95:霞之宮いづなの場合
賢く聡明で、それゆえの驕りすらも自覚してしまう。
《SIDE:IZUNA》
折れた白帆薙を台の上に置き、うちは深々と息を吐き出した。
あの戦いを終えた後、うちはシルフェ姐さんの家の方へと戻って来とった。
何ちゅーか……落ち着かなかったんや。皆と一緒にいるのもやけど―――
「……うちも、まだまだやなぁ」
小さく、苦笑する。
実家の事は好かんけど、あそこで積み重ねてきた修行の事まで否定するつもりは毛頭あらへん。
せやけど……それでも、容易く心を乱されてまう。
自分の力なんて大した事ないんやって、そう思っとったつもりなんやけどなぁ。
嘆息交じりに、うちは部屋の隅に積み上げられていた、貴重な金属の方へと歩み寄る。
聖別魔術銀、神鉄、金剛鉄、緋緋色金。
全部、ミナっちが創り上げてくれた金属や。
うちに出来る事は、少ない。とにかく、まーくんの持つ武器や防具を造る事ぐらいや。
魔人との戦いで景禎は折られてもうた。
ホーリーミスリルだけやと、強度に難があるっちゅー事やろうね。
せやから、うちは完成させる。
複数の金属を用いた最高の一振り。オリハルコンの魔力拒絶やアダマンタイトの硬さ、ヒヒイロカネの柔軟性、そしてホーリーミスリルの魔力伝導。
全ての特徴を殺さず、併せ持つ事を可能にする至高の一振り……まさしく、世界最強の剣を。
まーくんにはしばらく、ホーリーミスリルの研究で造った試作段階の内の一振りを持ってもらうしかあらへんかな。
「まあ、とりあえず鎧の方が先やけど」
とりあえず、さくらんの精霊付加を生かす為に、まーくんの鎧をホーリーミスリルで造り変える方が先決やね。
どうやったらええかも分からんような作業よりは、そっちの方がなんぼかやり易いし、即戦力にもなるやろ。
……これは、逃避なんやろか。
あの人は、うちにとっては少し遠い人やったし、正直いなくなったからと言ってうち自身が変わる訳でもない。
せやけど、それでも何かしてないと落ち着かんのも事実やった。
今は、人に会いたくない。
会ったら、いつものうちを保てそうにないからや。
「……こんなん、見せとうないしなぁ」
一人ごちて、うちは再び机の上の白帆薙へと視線を向けた。
見事に折れ、武器としての役目を失ったうちの愛刀。
「……あーあ」
未練、やったんやろうか。
あちら側の世界で、唯一残してきてもうた未練。
この刀は、唯一それとうちを繋いでいたんかもしれへん。
「……アホらし」
……うちに、未練に思う資格なんてあらへんやろ。
幸せだったはずの日々を壊してしまったんは、他でもないうち自身や。
全ては、うちが未熟で愚かだったから起こってしまった事―――戻りたいなんて、思う資格はあらへん。
それに、戻ったとしたらお姉ちゃんはうちを許さんやろう。
―――誰よりも大好きで、それ故に傷つけてもうたお姉ちゃん。
「ッ……なあ、教えてくれへんの、白帆薙。うちはあの日、あの時……どうすればよかったん?
どうしたらお姉ちゃんを傷つけずに、お姉ちゃんに全てを返す事が出来たん?」
声が震えそうになるのを何とか抑えながら、そう小さく語り掛ける。
せやけど……いくら能力を使っても、白帆薙がその疑問の答えを返す事はなかった。
分かっとる。うち程度の力じゃ、その答えを求める事は出来ひん。
せやけど、もしかしたら。
「回帰……それに、超越かぁ」
エルロードがうちらに伝えてきた、うちらがいずれ辿り着くべき新たな力。
それなら、その力があったなら……もしかしたら、うちの欲しい答えを返してくれるのかもしれへん。
そうしたら―――と、そこまで考えて苦笑してまう。
答えが分かった所で、どうしようもあらへん。うちが失敗した事に変わりは無いんや。
せやけど―――
「それでも……知りたいんや」
それが、うちの未練。
あの日、どうすれば誰も傷付かずに済んだのか―――ただ、それだけを知りたいんや。
こんな個人的な理由で力を求めてもうたら、流石に皆に怒られてまうかもしれへんけど。
エルロードは、その力に至るのに必要なんは、覚悟やと言うとった。
一体何を覚悟すればええのかはさっぱりやけど、とりあえずの道筋は立ってるんやろう。
つまり、そこへ至るのに必要なんは、肉体的なモンやなくて精神的なモンっちゅー事になる。
流石に詳しい事までは分からんけどな。
まあ、精神的ならば最初から無理っちゅー言にはならんやろ。
「うーむ……」
机の上に並べた金属達を、金槌でコンコンと叩きながら、うちは小さく唸る。
ニーチェの『超人』に関連しとるとは言うとった。
せやけど、あの話は哲学的で、正直あんまり理解しとるという訳やない。
さくらんや煉君は知らんやろうか……煉君辺り、もしかしたら知っとるかもしれへんけど。
何やったかな。確かに、あの話は精神的なモンだったような気はするんやけど―――
『―――いづな』
「ひうっ!?」
唐突に響いたノックと、耳に馴染んだ声。
手に持っていた金槌を取り落としかけつつ、うちは咄嗟に背後へと振り返った。
「ま、まーくん!?」
『やはりここにいたか。入ってもいいか?』
「あー……ど、どうぞー」
しまった、いない振りをしとけばよかったやんけ。
……まあ、色々考えて多少は精神的にも落ち着いたし、大丈夫か。
小さく嘆息しながら扉を開けると、そこに普段着に着替えたまーくんの姿を認める。
まーくんの身長はかなり高い。うちも女としてはそれなりに高い方やけど、それでも三十センチ近く上なんやなかろうか。
せやから、近付いて見上げ取ると首が疲れるんで、ちょっと離れながら話すのがいつものスタイルや。
とりあえず、浮かべるのはいつも通りの笑顔。
「まーくん、どないしたん?」
「いや……少々、お前の事が気になってな」
「うちの事? 気にするんやったら、むしろ煉君とかの方を気にしとった方がええと思うで?」
「ああ、まあ……確かにあいつも、気にするべきではあると思うが」
んー?
何や、まーくんの言葉の歯切れが悪い。何か気になる事でもあったんかな?
気になったんで、そのまま問いかけてみる事にする。
「何かあったん?」
「ああ……まあ、あの男の事を引きずっているのは予想の内だったんだがな」
「まあ、せやね……そんで、何が気になっとるん?」
煉君やミナっちは、ジェイさんとの付き合いがそれなりに長い。
あの二人と、人死にに敏感+因縁の相手なフーちゃんは結構大きなショックを受けた事やろう。
せやけど、他にもまだ何かあるんか?
適当な椅子に腰を下ろしたまーくんは、うちの言葉を受けて、視線を床へと向けながら腕を組む。
「何と言うか……そうだな。意識し過ぎていると言うべきか」
「意識し過ぎ?」
「あの男を意識し過ぎている……いや、あの男になろうとしている?」
「あー……」
成程、そういう事か。
煉君の何を見てそう判断したんかは分からんけど、まあ理解できん話やない。
煉君は、ジェイさんから告げられた最期の言葉を、そういう形で受け取ったんやろう。
まあ、お互い言葉が足らんとは思う。
どうとでも取れる言い方をしたジェイさんも、もしかしたら分かってて言うとったんかもしれへんが。
「いるのが当たり前みたいな雰囲気ではあったけど、煉君はジェイさんの事尊敬しとったみたいやしね。
だからこそジェイさんに認めて貰ったんが嬉しくて、それがちっと暴走しとる感じかな」
「成程……そういう理由だったか。やはり、正してやった方がいいか?」
「それはまあそうやけど……」
正直な話、うちらに煉君を正しい方向へ導く事が出来るか、と聞かれると非常に疑問や。
あの子の精神、類を見ないほどにねじくれとるからなぁ。
うちらの中でそれが出来るとしたら―――
「……体当たりで人と通じ合えるフーちゃんぐらいや、アレをどうにかできんのは」
「体当たり……」
「分かっとるとは思うけど、文字通りの意味やないで?」
「遠回しに馬鹿にしてるのか、それは」
睨んでくるまーくんの視線を肩竦めながら受け流し、うちは小さく嘆息した。
フーちゃんでも無理やったら、全員で何とかするしかあらへんかな。
下手に刺激を与えるとどう爆発するかも分からんし、気をつけんといかんとは思うんやけど。
まあ、その辺りはフーちゃんに期待しとこか。
さて―――
「で、まーくん。うちに何頼みたいんや?」
「む? 何故そんな話になっているんだ」
「おん?」
あれ、このタイミングで来たんやし、何や頼みでもあるんやと思っとったんやけど。
ほんなら、何でここに来たんや?
「さっき言っただろう。お前の事が気になったんだ」
「うちの事? 何やまーくん、おねーさんの事が気になってまうん?」
そんな風に、うちは笑う。
正直、ここで踏み込まれたくないから、そうやって話を逸らしてゆく。
―――けれど。
「茶化すな、いづな。オレは、お前が心配だと言っているんだ」
「……」
まーくんはあっさりと、うちが引いとった線を踏み越えて来てもうた。
どうして、まーくんがうちの事を心配するん?
どっちかっちゅーと、心配するべき何はうちよりもフーちゃんの筈やろ?
なのに、何で―――
「……何で、うちなん?」
「理由までは知らんが……あの男が死に掛けていた時、お前が見た事も無いほど動揺していたからな」
「そら、動揺ぐらいするやろ……あの英雄さんが死ぬなんて、思ってなかったんやし―――」
「なら、何故悔しそうな表情をしていた?」
思わず、言葉を失う。
悔しそうて……うち、そんな表情しとったん?
動揺してた所為で、表情を隠せてなかったんか?
「ミナと、同じような表情だった。助けられなかった事を悔いていたような、そんな表情だ。
何故お前がそんな表情をするのかは、オレには想像も付かなかった。
だが、お前が苦しんでいたのは事実だ……それだけで、心配するには十分だろう」
「ッ……」
言葉が返せん。
これじゃ、その言葉を肯定しとるようなモンやないか。
皆はもっと苦しんどるんや……うちまでそないな風になって、皆に迷惑掛ける訳には―――
「―――なあ、いづな。オレはそんなに頼りないか?」
「な、何言うとるん。いつも頼りにしとるやないか」
「なら、何故今頼らない。オレでは、お前の相棒には足りないか?」
「え―――」
今、何つった?
相棒……今、うちの事を相棒って言うたん?
いや、ちょっと違うみたいやけど、それでもうちの相棒になりたいって、そんなニュアンスで―――
「お、おいいづな!? 何故いきなり泣く!? オレはそんなに変な事を言ったか!?」
「え……あ、あれ?」
気付かぬ内に流れていた涙を、慌てて袖で拭う。
何で……感情が制御できひん。
こんなん、いつものうちやない……うちは、霞之宮いづなは、もっと飄々としていて、そんで皆のまとめ役で―――
そんな混乱するうちの頭に、そっと触れるものがあった。
「……済まない、お前を傷つけてしまうとは思わなかった」
「っ……ちゃう、ちゃうんよ、まーくん……!」
まーくんは悪くない。悪いのはうちや。こんな事で自分のペースを崩してまうなんて、思いもせんかった。
でも……本当に、嬉しかったから。
「……なあ、誠人」
「っ! ……何だ、いづな?」
「さっき、うちの事を相棒って呼んでくれた……あれ、どうしてなん?」
「あ、ああ……アレは、オレがそう在りたいと思っていただけだが」
「……そか」
ダメや、やっぱり嬉しい。
こんな顔、誠人に見せとうない。
でも、伝えなあかん。それやないと、この鈍いようで鋭い少年は、自分が悪いと勘違いしてまう。
「うちな……ずっと昔から、対等な仲間が欲しかったんや」
「……成程。確かに、お前はずっとオレ達を纏めながらも、自分からはリーダーなどとは言い出さなかったからな」
「変な所で鋭いなぁ、誠人は」
袖で顔を隠しながらも、うちは思わず苦笑してまう。
せやけど、本当に妙な所で鋭い。まさか、うちが無意識に言っていた事まで覚えとるとは思わんかった。
うちはずっと、対等な仲間が欲しかった。
せやけど、幾人かの人数で纏まれば、うちは必ず皆の上に立ってまう。
そして、うちもそれを拒む事は出来ない―――そんなうちの僅かな抵抗を、誠人は見逃しとらんかった。
見ていてくれたんや、ずっと。
「……なあ、ちょっと昔話に付き合ってくれへん?」
「ああ」
珍しいな、などと思っとるんやろう。
せやけど、それを口に出さない優しさが、うちには心地良かった。
小さく口元に笑みを浮かべ、うちは話し始める。
「うちな、実家は嫌いやけど……でも、一人だけ大好きな人がいたんや。それが、うちのお姉ちゃん」
「姉……」
「お姉ちゃんはカッコ良くて、小さい頃のうちの憧れやった。うちはお姉ちゃんのようになりたくて、必死に剣の練習をした」
強く、優しい。そして、霞之宮の歴史でも類を見ないほどの天才。
女性の身でありながら、当主の座を得るとまで言われた天才剣士やった。
うちは、そんなお姉ちゃんに憧れて、お姉ちゃんに認めて欲しくて、必死に剣を振るっとった。
「そんなある日、うちはある声を聞いた。手に持った剣が、うちに囁きかけて来たんや。
その言葉に従ったら、どんなに練習しても出来なかった剣技を、あっさりと使う事が出来た」
「……それが、お前の《神の欠片》だった訳か」
「せやね。それで、お姉ちゃんに褒めて貰ったうちは嬉しくなって、その声を聞きながらあらゆる技を習得して行った。
お姉ちゃんに褒めて欲しい、お姉ちゃんの様になりたい……ただ、それだけやった」
刀を振るいながら声を聞き、最も正しい動きを知る。
槌を振るいながら声を聞き、最適な瞬間を計る。
聞こえてくる声には、一つとして間違いは無かったんや。
「そして、気がつけば―――うちは、お姉ちゃんの全てを奪っとった」
「……!」
声に従っとっただけのうちは、いつの間にかお姉ちゃん以上の天才と持て囃されて、お姉ちゃんが得るはずやった当主の座第一候補としての権利も、お姉ちゃんに付いて行っていた門下生も……全てを、奪ってもうたんや。
「違う……うちは紛い物や。うちはただ、不思議な声に従っとっただけなんや―――そんな事言うても、誰も信じてくれへん。
それどころか、お姉ちゃんに情けをかけとるなんぞと言うアホまで出てくる始末。
そして挙句の果てに、お姉ちゃんにまで拒絶されてもうた」
「いづな……」
「何も言わんで、誠人。これはうちの自業自得や。あの頃のうちが、愚かだっただけや」
あの頃のうちに今の思慮深さがあったら、こんな間違いは犯さんかったやろうか。
分からんけど……それでも、後にどうなってまうかぐらいは考えて行動した筈や。
『もしも』に意味は無い……それは分かっとる。せやけど、それでも考えずにはおれんのや。
「本物と紛い物の区別もつかんような奴らの為に、剣なんて握りとうない。
せやからうちは剣を捨て、刀鍛冶に没頭した―――再三うちを呼び戻そうと声がかかったけど、それは全部無視した。
……後は、誠人の知っとる通りや」
「成程な。誰もがお前を持ち上げたがる……それで『対等』に餓えていた訳か」
「やっぱ、そういう所は鋭いんやなぁ」
思わず、苦笑してまう。
さて、これでうちは丸裸や。秘めていた言葉も、全てさらけ出してもうた。
「なあ、誠人……それでも―――うちを、相棒って呼んでくれるん?」
「お前がそれを許してくれるなら、な」
「そんなん……当たり前やろ?」
そっと、誠人の手を握る。そしてそれを、自分の頬に寄せた。
うちがずっと欲しかった物……パーティのリーダーでもなく、天才剣士でもなく、ただ一人の人間として見てくれる相棒。
だからこそ……この心を、曝け出せる。
「悔しかったんよ……誠人の言う通りや。紛い物なんぞと自分で言っておきながら、結局うちは何でも出来るなんぞと錯覚しとった。
力を使えば、何でも分かるんやって―――そんな、アホな事考えとった」
「力は万能ではない、か」
「せやね。何に聞いても、ジェイさんを助けられる答えは見つからんかった……自分自身の無力さを思い知って、悔しかった。
思い上がっとった自分が、本当に恥ずかしかったんや」
「誰もが同じだ……無力だったのに、変わりはない。お前が自分を責める事は無いさ」
「ん……ありがとな、誠人」
そう言ってくれると思った―――そんな言葉を期待した、浅ましい女や。
でも、それでも嬉しい。
本当に、本当に―――
「―――ありがとうな、相棒」
―――出会えたのがこの人で、本当に良かった。
《SIDE:OUT》