108:公爵家での日々
しばしの平穏。
《SIDE:FLIZ》
王都での滞在期間を終え、あたし達はニアクロウに戻って来ていた。
まあ正直な所、こっちにいるからと言って何かやる事があるって訳じゃないんだけど。
一応あたし達は、公爵様の配下―――正確に言うと、公爵様の抱える軍勢に所属する事になった煉の部下という形に収まった。
あいつの部下というのは微妙に業腹だけど、まあ皆で一緒にいられるんだから文句は無い。
公爵様の抱える隊の皆にも紹介されたけど、あまり色目は使われず、結構好意的に接してくれていた。
何だかんだで、恵まれた環境よね。
で、あたし達が今何をしているかというと―――
「いきます……回帰―――」
ここは、公爵様の隊が日々訓練をしている、騎士団の詰め所のような所の庭。
あたしと向かい合うように距離を開けながら立つ桜は、小さく呟きながら目を閉じた。
じわりと、あたしの中の何かが疼く。《神の欠片》同士が呼び合っている、とでも言うべきかしら。
「《魂魄:死霊操術》……来たれ首なし騎士の伝説」
桜がそう声を上げると同時、桜の体の中から無数の気配が現れた。
あの時ほど力を分け与えた訳じゃないのか、あたしの目には見えないけれど―――それでも、無数の気配が一箇所に集まってゆくのを感じる。
そして、その気配が一定にまで高まった瞬間、あたしにもその姿が見え始めた。
「おお……!」
「ッ……」
周囲で見物していた隊の人たちが感嘆の声を上げる。
桜が幽霊を操れる事は話していたけど、目に見える形で使うのはこれが初めてだからね。
あの王子様を相手にしたときほど大きい訳じゃないが、それでも馬に乗ったその体躯は見上げるほどに巨大だ。
そう、あたしは今、桜の作り出したデュラハンを相手に訓練をしようとしている所だった。
『オオオオオオォォォォォォ……!』
首がないのに何処から声を出してるのかしらね、コイツ。
とにかく、実体さながらの密度を持っているとは言え、コイツは霊体だからあたしの能力は通用しない。
更に、普段のあたしの攻撃力じゃ、水蒸気爆発でも使わない限りコイツにはダメージを与えられないし……そもそも、不死殺しを持たないあたしじゃ、桜に止めてもらわない限りどうしようもない。
「フリズ、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないでしょうけど……あの時、追い詰められた瞬間に使えた力の感覚を思い出したいのよ」
邪神との戦いの時、能力の使い過ぎで倒れる寸前だったあたしが、一回だけ使う事のできた力。
あまり実感は無いけれど、恐らくあれが回帰っていう奴だったんだろう。
という事は、今のあたしにもあの力は使える筈だ。
何とかしてあの感覚を思い出し、操れるようにしたい。
「ぇと……本当に、いいんですよね……?」
「ええ、お願い」
「……それじゃ、行きます」
桜の瞳に戦いの意思が灯る。
そしてそれと同時に、デュラハンは唸り声を上げながらあたしへと突進してきた。
馬であたしを踏み潰すつもりか!
「ッ……!」
大きく右に跳躍する。
中途半端な避け方では、デュラハンの振り回す巨大な剣を躱せないからだ。
そしてそのまま、デュラハンの方へ向けて《流水の槍》を放つ。
命中と共にそれを爆発させながらも、あたしは油断無く構えた。
今回は能力を操れるようになる為にやっているんだし、出来るだけ能力を使って戦いたい所だけど―――
「……やっぱ、この程度じゃダメか」
立ち込める蒸気を振り払いながら現れたデュラハンに、あたしは小さく舌打ちした。
強化系魔術式を発動させつつ、あたしは駆ける。
その巨大な体躯も、馬と言う乗り物も小回りは利かない。
懐まで飛び込んでしまったほうが、むしろ安全だろう。
「ふ……ッ!」
あたしの首を落とそうと狙ってきた刃を、身体を屈めながら躱す。
分かっていた事とは言え、容赦ないわね、コイツ。
とにかく、あたしは攻撃を避けた瞬間にその場から跳躍、馬の背を蹴ってデュラハンの頭上へと飛び出した。
更にデュラハンの肩を蹴って高く飛び上がりつつ、コイツの首があるはずの所―――そこへ向かって、再び《流水の槍》を放つ。
―――そして、爆破。
「爆ぜろッ!」
首の中から噴き出してきた蒸気を冷ます事で回避しつつ、あたしは少し離れた所に着地した。
体内で爆発とか、普通の人間ならまず確実に死ぬだろうけど―――コイツ、ゴーストだしね。
振り向きながら構えてみれば、デュラハンは馬頭をこちらへ向けた所だった。
「これも効かない、か」
直接爆破も効かず、内部からの破壊も効かない。
成程、コイツは確かに厄介な敵だわ。
前にダンジョンで見たとき、良くあの二人はあんなにあっさりと倒せたものね。
さて、どうしたもんかしら―――って。
「ゆっくり考える暇すらも与えないか……」
思わず、舌打ちする。
向かってくるデュラハンを再び躱して、他の攻撃を―――
「え―――」
横に跳ぼうとした瞬間、あたしは思わず目を見開いていた。
あたしが避けようとした方向に、デュラハンが持っていた巨大な盾が突き刺さったのだ。
あたしの攻撃力が低いのを見て、盾なんか必要ないと思った?
理由なんか分からない。けれど―――それは、確かに効果的だった。
思いがけず回避方法を奪われ、一瞬だけ動きを止めてしまう。
「まず……ッ」
その一瞬の硬直が命取りだった。
馬は小回りは利かないながらも、その機動力は圧倒的。
デュラハンは、一瞬であたしを攻撃圏内に納める―――
「あ―――」
回帰―――
一瞬だけ、あの瞬間の感覚が蘇る。
けれど、今あたしが使うのは、あの時の技じゃない。
―――《加速:■■■■■■■■■》
「ッ!?」
刹那、世界が静止する―――いや、違う!
注意深く観察してみれば、あたしの首を刎ねようとしてきたデュラハンの一閃は、ほんの僅かずつだけどあたしへと近付いて来ていた。
周囲へと視線を向ければ、桜はデュラハンを止めようとその手を伸ばしていて、煉やミナ、誠人はコイツを倒そうというのか、その武器を向けている。
いづなはまあ、元からここにはいないけど。
「そうか、これ……」
あたしの能力の名前は、《加速》。
だとしたらこれは、自分自身を加速させているって言う事?
結局どうやって能力を発動させているのかはよく分からない。けれど、これはチャンスだ。
だったら―――
「でやあああああああああああッ!!」
とにかく、この能力が続いている間にこの亡霊をぶちのめす!
跳躍と共に放った回し蹴りが、デュラハンの胴体へ命中し―――驚いた事に、一撃でその上半身を打ち砕いた。
……いや、って言うか―――
「痛ッ!? てゆーか熱―――へぶっ!?」
蹴りを放った足から響く痛みと、全身から感じる焼けるような熱さに、あたしは着地失敗しつつ地面に転げ回った。
そしてそれとほぼ同時、発動していた能力が解除される。
「ふ、フリズさん!?」
「……空気摩擦って凄いのね。知らなかったわ」
デュラハンの結合を解いた桜が、転げ回るあたしを見て仰天しながら近寄ってくる。
あたしは自分で生み出した水を使って全身を冷やしながら、深々と嘆息していた。
こんな事になるなんて、思いもしなかったわ。
普段と変わらない感覚で動いちゃったけど、あの時のあたしって物凄く加速してるって事なのよね。
そんな状態で蹴れば、そりゃあ凄まじい威力になるでしょうけど……その分、身体への反動も大きい訳か。
こりゃ、足にヒビ入ってるわね。身体能力は強化してたのに。
しかも音速を遥かに超えて動いてた為か、あんな僅かな移動にもかかわらず、全身が摩擦熱で酷い事になってる。
まあ、かろうじて燃えはしなかったみたいだけど。
「おいおい……大丈夫か、フリズ?」
「ええ、何とかね……また扱いづらい能力だわ、こりゃ」
「使えるようになったのか?」
「……いや、微妙」
煉や誠人の言葉に、あたしはがっくしと肩を落としつつ答える。
どういう能力なのかは分かったけど、まだ任意に発動させる事は出来そうになかった。
しかも、まーた加減のし辛そうな能力だ。
「あたしの能力は、《加速》って言うみたい……あたしが普段使ってるのは、分子振動の加速と逆加速って所なのかしら」
「何でいきなり、そんな応用的な使い方に走ってるんだ?」
「知らないわよそんなの」
桜に足と全身を治療して貰いつつ、あたしは煉に向かって悪態を吐く。
あたしだって文句言いたいわよ。何でそんな使い方にしたんだって。
さっきみたいな自分自身の加速の方がよっぽど使い易かったわ。
まあ、あんな極端な加速じゃ使い辛いけど。
「次発動した時は気をつけないとダメだわ、これ……自分の周囲にある空気の分子速度を一定に保ちながら、身体強度の強化の方に魔力を回さないと……走り回っただけで自滅出来るわね、これ」
「またピーキーな能力だな」
「ホントよ……」
全身の軽い火傷が消えた所で、あたしは大きく息を吐きつつ立ち上がる。
髪が燃えなかったのは助かったわ。こっちは空気抵抗があんまり無かったのかしら。
「まあ、でも……操れるようになれば、十分強力よね」
速度はそのまま破壊力に直結する。まあ、その反動に耐えられなきゃ意味が無い訳だけど……あの加速状態なら身体能力強化なんて要らないだろうから、魔力は全て身体強度強化に回そう。
で、空気抵抗で発生する熱を能力で無理矢理抑えれば……うん、何とかなりそうね。
「けど、何でこんな不完全な発動しか出来ないんだろうな?」
「ぁ……えっと、フェゼニアちゃん曰く……《欠片》の成長があと一歩足りないから、だそうです……」
「そういう理由なんだ、これ……」
必死こいて頑張ってた身としては、ちょっと複雑……って言うか、先に言って欲しかったわ、それ。
まあ、一応参考にはなった訳だし、無駄ではなかったんだけどさ。
「ふー……こりゃ、しっかり研究しないとね」
あー、体の節々が痛い。
あの殺人的な加速、強化系の魔術式が無いと本当に毒だわ。
まあとにかく、完全に使えるようになったらちゃんと研究しよう。
どの程度だったら人を殺さないように使えるのか、しっかり見極めないと。
今までも、ずっとその為に努力してたんだからね。
しかし……ちょっと恐いわ、これ。
回帰でこの速さなら、超越なら何処まで達してしまうのだろう。
あんまり強力すぎる力って言うのは、やっぱり恐い。
「ん……フリズ、どうかしたのか?」
「何でもないわよ」
振り向いた煉の視線を、笑顔を浮かべながら躱す。
あの変な性格さえなければなぁ、とは思うんだけど―――ってちょっと待て。この考え方は何かおかしい。うん。
あたしとコイツはライバル。思想は敵対してる。OK?
「何一人で百面相してるんだ、お前」
「うっさい、あっち向け」
「……照れてる」
「ってちょっとミナ!?」
味方だと思ってたのに!
味方だと―――味方……うん、いや、間違いでは無いと思うけど、ちょっと違うような気もする。
そしてそんなミナの言葉を聞いた煉は、にやりと意地の悪そうな表情を浮かべた。
「何だよ、あの時の事でも思い出したのか?」
「な……だ、誰が! つーか、アンタが勝手にあたしの事抱き締めたんじゃない!」
「……最近時々思うんだが、墓穴を掘るのが趣味なのか、フリズ」
誠人の指摘に、びしりと硬直する。
あ、あー……そ、そういえばこの流れ、何となく身に覚えが―――
「まあ、例によってあれだが……誰もその時の事とは言ってないぞ」
「う」
「……周りの兵士の人達、話が聞こえてた」
「うえっ!?」
「レンさん……私のフリズによくもそんな事をしてくれましたね」
「そしてどっから出てきた!?」
煉、ミナと言葉が続いて、何故かノーラが突然あたしの背後に姿を現した。
いや、って言うか本当に何処から出てきたのよ、今!?
そんなあたしの声に、ノーラはにっこりと笑いながら声を上げた。
「うふふ。フリズ、私最近ね、影から影に渡る方法を身につけたのよ?」
「……ノーラ、アンタはいつからそんな吸血鬼らしくなったの」
「夜にフリズの部屋に入り込んだりしてないだろうな?」
「あら、それはこちらの台詞ですけど」
睨み合う二人に、思わず腕に鳥肌が走る。
やりかねない。この二人なら本気でやりかねない!
何か意味もなく貞操の危機になってるような気が!?
「……まあ、何だ。頑張れ」
「ええと……守護霊とか、憑けておきましょうか……?」
「……ありがと、誠人。それとお願いするわ、桜」
あたしって、男運無いのかしら……いや、片方男じゃないけど。
そういえば、お母さんもあの信念狂いのジェイに惚れてたのよね……血筋か。血筋なのか。
訓練場を破壊するような勢いでじゃれ合う二人の姿を眺めつつ、あたしは深々と溜め息を吐き出していた。
《SIDE:OUT》