報酬相談
酒場に戻ると、予想通りの状態だった。
ぐちゃぐちゃだ。
料理を作ってくれる女将と給仕の子は早々に奥に引っ込んだらしい。
飛んできた皿を避けながら、隅に移動していた仲間のもとに戻る。
「なんだったんだ?」
ニーチェの言葉に、肩をすくめて返事にした。それでも心配そうな顔のポリアンナは、どうやら先の引退宣言の追い討ちの呼び出しで、動揺したらしい。
「相談事なら私たちも聞ける?」
「……そうだな」
気が乗らないが、それこそ相談してもいいかもれない。
自分では荷が重い。
殴りかかってきた男に殴り返して、惨状を見てため息をつき、酒場をあとにした。
自分が泊まっている宿の部屋に全員入る。狭いが、なんとか入れた。
「……なんつーか、それは」
呆れたような顔のフェルディナンドは、十中八九さっきの光景を思い出している。
話そのものも困ったものだが、さらに最後の乱闘騒ぎを見ていたら、『断る』の文字が目の前に踊る。
何をどうしたら、あそこが『平和』になるのだろうか。
「なんのメリットもない。そもそも俺は嫁探して故郷に帰るつもりだったんだ」
「嫁を探す……?」
「両親を安心させたいんだ」
「ほんとにそう思ってる?」
疑わしそうなポリアンナの目。ニーチェも答えに窮したようにじっと見ている。
「本気だ。いいだろ、家で帰りを待ってくれる、不器用でもいいから、飯を作っておつかれさまと一言言ってくれる……」
この際、姿の良し悪しはどうでもいい。
温かな部屋で料理を並べ、自分を待ってくれる嫁。明るい笑顔があればいい。お帰りと、ねぎらってくれるそんな女性。
「多大な夢だなあ」
ニーチェがボソリと呟いた。
「だが、冒険者なんて危ない職業、出会いが少ない上に続けるには……」
命の危険がある。結婚しても続けるとしたら、『死なない魔法』をかけてもらうべきだ。まあ、魔術師なんてこのギルドでもひとりしか見かけないし、こんなところにいる魔術師はヤブだ。ついでに死なない魔法なんて聞いたことがない。
「……お前らはどうするつもりなんだ?」
ふと、身近に出会いがあった二人を見ると、似たような反応をした。
「まあ、もうしばらくはこのままだな」
と、フェルディナンド。
「まだ冒険者やめるつもりはないし……」
と、ポリアンナ。
「もう付き合って3年だったか。そろそろ身を固めてもいいと思うんだが。こんな職業だし、後悔がないようにだな、」
「こういうとこはじじむさいのよねあんた」
じろりとポリアンナに睨まれた。
だから、年だと言っている。
パーティーをこのメンバーで組んで5年。長いほうだと思うが、全員一致で、新しい仲間を入れることはあっても解散はないだろうということだ。
自分が抜けたあとは……それも、考えなければ。仲間には苦労させたくない。
「ともかく、あんたのことよ。さっきはああ言ったけど、私は、あんたが決意したんなら何も言うことはないと思ってる」
「マスターにゃわりぃが、ホントにメリットがない。依頼としても条件が悪すぎる」
「俺は……マスターの話、悪くはないと思ってる」
ぽつりと言ったのは、ニーチェ。
初めての肯定的な意見だ。
「どうしてだ?」
「だって、簡単にいえば、いいギルドにしたいって事だろ?いいギルドってつまり、安いのに危険な依頼とか、依頼人の嘘で無駄な時間過ごしたりとか、そういうのもなくなるってことだろ」
「……そうとも言ってたな」
よくあること、と言ってしまえるほど、依頼人が不誠実なことはある。
なにせ、冒険者というのは下賤な集団、蔑んでいいと思われていることが多い。いや、否定はできないが。
けれど、依頼人にそう思われ、仕方なくその悪意を受け入れるだけで、自分たちがそれを肯定していると思わせることになる。それは延々と繰り返され……事実となっているようなものだ。
マスターの話は、それを打ち破ることにもなるとニーチェは言いたいのだろう。
「……」
もうなくした、右目がチリリと痛む、ような気がした。
この仲間たちは、ベルナディックが片目をなくした原因を知っている。ニーチェは、それを気にして言ってくれたんだろう。
気軽に依頼を受け、騙され、危険な目に遭った。当時の仲間は全員死んで、自分だけはかろうじて生き残った。
つまり、そういうことをあのギルドではなくしたいと言うのだろう、マスターを信じるなら。あの時、彼は確かに本気に見えた。
「本音を言えば」
ニーチェはからかうような笑みを浮かべた。
「俺はもう少しベルナと冒険がしたい」
「あーそれなら賛成」
あっさりと意見を翻したのはフェルディナンド。
「……あんたらが言うなら、私だってそりゃあ……」
そっぽを向くポリアンナは、結局賛成なのか反対なのか。
「……つまり、俺が決めるってことには変わんねえのか」
「そりゃ」
「私らのリーダーだし」
「ねえ」
「丸投げかよ」
言いながら、ほっとする。
自分の好きにしていい、それを肯定してくれる仲間がいるのは嬉しい。
翌日、白金の山羊に向かった。
他の仲間たちには一日自由行動を言っておく。依頼を毎日受けなければならないような困窮したパーティーでなくてよかった。日頃の行いの賜物だ。
店に入ると、まだ昼前だというのに酒を片手の同業者がちらほらいる。出来上がっているものもいるが、今日は依頼を受けないつもりだろうか。
……もっとも、一番酔って見えるのは、カウンターのマスターだが。
「おい」
椅子にだらりと座り、膝に酒瓶を抱えて目を閉じている赤ら顔に、声を掛ける。
ややあって、マスターは瞼を重そうに上げた。
ドロリとした黒い目が、ベルナディックを見て、それから少し動いた。
「あー……君か」
酒に焼けた声。
ぞんざいに手を振って、奥に行けと無言で言った。けふ、と口から息を吐き出す。
「……酔っ払いだな」
間違いなく。
確かめるように呟くと、聞こえたのかマスターは口の端を上げた。一瞬の表情は、理性あるそれだった。
言われたとおり、奥へと続く戸口をくぐる。
昨日覚えた部屋へ、なんとなく足音を潜めて向かった。
しばらく待つ。
「返事をしにきてくれたか」
やはり酔ったように見えないマスターのオルカと、内仕事のダーデ。
マスターにはさっき店で声をかけた、そのときは酔っ払いそのものだったのに……わからない男だ。
「ああ、引き受ける」
黒い二対の目をしっかり見ながら、ベルナディックはそう言った。
大げさに喜ぶでもなく、二人は、わずかに下瞼をたわませた。わずかな喜びと、安堵か。
……ここまでは、なにも不審はない。
「ただし、条件がある」
「なんなりと」
「俺も協力すると言った以上、それなりに働くしあんたらの言うことは聞く。だが、俺の行動は強制するな」
「具体的には?」
「冒険者として働くこと、生活にあれこれ口を出すのはやめてほしい」
「ああ、もちろんだ。約束しよう」
意外と、あちらも過干渉は避けるつもりだったのかもしれない。
「もうひとつ。俺を、冒険者を裏切るな。嘘はつくな、とは言えないのは分かる。だが、絶対に不利益や命の危険を招くようなことをさせるな」
「……ああ、善処しよう」
さっそく、何か隠している。
だが、ふたりとも真面目な表情には変わりがない。
これは、ベルナディックが気づいても問題がないと判断したか。だが、先ほどのようにもちろん、とは言わなかった。誠実と事実、その間が善処の言葉だろう。
「あと……報酬だが」
「言い値で、とは言えないが、できるだけ対応します」
「いや、俺の動きに対してあんたらがつけてくれ。ゼロだけは困るが」
「……分かった。相応の報酬は約束しよう」
「……それと、だな」
「はい」
報酬、と言ったときからダーデが手帳を取り出しメモをしていた。そのペンの動きを見ながら、
「……女性を、紹介してくれ」
「はい。……はい?」
ペンが止まった。
オルカが、目を丸くした。
「……女性を置く店は、私の伝手はなくてだな」
「違う!そうじゃなくて!そっちは行きつけがある……じゃなくて!」
顔が熱い。別に男同士だ、仲間内でも話すことだが、この勘違いはなんだかいただけない。
「俺が冒険者を辞めたい理由!嫁を連れて田舎の両親を安心させたいんだ!だから……」
「ああ、なるほど。仲人ですか」
あっさりとダーデは表情を元に変えた。そういう役割があるらしい。やはり出会いは世の男の悩みなのか。
「かまいません。これぞという女性はいます」
「で、でも、俺は、こういう男だし、」
思わず手で右の目を押さえた。髪で隠しているが、いちおう眼帯もつけてある。今までモテなかった理由だろう。
オルカはふっと笑った。
「戦乱の時代は終わりつつあるとはいえ、戦傷者はかなりいる。そう珍しくもないだろう」
「たしかにな……」
その昔、大帝国が大陸を統一しようと戦争を始めた。数十年経った現在は、その帝国も滅び、それで余計に混乱した大陸も落ち着きを取り戻し始めた。まだ、残り火があちこちくすぶっているが……
「それに、意外と身近にいるものです、良い女性というのは」
「いや……」
じゃあ、今までのこのモテなさは一体。
とは、言えなかった。ニーチェやフェルディナンドにはさんざん愚痴ったが、聞き飽きたのか白けた顔をするだけである。
「分かりました。良い女性を選んでおきます」
「あ、でも無理強いとかはやめてくれよな」
「……ええ、もちろんです」
にっこりと、今までにない笑顔でダーデが笑った。どういう意味だろう。
オルカが両手をテーブルに置いた。
「ところで、時間はあるか?」
「え?まあ」
「話を詰めたい。今は店にいないが、間に合えば、会わせたい者もいるからな」
「えー……分かりました」
正直、もう帰ってしまいたかったが、言われてしまえば仕方がない。
「そう固くならなくていい。仲間……というのは失礼か、長い間苦楽を共にする依頼だ、警戒は困る」
「はあ」
どうとも言えず、首を振るにとどめた。それを見たオルカは、
「ダーデ」
「ああ、分かったよ叔父上」
「……おじうえ?」
「おや、知らなかったか」
オルカがダーデを指差した。
「私の甥だ」
「身内だとは聞いてたが」
「仕事には関係ないからな。そういうわけだ」
元商人一族で、叔父と甥。複雑なような、そうでもないような。
わかるのは、長年の付き合いなのか、さっきオルカに呼ばれただけで何を言われたか、ダーデは理解したのだろうということ。
ダーデは部屋を出ていった。
「ところで、嫁というのは、冒険者ではいかんのかね」
「え?」
突然マスターに振られた話題に、ついていけずにぽかんとしてしまった。真剣な顔で、オルカは続けた。
「いや、我が山羊でも、魅力的な女性はいるじゃないか」
「えー美人だな、とは思う奴もいるけど……仲間に近いしな」
美人だな、とは挨拶に言ったこともある。実際ちょっとお目にかかれないような美しい女はいたりする。
オルカは飲んだくれているようで、意外と目ざとい。案外、酔った振りは本当かもしれない。
「好みでないなら仕方ないがね」
「いや、そういうの失礼だろ。いちいちあっちだって煩わしいだろうし」
散々声をかけられているのは知っている。なにせ品がない奴らばっかりだ。強い女たちで、さらりとかわし、時には力で追い払うのも見ているが、あれに混ざって迷惑をかけるつもりはない。
「ふむ、難しいな」
なにやら困ったように顎に手を当て、オルカが唸る。
ノックが聞こえた。
「エーラに作っていただきました。食べながら話しましょう」
そう言って、大きなトレーを抱えたダーデが現れた。
「お、ありがたい」
朝が少なかったのだ。
「よかった。では……」
並べられたのは、『白金の山羊』の定番メニュー。どうやら女将が作っておいてくれたらしい。
豚のぶつ切り煮込み。濃厚な赤黒いソースと肉の旨味が凝縮され、ピリ辛の香辛料がきいている。
野菜と鶏のハルマキ。東の国の料理らしいが、もちもちの半透明の皮に包まれ、甘みのあるソースと一緒になった野菜と鶏は絶妙だった。
オニオンスープは黄金色、卵とベーコンのガレットはさっくりとした生地と卵のとろりとした食感。パンは近くのベーカリーから卸している。今日は特別に温めてあるらしい。
「酒でないのは残念だが」
グラスに注がれたのはただの水か。オルカを伺ったが……とくに残念そうには見えない。
「では、食べてくれ。話も続けよう」
まだ早い時間だからか不思議なほど静かで、酔っていないマスターたちとこんな料理を囲みながら、仕事の話。
なんだか、人生いろいろだな、とちらりと益体もないことが浮かんだ。悪い気はしない。
あれ?と思った方、いらっしゃいましたらそのままお読みください……!