』
知らない、聞いた事なんてある訳―――
―――思考に、―――黄金の砂浜、朽ちた建造物、金色の聖母、私は、抱き締められて―――ノイズが走る―――
「え―――?」
気がつけば、私は彼女……ミナクリールさんに抱き締められていた。
脳裏に走った光景と同じ、この世界で。この人に。
私は……何かを、忘れてる?
『……あの時も、こうしてあげたね』
「貴方は、一体……?」
『ごめんなさい、サクラ。貴方に、辛い戦いを強いてしまって。でも、貴方の力が必要なの』
耳元で囁かれる声は、どこか震えているような気がした。
戦って、戦って、戦い疲れて……挫けそうなのに、膝を折る事ができない、そんな重さ。
以前に聞いた時よりも、それは重くなっていて―――え?
「わた、し、は……」
何かが、引っかかる。
何かが、頭の中でつかえているような、そんな感覚。
けれど、私は……確かに、この声に聞き覚えがあった。
『ごめんなさい……ごめんなさい、サクラ。本当に優しい貴方を、わたしの心に応えてくれた貴方を……戦わせたくなんて―――』
「……でも、それは……私が、決めた事」
聞き覚えが、ある。覚えている。
そう、私は、確かこう言った。
「貴方が、私を愛してくれたから……私は、私の願いを抱く事が出来たんだよ?」
『……サクラ』
そして、私はこの人を……ううん、この子を抱き締め返して。
そして―――そっと、囁くんだ。
「私を愛してくれて、ありがとう。私を見捨てないでくれて、ありがとう……貴方が私を望んでくれたから、私は皆と一緒にいられる」
記憶が……私の《神の欠片》に積み重ねられた歴史が、洪水のように流れ込んでくる。
今までに無いような頭痛を感じていたけれど、それでも私は微笑んでいた。
嗚呼……彼女は、ずっと私達の事を見守り続けてきてくれたんだ。
『……貴方は、願いを奪われ続けた』
「そう……いつもいつも、何度も何度も……私は奪われてきたんだね」
『それでも、膝は折らないの?』
「だからこそ……だよ。ここまで来たのに、足を止めてしまいたくない」
幾百の敗北も、幾千の敗北も、幾万の敗北も……たった一度の勝利で、塗り替えてしまえばいいのだから。
けれどここで足を止めれば、私達の願った勝利は手に入らない。
『世界は、残酷な場所。望めば奪われ、願えば崩される』
「そんな世界が、赦せないから―――私たちは、世界を変える。私達の、願いで」
この世界は、残酷で救いの無い場所だ。
滅びの運命なんてものに、全てを奪われてしまうのだから。
けれど―――いや、だからこそ、私達は力を得る事が出来る。
『世界を恨み、運命を呪う』
「そして、その怒りを元に……私達は、超越へと至る」
嗚呼、ようやく分かった。
あの願いは、無駄じゃ無かったって言う事が。
『……行くの?』
「うん……戦わなきゃ。私達の願いは、まだまだ先だから」
そっと、私は彼女から離れる。
少しだけ寂しそうに、けれど嬉しそうに笑う彼女は……本当に、神々しかった。
釣られて、私も小さく笑みを浮かべる。
……もう、大丈夫だ。
「―――行ってきます」
『……行ってらっしゃい』
二人で、微笑み合って―――私は、黄昏の水辺から踵を返した。
『う……』
「サクラ、気がつきましたのですか?」
ゆっくりと、瞳を開ける―――けれど、周囲には何も見えない。
ただ、声だけが響く……これは、私の声だけど、発しているのは私じゃない。
『フェゼニアちゃん?』
「はい、そうなのです……ここは、あの邪神の力を持つ女の水底なのです」
『そっか……そうだったね』
あの人の力に、飲み込まれてしまったんだった。
邪神と《神の欠片》の力の中……ここから抜け出すには、あの力を使うしかない。
けど、ここで使ってしまったら―――
「……サクラ」
『ん、何?』
「思い出したのでしょう?」
『え……!?』
私は、思わず耳を疑っていた。
どうして、フェゼニアちゃんがその事を―――
「元々、ボクはエルから聞いていたのですよ。サクラと出会ったのも、エルの言いつけなのです」
『それじゃあ、最初から……?』
「いやまあ、詳しい内容を聞いたのはごく最近なのですが」
小さく苦笑しつつも、フェゼニアちゃんは胸を張る。
正直な所、その言葉も殆ど頭の中に入って着てなかったのだけれど……あまりにも、予想外過ぎた。
でも、それなら……これからどうなってしまうのか、分かっているのではないのだろうか。
この場所で、あの力を使ってしまえば―――けれど、フェゼニアちゃんは優しく私に語りかけてきた。
「サクラ……超越を、使ってください」
『だ、ダメ……この力を使ってしまったら―――』
今なら理解できる。
私の力が生み出す世界が、一体どのようなものなのか。
そしてそれを使ってしまえば、私は―――
『私は、貴方を喰らってしまう!』
「……承知の上なのですよ、サクラ」
『ダメ……ここまで来たのに、どうして!?』
「貴方が力を発動する為の、最後の原動力に……ボクを、使って欲しいのです」
超越の発動に必要となるのは、世界に対する強い怒りと憎しみ、そして世界を変えたいと願う強い想い。
分かっている。分かっているけど……!
「大丈夫なのですよ、サクラ。貴方の力なら、きっとボクを再び呼び出せる。ボクは、貴方の『門』の中に入るだけなのです」
『でも……っ!』
「願いを見失わないで下さい、サクラ。貴方の本当の願いを、見失わないで」
『ッ……!』
折角、思い出したのに。
分かっていた、つもりだったのに。
どうして、世界はこんなにも―――!
『……フェゼニア、ちゃん』
「はいです、サクラ」
『私の声を、聞き逃さないでね……』
「勿論、なのですよ」
―――そして、フェゼニアちゃんは眼を閉じる。
私と彼女に境界は曖昧になって、けれど何処までも遠く離れてゆく。
……奪われたものは取り戻す。煉さんはそう言っていた。それを、決して忘れないように―――!
「―――天より堕ちるは孤独の扉」
―――私は、私の祝詞を紡いだ。
《SIDE:OUT》
《SIDE:LENKA》
強敵、雛織桜を下したアタシは、力によって発生した水を閉じようと力を込めていた。
兵士達は門の方へと近付いて行っているし、もう問題は無い……その筈なのに。
「おい、レンカ。テメェ、何してやがる? さっさと閉じちまえよ」
「……閉じられ、ないのよ」
人間の姿のガープの言葉に、アタシは顔を顰めながらそう返す。
アタシの水の内部は、永遠に静止した世界。中に取り込まれてしまえば、抵抗する事なんて不可能な筈なのに。
それなのに、どうして?
「閉じられねェって……まさか、中で抵抗してやがるってのか?」
「……あの、力を遮る力を使う幽霊の仕業かしら。ちょっと、面倒ね」
けど、その《欠片》はアタシの力よりも格下……その力ごと、押し潰してしまえばいいだけよ。
そう思い、全力で握り潰そうとして―――不意に、周囲の光が消え去った。
「え……!?」
「な、何だァ!?」
周囲を見渡す。
さっきまでは確かに昼で、太陽も出ていた。それなのに……天空にあるのは、黄金の光を放つ満月。
門に近付いていっていた兵士達も、それどころか外壁の上にいるリオグラスの兵士までも、この状況に困惑しているようだった。
―――天より落ちるは孤独の扉。
「……ッ!?」
桜の声が、周囲に響く。
ありえない……アタシの力の中から、声なんて響く筈がない。
でも、それならば、これは一体なんだって言うの?
―――人は誰もが私と違い、誰もが恐れてゆくだろう。
「お、おい! アレを見てみろ!」
「……?」
周囲の兵士達が、上空―――そこにある月を指差し、声を上げる。
というかそもそも、まだ満月には何日かある筈なのに……そう思って見上げた先の月に、異変が起きていた。
―――人の理、違いを恐れる世界の運命。
桜の声は続く。
そして、その声が響く中で……満月は、徐々にその姿を変えていった。
「欠けて……? ううん、違う。これは……月蝕?」
―――誰もが同じであった時を、貴方達は忘れてしまったから。
普通の満ち欠けとは違う形で欠けてゆく月。
僅かに赤茶けた輪郭を残すそれは、かつて元の世界で見た事のある月蝕に似ていた。
訳が分からない……どうして、こんな現象が?
―――遍く影は貴方と同じ。遍く闇は私と同じ。
「何だよ……一体なんだってんだよ!?」
「落ち着きなさい!」
騒ぎ出す兵たちを怒鳴りつけ、アタシは天空の月を―――月食を睨む。
聞きたいのはこっちの方よ……さっきから響いてるこの声も、この不可思議な現象も、一体何がどうしたって言うの!?
―――だから私は恐れない。同じであった時を知っているから。
月は、言葉に従うようにその姿を変えてゆく。
そしてふと、アタシは自分自身の力である水面に、その姿が映っている事に気が付いた。
―――月蝕の向こうから手を伸ばす、無数の亡霊の姿に。
「ッ……!?」
総毛立つ、とはこの事か。
咄嗟に、アタシはこの水面……桜を封じた場所から跳び離れる。
ガープもその獣じみた勘で何かを感じ取ったのか、アタシと同じ方向に跳躍していた。
―――それは御七夜の果て、天に浮かぶ異界への門。
他の連中はそれに気付かないのか、上空ばかり見上げて何やら騒いでいる。
どうしてアレの危険さに気付かないんだと、思わず叫びたくなったけれど……どうやら、そんな暇は無いようだ。
そして―――月は、完全にその姿を消した。
―――さあ、還りましょう。
刹那―――アタシの水面から、黒い何かが溢れるように噴出し始める。
アタシの水じゃない……アタシの力は、あの場所から完全に吹き飛ばされてしまった。
なら、アレは一体……!?
「ッ、桜……!?」
その中心にあったのは、先ほどと服装の変わっている桜の姿だ。
動きやすそうな黒の服とは違い、流れるような漆黒のローブをその身に纏っている。
俯いた、その表情は見えない。けれど……アタシの直感が、最大級の警鐘を鳴らしていた。
アレは―――拙い!
「超越―――」
吹き上がった黒い何かは、地面に落ちて広がり始める。
それは、桜の着るローブに繋がっていて……アレは、影?
分からないけれど……アレは、アタシの力に似ている。触れるのは、危険だ。
そして―――桜が、顔を上げた。
涙に濡れた、その顔を。
「―――《魂魄:魂喰らいの月蝕門》……!」
月の喰らい尽くされた漆黒の闇夜に、広がり続ける黒い影―――そこに、一つの異界が完成していた。
《SIDE:OUT》