110:急転
「君は、僕が彼女を敵として呼んだ事を恨むかな?
それとも、喜ぶだろうか?」
《SIDE:REN》
「ん、何だ……?」
公爵家で暮らすようになったある日の事。
朝の訓練を終えて屋敷の中に戻ってきた俺は、朝っぱらから妙に慌しく人が行き来している様子を見て、思わず首を傾げていた。
何だろうか、様子がおかしいんだが。
「誠人、何だこれ」
「オレの聞かれてもな……フリズは何か聞いてるか?」
「こんな慌しそうな事、話聞いてたら訓練なんかしてないわよ」
どうやら、一緒に訓練をしていた面子は何も知らないみたいだ。
そういや、今日の訓練にはいづなは顔を見せなかったが……いづななら何かを知ってるかもしれないな。
まあ別に、そこら辺の人を捕まえて話を聞けばいい事かもしれないが。
まあ、何はともあれ腹が減っては戦は出来ぬ。
朝練で腹が減ってるんだし、とりあえず朝食を食べなければ始まらない。
配下という立場では、本来ギルベルトさん達と一緒に食事と言う訳には行かないんだが、そこはミナの希望で特別に許可されていた。
貴族としての位を手に入れている俺は、望めば同席する事も可能だったらしいが。
「とりあえず、食堂に行こうぜ」
「そうだな……あそこなら、事情を知っている誰かがいるかもしれん」
「ええ、確かに」
ギルベルトさんか、カティアさんか、もしくはいづなか。
その三人のうちの誰かがいれば、詳しい内容も分かるはずだ。
しかし、何だろうな、この状況……妙に嫌な予感がする。
まあとにかく、食堂への扉へと近付き―――
『ああ!? ふざけんやないでこのアホンダラがッ!』
「―――!?」
中から響いた怒声に、俺は伸ばしていた手を反射的に引っ込めていた。
何だ今の……いづなの声だったような気がしたんだが。
扉を開けることが何となく憚られ、俺達は互いに顔を見合わせる。
「……なあ」
「言いたい事は分かるが、入らないと始まらんぞ」
「だよな……」
深々と溜め息を吐きつつも、俺は食堂への扉を押し開ける。
相変わらず無駄に広い部屋の中では、ギルベルトさんとカティアさん、そしていづなとミナの姿があった。
いづなはなにやら憤りの表情と共に腕を組み、自分の前に置かれた紙を凝視している。
何となく気後れしつつも、俺は皆に向かって声を上げた。
「お、おはよう……ございます。ええと、何かあったのか?」
「ああ、煉君……ちっとな」
俺達が自分に割り当てられた席に着くと、いづなは深々と嘆息しつつ、自分の前にあった紙を差し出してきた。
これは……手紙?
ええと、内容は―――
「な……ッ!?」
「え、何? どうしたのよ、煉?」
「……リンディオさんが、行方不明になった」
「……!?」
王宮近衛騎士隊隊長であり、あのアルシェールさんの養子であったリンディオさん。
その立場にあるという事はつまり、国内で最強の剣士であったと言う事だ。
そんなあの人が、行方不明?
「軍の演習中に何者かの襲撃を受け、部隊は壊滅……指揮していたリンディオさんも行方不明だそうだ」
「嘘……しかも襲撃って、仮にも軍の演習中でしょ? 沢山人がいた筈じゃない!」
その通りだ。リンディオさんは、その時軍を指揮していた―――つまり、多くの人間が共にいたはずなんだ。
それなのに、その数をものともせずに壊滅させてしまった。
「……いづな、どこかの軍が入り込んでいたなんて事は―――」
「ありえへん。一部隊を壊滅させられるような軍勢が動いとったら、どんな事したって発見されてまう。
それなんに、来た時どころか撤収する部隊すら発見できてへん……つまり、少数人数で部隊を壊滅させられるだけの実力者がおったっちゅー事になる。
しかも、あのリンディオさんよりも強いって訳やね」
下手に軍が攻めてくるよりも厄介かもしれないな……少ない人数だと、何処にだって隠れられる。
つまり、また襲撃を受けるかもしれないって事だ。まあ、警戒態勢には入ると思うが。
「で、や……何でか知らんが、うちらに動いて欲しいなんぞと言い出す諸侯が出てくる始末……」
「成程、それで苛立っていた訳か」
顔を顰めるいづなに、誠人が小さく肩を竦める。
確かに、少数精鋭の俺達なら動き易いのは確かかもしれないが……何で諸侯。
そんな俺達の様子に、ギルベルトさんが苦笑と共に声を上げる。
「君達の実力を知らぬ者が多いからね……試そうとしているのだろう」
「せやけど、そないな人達に命令されて動かなあかん筋合いはあらへん。うちらは、別にこの国に忠誠を誓ったって訳や無いんや……まあ、王族の手前あんまりそういう事は言えへんかったけど。
うちらが仕えとるんはフォールハウト公爵家や。そこら辺の貴族に、うちらへ命令する権利はあらへん」
ブツブツと文句を言いながら、いづなはそう言い放つ。
まあ、俺だって関係ない奴に命令されて動くのは嫌だしな。王様やギルベルトさんなら別に構わないが。
「ちゅーか、せめて国なんやからもうちょっと情報集めてから命令飛ばせっちゅー感じや。
何も考えずに『敵を倒して来い』なんて、子供でも言えんねん」
「それに関しては否定できないな……本当にその通りだ。今は部隊の生き残りと話をしている所らしいが……殆ど錯乱していてな。詳しい話は聞き出せていない」
訓練された兵士を錯乱させるほどの何か、ねぇ。一体何が襲ってきたって言うんだか。
状況が分からなきゃ、例えどうあったとしても動きづらい。
とにかく、今は情報が欲しい所だ。
と―――そんな事を考えていたその時、キッチンの方に繋がっている扉が開いた。
そこから、リコリスとノーラのメイド二人と……何故か、皿を運んでいる桜とリルが姿を現す。
前者二人は分かるけど、桜とリルは何故そんなところに?
「……桜、何をしているんだ?」
「ぇ、えと……ちょっと、手持ち無沙汰だったので……」
「あ……せや。さくらん、ちっとええ?」
「え? は、はい……」
何か思いついたのか、いづなが桜を呼び止める。
そして簡単に今の状況を説明した後、いづなは桜にこう問いかけた。
「その戦闘で死んだ人たちの霊……さくらんなら呼び出せるんとちゃうかな?」
「ぁ……ぇと、確かに出来ると思います……ただ、見つけるのにちょっと時間がかかるかも……」
「十分や。当事者の話が聞けるんなら、それ以上の情報はあらへん」
成程、まるで口寄せだな……って言うか、まんまだけど。
死んだ人から情報を聞き出すのって、ある意味反則だよな。死人に口無しなんて、桜には通用しないか。
ともあれ、いづなの言葉に頷いた桜は、静かに目を閉じて集中し始める。
「とりあえず時間がかかりそうやし……ミナっち、ちっと回帰で王様と連絡できひん?」
「ん……できる」
「ほんなら頼む。うちら全員に繋いでな」
何と言うか……ミナの能力、どんどん便利になって行くな。
と言うか、そんな携帯電話みたいな使い方も出来るのか、ミナの能力って……ええと、テレパシーを使わせる能力だっけか。
こうなると、俺もさっさと回帰を使えるようになりたい―――いや、せめて実用可能なレベルまで成長して欲しい。
今の状況ではあまりにもお粗末だ。
「回帰―――《読心:以心伝心》……陛下」
『ぬお……っ!? な、何だ!?』
「わたし……ミーナリア、です。わたしの力で、陛下とわたし達を繋いでる。頭の中で念じれば、言葉が通じます」
『む……成程、こうか。これは便利な物だな。ミーナリアよ、お前はニアクロウの公爵家から話しているのか?』
「はい」
『ふむ、成程な』
頭の中に二つの声が響く。
ちなみに、ミナの声は肉声と頭の中の声の二重音声なので、何だかちょっと変な感じだ。
とりあえず意識が繋がった事を確認したのか、いづなが小さく頷きつつ声を上げる。
「陛下、こちらいづなです。そちらの状況はどないな感じですか? どうぞ」
『混乱しているな……特に、リンディーナの落ち着きが普段に増して無くなっている。ところでそのどうぞと言うのは?』
「うちらの世界で通信する時に、こちらの言葉は以上です、っちゅー意味でつけます。どうぞ」
『ふむ、了解した。どうぞ』
うん、いや……間違ってはいないんだがな。
そんな無線みたいな方法で話す事もないんじゃなかろうか。
これだけの人数が同時に話す時には、ある意味やり易いかもしれないが。
「陛下。こちらはギルベルトです。諸侯から私の元に、レン君達を動かすよう要請が来ているのですが……どうぞ」
『後で名前を挙げておけ。こちらから警告しておいてやる……まあ、実際に動く事になるかもしれんがな。どうぞ』
公爵までやり始めてしまったので、こっちもやらない訳には行かない雰囲気に。
何となく微妙な雰囲気を醸し出しつつも、この重要な話し合いは続いた。
「それで、そちらには何か情報入っとりますか? どうぞ」
『いや、あまり詳しい話は聞けていない―――む、ちょっと待て』
と、何やら唐突に陛下の声が途切れる。
何だろうかとしばし首を傾げていたが、あまり間を置かず陛下の声は戻ってきた。
『待たせたな。今、リンディーナ越しにアルシェール殿から連絡があった。
どうやら、リンディオは生きてはいるらしい。詳しい居場所は調べられないそうだがな。どうぞ』
「そうですか……どのような形で生き延びているかは分かりませんが、最悪の結果だけは避けなければ。どうぞ」
陛下もギルベルトさんも真面目に言ってるんだからなぁ、これ。
別につける必要も無いと分かっている身としては、何と言うかシリアスな笑いになっている気がしないでもない。
と―――そんな感じで俺が曖昧な表情を浮かべていたちょうどその時、桜が目を開いて声を上げた。
「み、見つけました……」
「お、ええタイミングやね。陛下、ちょっとええですか?」
『む、どうした?』
「件の襲撃で戦死した人の霊を、さくらんが発見したそうです。どうぞ」
『ほう、話を聞きだせるのか? どうぞ』
……時々忘れるぐらいだったら無理に付けるなって。
まあそれはともかく、その事件に直接関わっていた人か……って言うか、その事件の現場にいなくても見つけられるのか。
少し気になったが、そう言えば桜が回帰を使う時は、体の中から霊が出てくるしな。
それと同じような物なんだろう。
「さくらん、何か聞けたん?」
「ぇと……ほとんどの人の記憶は恐怖に染まっていて、あまりしっかりした記録は残っていなかったんですけど……最初に襲われた人は、それに気付く間もなかったみたいです。
その人が見たのは、二人の人物……ちょっと薄めの紅い髪をした女の子と、全身を黒い衣で包んだ男だそうです……」
『何……たった二人でリンディオの率いる軍勢を下したというのか!?』
「は、はぃ……」
驚愕に染まった陛下の声に、若干驚いたような感じでおずおずと桜は頷く。
だが、二人か……それだけの人数で軍を相手にするのは難しいだろう。
精霊付加をした誠人とか、それ位のレベルは必要な筈だ。
ともあれ、それだけだと情報が少なすぎる。
更なる情報を引き出すため、俺は桜に問いかけた。
「他に特徴は無いのか?」
「ぇと……女の子の方も、黒い服で……でも、デザインは結構違っていたみたいです。
何だか、軍服みたいなぴっちりした服装で―――ええと、腰に何か変なものを装着していたって言ってます……」
「変な物?」
フリズが首を傾げる。俺もそれが気になっていたが―――どうやら、公爵は別の所に目を付けたらしい。
「黒い軍服……? まさかとは思うが、左胸の所に紅の双頭龍の紋章が刻まれていなかったか?」
「え? ぇと……あ、はい。確かにあったそうです……」
「……何と言う事だ」
その桜の言葉を受け、ギルベルトさんは嘆くように顔を覆いながら虚空を見上げた。
深々と息を吐きだし、テーブルに両肘を立てる。
何だ、その紋章が刻まれていたら何だと言うのだろうか?
ギルベルトさんは難しい顔をしたまま、陛下に語りかける。
「……ミナの友達の言葉でなければ、信じたくなかった所だな……まさか、帝国が動き出すとは」
「帝国……? まさか、北の大国、ディンバーツ帝国ですか?」
うろ覚えな知識ながら、何とかその名前をひねり出す。
グレイスレイドとリオグラス、その並ぶ二大国の真上にあるディンバーツ帝国。
三十年前の邪神龍との戦いより、彼らはずっと沈黙を保ってきていたと言っていたが……それが、何故今になって?
普段には無いほどその視線を鋭いものに変え、ギルベルトさんは声を上げる。
「軍服の色は、国ごとに決まっているんだよ。この国は白、グレイスレイドは青、そしてディンバーツは黒。
そして紅の双頭龍……これは、ディンバーツの軍旗に刻まれた紋章だ」
「って事は、その帝国が動き出してまった、っちゅー事になってまうんですか?」
「そうだな……陛下、それに関してはそちらの方で―――」
『―――ああ、分かっている。こちらの軍議でも挙げておこう』
流石に、冗談を言っている余裕も無くなったようだ。
別国の軍人らしき人物が、こちらの国の軍を襲撃、更に要人を誘拐した疑いまである。
これは、戦争の引き金ともなりかねない事だろう。
「……まあ、探そうにも手がかりがそれだけやとね。とりあえず、そちらは人海戦術しかあらへんやろ」
「俺達の仕事があるとしても、見つかってからって事か?」
「まあ、確かにそうだがな」
誠人が肩を竦めつつ同意する。
俺達の力は、そういう人の捜索にはあまり向いていないからだ。
しっかし、邪神の事が終わったばかりだってのに……また大事になって来たな。
何でいきなりそんな、戦争になりそうな事を仕掛けてきたんだか。
「っと……そう言えば桜、襲撃の目的って分からなかったのか?」
「ぁ、はい……相手は何も語らなかったそうで……」
「そうか……目的さえ分かれば、次に襲撃されるかもしれない人も分かるのにな」
と、俺が何気なくそう呟き―――瞬間、周囲の視線が一斉に俺の方へ向いた。
思わず驚き、後ろに倒れそうになる。
まあ、立ち上がって事なきを得たけれど。
「な、何だ?」
「いや……つい忘れとったね。そ―いや、他にも誰かが襲撃される可能性があるんや」
『可能性としてはリンディーナが高いか? しばらく外に出さない方がいいかもな』
「関係者一同にも連絡を入れておきましょう」
あれ……皆、その可能性を考えてなかったのか?
一番最初に思いつく事だろうと思うんだけど。
快楽殺人的な思考で軍なんて襲うとは思えないし、何らかの理由があるんだろうから、それ以外にも標的になる人がいるだろうと思ったんだが―――
「ぁ……」
「ん……桜、どうかしたの?」
「ぃ、いえ……あの、さっきの霊の人が煉さんを見て驚いて……」
「何故にまた俺?」
俺ってそんな驚かれるような事を言ったか!?
―――と思ったが、どうやら別の事だったらしい。
「ぁの……例の女の子が腰に装備していた物……煉さんが装備しているそれと、そっくりだったそうです」
「え―――」
桜が示したのは、立ち上がっていた俺の太もも―――そこに装着されているホルスターだ。
その女もホルスターを、そして術式銃を装備していた?
っていうか、ちょっと待て。
「紅い髪に、黒の軍服……それに、ホルスター?」
「あ……それって、まさか!?」
そうだ、俺達はそんな姿の奴をつい最近見ている。
あの時、共闘した少女―――水淵蓮花。
「まさか、あいつが……」
信じられない―――そんな思いで、呟いた言葉。
けれど俺は、それを心のどこかで確信している事に気付いていた―――
《SIDE:OUT》