132:家族
家族を護る事。そして、護れるように強く在る事。
《SIDE:MASATO》
黒い外壁の上を歩きつつ、オレは街の中を無言で見つめていた。
大きい都市ではあるが、ニアクロウほどではなく、人の量もあそこほどではない―――まあ、あの街が多すぎるだけとも言えるが。
赤茶けた煉瓦の建物が多く、赤い屋根が立ち並ぶ光景は中々に壮観だ。
まあ、見た目で言うならば、白亜の都と言われるフェルゲイトには遠く及ばないだろうが。
「……ふむ」
小さく、呟く。
行軍中は刀の中に―――というよりも柄にだが―――入っていた椿は、今は桜の所へと戻って行っている。
流石に、普段からこの中に入っている必要性は無いからな。
オレ一人では任意に未来を見るのは難しいが、何かあれば椿の方が気付けるだろう。
つまり、オレは今完全に独りだと言う事だ。
「……まあ、都合は良いか」
これから先、間違いなくディンバーツ帝国との戦いになる。
その時、今のオレでは間違いなく力不足となってしまうだろう。
脳裏に浮かぶのは、フリズや桜の戦っている姿だ。
あの二人は放出系の《欠片》を持っているからこそ、あれだけの力となっていたのだろうが……例えどのような力であれ、この先では回帰の力が必要になる事だろう。
覚悟を決めなくてはならない……オレの願いと、価値観を。
「願い……それに価値観、か」
また、厄介な物が条件になっているものだ。
エルロードが決めたという訳では無いだろうが……あの女は一々疫病神だな。
「いや―――」
そこまで考え、一度思考を止めた。
オレは今まで、あの女は敵であると考えて来ていたが―――あの邪神との戦い以来、別の側面が見えてきた気がするのだ。
あの時アルシェールは、エルロードが幸せな結末を探す為に行動しているというような事を言っていた。
実際に目の当たりにして、あの女のアルシェールに対する愛情だけは本物に思えたしな。
あの薄ら寒い笑みを浮かべている神も、家族にだけは違った態度を取ると言う訳か。
「家族、か」
それは、出来るだけ考えないようにしてきた事だ。
否が応でも、元の世界にいた時の事を……幸せに暮らしていた時の事を思い出してしまうから。
両親と、弟と妹と―――ありふれた幸せを壊したのは、他でもないエルロードだ。
それに関しては、決して許すつもりは無い。けれど―――
「……あの女も、オレと同じなのかもしれないな」
オレと同じで、ただ家族を大切にしていた……ただ家族を護りたかった、それだけなのかもしれない。
そう考えてしまってからは、奴を憎むのが難しくなってしまった。
決して奴の事を許している訳では無いが、その想いに共感出来てしまうのだ。
無論、奴が本当にそんな存在なのかは分からないが……もしオレが奴の立場だったとしても、同じように何を利用してでも家族を幸せにしようとしただろう。
家族を思い、家族を幸せにしようとする……本当に同じ思いを抱いているのならば、最早抱ける憎しみは近親憎悪だけだ。
この世界に来た当初は、奴に対する報復ばかりを考えていたと言うのに、本当に滑稽なものだ。
「だが、それなら……奴の願いは、何だ」
あの女は、オレ達と同じような存在であると言われていた。
《神の欠片》の力を持ち、その力ゆえに人の領域を超えてしまったと。
ならば、奴も回帰や超越の力を持っているのだろう。
条件を明かさなかった理由は知らないが、奴もオレ達と同じように何らかの願いを抱き、その力に至ったのだろう。
ならば奴が抱いた願いとは、奴が抱いた価値観とは……一体何だ?
「―――他者の願いは、関係ない」
「む……?」
唐突にかけられた声に、振り返る。
そこにいたのは、意外な事にたった一人で立つミナだった。
普段は煉と一緒にいる筈なのだが、どうしてこんな所に?
「……回帰に必要なのは、他者に影響されぬ強い価値観……他の人の言葉で揺らいでしまう程度じゃ、まだダメ」
「詳しいな?」
「わたしも、使えるから」
ミナも回帰を持っているからな……放出するタイプの力では無いし、戦闘向けではないようだが。
しかし、そうなるとオレの力も戦闘とは直接関係の無い物になってしまうのだろうか?
それでは困るのだが……いや、これは実際に使えるようになってから考えるべき事か。
獲らぬ狸の皮算用でしかない。
視線を逸らして肩を竦めるオレへ、ミナは言葉を続ける。
「貴方の願いは……家族に関するもの?」
「……まあ、そうだろうな」
オレにとって最も大切なものが家族だった。
両親と、弟や妹……そんな環境に囲まれて過ごす日々に、至上の幸せを感じていた。
ある意味では、フリズに似ているのかもしれないな。
「……いづなと、サクラ」
「うん?」
「それに、わたしたち……みんなは、家族じゃないの?」
「な―――」
その、ミナの一言に……オレは言葉を失っていた。
何か、核心を突かれたような、そんな感覚―――思ってもみなかった事だ。
いや、考えないのは当然なのか?
共にいる事……それは、家族にとって当たり前なのだから。
ミナは小さく微笑み、踵を返す。
「お、おい?」
「愛して、愛されて……家族である事は、きっと優しくて、嬉しい事だから。
だって、この世界で……こんな世界で、独りぼっちにならなくて済むのだから」
こんな世界、という言葉で僅かに滲んだ感情に、オレは思わず目を見開く。
それは、心優しく全てを包み込もうとするミナには似合わない、憎悪にも似た感情だったから。
けれどそんなオレの様子はお構い無しに、ミナは肩越しに振り向き、その口元に淡い笑みを浮かべた。
「皆を愛する事が、わたしにとっての価値……それが、わたしだから。貴方は、貴方の価値を。
それがどんな物であれ、きっと皆は祝福してくれる……わたしたちは、互いが本当に大切だから。
だから……貴方は、貴方の答えを見失わないで」
そう一方的に告げて、ミナはそのまま去って行った。
小さくなってゆく背中を見送るが、脳裏に浮かんでいたのは彼女の言葉ではなく、仲間達の姿。
冗談を言って笑い合える煉。料理をしていると手伝ってくれるフリズ。優しく皆を見守るミナ。
同じ力を持ち、似たような思いを抱き……共感できるのは、椿だ。
こんな姿になったオレを慕い、オレを助けてくれる桜もいる。
そして、この世界に来た当初から、オレに手を貸し続けてくれたいづな。
この世界で手に入れる事が出来た、かけがえのない絆。
「……オレは、過去の事ばかりに目を向けていたのかもしれないな」
小さく、苦笑する。
未来を見る能力を持っているくせに、使い手がこんな事では、能力も浮かばれないだろう。
叶わぬ願いに手を伸ばせなかったのは、伸ばそうとしていた場所が過去だったから。
願いを得るには、未来へと向けなければならないと言うのに。
「オレの、願いは―――」
《SIDE:OUT》
《SIDE:IZUNA》
「うーむ……」
外壁内の視察を終え、うちはさくらんと一緒に外壁の上へと出て来とった。
非常に防衛に向いた構造ではあると思うんやけど、特に魔術式が込められとるって訳でもないみたいやね。
「どうでした、いづなさん?」
「相手の出方と、あの子の能力によりけりってトコやなぁ……あの力で投石器まで運んで来れたら厄介や」
まあ、普通に進軍する形で持ってくる可能性もある訳やけど、それは組み立てを邪魔すりゃ何とかなるし。
ああいう巨大なモンなら、煉君の《魔弾の悪魔》の力で一気に破壊できるやろ。
若干勿体無い気はするんやけど、ミナっちが戦闘に参加しない以上は、魔力供給の方も期待できるやろうし。
いや、それより―――
「いっそミナっちには、この外壁を全て鉄でコーティングして貰うのもええかもしれへんなぁ」
「そ、それはいくらなんでも……」
「……うん、分かっとる。半分冗談や」
いくらミナっちの立場が危うくなる恐れが無くなったとは言え、創造魔術式はなるたけ隠しといた方がええ代物やからな。
他者に見せるにしても、一定時間で消えてまうという風にしといた方がええやろうし。
そうでもせんと、周囲からあれを創れこれを創れと言われかねん。
流石にそれはうちとしても望む所やないし、そういう訳にもいかんやろ。
「……やっぱ、岩の迎撃は煉君とさくらんに任せるしかないかなぁ。一応、精霊付加したまーくんに頑張って貰うっちゅー案もあるんやけど」
「でも、剣で飛んでくる岩を迎撃するのって、危険じゃないですか……?」
「せやね……同じ理由で、フーちゃんも無しや」
と言うかフーちゃんはもっと無しや。
体の強度を強化しとっても、反動で腕がへし折れかねん。
やっぱり、一番確実なのはさくらんやね。
「ま、しゃあないか。頑張って貰う事になるかもしれへんけど、大丈夫?」
「ぁ、はい……大丈夫です」
回帰を使えるようになったおかげか、さくらんも中々自信がついてきたみたいやね。
昔は結構消極的やったし、ええ傾向かもしれへんな。
まあ、おかげでつばきんがちっと寂しがってるような感じやったけど、そっちの方も何となく吹っ切れてきたみたいやし。
やっぱり、力を使う為の覚悟を決めると、皆変わってくるモンなんやなぁ。
「あ……」
「おん?」
ふと、さくらんが零した声に視線を上げる。
そっちの方を見てみれば、そこにいたんはこちらへと歩いてくるミナっちやった。
ミナっちが一人きりっちゅーのも珍しいなぁ。まあ、何か困った事があったらリコリスさんを呼ぶんやろうけど。
ミナっちはうちらの姿を見て小さく目を見開くと、そのまま少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
あー、美少女の笑顔は癒される……やなくて。
「ミナっち、どないしたん?」
「ん……人生、相談?」
「……何やそれ?」
人生相談って……ミナっちが相談される側?
いや、ミナっちなら普通はする側のような気がするけど、どっちなんやろ?
「……二人とも、この先に行って」
「ぇ、と。ミナちゃん?」
「マサトが、いる。話を、してあげて……きっとその方が、自分の思いを確かめられるから」
「え、えーと……と、とにかく、まーくんと話をすればええん?」
「ん」
コクリと、ミナっちはいつも通りの様子で頷く。
こういう時だけいつも通りにされても困るんやけど……やっぱり、時々良く分からん子やなぁ。
とりあえず言いたい事は分かったし、ミナっちが言う事やから害は無いやろうけど。
とにかく向こう側にまーくんがいて、まーくんと話をして来いっちゅー事やね。
……つくづく、何でミナっちがそないな事を言うんかが分からんが、まあええやろ。
「とりあえず、了解や……ええよね、さくらん?」
「ぁ、はい」
「んじゃあ、そういう訳で……ミナっち、また後でな」
「ん……また、後で」
ミナっちは再び頷き、そのままうちらの横を通り抜けて去っていった。
何となくその背中を見つめつつ、小さく息を吐き出す。
「ホンマ、不思議な子やなぁ」
「ですね……」
それでも警戒されないんは、つくづく邪気が無いからやろうけど。
とまあ、ミナっちの事はともかく、この先にまーくんがおるんやったね。
「……ミナっちとまーくんて、ツーショットやと見ない組み合わせやね」
「ミナちゃん、意外と誰とでも話せますけどね……仲間内だと」
「まあ、まーくんの方から話しかける事があらへんから、殆ど会話にはならへんけど」
今回はまーくんからなんか、それともミナっちからなんか。
正直そこはどっちでもええ所やけどね。
「とにかく、行ってみよか」
「あ、はい」
うなづいたさくらんにこちらも頷き返しつつ、うちらは歩き出す。
黒い外壁の上では、黒服のさくらんはともかく、他の色を持つうちやまーくんは良く目立つ。
おかげで、歩き出してから程なくして、その姿を発見する事ができた。
まーくんはじっと街の外見つめたまま、微動だにしない。
「……外見張るには、ちっと気が早すぎるんやない?」
「! ……いづな、それに桜もか。どうしてここに?」
「ぇと……中の視察を終えて、出てきた所です……その、誠人さんは?」
「ああ、少しな……」
何やろ?
いつも仏頂面しとるまーくんにしては、妙に晴れやかな表情やね。
何か、ええ事でもあったんやろか?
「……なあ、二人とも」
「は、はい」
「おん? どないしたん?」
「二人は……オレの事を、どう思っている?」
「……は?」
「ぇ……ええっ!?」
いや、まーくん。よりにもよって、それをうちら……っちゅーか、さくらんに聞くん?
うちの解答はまあ、それなりに来まっとるんやけど。
「前、言うたやろ? まーくんは、うちの相棒やて」
「ぇ、ええと、ええと……そ、その!」
「……や、さくらん、テンパり過ぎ」
真っ赤になって慌て出すさくらんにツッコミを入れつつも、うちはまーくんの方へと視線を向ける。
今の感じ、正直そういう意味で聞いて来たんとは違うような気がするんやけど。
ホンマに、どないしてそないな事を聞いて来たんやろ?
「そ、その! とっても、大切な人です!」
「……ありがとうな、二人とも。オレにとっては、お前達……そして仲間達は、家族のようなものだな」
「や、まーくん……それこのタイミングやとちっと酷い―――」
「か、家族……!」
「あれ、さくらん!? なんか妄想が一気にステップアップしとらん!?
何かこう、リアルな意味での家族まですっ飛んでっとるような気がするんやけど!?」
上気してだらしなく崩れた笑顔で、陶酔気味に呟くさくらんに、うちは思わずツッコミを入れる。
あれ、こんな子やったっけ、さくらんって?
ちゅーか、まーくんも何故に突然こないな事を言い出したんや?
「……家族は、オレにとって最も大切なものだ。それは、向こうの世界でもこちらの世界でも変わらない。
だから……家族と共に生きる事こそが、オレの願いだ」
「え……まーくん、それって」
「そう。そして、家族を護れるほどに強くある事こそが、オレにとっての価値。今では桜の方が強いかもしれないが……どうか、オレにお前達を護らせてはくれないか」
「ぁ……は、はいッ!」
成程……人生相談て、これの事って訳やね。
まーくんの願いと価値―――回帰へと至る為に必要な要素。
元の世界の家族の事も、きっとその誓いの中に含んどるんやろう。
それは届かぬ願いかもしれへんけど……それに手ぇ伸ばすだけの、覚悟を決めたっちゅー事か。
……うん、安心した。
「やったな、まーくん。ほんなら、しっかり頼むで」
「……ああ、任せてくれ」
いって、まーくんは笑う。
うちですら滅多に見た事の無い、この世界に来てからずっと悩み続けてきた、神代誠人の笑顔やった。
《SIDE:OUT》