135:アルメイヤ防衛線
戦は始まり、神と邪神の力はぶつかり合う。
《SIDE:MASATO》
「……見えてきたな」
「ああ」
オレが小さく呟いた言葉に、煉が頷く。
アルメイヤの北側、ディンバーツ帝国が攻めて来るであろうと言われていた場所。
黒い外壁の上に立ったオレ達は、静かに奴らが近づいてくる様を観察していた。
黒い鎧に身を包んだ軍勢、ディンバーツ帝国軍。
オレの目にはその姿がようやくはっきりと映るようになっていたが、煉はとっくの昔にその姿を捉えていたようだ。
「どうやら、計算は当たっていたようだな……発見より五日、程なくして奴らは辿り着くだろう」
「ここからでも狙撃できますが?」
「いや、必要無い。離れた位置から勢い付させてしまったら、対応が難しくなってしまうからな」
外壁に銃身を預け、スコープの中を覗き込みながら言い放った煉の言葉を、マリエル様は苦笑しつつ否定した。
助走をつけさせると面倒だ、という事だろうか……オレには、良く分からないが。
ともあれ、今は彼女が指揮官なのだから、話は聞いておくべきだろう。
「では、そろそろ準備を始めるぞ……総員に通達しろ! 門を閉めるのだ!」
「はっ!」
マリエル様の副官らしき人猫族の女性が敬礼し、伝令兵への通達を開始する。
ここまで門は開けたままにしておいた。奴らが来た時に油断させる事と、奴らがオレ達の存在を知っていたかどうか確認するためだ。
もしもディンバーツ帝国がこの街に間諜を潜り込ませていたのならば、オレ達が防御体勢を取っている事を知ってるただろう。
もし知らないのであれば出鼻を挫く事が出来、そこに付け込む事が出来るだろう。
そして仮に知っていたとしても、こちら側にそれほどデメリットがある訳ではない。
「さて、どう……?」
マリエル様の小さな声が聞こえる。
そしてその声は全て発せられる前に、巨大な門が軋む音によってかき消された。
距離としては、発見したとしても早すぎる対応―――向こうとしても、予想外なタイミングの筈だ。
さて、相手はどう反応する?
「……見えました。どうやら、困惑しているみたいです」
「ふふ……成程、それは僥倖だ。まずは賭けに勝ったな」
「まだ小さな賭けですけど……一つ一つ勝利してゆく事が大事ってトコですかね」
「そういう事だ……では総員、戦闘準備! 兄上はくれぐれもマサトの真似はせぬよう!」
「何ぃ!?」
……と言うより、突っ込むつもりだったのか。
一応、本人としては兵を先導するつもりなのだろう。だが、自分の立場位は自覚して貰いたい。
と言うか、そもそも近衛騎士隊の方は矢を射かける役目の方だろう。
一応、王子もその手に弓を持ってはいるが。
「マリー、マサトにばかり戦わせて、我等は縮こまっているつもりなのか!」
「適材適所だ。そもそも、兄上には敵兵を矢で射抜くという重要な仕事があるだろうが。
我々の中で最も弓に秀でているのは兄上だ」
「同じ仕事ならばフレイシュッツ卿にもこなせるであろうに……仕方ないな」
どうやら、一応は納得してくれたらしい。
まあ、オレとしても、あまり隣で戦う人間は欲しくなかった所だ。
今のオレは、刀と脚部鎧に精霊を付加した状態だ。足にはいつも通り風の精霊を、そして刀身には相手を威圧する目的を込めて炎の精霊を。
精霊付加の中でも炎は特に破壊力が高く、下手をすると周囲の仲間も巻き込んでしまうのだ。
そういう意味では、オレ一人での防衛と言うのはある意味都合がいいのだが。
ちなみに、椿は精霊と同時に入る事は出来なかったので、柄の方に宿って貰った。
『やれやれ……人間相手に共同戦線とは、いつかの事を思い出すな』
「……ああ、そうだったな」
思わず、苦笑する。
そう言えば、オレが初めて人間を殺したのは、椿と共に暗殺者ギルドの刺客を倒した時の事だったな。
別に忌避してきたと言う訳でもなかったが、人間相手の争いに巻き込まれる事が少なかったのも事実だ。
その次の機会がこんな戦いになるとはな。
『辛いか、誠人?』
「言っただろう、そういう嫌悪感は切除されている。それに、その事に関しても、最早どうでもいい」
決めたのだ。オレは、家族を護る為に努力すると……その為に戦い、強くなると。
これは、家族を護る為の戦いでもある―――ならば、敵を殺す事にどれほどの躊躇いがあるだろうか。
オレは、己の願いと価値を見出した。だから―――
「オレの身内に手を出すって言うのなら、排除してやるだけだ」
『……ふ、そうだな』
オレの言葉に、椿は小さく笑う―――流石に、その姿が見える訳ではないが。
いつもの桜の体を使っている時とは違う、若干低い声。
これこそが、椿本来の声なのだろう。
その本来の姿を見てみたくない訳ではないが、オレと椿はこの形でなければ、回帰に至る事は出来なかっただろう。
こうなると、むしろ作為的なものすら感じるが……過去の事を離した所で意味は無い。
今はただ、この力をいかに効率的に使うかを考えるべきだろう。
「さてと……煉、どうだ?」
「……今は、まだ見当たらない。後ろの方に布陣してるのか、それともいないのか……流石に、判別がつかねぇよ」
「そうか……」
出来ればガープと戦いたかったのだが、いないのならば仕方ない。
煉としても同じ心持ちだろうが……流石に、個人の感情で国を危機に晒す訳には行かない。
煉の中では、己の価値観同士がぶつかり合っていると言った所だろうか。
水淵の事を『奪おうと』するのも、そしてこの国を護ろうとするのも、その価値観から発せられた事だからだ。
本人の中で折り合いがつけられているのかどうかは知らないが、とりあえずこの場を離れようとする気配は無い。
『さてと、そろそろ降りるか?』
「ああ、そうだな……頃合だろう」
椿の言葉に頷き、オレは外壁から身を乗り出す。
そして脚部鎧に付加された精霊達が、オレの意思に従って緩やかに風を逆巻かせ始めた。
門は完全に閉まり、敵を迎え撃つ体勢は出来ている。後は、オレがその前に立つだけだ。
「……では、行って来る」
「ああ、気をつけろよ」
「こちらほどでは無いだろうが、お前もな」
苦笑交じりに言葉を交わし、オレは地面へと飛び降りた。
着地の衝撃を風の精霊の力で緩和しつつ、ゆっくりと身体を起こして前を見据える。
―――敵は、かなり近い場所にまで近付いて来ていた。
『……回帰は使うのか?』
「いや、必要無いだろう。ガープと戦うまで使うつもりは無いからな」
オレと椿は、共に回帰に必要な願いと価値を定めた。
オレ達二人の《欠片》を合わせれば、回帰にまで届く事は、己の感覚で感じ取る事ができる。
実際に使った訳では無いから、その全容が分かる訳ではないが……一応、戦いの前に確かめる位はしておいたほうが良かったかもしれないな。
まあ、この程度の有象無象ならば……普通に未来を視るだけでも、対応する事は容易い。
「―――行くぞ、椿。共にこの国を、オレ達の……桜の居場所を護ろう」
『お前は良く分かっているな……ふふ、ならば遠慮なく行こうか』
椿の言葉に頷き、オレは前を見据える。
ディンバーツ帝国軍は、アルメイヤから少々離れた所で停止し、そこで布陣したようだ。
どうやら、こちらが防御体勢を整えていた事に気付いたようだな……困惑した様子が見て取れる。
そんな彼らへと向けて、マリエル様が声を張り上げた。
「我が国の領土を侵害するディバーツ帝国軍に告ぐ!
軍の演習を行うとの報告は聞いておらず、また我らリオグラスの領土へと踏み入れる行為は決して許される事ではない!
即刻この国より退去せよ! さもなくば、我らは容赦なく貴公らへの攻撃を開始する!」
風の魔術式でも使っているのだろう。その声は、大きく響き渡った。
帝国軍にもしっかりと聞こえたはずだが……さて、どう出るか―――っ!
「ち……ッ!」
未来に見えた光景に舌打ちし、オレはその場から飛び上がった。
相手の攻撃を迎撃する際のコツは、徐々に力を抑えてゆく事。
それによって見える未来と実像がゆっくりと重なってゆくのだ。
今回も、オレが見た『黒い炎がマリエル様へ向かって飛んでくる』未来と、その実像を結びつかせる。
そして―――炎を纏う刀の一閃で、その一撃をかき消した。
……しかし、いきなり攻撃とはな。しかも、今のは邪神の力が混ざっていたぞ。
「どうやら、リオグラスの将は腰抜けの愚か者ばかりのようだな!
そんな所で縮こまっていても、敗北を待つだけだというのが分からないようだ!」
聞こえてきたのは星崎の声。
挑発しておびき出そうというのか、はたまた本気で言っているのか。
どうにした所で、篭城というのは立派な戦術だ。勝てる見込みがあるからこそやっているのである。
ゼノン王子でも、このような安い挑発には乗りはしない。
何かと戦バカのような気はするが、それでも戦いというものがどのようなものなのかは心得ている。
「それが貴公らの解答か……ならば、後悔するがいい!」
マリエル様の声が響く―――刹那、煉の銃声が轟いた。
そしてそれと同時、先頭へ出てこちらへと声を上げていた星崎の頭が弾け飛ぶ。
……殺すつもりでは無いと言うか、《魔弾の悪魔》を放たなかったのは節約の為なのだろうが、出会いがしらの一撃は半ば挨拶代わりになって来ている気がするな。
そしてやはりと言うか何と言うか、あの程度では死ななかったらしい。
すぐさま頭部を再生させた星崎は、こちらへと向けて突撃を始めた。
「さて―――」
ここからは、オレの出番だ。
奴は恐らく、弓を射掛ける事で城壁の上の兵を押さえ、その間に門を破ろうとしているのだろう。
方法としては定石だし、それが悪いと言う訳ではない。
が―――オレがいる以上、それを許すつもりは無い。
「炎よ……!」
刀が炎を纏う。
灼熱の熱量を放つそれは、しかし刀身を熔かす事無く、突撃してくる星崎達へと向けて解き放たれた。
星崎は咄嗟に反応して、防御系魔術式を展開する―――が、詠唱無しで発動できる程度の魔術式に、精霊の力が防げる筈が無い。
こちらへと突撃して来ていた第一陣が、爆裂する炎によって吹き飛ばされたのを確認して、オレはゆっくりと地面に着地した。
オレの立っている場所は、矢の届く範囲の内側。
炎を纏う刃に押されて足を止めた兵士達は、アルメイヤから放たれる無数の矢に射抜かれて地面に倒れ伏した。
その様を眺めながら、オレは口元に小さく笑みを浮かべる。
重心を低く落とし、刃を構え―――オレの領域に入って来た者を、一刀の内に斬り捨てる、その覚悟を決める。
「さあ、死地に入ってくる覚悟があるなら、突撃でも何でもしてくるがいい。貴様らの首……このオレが、一つ残らず貰い受ける」
「ッ……舐めるなよ神代ッ! お前が、俺に勝てると思ってるのか!」
「苗字で呼ぶなと言った筈だ、星崎……桜やフリズに敗れた程度のお前が、オレに勝てると思っているのか?」
以前は確かに苦戦したが、今のオレ達は力を使いこなす事が出来る。
コイツがいくら速かろうと、来る場所が分かっている攻撃を躱す事など、赤子の手を捻るよりも容易い。
「さあ……精々、長々と付き合って貰うぞ」
―――そう呟き、オレは駆けた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:SAKURA》
遠雷のように、聞き覚えのある音が響き渡る。
「銃声……戦いが、始まったんだ」
この音は、きっと煉さんの背信者の発した音。
戦いが始まったっていう事なんだろう。
静かに頷いて、私は気を引き締める……マリエル様やいづなさんは、こっちに水淵さんが来るかもしれないと言っていた。
こちら側には、あまり多くの兵士はいない……私が、何とかしないといけないから。
『……あまり気負いすぎるのも良くないのですよ、サクラ』
「フェゼニアちゃん……うん、ありがとう」
でも、頑張らないといけないのは確かだから。
精一杯、やらないと……うん、頑張ろう。
きっと、誠人さんもお姉ちゃんも頑張っているんだから。
『……立派になったのですね』
「え?」
『みゅ、何でもないのですよ』
よく聞こえなかったけど……まあ、いいか。
さてと、とりあえず、結界があるからいきなり内部に転移してくるような事は無いと言っていたけれど、門の近くにくる事はあるかもしれないしね。
気をつけておかないと―――
「―――え?」
視線を上げて―――私は、思わず目を向いていた。
視線の先、この南側の門から少し離れた場所。
そこの地面に、黒い水溜りが広がっていたのだ……そう、シャルシェントで、あの星崎という人が出てきたのと同じように。
これは、間違いない……あの人が、来ようとしているんだ。
「ッ……!」
悪い予想ではあったけれど、ぴったりと的中してしまった。
これは、いけない……私が、何とかしないと―――
『―――サクラ』
「あ……ミ、ミナちゃん?」
と、ふと聞こえた声に、私は思わず虚空を見上げていた。
そうだ、ミナちゃんの力が私にも繋がっていたんだった……もしかしたら、ミナちゃんは私が考えていた事も全部知って?
『ん……一人じゃ、ないよ。みんな、ついてる』
「あ……うん、そうだね」
ミナちゃんの優しい声が、私の緊張を解してくれる。
うん……大丈夫、焦らない。落ち着いていける。
私の視線の先では、黒い水溜りのみなもが盛り上がり、そこから幾人もの人影が現れる。
その中にいる薄紅の髪……水淵さんの姿を確認し、私は視線を細めていた。
やっぱり、来てしまった……煉さんには悪いけれど、手加減できるような相手ではない。
だから―――
「……本気で、行きます」
―――私は、静かに意識を集中させた。
《SIDE:OUT》