Ⅱ78.支配少女はひと息いれる。
「……なに、この拷問」
実力試験解き直しから三十分、クロイがぼそりと低めた声でそう呟いた。
ステイルとエリック副隊長が買い出しから帰ってきて、三人も無事実力試験を解き終わっていた。
私とステイルで手分けして答案をチェックすると、三人ともなかなか悪くない点数だった。一番良い点数だったのは当然ながらファーナムお姉様だったけれど、ディオスとクロイも初等部までの問題は全問正解できたし、中等部も今までの授業範囲の内容は完璧だった。もともと基本問題ばかりだったこともあって、総合点数で判断すれば三人とも半分以上の点が取れている。
そこから、彼らの解けなかった問題を一つひとつ解説していく私達にとうとうクロイが不満をぶつけてきた。
どうしたの?と解説を止めて尋ねる私に、クロイは一瞬だけ眉間の皺を寄せると視線だけで隣に座るディオスを指し示しながら口を開いた。
「こんな良い匂い目の前にぶら下げられて集中できるわけないでしょ。……僕も、お腹減ったし」
ぐぅぅぅ……、と。
その直後、まるでタイミングでも図ったかのようにディオスとクロイが同時にお腹の虫を鳴らした。ちょうどクロイ以外口を閉ざして動きを止めていた私達の眼前で、はっきりと音が耳に届いてしまう。
ディオスが慌ててお腹を押さえながら顔を真っ赤にして口を絞る。「くっ、クロイが食べ物の話なんかするからっ……」とまだ誰もなにも言っていないのに言い訳のような言葉まで言い出した。たぶんこの三日間ちゃんと三食食べていたから、お腹が正しく機能し始めているのだろう。
クロイもお腹が鳴るのは予想外だったらしく、ディオスと揃ってお腹を押さえながら顔を隠すように俯いてしまった。それ以上なにも言おうとしないのを見ると、やっぱりクロイもそれなりに恥ずかしいらしい。
二人のお腹の合唱にお姉様も「あらあら……」と声を漏らして口を両手で隠した。お姉様はそんなに食べてないからか平気そうだけど、二人はペコペコなようだ。
二人ともさっきまでは結構一生懸命解説を聞いてくれていたけれど、とうとう集中力が切れたようだ。まぁ無理もない。九割を勉強机として利用されているテーブルの、残りの一角にこんなにも
美味しそうな食べ物が山積みされているのだから。
ドーン!と効果音が似合いそうなほどこんもりと積まれた料理は全てエリック副隊長の奢りだ。
私もステイルも万が一用にお金は持参しているけれど、今回は全部エリック副隊長が奢ってくれたらしい。何という太っ腹。
あまりファーナム家から離れないようにとあまり時間をかけないようにと近くの市場で買い出しをしてくれた二人は、通常の七人前以上の量の食べ物を手に戻ってきてくれた。その全部はエリック副隊長が一人で軽々と抱えてきてくれて、ステイルは文字通り付き添いといった感じだったけれど。十四歳のステイルとエリック副隊長だと歳の離れた兄弟のようだった。
……そして近場で買った、というのがどうやら二人には余計に誘惑が強かったらしい。
エリック副隊長がテーブルに積み上げた食べ物の数々に、二人とも「あ!これクロイが食べたがってたやつ!」「なんで僕だけなの!ディオスもでしょ‼︎」「これとかディオスちゃんがずぅっとお店の前で眺めていたお肉じゃないかしら?」「姉さんこそ、このキッシュ見覚えあるんじゃないの」と三人とも目がきらっきらしていた。
今まで彼らが遠目で見ることしかできなかった憧れの食べ物シリーズを見事にチョイスしてくれたらしい。完全にデパ地下伝説の限定スイーツとか前にした女子のような眼差しだった。
流石にあの盛り上がりには私も「私語厳禁」と口出しできなかった。既にもう最後の数問だけだったのもあるけれど、もう水をさしちゃいけない気がするくらいの燥ぎっぷりだったもの。
それから問題を解き終えてこうして私とステイルで解説する中、目の前で憧れの食べ物が香りだけで誘いながら食べられるのを待っている。クロイの言う「拷問」発言もあながち間違っていなかった。
解説に集中していて時計を見ていなかったけれど、確かに確認すればもうお昼時だ。少なくとも答え合わせは終わったのだし、そろそろご飯でも良いかもしれない。
ステイルに確認するように目を向けると、彼も私の視線を受けて「そうですね……」と肩を落としながら頷いてくれた。もう二人の集中力もお腹も限界なら仕方がない。せっかくジルベール宰相が整えてくれた食事生活リズムも壊したくない。
「一度食事にしましょう。二人とも、筆記用具と紙は汚さないようにテーブルから片付けてちょうだい」
ペンはもちろんだけど、未使用の紙にこぼしちゃったりせっかく勉強内容を纏めた紙が読めなくなってしまっては大変だ。
そう思って二人に声をかけると、ディオスもクロイも同時に頷き勢い良く椅子から立ち上がった。お姉様も手伝ってくれようとしたけれど、席を立つ前に二人が「「姉さんは座ってて!」」と言葉を揃えた。
今は体調も良いのに、と呟くお姉様がそれでも仕方なさそうに再び同じ席に腰掛ける。バタバタと早々に食事をするべく紙とペンを貴重品のように運びながらテーブルの上を片付ける二人を眺め、最後に小首を傾げながら私に笑いかけた。
「我儘言ってごめんなさいね、ジャンヌちゃん。あんなご馳走、もう何年も食べていないから嬉しくて」
騎士様も申し訳ありません、ありがとうございますと。続けてもう二度目になる台詞を再びお姉様は口にして頭を下げた。
買ってきた時にも言われた言葉に、エリック副隊長は「いえ、とんでもありません」と軽い動作と笑顔で返していた。
てっきり大人のエリック副隊長が形式だけでも奢ると言えば自然に三人が甘えられるから言ってくれたのだと思ったけど、本当に奢ってくれちゃうなんて。
城に帰ったら代金をお支払いしないと、と思うけれどこういうのって男性側的には払っても良いのだろうか。一般的な男性の奢りに関しての心構えなんて前世でもデートどころか合コン経験もない私にはわからない。今世はずっと王族だし。
アーサーがエリック副隊長に歩みよってコソコソと耳打ちしていたけれど、エリック副隊長は「良いから良いから」と笑って断っていた。たぶんアーサーのことだから、自分の分だけでも払いますとか、いくらしたんですか、とか聞いたのだろう。
男同士で尚且つエリック副隊長の方が年上で先輩には変わりないのにちゃんと言うところが、相変わらず律儀なアーサーらしい。
でも……‼︎とそれでも食い下がるアーサーにエリック副隊長はおかしそうに笑うと、話を終わらせるようにパンッと彼の背中を叩いた。
「ジャンヌ!テーブル片付けたから‼︎開けるよ⁈!広げるよ⁈!広げて良いんだよね?!」
何故か買ってきてくれたエリック副隊長ではなく、私に向けて興奮した様子で声を上げるディオスは、鼻息も荒かった。
もう食べたくて食べたくて仕方ないのだろう。セドリックの話だとオムライスもすごく美味しそうに食べていたし、二人とも食べるのが好きなのだろうなぁと思う。
私から一言返せば、一度中身を見た後再び戻した紙袋の中へディオスが手を突っ込んだ。そのまま、きらきらの笑顔でひとつひとつテーブルに並べ出す。
クロイもそれに続くように別の紙袋からひとつ一つ並べては、途中で「これ、姉さんの」「これディオスの」「あ、これ僕食べて良い?」と時々仕分けをしながらテーブルに並べ出した。
「私達はどれでも良いわ。先に選んで」
良いわよね?とそのままステイルとアーサーに視線で尋ねれば、二人ともはっきりと頷いてくれた。
アーサーの隣でエリック副隊長も楽しそうだ。ディオスとクロイが五種類のサンドイッチの中でどれを選ぶかを真剣に悩んでいるのを眺めながら、肩を揺らして笑っていた。
私やステイルもこういう城下の食べ物なんて食べれる機会は無いし、正直私も思いっきり選り好みしながら選びたい欲はあるけれど、それよりも三人の嬉しそうな顔の方がずっと良いなと思う。
最終的に最初の一つ目はディオスが卵とハム、クロイがビーフのサンドイッチを選んだところで落ち着いた。
その後に食べるのも先に選んで良いわよ?と言ったけれど、二人ともどれも食べたいものばかりだから絞りようがないらしい。ディオスが「ジャンヌ達も選んでよ!」と言いながら、お姉様の分の野菜スープをカップによそい始めた。
クロイがお姉様の分の白いパンを確保しながら、私達もテーブルの側にと促してくれる。歩み寄ってみれば、どれも確かに美味しそうだ。
串に刺さったお肉や魚とか、ちょっと変わった趣向のパンとか、ついでに干し肉や魚の塩漬けも凄く私の目には新鮮だった。取り敢えず菓子パンぽいのをひとつ選ぶと、ステイルもシンプルな作りのパンを手に取った。アーサーが奢られたことに遠慮しながら骨つきのお肉を手に取れば、エリック副隊長もそれに続くように串に刺さった魚を手に取った。
お姉様のスープを持ってきたディオスが席につき、食べ始めると同時に私とステイルは例によってパンを一口分千切る。そのまま自然な流れでステイルがアーサーの口へ毒味代わりに放り込んだ。あむっ、と自分から口を開いていたアーサーがすぐに飲み込むと、ステイルはなにごとも無かったように残りのパンへかじりつく。王族のルールだし、アーサーも慣れた様子だ。私も自分のパンを一口分ちぎり、傍にいるエリック副隊長の
ちょうど開いていた口へと運ぶ。
「?!……」
あ。
……エリック副隊長が思わず、といった様子で口を閉ざした瞬間に私も気付く。
てっきり、アーサーと同じ流れで口を開いてくれていたのだと思っていたけれど、エリック副隊長の口は食べ物待ちではなくて、何かを言おうとしていただけだった。
ステイルとアーサーの様子を見てうっかりしていたけれど、エリック副隊長が王族……というか女性相手に自分から口に直接食べ物待ちする人なわけがなかった。多分今のも「自分が毒味します」とか何とか言おうとしてくれた途中だったのだろう。
しまった、と思った時にはもう遅く、一欠片のパンはエリック副隊長の口に消えていた。目が目蓋がなくなってしまったようにまん丸で、丸飲みもする間もなく口を閉ざしたエリック副隊長が固まってしまう。
やっちゃった……、とあまりにも不躾なことをしてしまったことに私も何も言えずに見つめ返してしまう。すると、みるみる内に硬直したエリック副隊長の顔色が赤らんでいった。
エリック副隊長⁈と、まさか喉を詰まらせたのかと思って声を上げてしまうと、エリック副隊長は勢い良く顔を背後に背けてしまった。栗色の髪から覗かせる耳が先まで真っ赤で流石に私も慌ててしまう。何も言わずに手渡しではなく直接無断で放り込まれれば喉を詰まらせるのも当然だ。
本当に小口分だったし大丈夫だと思いたいけれどもう窒息しかけているみたいに赤いしこれはまずい‼︎後頭部しか見えないエリック副隊長の背中を摩りながら、私は二度目の悲鳴を上げる。
「だっ、大丈夫ですか?!ごめんなさい、突然、その、うっかり、エリック副隊長喉詰まらせ……⁈」
「ッン゛!ッッいえ!大丈夫、だ‼︎自分こそ大変失礼を……」
ゴクンッと鈍い音が聞こえたと思えば、エリック副隊長が振り向かないまま声を上げて返してくれた。
大分焦ったのか、ジャンヌへと敬語が混ざっている。喋れるということはもう呼吸は平気なのだろうけれど、窒息しかけた顔の赤みは変わらない。
本当に、本当に⁈と言葉を重ねながら背中をさすり続けるけれど、エリック副隊長は全くこっちを向いてくれなかった。そんなに苦しかったのだろうか。
まさか本当に毒が⁈!とまで考えて血の気が引いていく。私達の騒ぎに気づいたアーサーが慌てて買ってきた水を手に、エリック副隊長へ駆け寄ってくれる。「大丈夫すか⁈」と声を上げているアーサーもエリック副隊長を心配して顔が真っ赤だ。
本当に本当にごめんなさい‼︎と平謝りする私に、ステイルが顔を両手で覆って俯いてしまった。肩を落とした上に「ハァ〜〜〜……」と深い溜息の音まで聞こえてきてもう確実に呆れられている。
「ジャンヌ。……あまりエリック副隊長をいじめないで下さい……」
好きで窒息させたわけじゃないのに‼︎‼︎
絞り出されたステイルの言葉に、口をパクパクしたまま言い返せない。確かにご飯買いに行かせて奢らせて無理やりパンを食べさせて喉詰まらせるとか最悪の虐めっ子だけれども‼︎‼︎
必死に大きな背中へ私は謝罪を繰り返し、アーサーが二杯目の水を用意してくれてステイルが呆れている間、大量にあった食事が次々とファーナム兄弟の胃に収まっていったことに気付くのは、真っ赤な顔のエリック副隊長がやっと振り返ってくれてからだった。




