112:切なる願い
「さあ、君の願いと貫くべき価値―――それを、語ってごらん」
《SIDE:MASATO》
ゲートの近くでシルクから降り、屋敷の魔術式でファルエンス近郊へと。
シルフェリアの小屋で一瞬逡巡するも、オレ達はそのままファルエンスへと駆け出した。
「はぁ、はぁ……あ、あの……シルフェリアさんは、良かったん……ですか?」
「何かする気があるなら、とっくに動いている。何もする気がないのなら、説得するだけ時間の無駄だ」
「時間かけても聞いてくれるか分からないし、そんなに時間かけてたら間に合わなくなるかもしれない!」
若干オレ達のスピードに付いて来るのが辛そうな桜ではあるが、ここは我慢して貰うしかない。
事態は一刻を争う。とにかく、急がなければ―――む?
人造人間の鋭敏な感覚が、ある臭いを捉える。これは……何かが、焦げるような臭い?
「っ……!」
はっとして、上空を見上げる。
木々に覆われて見え辛いが、その枝の間から見えたのは、空に立ち昇る黒煙だった。
「拙い、もう敵は到着しているようだな……!」
「そんな!?」
フリズも発見したのだろう。悲痛な叫び声を上げる。
しかし、これは流石に拙い状況だな……ここは、オレ一人だけでも先行しておくべきか。
「桜、脚部鎧に風精を」
「はぁ、はぁ……は、はい」
そこまで息が上がっていて集中できるのかどうかは不安だったが、とりあえずは何とかなったらしい。
そして大して間を置かず、オレの両足が風を纏うのを確認し―――オレは、強く地面を蹴った。
「悪いが、先に行くぞ!」
「お願い、誠人!」
「ああ!」
そのまま、オレは頭上を覆う枝を斬り落としつつ、森の上空へと飛び出した。
視界を覆う木々の間から抜け出せば、目に入ってきたのは紅く燃えるファルエンスの街並み。
ただし全体がではなく、東側の一部分が燃えているようだったが―――それでも、状況は良くないようだ。
「っ! あれは―――」
空中を蹴るように駆け出し、視線を細めていたオレの瞳は、高速で動き回る二つの影を捉えた。
そこで舞い踊るのは紅い髪と黒い髪。あの姿は―――間違いない、カレナさんだ。
どうやら、既に接触してしまっていたらしい。けれど、その状況は決して良いという訳ではないようだ。
カレナさんの力は強力無比、普通の人間ならば一睨みで戦いは終了する。
けれど、今回の相手は非常に高いスピードを誇っているようだ。
カレナさんの力をもってしても、相手のスピードに対応し切れないらしい。
それに、どうやら彼女はすでに手傷を負ってしまっているようだ。こうして近づいている間にも、彼女の動きは徐々に悪くなって来ている。
「急げ……ッ!」
呟き、全身を風で包み込む。
己の身体を砲弾のように包み込み、オレはただ一直線に目的地を目指した。
視線の先では、ついに限界が来たのか、カレナさんが片膝を着いている。
ダメだ、このままでは間に合わない―――
「―――え?」
刹那、オレの横を小さな鳥のようなものが通り過ぎた。
いや、待て。今オレはかなり高速で動いている。普通の鳥がオレを追い抜けるはずがない。
ならば、アレは何だ?
あの、試験管のような物を持っている白い鳥は―――
「まさかっ!?」
その鳥は、あたかも自分自身が弾丸であるかのように、黒髪の男とカレナさんの間に墜落し―――その間に、巨大な氷の塊を作り出した。
それを見た男が、一瞬動きを停止させる。これは、今しかない!
「カレナさん!」
カレナさんのすぐ傍に降り立ったオレは、彼女を抱えて外壁の近くまで移動する。
彼女は全身血まみれ、大小様々な傷を体中に負っている。
既に意識が朦朧としているのか、オレの姿を胡乱な視線で見上げていた。
「マサト、君……?」
「動けるのだったら安全な所へ。奴はオレが抑えます」
言いつつ、オレは振り返る。
その視線の先にいるのは、黒髪黒目の男……黒い軍服は、やはり話に聞いていた通り―――いや、ちょっと待て。
「……お前、まさか」
「邪魔が入ったか……ま、久しぶりだな、神代」
「星崎、和馬……!?」
そう、かつてベルレントで出会った、オレ達と同じ世界の人間。
あのジェクトのニセモノ騒ぎの時、オレ達は逃げるようにあの国を後にしていたので、その後の状況は分からなかったのだが―――
「……何故、お前がディンバーツにいる?」
「決まってるだろ……あの女に復讐する為だよ」
その言葉に、オレは視線を細める。
コイツの言うあの女とは、恐らくアルシェール・ミューレの事だろう。
まさかこの男、あの時魔人と化していた王女を殺された事を、未だに根に持っているという事か?
オレは、思わず舌打ちする。
「ならば直接彼女と戦えばいいだろう。何故無関係の人間を巻き込もうとする」
「無関係じゃないさ……そいつは、あの女の関係者だろ?
あいつの周りのもの全て殺して、それからあいつを殺してやるんだよ」
お前ごときにあの女を殺せる訳が無いだろう―――とは思ったが、それは一々口に出さない事にしておく。
しかしまぁ、随分と陰湿な方面に向かったものだな、この男は。
ともあれ……その考え方は容認できない。それを許してしまえば、煉の目指す理想の未来の姿が崩れてしまう事になる。
オレ達は、あいつの掲げた理想を肯定した。ならば、この男の行動を許す訳には行かない。
「そいつを許す訳には行かない……貴様が意味も無い復讐に狂うのは勝手だが、そいつはオレ達の理想と対立する。
手を引けないのならば、貴様がここで死ね」
「ふっ、ははははははは……! そういえば、お前もリナに剣を向けたんだったよなぁ……神代ォ!」
「オレを苗字で呼ぶなと言ったはずだぞ、星崎……!」
互いの名を呼び合うのが、合図となった。
オレ達は同時に駆け、その中間地点で剣を打ち合わせる。
奴が持っているのは黒い両手剣―――それを、力任せに振り回している。
ならば……オレは奴の剣に刀を絡め、地面に押し付けながら刃を反転、返す刀で奴の首を狙った。
「な―――」
何よりも、オレ自身が驚く。
オレが放った刃は、あっさりと星崎の首を刎ねていたのだ。
半ば癖で血振りをしつつ、あまりにもあっけない結果に呆然と―――した瞬間。
「―――ッ!?」
背中から胸を貫かれる光景を『観た』オレは、半ば反射的に振り返り、放たれていた突きを弾き返した。
そして、思わず目を見開く。星崎は……首を刎ねられたまま、その体だけが動いていたのだ。
……いや、違う。黒い靄のような物が頭のあった部分に集中して、その首を再構成して行っている。
「バカな……何だ、その不死性は」
今の刀は完成品ではないとは言え、ホーリーミスリルで造られた不死殺しの力を持つ一振りだ。
この刀で首を刎ねられれば、第四位の不死者であろうとも殺す事が出来る。
だというのに、コイツはまるで何でも無いような様子で、その傷を再生させてしまった。
それは即ち、最上位……アルシェールやジェクトと同じ、第五位の不死者であるという事だ。
「ハッ、驚いたかよ、神代。コイツが俺の力だ」
「何……?」
「俺にはな、邪神の力が宿ってるんだよ。邪神龍ファフニールのな! お前程度の力じゃ、俺は殺せないぜ!」
自分の力、と言っておきながら借り物なのか―――そう言いたかったが、この状況ではあまり挑発するべきでもないだろう。
しかし、邪神の力だと……?
「一体どういう事だ。どうやってそんな物を手に入れた」
「誰が教えてやるかよ、そんな事!」
自慢げに話していたくせに、よく言う……しかし気に入らんな。
復讐などの為に人から外れただと?
オレ達のように、その必要があった訳でも無く―――
「……いいだろう。ならば、死ぬまで殺し続けてやる」
「やってみろよ。テメェに出来るんならな!」
コイツは有害だ。例え同郷だからと言って、加減する必要は全く無い。
オレ達の望む未来に、コイツの存在は障害にしかならないだろう。
だから―――ここで、殺す。
《SIDE:OUT》
《SIDE:FLIZ》
「誠人ッ!」
あたしと桜がファルエンスに着いた時、そこでは既に敵と誠人の激しい戦闘が行われている最中だった。
誠人は強い。けど、今回は相手が厄介みたいだ。
何故なら、相手の動きが速く誠人でも捉え辛い上に、誠人の攻撃によるダメージをあっさり再生してしまうからだ。
これは分が悪い。けど―――
「ハァッ、ハァッ……ふ、フリズ、さん……あそこ……!」
「え……お、お母さん!?」
息も絶え絶えな桜の指差した方向へと視線を向け、あたしは絶句した。
そこには、血まみれのお母さんが街の外壁を背にしている姿があったのだ。
慌てて、あたしたちはそちらへと駆け寄る。
「お母さん、お母さん! しっかりして!」
「フ、リズ……良かった……」
「さ、桜! お母さんを!」
「ハァッ、ハァッ……は、はい! 分かってます……!」
あたしの言葉に頷き、桜はすぐさま治癒の魔術式と、生命を司る大地の精霊の力を使い、お母さんの傷を癒し始める。
けど、傷はかなり深い。しかも時間がかなり経ってるのか、大量の血が流れてしまっている……!
お母さん下には血溜りが出来てしまっているし、これだとかなり危ないんじゃ―――と、そんな時、朦朧と周囲を彷徨っていたお母さんの視線が、ふとあたしたちの後ろへと向いた。
「エル、ロード……約束、です……私の力を、この子に―――」
「……義理堅いね、カレナ・シェールバイト。いいだろう、君の願いは受け取ったよ」
「え―――エルロード!?」
響いた声に、咄嗟に振り返る。
そこにいたのは、その声の通り―――白い髪に軽装姿の神、エルロード。
どうしてここに……いや、今はそんな事はどうだっていい!
「お願いよ、エルロード! お母さんを助けて!」
「残念だが、僕は全能の絶対者ではない。あの邪神の力を持った存在が近くにいるというのに、それだけの力を消費してしまうのは致命的だ。契約を果たせなくなってしまうかもしれないからね」
「そんな―――」
大体、契約って何なのよ―――そう食って掛かろうとするけど、そんなあたしの言葉を遮るように手を上げ、エルロードは告げる。
「僕がここに来たのは、彼女との契約を果たす為だ」
「契約……?」
「そう……彼女が戦えなくなった時、その力を君に移植する―――そういう契約だ」
え……お母さんの力を、あたしに?
お母さんの持つ《欠片》は、あたしと同じ物。エルロードが言う事を実行するならば、あたしの力は……でも!
「お母さんが助からなかったら、意味が無いじゃない!
あたしはどうしたらいいのよ!? あたしが、欲しかったものが……何もなくなっちゃうじゃない!」
「フリズ・シェールバイト……君が望んだものは、何かな?
何故君は、そこまでして己の信念を貫こうとしたのかな?」
分かってる、決まってる……この力を自覚した時から、あたしの思いは決まっていた!
あたしは、ただ―――
「お父さんがいて、お母さんがいて……昔は手に入らなかった、そんな当たり前の幸せが欲しかった!
だから、そんな簡単な幸せすら手に入れる権利が無いようなクズにはなりたくなかった……なのに、それなのに!
どうしてよ! どうしていつもいつも、そんな当たり前の幸せすら奪われなきゃならないのよ!?」
強い力なんて要らなかった。英雄の娘なんて立場だって必要なかった。
あたしはただ、平凡な幸せが欲しかっただけだったのに。
富も名誉も権力も要らない。ただ、家族で静かに暮らす事が出来ればよかったのに。
そんな、当たり前の事だって言うのに―――!
「それが、君の願い……君が、不殺の信念を貫く想いの根本。
しかし、そうやって戦う君の願いすらも、この世界は容易く裏切ってしまう」
「ッ……!」
「この世界が憎いかい? この運命が呪わしいかい?」
「当たり前でしょ……こんなの、こんなの……ッ!」
そんな当たり前の幸せすら、世界は許してくれないって言うんなら……あたしは、世界を許さない。
憎んでやるし呪ってやる―――あたしは、世界に屈服なんかしてやらない!
絶対に負けるものか……絶対に、絶対に!
「ふふ、ははははは……! 《欠片》の大きささえ足りていれば、やはり君は最も超越に近い存在だね。
まあ、今はそこまでは届かないだろうが……今この運命に抗うには、十分だろう。
さあ、受け取るがいい、フリズ・シェールバイト。これが、君が運命と戦う為の力だ」
エルロードがそういうと同時、お母さんの胸から光の玉のようなものが浮かび上がる。
これが、お母さんの持つ《欠片》……《加速》の、一部。
あたしは―――それに、手を伸ばした。
「世界を憎め。運命を呪え。そして―――」
「―――あたしは、その先の願いを掴んでやる!」
指先で触れた《欠片》が、あたしの体の中へと入り込む。
そこに刻まれた記憶があたしを蹂躙し―――そして、唐突に理解した。
どうすれば力を使えるのか、どうすれば敵を倒せるのか。
お母さんが抱き続けてきた沢山の想いと共に、あたしはそれを理解する。
「フリズ……」
「お母さん……」
瞳を開けたお母さんの手が、そっとあたしの頬に触れる。
手甲に覆われてて、しかも血まみれだったけど―――それでも、その奥にある暖かさを、あたしは覚えていた。
―――絶対に失うものか。例え失っても、必ず取り戻してやる。
「……桜、お母さんをお願い」
「はい……ご武運を」
桜の言葉に、あたしは頷く。
さあ行こう。目指す相手は決まっている。
「回帰―――」
そして、あたしはその名を囁いた。
《SIDE:OUT》