そして目の当たりにする。
「ジル、……がこれ作ったンすか?」
マジで?と、アーサーが横からまじまじと私の持つカップの中身を覗く。
細かく刻まれた野菜のスープだ。野菜の旨みが凝縮されているのが香りでわかる。
ジルベール宰相が作ったというなら食べてもいいかしら……?とステイルに確認を取るように目を向けると、少しだけ難しい顔でマグカップを睨んでいた。手を伸ばし、「失礼します」とマグカップに差されたスプーンを手に取り掬って、…………自分の口に運んだ。待って、私の毒見に従者とはいえ王族のステイルがやったら全く意味がないのだけれど。
「……いい味ですね」
ぼそっ、とどこか負けを認めるように呟いたステイルが、目を逸らす。
アーサーが小さく「ずりぃ!」と言ったのを聞くと、きっと彼も食べたかったのだろうと思う。先に一口飲む?とマグカップを渡してみたけれど、その途端ブンブンと首を横に振られてしまった。スプーン無しで王族の食べ物に口をつけるのは流石に気が引けるらしい。恐れ多さから若干顔が赤らんだアーサーに、別に気にしなくていいのにと思う。仕方なくお言葉に甘えて、残りを直接口をつけて私が飲めば柔らかな味がした。なんだかすごく久々に食べる家庭料理の味だ。
「まさかこんな特技まで……」
エリック副隊長も関心するように呟く。
国の宰相がまさかの料理なんて、予想もしないだろう。だけどジルベール宰相は元々上級層の人間でもないし、自炊ぐらいはできてもおかしくない。
今はクロイよりも比較的落ち着いている気がするディオスに、一体どういう流れでスープなんて作ってくれることになったのかと尋ねてみる。するとディオスはちらっとお姉様の方に目を向けてから、低めた声で答えてくれた。
「二日前に来た時からなんか、すごいあいつ勉強以外でも口を出してきたんだ。勉強も教えてくれたし、確かに頭も良かったけど」
『節制の意味をご存じないようですね』
……そう、ジルベール宰相に言われたらしい。
まさかの勉強とは全く関係ないところで、家を訪問してすぐ怒られたと。自分達よりも小さい子どもに突然節約生活をケチつけられてなかなか二人とも怒ったらしい。
するとジルベール宰相は三人に勉強を教える片手間で見事に必要資金内で美味しい食事を自炊で振る舞ってくれたと。
彼らがパンを買って薄めたスープで済ませていた食事が、同じ値段内で見事に美味しく腹持ちも良くなったという驚きの節約料理術。その上で「身体の基本は食事です。食生活だけでも体調はある程度保てます」と叱られた。
そしてそれを皮切りにがっつりジルベール宰相による勉強以外も含めた指導が入ったと。その話を詳しく聞いていく内に二人が言うジルベール宰相の〝怖い〟の意味がわかってきた。
どうやらジルベール宰相は勉強だけでなく、彼らの生活も含めて全面的にサポート……というか改善に努めてくれたらしい。持参してくれたのは大量の紙とペンのみ。後は何も持たずに現れた少年にそれだけでも二人はかなり驚きだったらしい。
食事なしでは頭が働きません。という指導の元、買い出しからご飯まで作って食べさせてくれて、彼らが勉強に集中できるように食器洗いから掃除と洗濯までこなし、深夜になる前には「ちゃんと寝るように」ときっかり切り上げて帰っていったらしい。
それ全部をやった上で三人の勉強を抜かりなく済ませてくれていたというのだから恐ろしい。しかもディオスとクロイからすれば一体いつ食事を作ったんだ、掃除を済ませたんだレベルだったらしい。そうして自分達に有無も言わせず、机へ封殺してきたのが本気で不気味で怖かったと。
しかも勉強自体は割と優しく教えてくれたのに、お姉様の食事生活や硬い椅子や部屋の換気の数の少なさとか、後は家自体の老朽化もまずいから潰れる前に対策を考えなさいとか、特に何故かお姉様がらみで怒る時だけ十三歳とは思えない威圧感で気圧されて怖かったと。……まぁ理由はわかるけれど。
ディオスやクロイが何度か、片手間に家事をこなしてくれるジルベール宰相に「そんなことよりお前も休みなよ」「君さ、そんなのやって勉強に何に役立つの」と言ってしまえば、それはもう凄まじく冷たい笑顔で睨まれ諭され背筋が凍ったと。
きっとジルベール宰相のことだから、ディオスとクロイもそうだけれど、お姉様の体調保持に関しては〝そんなこと〟扱いされるのが腹立たしかったのだろう。
私も話を聞いていれば受験生のコンディションキープにも勿論大事だけど、身体の弱いお姉様の体調改善にはどれも必要不可欠なものだ。勿論、今まで仕事で忙しかったファーナム兄弟には手が回らなかったのも仕方ないと思うけれど、ジルベール宰相がどれも譲れないのも仕方ない。……やっていることが、家庭教師というよりも姑みたいだけれども。
「どれも私達のことを気遣ってくれたことよ。ディオスちゃんもクロイちゃんも、今日はすごく顔色が良いもの」
私もすごく体調が良いわ、と。ディオスの話を聞いていたお姉様が柔らかく笑みながら、ジルベール宰相の弁護をしてくれる。
確かにディオスもクロイも元気だし、髪の色と同じくらい血色が悪かった時と比べれば見違えるようだった。正しい食事と睡眠って本当に大事なんだなとわかる。
お姉様に至ってはさっきなんてクロイを怒る為に声を上げる元気もあった。この三人分のスープも、テーブルで眠ってしまった二人より先に寝室から起きてきたお姉様が温めてよそってくれたらしい。ジルベール宰相が帰る時にすぐ寝るようにと指示したけれど、二人は言いつけを破ってその後も勉強をし続けていたらしい。……ジルベール宰相が知ったらそれこそ怒るだろうな。
二日前はちゃんとベッドで寝たことを聞いても、今日はジルベール宰相がいないから安心して二人も無理をしたのだと思う。
お姉様からすれば栄養のある食べやすい美味しい料理を提供して貰えて、自分の椅子も長時間座っても身体が痛くならないように手を加えてもらえて、自分だけでなく弟達の体調管理までしっかりして貰えて、たった二日で過ごしやすい空間を作って貰えた上で勉強まで手取り足取り教えて貰えたから凄く感謝してくれているらしい。……きっと、ジルベール宰相のことだから五年前までのマリアの看病とかでそういうのに敏感なのだろう。今更ながらステラちゃんは本当にいい環境で育っているのだろうなぁと思う。
「ほら、二人もスープだけでもちゃんと食べて。ディオスちゃんとクロイちゃんが美味しく食べてくれたら、お姉ちゃんもおかわりできちゃう気がするわ」
にこにこと笑ったお姉様が飲み終わったカップを置くと、今度は片手ずつ二人のカップを持って歩み寄ってきた。
お姉様にスープの入ったカップを持たせることに、慌ててディオスもクロイも急いでそれを受け取っていた。「おかわり食べれるの⁈」「本当に⁈」と言葉を返す二人の発言から聞いても、きっとお姉様にしては珍しいことなのだろう。
私も飲み終えたカップの底を眺めながら、少しだけ考える。調味料よりも野菜の旨みで仕上げられていて、何より野菜にしっかりと火が通ってスプーン無しでも食べれるくらいに細切れにされていて、しかも腹持ちが良いようにとろみがついている。……病院食、というには美味しすぎるけれど、本当にお姉様が食べやすいように作ってくれたのだろうとわかる。奥さんのマリアは本当に幸せ者だ。
二人が大人しくうっすらと湯気が立ったスープを飲むのを確認したお姉様は、本当に二杯目をおかわりしにキッチンへと向かった。ファーナム兄弟が振り返るより先にアーサーが「自分がよそいます!」と駆け寄ってくれる。ありがとう、と笑うお姉様は本当に生気に満ちていた。
「……絶対あいつおかしい。僕らより子どものくせになんであんなになんでもできるんだよ……姉さんにも気にいられるし」
「あの年で中級貴族の使用人やっているって本当なの?怖いよ。あと絶対姉さん狙ってる」
……貴方達の倍以上生きている、もうすぐ二児の父になる愛妻家宰相です。
そんなことを言える筈もなく、ムスーーーーーとむくれながらスープを飲む二人に私は言葉を飲み込んだ。
まだ勉強の進捗状況を教えてもらうまでもなく、ジルベール宰相の凄まじさを目の当たりにしてしまった。




