128:帰還の前に
誰よりも優しく、誰よりも傲慢に。
《SIDE:MINA》
わたしは、一人神殿の中を歩く。
日が落ちて、廊下を照らすのは小さな燭台の光だけ。
石造りの灰色は、その小さな明かりに照らしだされてぼんやりと揺れていた。
「……」
本来は立ち入り禁止の場所なので、周囲に人の気配はない。
まあ、わたしが会いに来た人が人払いをしていたからと言う理由もあるのだろうけれど。
コツコツとわたしの靴は音を立て、その足はゆっくりと目的の場所へと近づいて行った。
―――そう、お姉さまの部屋へと。
「あと、少し」
お姉さまの部屋は、辿り着くのは難しく、抜け出すのには容易い構造をしている。
迷路のように入り組んだ通路の先、この神殿の中心部の辺りに位置していて、普通に歩いてゆくにはかなり時間がかかる。
けれど、お姉さまの部屋からは出る事だけが可能な一方通行の通路があるので、抜け出すのは結構簡単だ。
この神殿を造った人は、本当によく考えているんだな、とその話を聞いた時には思った。
「ここの角を、曲がって……ん」
最後の角を曲がると、そこには燭台も何もない真っ暗な通路が続いていた。
本来なら、ここにも何らかの仕掛けがあるんだろう。
けれど―――今回は、道案内をしてくれる子がいるみたい。
『キュルルルルル……』
「……火蜥蜴。案内、してくれるの?」
『キュル!』
炎が鬣のように揺らめいている幻獣、サラマンダー。
これも、お姉さまが創造魔術式で創り上げた存在だろう。
この通路の闇の中には、様々な幻獣の気配がしている。案内が無ければ、瞬く間に食い殺されてしまうだろう。
けれど、ここさえ通り抜けてしまえば、後はお姉さまの部屋に入るだけだ。
小さく頷いて、わたしはサラマンダーの後ろを歩きだす。
周囲に満ちる幻獣の気配は、わたしには好意的に思える……わたしも、お姉さまと同じだからだろうか。
ともあれ、わたしは闇の中を通り抜け、お姉さまの部屋の前へと辿り着いた。
「……ありがとう」
『キュル』
礼には及ばない、と言う感情がわたしに伝わってくる。
お姉さまが創り上げる幻獣には、きちんと魂が存在している。
とはいえ、魂まで創造している訳ではない。器を創り上げる事で、魂が自動的に入り込んでくるのだ。
わたしや、お姉さまもそうだった。
そして、わたしの魂は―――
「―――お姉さま」
『ミーナリアか。待ちくたびれたぞ……さあ、入るがよい』
「ん」
ノックをしつつ放った呼びかけに、どこか上機嫌な声が返ってくる。
わたしは頷き、ゆっくりとその扉を押し開けた。
最初に見えたのは、大きな白い翼―――天馬の翼。
豪奢な椅子に座ったお姉さまは、後ろにペガサスを控えさせながら小さく微笑んだ。
「手狭になってしまっていて、済まぬな。護衛代わりに幻獣を創造しておけと、周囲が五月蠅いのだ」
「ん……だいじょうぶ。お姉さまの幻獣は、皆優しいから」
「ふふ、心の底からこ奴らを恐れぬのはお前だけだ、ミーナリアよ」
お姉さまは、上機嫌に笑う。わたしが嘘を言っていないのが分かったからだろう。
実際、わたしはそう思っている。
お姉さまが創り出す幻獣たちから伝わってくる心は、皆優しいものばかりだ。
創り手の事を心から信頼していて、決して害意を持っていない。
ペガサスの優しい瞳を見つめ返しながら、わたしはお姉さまと向かい合うように腰かけた。
「さて……ようやく、ゆっくりと対面して話す機会が出来たな」
「ん……」
確かに、その通り。
あの日、邪神との戦いに向かう途中に出会ってからこれまで、こうやって面と向かって話す機会は一度も無かった。
その後も、わたしの力を使ってお姉さまと話をしていたけれど、ちゃんと顔を見ながら話せるのはこれが二度目。
「では改めて……よく来てくれたな、ミーナリア」
「お姉さまの、招待だから」
「ふふ、嬉しい事を言ってくれる」
お姉さまから伝わってくるのは、純粋な慈愛の感情。
お姉さまもわたしと同じ、“母”から生まれた存在。
他者を愛するのが、わたしたちの在り方。
それが自分の身内だと言うのならば、愛するのは当然の事。
だからこそ、わたしも心から安心出来る。レンたちと一緒にいる時のような楽しさは無いけれど、ここではそれ以上の安心を得られるのだ。
「しかし、面倒な事になってしまったな」
「ん……」
お姉さまの言葉に、小さく頷く。
ディンバーツ帝国の事……邪神の力を制御してしまった国との戦争。
悲しいとは思うけれど、戦わない訳には行かない。
「ミーナリアよ、お前は此度の戦い、どう思う?」
「……分からない。帝国が、どうしてこんな事をするのか」
言って、わたしは俯く。本当に分からないのだ。
彼らが、今更領土の拡大を狙うような理由も無い。
リオグラスやグレイスレイドに対して恨みを抱いているのかと聞かれても、正直頷く事は出来ない。
昔戦争をした事があるのは事実だけれど、それは怨恨からと言うよりは、純粋に力と力のぶつかり合いだった。
そこから小さな憎しみが生まれる事はあっただろうけれども、既にそれも安定してしまった筈だ。
「そうだな……妾も、彼奴等の目的が我がグレイスレイドや、リオグラスにあるとは思えぬのだ」
「……なら?」
「さてな。お前は敵の師団長に会ったのだろう? 奴等からも読み取る事が出来なかったという事は、その情報は極秘という事であろうな」
わたしは、あの時からレンカとは顔を合わせてはいない。
けれど、お姉さまの言うとおりだろう。きっと、レンカは何も知らない。
……だから、あんな事になってしまった。
「ミーナリア、どうかしたのか?」
「……レンは、わたしの愛する人は……きっと、傷ついてしまう。それが、辛い」
「……それは、どうしようもないのか?」
「誰よりも、レン自身が……それを、望んでしまっているから」
レンカと戦う事はレンの望み。
けれど、それは辛い道だろう。レンは、どちらにした所で傷ついてしまう。
……いや、レンが負ける所なんて、考えたくないけれど。
「これは、必要な事だったのかな……?」
「さてな……それを決められる者など、何処にもおらぬだろう」
お姉さまは、肩を竦めながらそう言う。
けれど、わたしは知っていた。レンカを呼び出したのが誰であるか、レンカを敵としたのが誰であるか。
エルは、レンが超越へ至る為にレンカの存在が必要だと言っていた。
けれど、それは敵としてという事だったのだろうか。
……エルが言う事だって、分からない訳ではない。
むしろ理に適っていて、とても納得できる事。
でも―――レンが傷つくのを見るのは、わたしは嫌だった。
「わがまま、なのかな」
「やれやれ……まあ、その程度の罪ならば、妾も赦す事が出来よう。お前はもう少し我が儘を言ってもいい筈だ」
苦笑しながら、お姉さまは言う。
その言葉に、わたしも少しだけ笑った。
凄く優しくて、嬉しい言葉。けれど、それに甘える訳には行かなかった。
わたしたちは、勝たないといけないから。
だからわたしは、罪を積み重ねる。
「だいじょうぶ……きっと傷ついてしまうけれど、レンなら乗り越えられるから。乗り越えて、きっと辿り着いてくれるから」
「やれやれ……少々、妬けるな。お前の限りない愛を、一人の男が独占しているとは」
「……怒っちゃ、ダメ」
「ふふ、分かっておるさ」
悪戯っぽく、お姉さまは笑う。
一応心を読んでみても、お姉さまはレンに対しては特に害意は持っていなかった。
お姉さまは、わたしが悲しむような事はしない。
だから、そういう事では安心出来る。
「しかし、ミナよ。教えてはやらぬのか?」
「……?」
「知っておるのだろう、その超越とやらに辿り着く為の方法を。特に、お前は既に辿り着いていると見たが?」
「え……!?」
思わず、目を見開く。
確かに、お姉さまにはわたしたちの持つ力の事や、その成長段階の事は話しておいた。
けれど、どうして―――?
「ふふ……普段が無表情なだけに、驚いた時は分かりやすいな」
「……どうして?」
「まあ、勘だ。それで、お前は教えてやらぬのか?」
心を読んでみても、嘘は言っていなかった。
どうやら、本当に当てずっぽうで言っていたらしい。
小さく息を吐きだして、わたしは肩を落とす。
その反応を見て、お姉さまは小さく微笑んだ。
「やはりな……それで、教えてやらぬのか?」
「……回帰に至っていないのならば、無意味。そして、それを教えてしまったら、辿り着けなくなってしまう」
「ふむ……成程、そういうものなのか」
超越に目覚める為に必要なのは、力の大きさではない。
いや、確かにある程度の大きさは必要だけれど、それは回帰に目覚めていればすぐにたどり着けるほどの大きさだ。
本当に必要なのは別にある……でも、それを教えてはならない。
「超越は……特に、レンの力は、これから先必ず必要になる。だから、教える事はできないの」
「そうか……辛いのだな、お前も」
わたしを見つめながら、お姉さまはそう呟く。
確かに、辛い。大好きなあの人に、大切なあの人たちに何も話す事が出来ないのは。
わたしだけが、皆が欲しがっている情報を知っていて―――それを教える事が出来ないのは。
けど、これは必要な事。
分かっているんだ……ちゃんと、分かっている。
「わたしは、みんなを信じたいから……」
「良いのか?」
「わたしが辛いのも、苦しいのも……きっと、無駄じゃないって信じてる。
皆なら、必ずたどり着いてくれるって―――必ず、この世界を護ってくれるって、信じてる」
「世界、か……また、大きな話だ。お前達に任せねばならないのが申し訳なくなるほどにな」
お姉さまは、そう言って目を伏せる。
それは、まさに英雄に世界を任せるのと同じ思想……人々に染み付いてしまえば、いずれは危険となってしまうもの。
けれど、わたしたちの敵は……『邪神』というシステムは、わたしたちの力でなければ倒せない。
わたしたちが頑張らなければ、きっと届かない事だから。
だから、今回はそれでいい。
「お姉さまは、気に病まないで。お姉さまは、ちゃんと戦っているから」
「……そう、思うか?」
「力が必要になったら、お姉さまは一緒に戦ってくれるでしょう?」
わたしは、そう言って小さく笑う。
わたしが心から信頼できる、数少ない人。
仲間達や、お父様やお母様、そしてルリア―――わたしにとって大切な人たちと、一緒だから。
そんなわたしの言葉に、お姉さまも笑みを見せてくれた。
「ああ、勿論だ。大きい戦いなのだし、妾の力が必要になる事もあるだろう。その時は、遠慮なく声を掛けるといい」
「……ありがとう。でも、無茶はしないで」
「妾も、仮にも国の長だからな。その程度は心得ておるさ」
苦笑するお姉さまに、わたしも小さく笑う。
それは、仕方の無い事だ。お姉さまは、グレイスレイドの民の事も等しく愛しているのだから。
わたしの事が大切なのもあるかもしれないけれど、それでもわたしだけを優先するべきではない。
ただ、わたしを愛してくれる人がいる……それだけで、安心できるのだから。
「お姉さま」
「何だ、ミーナリア?」
「超越に至ったわたしは、そうそう死ぬ事は無い……だから、わたしじゃなくて、皆の事を護ってあげて。
わたしの力は鍵の一つでしかない……本当に必要な力は、皆が持っているから」
わたしの力、《読心》は、格は高いけれど決して戦闘向けの力では無い。
たとえ超越の力でも、補助は出来ても直接みんなを護る事はできない。
歯がゆいけれど、それが現実なのだ。
―――そんなわたしの思いを、お姉さまは酌んでくれたみたいだった。
小さく溜め息を吐きつつも、お姉さまは笑みを浮かべる。
「全く、難しい事を言ってくれるな」
「……ごめんなさい」
「謝る必要は無い。お前の頼みだし、世界の為なのだろう?
ならば、協力を惜しむつもりは無いさ」
その言葉に、わたしは心から安堵していた。
戦いは、正直かなり危うい均衡となってしまっている。いつ、どちらに転んでもおかしくない。
そう、正しく天秤のように。
だからこそ、お姉さまにはいつも味方でいて欲しい。
「さて、堅苦しい話はここまでにしよう。折角姉妹水入らずなのだからな」
「……うん」
この国の上層部の人は、わたしの正体に気付いているだろう。
けれど、あまり人に知られるべきでない事は確かだ。
だからこそわたしたちは、人目を忍んで絆を確かめ合う。
お姉さまと、わたしと―――たった二人だけ世界に残った、お母様の娘。
勿論、わたしのお母様とお姉さまのお母様は別の存在なのだけれど……それでも、創造魔術式を持つ者は、もう他にはいない。
そんな絆が、わたしたちの中にはあった。
「さて、何から話そうか―――」
もう余り時間をおかず、わたしたちはリオグラスに帰ってしまう。
仕方ない事だけれど、また離れ離れになってしまう。
だからこそ―――わたしたちは、この穏やかな時間を大切にしたかった。
《SIDE:OUT》