白い太陽
京都の街は冷たく静まり返っていた。冬の夜、吐く息が白く浮かぶ。主人公――名は黒川蓮。彼の少年時代の記憶は、凍えるような孤独と怒りに染まっていた。
「蓮くんやわ、あの子に近づいたらあかんよ。あんたまで汚れるわ」
母の手を引かれながら、蓮は商店街の外れを歩いていた。道ゆく人々が距離を取り、陰口を叩く。蓮の家族は、被差別部落の出身だった。それだけで、すべての扉が閉ざされた。
「おかん、熱い……」
正月を間近に控えたある日、蓮の母と妹、祖母が風邪で寝込んだ。蓮は薬を買うために一人で家を出た。薬局のレジで財布を出していたとき、背後でサイレンが鳴り響いた。
――火事?
走った。息を切らし、角を曲がった先に見えたのは、炎に包まれた自宅だった。燃える家の中に、蓮の家族がいた。消防隊員が制止する中、蓮はその場で声を失った。
「……この子、もう喋らへんのです」
親戚の黒川重工の社長・黒川宗一郎は、焼け跡から引き取られた蓮をじっと見つめていた。
「ええ、黙っとったら賢そうに見える。うちで面倒見るわ」
それから50年、蓮は言葉を発さず、ただ働いた。会議、商談、経営判断――蓮は無言で指を動かし、表情だけで指示を出した。だが誰よりも冷静で、正確だった。
彼は次第に重役たちの信頼を集め、黒川重工はグループ企業へと拡大していった。
そして2025年12月24日。
「黒川蓮社長が消えました。……500億円の資産も、グループ口座から全て引き出されました」
ニュースが日本中を駆け巡った。
誰も彼の行方を知らなかった。
大晦日、京都郊外。除夜の鐘が鳴り始める午後11時40分。
廃工場跡の冷たい風の中、10人の部下が立っていた。全員、蓮が社長時代に直接育てた腹心たちだった。そこに、黒のコートを着た蓮が現れた。
「……社長?」
その瞬間、沈黙を破るように、蓮がゆっくりと口を開いた。
「もう、お前たちに歳は越させない」
言葉が落ちた瞬間、凍りつくような沈黙。部下たちの顔に驚愕が広がった。
「しゃ、社長……しゃべった?……まさか……」
蓮は冷たい目を彼らに向けた。
「……失語症なんて、最初から嘘だ」
部下の一人が震えながら声を絞った。
「……なんで……どうして今……?」
蓮の目が細められる。
「家族を焼き殺された夜の光景を、俺は50年、忘れなかった。忘れないために、声を封じた。声を出せば、俺は日常に慣れてしまう。だから黙っていた……復讐の火を消さないために」
彼がポケットからリモコンを取り出す。
「この街の上にある鉄塔、あそこに水素爆弾がある。パキスタンから、石油利権を餌に手に入れた」
部下の一人が叫んだ。
「社長、それじゃ……関係ない人まで……!」
「関係ある。誰一人、あの火事を止めなかった。あの冷たい目で、うちの家族を見ていた。京都は、家族を殺した」
11時59分。鐘の音が29回目を迎える。
蓮は、静かにスイッチを押した。
その瞬間、京都の夜空が白く輝いた。音が消え、空間がねじれ、すべてが光に呑み込まれた。
その翌日。
京都は地図から消えた。
彼の存在は、記録にも記憶にも残されなかった。
ただ、年越しを目前にして途切れた除夜の鐘の回数と、監視カメラに記録された一人の男の静かな微笑みだけが、真実を物語っていた。
――白き記憶の果てに、復讐の炎は静かに燃え尽きた。