10:公爵からの依頼
そして、少年と少女は出会う。
《SIDE:REN》
その日、兄貴は朝から難しそうな表情をしていた。
兄貴は、いつも早くも無く遅くも無く、と言う時間に起きる。
朝早く起こされて訓練させられてる俺からすると、せめて同じ時間に起きて監督しててくれ、と言いたい。
まあ、だからと言ってサボってると朝の早いリルが兄貴に報告しちまうんだが。
が、今日に限って兄貴は俺よりも早い時間に起きていた。
しかもいつも余裕そうな兄貴が、苦虫を噛み潰したような表情をしている。
飯の時間になっても相変わらずだ。
「ジェイ様、食事の時間にそのような表情をなさらないで下さい。朝食が不味くなります」
「……せめて理由を聞くぐらいしやがれ、この不良メイドが」
そう嘆息しつつ呟いた兄貴は、何故かリコリスに向かって掌を差し出した。
何かを催促してるような、そんな手つき。リコリスはそこに、一枚の封筒を差し出した。
「……手紙? 兄貴、何で手紙が来てるって分かったんだ?」
「まぁ、ちょっとな。差出人は……まあ、予想通りか」
手紙に付いた蝋の封を見詰め、兄貴は嘆息する。
ちょっと背筋を伸ばして手元を覗き込んでみると、そこには何かの刻印があった。
あれは……家紋か?
もう少しじっくりと見たかった所だが、兄貴はさっさとその蝋を千切って封筒を開けてしまった。
うーむ、蝋で封をするって言うのはこの世界では一般的なんだろうか。
兄貴は蝋についてた紋章だけで相手を特定してた……知り合いなのは確かだろうけど、どこか有名な家とか?
その辺の知識は全く無いし、とりあえず兄貴の言葉を待つ。
「……いつか来るとは思ったが、また面倒な事になってるな」
「兄貴?」
「直接の依頼だ。依頼主はフォールハウト公爵……この国の筆頭貴族だな」
「き、貴族? しかも公爵!?」
滅茶苦茶偉い人じゃねぇか!
いくら強いって言っても、傭兵が知り合いになれるような相手なのか?
そんな俺の疑問が伝わったのか、兄貴は小さく肩を竦めると、溜め息交じりに声を上げた。
「俺はかつてこの国の騎士団に所属してた頃があったんだが、その時に後見人になってくれた人だ。
感謝してもし足りない、なんて俺が言う相手は公爵だけだな」
「へぇ……」
あの傲岸不遜な兄貴が、感謝かぁ。一体どんな人なんだかな、その公爵って。
気にはなるけど、会うとなるとちょっと気後れすると言うか。
「それはともかく、依頼は緊急性のある物だ。あまりゆっくりもしていられない。食事を終えたらさっさと支度をしろ」
「あ、俺も行くのか」
「当たり前だろうが」
いや、緊急の物だったら『足手まといになるから来るな』とか言われるかと思ったんだけど……まあ、付いて行っていいんならこっちも好都合だ。
ゲート以外の街も見てみたかったし、今から結構楽しみだな。
ま、遊びに行く訳じゃないが。そこの所は気を引き締めとこう。
しかし、兄貴の様子が気になるな。何かを気にしてるって言うか、そわそわしてるって言うか。
緊急の依頼って言ってたし、やっぱりその公爵の事が心配なのか。
まあとにかく、行けば分かるかな。
「出発は一時間後だ。高速馬車を借りる。リコリス、手配しておけ」
「かしこまりました」
まだ見ぬ街に思いを馳せながら、俺は部屋を出て行くリコリスの背中を見送ったのだった。
《SIDE:OUT》
《SIDE:JEY》
フォールハウト公爵の領地は、ゲートから南へ向かったニアクロウという土地だ。
ここは王都フェルゲイトの直前、即ち他国やゲートから出た魔物の最終防衛ラインとなる。
フォールハウト公爵は国王からそれだけの信頼を得た、まさに貴族の筆頭と言っていい人物だ。
「とは言え、武にのみ秀でた人物と言う訳ではない。政も得意としているし、領民からは善政を敷く領主として慕われている」
「へぇ……立派な人なんだな」
「わふ」
感心した表情の小僧と、うんうんと頷いているリル。
どうでもいいがな、リル。お前はそこまで面識がある訳じゃねぇだろ。
今俺たちは、借りた高速馬車に乗りニアクロウに向かっている最中だ。
この高速馬車と言うのは、馬車自体の強度を上げ、更に馬に強化系の魔術式を刻んだ装飾を装備させる事で、通常よりも遥かに高い速度を可能にした馬車だ。
無論の事特注品であるため、借りるだけでも結構な値段になる。まあ、今回は止むを得ないがな。
そのおかげもあって、普通の乗合馬車じゃ一日掛かる所を半日もせずに踏破する事ができた。
「しかし、あいつの事か……」
「あいつ?」
「ああ。今回の依頼は、公爵の娘の事だ」
ミーナリア・フォン・フォールハウト。
公爵夫妻の唯一の子供。女が家を継ぐ事が許されているこの国では、即ち跡取りに当たる人物だ。
俺にとっても少々思い入れがある奴なんだが……まあ、今はいい。
「頼まれたのは、公爵の娘の護衛だ」
「護衛? 誰かに狙われてるのか?」
「重要な立場にある公爵にとっての唯一の跡取りだ。狙われない理由が無い。まあ、今回は切羽詰って俺に連絡してきたみたいだがな」
「何かあったのか……?」
「まあ、大方予想は付くがな」
あの娘がいなくなった場合、公爵家の財産を継ぐのが誰になるか……調べれば簡単に分かる話だ。
こっちから打って出て潰しちまえば楽だが、手を出された訳でもないのに攻撃をする訳にもいかない。
こういうのは面倒なんだが―――まあ、話を受けない訳にも行かないからな。
「兄貴は……」
「あん?」
唐突に、小僧が声を上げる。
何かと思って視線を向ければ、何やら微妙な表情をした小僧がこちらを向いていた。
「あんまり、自分の事は話さないんだな」
「何だよ、藪から棒に」
「いや、ちょっと思ったからさ。兄貴が自分の過去に関する事を話したのって、今回が初めてだろ?」
「出会ってまだ大して経ってもいないのに、何言ってんだお前は」
「いやまぁ、そうだけどさ」
唇を尖らせる小僧に、小さく嘆息を漏らす。
実際の所、まだ打ち明けるには早すぎる事が多すぎた。
まあ、そうだな……今回の事もあるし、このぐらいは教えておいてやるか。
「今回、俺に依頼が回ってきた理由だがな……俺は、その公爵の娘の名付け親なんだ」
「名付け親って……兄貴がその子の名前を考えたのか?」
「そう、ミーナリアって言う名前だよ。前に見たのはもう五年近く前だが、どうなってる事やら」
あの頃から、あのガキは妙に人見知りをする奴だった。
あんなんで貴族としてやって行けるのかは心配だったが、まあ俺が口を挟む事でもない。
今回の依頼は、ミーナリアの護衛。
だがそれとは別に、一つだけ確認しなければならない事項が増えていた。
もし俺の予感が当たっていたなら、少々厄介な事になる。
「ったく、俺も面倒な事を引き受けたもんだ」
ふと、馬車の窓から外を眺める。
ニアクロウの街は、既に目に見える場所にまで近付いてきていた。
《SIDE:OUT》
《SIDE:REN》
「へぇ……でっかい街なんだな」
白い外壁に包まれた街を見て、俺はしみじみとそう呟いていた。
広い馬車のターミナルがあって、その先に巨大な門。そして門の向こう側には、ちらほらと露天や屋台の姿が見えた。
馬車って街の中まで入っていくもんだと思ってたけど、ここで降りるのか。
「ここは王都に向かう際の最終中継地点になるからな。当然人の行き来も激しい。迷子になんじゃねぇぞ」
「あ、ああ!」
リルを伴って歩き始めていた兄貴の背中を慌てて追いかける。
しかし、本当に人が多いな。ゲートとはまた違った活気がある。
あっちは荒くれ者が多いというか……視界に入る内の6割ぐらいは武装した人間だった。
けど、このニアクロウはそんな事は無い。武装した奴もいない訳ではないけど、どちらかと言えば観光客の方が多いみたいだ。
門の所に立ってる兵士に、通行手形を見せて中へ。
案外スムーズに通らせてくれるもんなんだな。あんまり厳密にやってると人が詰まるからか。
街の中はさっき見たとおり、露天や屋台、そして土産物屋が見える。
この辺りは馬車の乗り場のすぐ近くだからかな。こういう所はもといた世界と変わらない。
しかし、凄い賑わい様だ。昼過ぎから夕方に掛けての商店街とか、そんな感じ。
「……相変わらず、しっかりとした政治をやってるみたいだな」
「兄貴?」
「何でもねぇよ。行くぞ」
俺に背を向けたまま、兄貴はさっさと歩いていく。
けれど俺には、兄貴が小さく笑っている確信があった。
やっぱりいい人みたいだな、公爵って。
兄貴の背中を追いかけつつも、俺は辺りに視線を巡らせていた。
目に入るのはもっぱら屋台だ。俺の世界でも見た事のあるような物や、全く見た事ない物まで様々。
食べ物が多く、量の割にちょっと高いのはお約束か。
それに、人が多いだけあってさまざまな人種を見かける。
まず、俺や兄貴と同じ、ヒューゲンと呼ばれる種族。俺達の世界で言う人間だ。
そして、リルと同じ人狼族、人猫族、龍人族などの亜人種。
また、俺達の言う所のエルフであるエルフィーン、ドワーフっぽいニヴァーフ。
この世界では、こう言った様々な種族を総称して人間というらしい。
地方によっては差別によって、人間と認められていない種族もあるらしいが、この国ではそんな事は無いそうだ。
見かける奴は大体ヒューゲンか亜人種だな、この辺りは。
……っと、辺りを見てたら兄貴に置いてかれかけてたみたいだ。
さっさと追いかけ―――
「……え?」
瞬間、俺は思わず硬直していた。
視界の端に入った人物、その白い髪に。
「あ、ま……ッ、兄貴!」
兄貴を呼ぼうとするが、その姿はもう既に人垣の向こう側。
早く追いかけなければはぐれてしまうだろう。
けれど。
「―――ッ!」
再び視界に収めた、白い髪の少女。
通りを曲がって路地に入ろうとしている彼女は、一瞬俺の方を振り向き、俺の眼を見つめ―――小さく微笑んだ。
俺がこの世界に来たあの日、一瞬だけ見かけた白い髪の女の子。
兄貴によって伝えられた事実は、そいつこそが旅人の神だと言う事だった。
間違いない、あいつは……俺をこの世界に連れてきた張本人だ!
咄嗟に、人の群れを押しのけてその路地へと駆ける。
壁に手を着いて勢いを殺しながら中を覗き込めば、奥の方にある角を左へ曲がる人影。
「何のつもりだ……!」
訳が分からない、正体不明の真意の掴めない神。
けれど、彼女に会えば俺は元の世界に帰れるかもしれない!
地面を蹴って、俺は彼女の姿を追いかけた。
角を曲がってみてみれば、白い髪の端が右に曲がる角から僅かに見える。
それを追いかけていけば、今度はまた右へ。そして次は左。
次に見えた通路は、ただ直進するしかない長い道。
その出口に立つ白い髪の少女は、俺を見つめながら小さく笑む。
「――――」
何だ、何を言った?
僅かに口元を動かし、彼女はその通路の出口へと姿を消す。
クソッ、ここまで来て逃がしてたまるか!
「ここかっ!?」
通路の出口の先、そこは小さな空き地になっていた。
隅の方には、ボロボロの小屋。物置小屋か何かか?
ともあれ、ここには他に出口なんて無い。あの小屋の中にいるのか?
つい足音を忍ばせながら、ゆっくりとその小屋に近付く。
窓があるな。なら、あそこから中を―――
「な……っ!?」
思わず漏れそうになった声を、口を押さえて押しとどめる。
小屋の中にいたのは、三人の人間だった。
エルロードの姿は見えないが、代わりにあるのは二人の武装した男と、縛られ床に転がされた翠の髪の女の子。
まさか、誘拐……?
「確か……《熱源探知》」
ゴーグルを装着し、俺は刻まれた魔術式の名を読み上げた。
瞬間、視界が色だけの目に悪そうな世界に変わる。
この魔術式は、いわゆるサーモグラフィーの効果を持っていた。
壁の向こう側でもしっかりと熱を探知できる優れものだ。
しかし、その視界で見ても中に見える人影は三人のみ。
エルロードは、完全にその姿を消していた。
何なんだ、一体……これを俺に見せたかったのか?
あの子が何だって言うんだ?
「あー、くそ」
何はともあれ、こんな状況を見せられて知らん顔できるほど俺は冷血じゃない。
さてと、どうするか。数の上ではこちらが不利だし、下手に発砲すればあの子を傷つけかねない。
辺りに使えそうなものは……精々小石ぐらいか。
よし……思いついた。
手近な小石を幾つか拾ってから、俺は小さく唱える。
「《強化:身体能力》」
ジャケットにわずかに紋様が浮かび上がり、すぐさま消える。
調子を確かめた俺は、その場で跳躍して屋根のヘリを掴み、己の体を屋根の上に引き上げた。
出来る限り音を立てないように気をつけながら、屋根の上に立つ。
中の連中は……気付いていないみたいだな。
《熱源感知》を発動したゴーグルを一旦上にずらした俺は、少しだけ身を乗り出しながら手に持った小石をドアに向かって投げつけた。
一個では気のせいかと思われるかもしれないから、二個、三個と続けざまに投げつける。
そして俺は、再びゴーグルを目に装着した。
中の人影は―――よし、出てきてる。
二人の男の位置を確認し、俺は《熱源感知》を解除して待ち構えた。
3,2―――1!
「誰だばッ!?」
中から男が出てきたのを確認した瞬間、俺は屋根の上から後ろ向きに飛び降りた。
男の目の前に飛び降りつつ、男の頭を銃のグリップで思い切り殴りつける。
そして気絶して崩れ落ちようとした男を、小屋の中に向かって思いっきり蹴り飛ばした。
控えのつもりだったんだろう、男の後ろで弓を構えていたもう一人は、男の体の下敷きになって一緒に倒れる。
抜け出す暇は与えない!
「な、何だテメ―――がッ!?」
「寝てろ、クソッタレ」
即座に駆け寄った俺は、下敷きのなっていた男の顎を容赦なく蹴り飛ばした。
脳味噌を揺らされ、呆気無く男は気絶する。
二人が完全に気を失っている事を確認した俺は、奥にいた女の子に近付いた。
足と手を縛られ、猿轡を噛まされた女の子は、不思議そうな表情で俺を見上げている。
……喜んだりとか怖がったりとか、そういう反応無いのか?
ともあれ、彼女を縛っていた縄を解き、猿轡を外す。
「怪我は無いか?」
「……ん」
コクリ、と彼女は頷く。
しかし、不思議な雰囲気の子だな……俺に感謝するでもなく不振がるでもなく、ただ俺の事を見詰めている。
それに、彼女の容姿にまた驚かされた。
人の顔って言うのは、誰だって左右非対称に出来てるものだ。
生活の中で、そんなものはすぐに崩れて行ってしまう。
だが、彼女のそれは違う。違和感を覚えるほど、完璧に整っているのだ。
モナ・リザは黄金比で整えられた、『人が最も美しく感じる顔』をしていると言う。
この子の容姿は、まさにそれだ。
「……どうしたの?」
「あ……ご、ごめん、何でもない」
思わず、この子の容姿に見惚れてしまっていた。
翠の髪に黄金の瞳。そして髪の色に合わせたのか、落ち着きのあるイメージを抱く翠のローブ。
この子以外が着たらド派手に見えそうだ。
っと、まずい。また見惚れる所だった。
「とりあえず、ここは危ない。俺に付いて来てくれ」
「……ん」
コクリと頷く女の子。
本当に分かってるのか?
ともあれ、彼女を連れて歩き出す。さっき通った道は一応覚えているので、俺たちはさっさと通りに出る事ができた。
「はぁ、やれやれ。兄貴とはぐれちまったな」
当然ながら、兄貴の姿はどこにもない。とっくに公爵家とやらに行ってしまったんだろう。
けど、俺が後から入れてくれなんて言っても入れないだろうしなぁ。
……まあ、しばらく時間潰してるか。
「あ、そう言えば……家は何処にあるんだ? 良かったら送ってくけど」
「……大丈夫」
ふるふると首を横に振る女の子。
いや、さっきまで誘拐されてたんだから大丈夫ではないだろう。
そしてそのまま、俺の目をじーっと見てくる。居心地が悪くなり、俺は思わず視線を逸らした。
何なんだろうな、この子。
「貴方は……」
「うん?」
始めて彼女の方から話しかけてきた。
逸らしていた視線を戻すと、何やら首を傾げて不思議そうに声を上げる彼女の姿が。
「何も、欲しがらないの?」
「は? 欲しがるって、何を?」
「……」
再び、ふるふると首を横に振る彼女。訳が分からん。
しかも折角助かったのに帰ろうとしないし、どういう事なんだろうか。
「なあ、君は何でさっき捕まってたんだ?」
「……?」
きょとんと、首を傾げている。いや、首を傾げたいのはこっちなんだが。
うーむ……テンポが独特って言うか、本当に良く分からない子だ。
「あー……じゃあ、君の名前だけ聞かせてくれ。俺は煉って言うんだが、君の名前は?」
「……ミナ」
「ミナ、か。それじゃあミナ、君は家に帰らなくて大丈夫なのか?」
「……わからない」
いや、分からないって何だ。ああもう、どうしたもんかな、この子は。
判断に困って頭を捻っていると―――きゅううう、と、何やら犬が悲しげに鳴くような音が響いてきた。
音を辿って視線を下ろせば、そこにあったのは―――
「……腹、減ったか?」
「……うん」
表情を変えぬまま、ミナはコクリと頷く。
そこは羞恥に顔を染めるとかそういう反応があってもいいんじゃないか?
「はぁ……まあ、いいか」
深く考えないようにしよう。腹も減ったし、また何か困ったらその時に考える事にする。
とりあえず、俺はミナを連れて近くにあった屋台へと向かって行った。
《SIDE:OUT》