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3章 ①

 書庫の扉は、無言のまま、私たちの訪れを拒んでいるようだった。


 王立図書館の最深部、一般記録層のさらに下、迷路のような螺旋階段を降りた先に“囁きの書庫”はある。

 この場所の存在を知る者は、今やほとんどいない。かつて“語られた物語が現実を変えてしまう”という理由で封じられた場所。


 私たちは、ラウルの手にある古い印章付きの通行符で、そこへの立ち入りを許された。


 「……準備はいいですか?」


 ラウルが私に目を向ける。緊張が声に滲んでいた。


 「もちろん。これ以上、外から読み解けることはもう残されていないわ」


 私は頷き、金属の冷たい扉に手をかける。

 瞬間、かすかな低音が響いた。扉が呼吸するように震え、私の指先をなぞった。


 ──入るのか。


 幻聴かと思ったが、扉の奥から、確かに声のようなものが届いた。だが、それは言葉というよりも“気配”だった。


 扉が開く。


 中は真っ暗だった。だが、まったくの闇ではない。


 本が、囁いている。無数の言葉たちが、まるで自らの存在を証明するかのように、低く低く語り合っているのがわかった。


 ──ああ、この感覚。ここはもう、“図書館”ではない。


 これは、言葉そのものが息づく空間。


 ラウルが小声で呟いた。


 「これが……“綴りの場”……」


 “綴りの場”――記録という行為が、単なる記録にとどまらず、現実を書き換える力を帯びていた古代の図書体系。

 それが危険とされ、封じられた場所。


 私はそっと歩を進めた。



 書棚は、どこまでも続いていた。

 まるで空間そのものが紙とインクでできているかのよう。床には文字が浮かび、天井には未完の詩が連なっていた。


 一冊の本に触れると、ページがひとりでに開き、中から透明な声が舞い上がった。


 ──わたしは、まだ終わっていない。


 まるで、本自体が書き手を求めているようだった。


 「ここでは、本が読者を選ぶ」と、どこかで聞いたことがある。けれど、この場所では逆だった。

 本が“書き手”を探している。語られなかった続きを、綴ってくれる誰かを。


 「リィナ……あれを」


 ラウルが指差した先には、銀色の羽を模したしおりが浮いていた。そこに文字はなかった。けれど、私は直感した。あれは“呼び出し”だ。


 私は手を伸ばし、羽根をつかんだ。


 瞬間、空間がふわりと揺れる。


 光が舞い、本棚の隙間が裂け、そこから一人の少女が現れた。


 淡い金髪に、インクのしみ込んだドレス。瞳は青でも緑でもない、不思議な色。


 「ようこそ、“囁きの書庫”へ」


 少女が微笑む。


 「わたしはこの書庫の番人、“夢紡ぎのソフィア”。そしてあなたが……“記す者”なのね」


 「……リィナよ。書き手としてここに呼ばれた覚えはないけれど」


 「いいえ、あなたは呼ばれたの。だって、あなたの記録がもう、外の現実を変え始めているもの」


 ソフィアの言葉に、私は目を見開いた。


 変えている……? 私の書いた記録が?


 ソフィアは棚の一冊を引き抜いた。表紙には、見覚えのある筆跡があった。


 私が綴った、あの日の記録。声なき王と図書竜の、語られなかった歴史。


 「この書は、既に“綴られた”。ゆえに、この書庫は目覚めた。さあ、続きを紡いで」


 「……けれど、それを書けば王国は揺らぐ。真実が明らかになれば、王立記録官庁も黙ってはいないはずよ」


 「真実とは、世界を揺らすためにある。言葉には、そのための力があるの。あなたが記録を恐れるなら、この書庫は再び眠るわ。でも──」


 ソフィアはそっと、私の手を取り、導いた。


 棚の中央に、一冊の“未記入の書”が置かれていた。


 まっさらな羊皮紙に、タイトルだけが書かれていた。


 『図書竜と忘れられた王国』


 「これは……」


 「あなたの物語よ、リィナ。この王国が忘れようとしたもの、すべてを綴るための本。選ぶのは、あなた」


 私は黙って、その本に手を伸ばす。


 指先が触れた瞬間、私の周囲に幾つもの囁きが集まってきた。

 声なき王、塔の番人、記録官たち、図書竜の気配さえも。


 “書け”


 “語れ”


 “記せ”


 言葉が、私を包む。


 私は深く息を吸い込み、初めての一文を記した。


 ──昔々、忘れられた国に、語ることを許されなかった竜がいた。



 私が目を上げると、ソフィアは微笑んでいた。


 「始まったわね、リィナ。あなたの言葉が、世界を目覚めさせる」


 その瞬間、どこかで“扉の音”が鳴った。


 外の世界が、何かに気づいた音。


 ラウルが静かに囁いた。


 「……これは、もう戻れませんね」


 私は頷いた。

 けれど、恐れはなかった。


 記録は、いつか誰かに読まれるためにある。


 そしてそのとき、忘れられた王国は、もう一度、物語として蘇るのだと信じていた。

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