111:動き出す闇
相対するは二つの狂気。
《SIDE:REN》
「蓮花……か」
公爵家の二階のテラスで外の景色を眺めながら、俺はそう小さく呟いていた。
水淵蓮花……水底に沈む蓮の花。あの日、孤児院で出会った少女。
あいつがディンバーツ帝国の人間で、しかも俺達リオグラスの側に敵対行動を取っている。
成程、確かにあいつの胸には紅の双頭龍を模した紋章が刻まれていた。
ならば、あいつが敵であると言う情報にはほぼ間違いは無いのだろう。
「……」
そして、その話を聞いた時―――俺が感じていたのは落胆ではなく、納得だった。
あいつが敵である事をあっさりと受け入れ、それどころか喜びすら感じていたのかもしれない。
……いや、あいつが憎いとか、そういう事は全く無い。
むしろ、俺と同じ性質を持つであろうあいつの事は、好ましくすら思っている。
近親憎悪ともまた違う……そうだな、言うなれば―――
「あいつと、奪い合いたいのか、俺は」
そこまで呟き、小さく苦笑する。
我ながら、随分と妙な事を考え始めたもんだ。
けれど、否定する事も出来ない。あいつを一目見た時から、何か惹かれる物を感じていた。
ミナやフリズに対する感覚とも違う、よく分からない感情。あいつと戦えば、それが何なのか分かるのかもしれない。
それならば―――
「……レン」
「ん、ミナか」
声をかけられ振り返れば、ミナがテラスの扉を開けている所だった。
感情の見えない、いつも通りの無表情。
ミナも最近は顔に感情を表してくれるようになって来ていたんだが、それでも普段はこの表情のままだった。
そしてそのまま歩み寄ってきたミナは、俺の隣に並んで街並みへと視線を向ける。
「……レン、だいじょうぶ?」
「ああ、問題は無いさ」
別段、精神的に参ってるって訳でもないからな。
ただ、しばらくゆっくりしようと思っていた所で出鼻を挫かれた感じだ。
「ホント、ずっと戦い続けなきゃいけないんだな……ここまで休む暇もないとは、思ってなかった」
「……戦うの、嫌?」
「そういう訳じゃないって。望む未来の為なら妥協しないって決めたからな。
まあでも、ずっと戦いっ放しってのは人間には出来ない事だからな」
戦闘中毒……アドレナリン中毒なんだろうか、あれって。まあともかく、そういう人間でもなければ、心休まる暇が無いなんていうのは無理がある。
一応、多少は休む事ができたけどな。でも数ヶ月は休めるだろうと思っていた身としては、この状況は少々大変だ。
でも―――
「それ以上に、期待してる?」
「ああ、そうだな」
やっぱり、ミナにはあっさりと見破られてしまう。
昔みたいに感情しか読み取れなかったなら分からなかっただろうけど―――
「……ごめんなさい」
「いや、責めてる訳じゃないって。心を読めたって、ミナはそれを悪用する訳じゃないんだから。だから、安心して心を曝け出せるさ」
「ん……」
軽く頭を撫でてやりつつ、俺は小さく苦笑する。
この力を持っているのがミナ以外だったら、と思うと少し恐くなってしまう。
心を読む力なんて、悪用しようと思えばいくらでも出来るからな。
とまあ、それはともかく。
「俺は……どうして、あいつの事をあんなに気にしているんだろうな」
「……」
「普段の感覚とは違う。既視感じみた物……俺とあいつの間に、何があるんだ?」
そんな事を呟いて、俺は苦笑交じりに大きく息を吐き出した。
ミナに言っても仕方が無い事だしな、こんな事は。
と―――そんな事を考えていたその時、ミナがおずおずと口を開いた。
「レンは……ん」
「ミナ?」
どう話したものか、考えあぐねている―――そんな表情で、ミナは視線を右往左往させている。
いつもズバズバと思った事を口にするミナとしては、かなり珍しい様子だ。
一体、どうしたというのだろうか。
ともかく、大事な事かもしれないので、ミナが再び口を開くのを待つ。
「あの……時。レンが、レンカを見た時……レンの中に、満月の丘が見えた」
「え……?」
満月の丘?
一体、何の事を言っているんだ?
「わたしは、見た事が無い場所……レンは、わたしと会う前に、そこに行った事があるの?」
「い、いや……ミナと出会う前は殆どゲートにいたから、そんな場所を探す暇なんて無かった筈だけど。
でも、そんな光景を、俺が思い浮かべていたって言うのか?」
「……ん」
コクリと、ミナは頷く。
一体どういう事だ……蓮花を見て、何故そんな光景を思い浮かべる?
ミナが見た事が無い光景と言うと、向こうの世界の光景か?
けれど、向こうの世界でだってそんなものを見た覚えは無い。
「一体、何が……」
「……ごめんなさい、変な事言って」
「いや、いいんだけど……でも、本当に何処なんだ、それ」
確かに蓮花を始めて見た時、視界やら頭の中に一瞬ノイズが走ったような妙な感覚はあった。
けれど、それ以降は特に何かを感じる事も無かったし、気のせいだと思っていたんだけど―――
「……謎は深まるばかり、か。これも、《欠片》の影響なのか……?」
俺達の基準で言えば、この世界は不思議な事だらけだからな……何が原因になっているかだって定かでは無い。
けど、俺と蓮花が出会った瞬間にそんな事が起こった。ならば、俺とあいつの間に何かがあるというのは確かなんだろう。
九条煉と水淵蓮花……共に似たような思考を持ち、エルロードによってこの世界に導かれた。
という事は、エルロードならば何か分かるのだろうか
とは言っても、こちら側から奴に干渉を掛ける方法なんてさっぱり分からないのだが。
兄貴は神の座に至ったとか言ってたけど、よく考えたら有り得ないよな。天秤が傾きかねない訳だし。
ともあれ、今すぐに出来る事は無いか。
「まあいい。とにかく、情報が入ってくるまでは―――」
―――待機、と言おうとした瞬間だった。
突如として走った頭痛に、俺は身を硬直させる。
「づ……!?」
そしてその刹那、一瞬だけ脳裏に一つの情景が映し出された。
満月の丘―――見覚えのない筈なのに、何故か懐かしく感じるその光景。
そんなものを思い浮かべたのは、ミナに言われた所為か?
分からない。けれど―――ある一つの確信が、俺の中にあった。
「まさか……っ、《強化:身体能力》!」
「レン!?」
ミナの声を振り切り、俺はテラスから飛び降りる。
そのまま庭を駆け抜け、大きな外壁を飛び越えて街の中へと走ってゆく。
ただの根拠のない直感に過ぎない。けれど―――
「何処だ、何処にいる……!」
これは、もはや直感ではなく確信だった。
そしてその感覚が告げるままに、俺はニアクロウの街を駆け抜けて行く。
ぶつかりそうになる人々を躱し、バランスを崩しかけながらも、ただ前へ。
そして―――
「ッ……!」
「ぁ……っ!」
角を曲がった瞬間、その先から駆けて来る紅い髪の少女の姿を発見した。
互いに足を止め、上がった息を吐きだしつつ見つめ合う。
以前に見た時と同じ、黒い軍服姿。
左胸には、紅色のワッペンが。成程、まず間違いなく敵だろう。
けれど……今、この瞬間に銃を抜く気にはなれなかった。
見れば、蓮花も同じような感想だったのか、向こうも自然体で立ってこちらを見つめていた。
互いに、ゆっくりと相手に近づく。
「……蓮花」
「……煉」
開いた距離は3メートルほど。
俺の本来の間合いにすれば、少々近すぎる所だ。
けれど、今は戦うつもりはない。
「……その反応、アタシがどんな存在なのか、知っちゃったみたいね」
「ああ……お前こそ、最初から知っていたのか?」
「いいえ。知らなかったし、あの時出会ったのは偶然よ。でも……あの時出会えていて良かったと思ってるわ」
言って、蓮歌は小さく微笑む。
その言葉に、俺は思わず首を傾げていた。
「どういう意味だよ、それ」
「あら、だってそうでしょ? アタシ達は互いに同じ……だから、お互いに理解できる。
最初から敵として出会っていたら、理解し合えないままに殺し合っていたかもしれないじゃない。それは、不幸な事よ」
「知ってしまった方が不幸って可能性もあるがな」
肩を竦めてから、右腰に手を当てる。
あまりに知り過ぎてしまっては、傷つけ辛くなってしまうかもしれないからな。
まあ、そういう意味では俺達はちょうどいい。
そんな俺の言葉に蓮花はくすくすと小さく笑い、そしてその両手を腰の後ろに回しながら声を上げた。
「それじゃあ……改めて自己紹介しましょうか」
「ああ、そうだな」
あの時に出会ったのは、ただの煉と蓮歌。
けれど、これからは違う。リオグラスの九条煉と、ディンバーツの水淵蓮花だ。
だからこそ―――これまでの関係を、一度リセットしなくてはならない。
故に、蓮歌は俺に向かって言い放つ。
「ディンバーツ帝国軍、第二師団師団長―――水淵蓮花。水淵とも呼ばれてるわね」
「リオグラス王国軍、王立騎士団フォールハウト公爵隊所属―――九条煉。レン・ディア・フレイシュッツとも呼ばれてる」
そう、これは宣戦布告だ。
ここからの俺達は敵同士―――それを、自らに言い聞かせる為に。
僅かに、悲しいと……そう感じる。けれど、それ以上に愉しかった。
「ふ、ふふ……」
「はは、ははは……!」
そして、次の瞬間―――俺達は、互いに右の銃を抜き放ち、互いの額に突き付け合った。
速度は完全に同じ。引き金を絞っていたならば、同時に息絶えていただろう。
周囲が騒然とする中、俺達は同時に嗤い合う。
「ふふふ……ねえ煉、アタシがどんな事を考えてるか、分かるでしょ?」
「さてな……お前こそ、分かってるのか?」
「もちろんよ。だって―――」
―――アタシ達は、同じだもの。
言外に放たれたその言葉に、俺は思わず口元を愉悦に歪める。
ああ、全く。どうして俺達は別々に存在していたのだろうか。
同じならば、同じ場所で生きて行けばよかったのに。そうすれば―――
「ねえ、煉。アタシ、貴方の全てが欲しいわ」
「奇遇だな、俺もだ」
「あら残念……そしたら奪うしかないわね」
「参ったな……それじゃあ、俺が全て奪ってやるしかないじゃないか」
―――こうやって、奪い合う事も無かっただろうに。
「ふふ、あはは! アタシは、アタシのモノを奪う奴を許さない!」
「そりゃこっちのセリフだな。奪うって言うんなら、全て奪い返してやる!」
そう、だからこれは宣戦布告だ。
俺達は、互いを理解できるが故に、妥協できる立場に無ければ互いの事を赦せない。
互いに奪い合う他に道は無いのだ。
―――お前を、自分のモノにしてやる……例え、殺してでも。
互いに、その意志をぶつけ合う。
それだけが、俺達に残された道だ。
「―――煉!」
ふと、背後からフリズの声が響く。
どうやら、思っていたよりも時間が経っていたみたいだな。
蓮花の側からはその姿が見えたのか、ふっと小さく笑みを浮かべると、その銃を下した。
そのまま、三歩程後退する。
「……今日はこれだけね。ああ、せっかくだから少しサービスしとこうかしら」
「サービス?」
「そうよ。そこのフリズに関係のある話だし」
「アンタ、やっぱり……!」
駆け寄ってきたフリズが、俺を庇うように前に立つ。
その鋭い視線を受け流すように笑いながら、蓮花は俺達へ向けて声を上げた。
「アタシ達の今の目的は、アルシェール・ミューレの関係者の襲撃よ」
「アルシェールさんの……?」
「別に必要な事って訳じゃないんだけどね。アタシの同僚の一人が、彼女に対してすっごく恨みを抱いてるのよ。
その復讐って事らしいわ。本人にやる度胸も無いなんて、なっさけ無い奴よねぇ」
「……仲間じゃないのか?」
「冗談。あんな人の事見下してるような奴、命令も無いのに一緒に行動するもんですか」
やれやれと肩を竦めて、蓮花はそう言い放つ。
仲間としての繋がりは薄いみたいだな。
しかし、アルシェールさんの関係者か……ん?
それでフリズにも関係があるって、まさか―――
「あのバカの次なる目的地は、グレイスレイドのファルエンス。そこにいる、かつてのお仲間らしいわよ?」
「え……ちょ、ちょっと待って……それって、まさか!?」
蓮花の言葉を理解したのだろう。フリズが、半ば悲鳴じみた声を上げる。
そんなフリズの様子を見て、蓮花は小さく嗤った。
「力に溺れたバカだけど、溺れた力は結構なモンよ。いかな英雄さんでも、衰えた今の状態で戦えるかしら?」
「ッ……アンタ!」
「怒らないでよ。アタシは別に、やりたくてやってる訳じゃないんだから。
まあとにかく、そういう訳で……急いだ方が、いいと思うわよ?」
「……どうして、それを俺達に教える?」
「あら、決まってるでしょ?」
さも当然だ、と言うように蓮花は声を上げる。
手に持っていた術式銃をホルスターに納めつつ、その視線をフリズへと向けて。
「貴方の全てが欲しいって言ったじゃない、煉。フリズもミナちゃんも、アタシは欲しいのよ?
フリズの表情を歪めるのはアタシでありたいの。それなのに、あんなバカがそれをするなんて悔しいじゃない」
「……成程」
「何で納得するのよ、それで」
顔を顰めつつ、フリズは呻く。
流石に、この状況では普段のキレも無いようだった。
そんなフリズの表情を見て、蓮花は嬉しそうに笑う。
「あはは。そうね、そうじゃなきゃ。
さてと……それじゃ、アタシはそろそろ行くわ。貴方達も、急いだ方がいいわよ」
そう言いつつ笑い―――蓮花の姿は、唐突に消え去った。
今のは、《転移》か?
魔術式を唱えた様子は無かったんだが―――俺が訝しげに眉を顰めていたその時、フリズが俺の上着を掴み、揺らし始めた。
「れ、煉! どうしよう……お母さんが!」
「落ち着け、フリズ! 他の皆はどうした?」
「た、多分こっちに向かって来てるけど……あ、あっち!」
言葉の途中で、フリズは自分が先程やってきた方向を示す。
見れば、そちらから仲間達が駆けてきている所だった。
ミナや桜が若干遅れ気味だが、全員揃っている。
「み、皆! 大変なの! お母さんが、お母さんが……!」
「……何があったんだ、煉」
「蓮花が現れた。ごく個人的な理由で、奴らの次の標的を教えてくれたよ」
錯乱気味のフリズよりは俺から聞いた方がいいと思ったのか、誠人は俺に向かって問いかける。
その言葉で次なる標的が誰であるかを理解したのか、いづなは小さく目を見開いた。
「確かな情報なん?」
「ああ、あの言葉に嘘は無かった」
俺だからこそ、分かる。あの時蓮花が放った言葉は嘘じゃない。
あの言葉は、どこまでも本心だった。
「……了解や。ミナっち、シルク呼んで」
「ん」
いづなの言葉に頷き、ミナは空を見上げる。
これって、もしかして回帰を使って呼びかけているんだろうか?
ともあれ、ミナがシルクを呼んでいる間に、いづなは皆に向かって声を上げる。
「ええか。煉君やミナっちは無断でここを離れる訳にはいかん。そんで、緊急時の為にうちも控えておきたい。
シルクの飛行速度を落とさんようにする事を考えても、行けるのはフーちゃん、まーくん、さくらんの三人だけや」
「……了解した」
「ゲートからシルフェ姐さんの家を通った方が速い筈や。無駄な時間を割いてる暇はあらへん。急ぐんやで?」
と―――いづながそこまで言った所で、上空から白いワイバーンが舞い降りてきた。
その姿に周囲が再び騒然となるが、構っている暇はない。
ミナはその頭にそっと掌を乗せ、小さく微笑んだ。
「シルク……フリズの言う事を聞いて飛んで……」
「グォウ!」
ミナの言葉に力強く頷き、シルクはその体を地面に伏せる。
その背中に三人は急いで乗り込むと、周囲を逆巻く風が包み込んだ。
どうやら、桜が風の精霊を使役して、シルクの飛行をサポートするらしい。
「気を付けろよ!」
「分かってる! シルク、行って!」
俺の言葉に頷いたフリズの言葉に、シルクは強く翼を羽ばたかせる。
そしてその巨体は、信じられないほどのスピードで空に舞い上がって行った。
風で呷られた砂埃から咄嗟に目を庇いつつも、その姿を見送る。
「……煉君、詳しい話を聞きたいんや」
「ああ、分かってる。一旦屋敷に戻ろう」
いつになく真面目な表情のいづなに、俺とミナは頷く。
かなり切迫した状況だ。今は少しでも情報を纏めておくべきだろう。
屋敷に向かって歩き出しつつ、俺は一度だけフリズ達が飛び去って行った方向へと視線を受けた。
「……頑張れよ」
結局それだけしか言う事が出来ず―――俺は、小さく舌打ちしてから屋敷へと向かって行った。
《SIDE:OUT》