Ⅱ76.支配少女は再訪問し、
コンコンッ。
「こんにちは、ジャンヌです。ディオス、クロイ、いるのでしょう?」
ファーナム家に着いた私達は早速ノックを鳴らす。
今にも崩れてきそうな玄関屋根に若干びくびくしながら彼らを呼べば、暫くしないうちにパタパタと足音が扉の向こうから聞こえてきた。二つ分の足音が重なっているからきっと二人揃ってだろう。
アーサーが脇に抱えてくれている紙の束を持ち直しながら、足音に少し身構える。パタパタとした足音は玄関に近づくにつれてドタドタとも聞こえそうな大きな音になっていく。もう扉の向こうまで来たかなと思えば、溜めもなく勢いよく扉が開かれた。
一気に視界が開け、目の前には扉を引いてくれたディオスとクロイが並んでいた。……なかなかの形相で。おはよう、と挨拶から掛けようとしたけれど、その前に凄まじい声を二重音で放たれる。
「「なんだよあの子!!!!」」
苦情。と言えるその言葉に思わず口端が引き攣ってしまう。
あははは……と棒読み状態の笑いが漏れる中、背後でステイルがぶふっ!と噴き出すのが聞こえた。反対隣からはアーサーが小さく「あー……」と納得するような声を洩らす音が聞こえる。どうやらアーサーもステイルも予想はできていたらしい。
この場で一番大人であるエリック副隊長が「まぁ落ち着いて落ち着いて」と柔らかく二人をなだめてくれるけれど、前のめりのまま私を睨む二人は未だ目を離さない。
たった一日空けただけなのに、二人とも身だしなみからすごいことになっていた。
表情自体、ディオスもクロイも若葉色の目を吊り上げて白い歯をむき出しにしているところからして違う。更にはサラサラだった筈の白髪が二人揃って寝癖がついている。ディオスが右向き、クロイが左向きにヘアピンごと髪が跳ねているから、いつもより二人の見分けがつきやすかった。もしかして勉強中に寝落ちでもしてしまったのだろうか。眼の下にクマはないから、睡眠不足ではなさそうだけれども。
ノックを鳴らすまで突っ伏していたのか、もしくは俯けで寝ていたのか、頬や額にうっすらと赤い痕が残っている。文字通り修羅場を潜り抜けた姿だ。ジルベール宰相も思った以上に力を入れてくれちゃったのだなぁと思う。
「怖いよ‼︎なんでジャンヌも一緒にいてくれなかったんだよ‼︎あんな怖いやつ顔見せだけじゃ足りないだろ‼︎」
「何なの君⁈まともな知り合いいないの⁇ていうかあの子本当に十三歳⁈怖いし怖いし怖いしすっっごく怖いし‼︎」
のんきに私がそんな分析をしている間にも、ディオスとクロイの叫びが続く。ディオスはまだしもクロイまでというのが少し意外だ。何気に核心をついているのが恐ろしい。
とにかくここだと近所迷惑になるから……と、必死に私からも宥めながら家の中にいれてくれるようにお願いする。早朝というほどではないけれど、まだ朝だ。
いつもは静かであろうファーナム家でこんなに騒ぎになったら余計にご近所から注目を浴びてしまう。両手を顔の前に上げて見せながら強張った表情筋で笑顔を作ってお願いすると、二人とも口を同時にムッと噤んでから扉の向こうへ左右に別れて空けてくれた。
お邪魔します、とそれぞれ挨拶をしながら私達は彼らの前を横切り家の中に入る。二日前と変わらない埃の無い綺麗な廊下を通れば、リビングの奥から「いらっしゃい」と柔らかな声が聞こえてきた。お姉様だ。
良かった、取りあえずお姉様は怒っていない、と息を吐きながら私達は奥へと進む。まぁジルベール宰相がお姉様にスパルタするとは思っていないけれど。……あれ?なんか……
「なんか美味そうな匂いしません?」
確かに、と。アーサーの言葉にエリック副隊長も続く。
私もくんくんと鼻を鳴らしてしまう。
うん、やっぱりそうだ。ふんわりと柔らかで美味しそうな香りが廊下まで届いている。もしかして朝食中にお邪魔してしまったのだろうか。二人の様子だとてっきり寝起きだと思ったのだけれど。それともお姉様が作ってくれたとか……。
廊下を通り抜けリビングの前までたどり着けば、間違いない料理の香りが直撃した。今朝、城で食べてきた筈なのに食欲が湧いてきそうな香りの中心へと目を向ければファーナムお姉様が一番座り心地の良さそうな椅子に腰かけたまま笑いかけてくれた。大きさ的には以前セドリックが二人に勧められた椅子だろうけれども、何か色々変わっているような。
「今日は宜しくお願いね、ジャンヌちゃん。フィリップ君、ジャック君。……そちらの方は昨日の騎士様ですよね?」
湯気のたったカップを両手で持ちながら、最後に私服姿のエリック副隊長を確認するように覗いてくれる。
ステイルから簡単に、エリック副隊長は私達がお世話になっている家の人で、今日は非番だから付き添ってくれたと説明するとお姉様は深々と頭を下げてくれた。
「先日は本当に弟達がお世話になりました。今日も貴重なお休みに申し訳ありません。ジャンヌちゃん達にもとてもお世話になっています」
「休みの日にまで騎士様出動させるとか、本当に君何様?」
クロイちゃん!と、お姉様の挨拶に水を差してしまったクロイが軽く怒られる。
むすっ、としているクロイはエリック副隊長の背後から私達を通り過ぎてお姉様の隣まで行く。それから、ごめんなさいと仕方なそうに謝ってくれたけれど、すぐに私達からディオスと一緒にお姉様へ視線を注いだ。
「良いから姉さんはゆっくり食事していてよ。僕らは後で食べるから」
「おかわりいる⁇食べれそうだったら、僕の分も食べて良いから」
順番に話すクロイとディオスにそれぞれお礼を返すお姉様は、それでもまたか細い声で「クロイちゃん。せっかく親切にしてくれた人に悪い言い方は……」とおとがめを続けた。
一度形式的には謝ったクロイも二度目は言いたくないらしく、唇を尖らせるとゆっくりとした動作でキッチンに逃げてしまった。
お姉様が食事をしていた大きなテーブルは、スープが入っていると思われる大口のカップが二つ。お姉様が持っているのとお揃いなのを見ると、ディオスとクロイの分だろうか。
そしてその一角以外はテーブルの大半が紙の束で埋まっている。
使用済みらしい紙は端に積まれているけれど、なかなか凄まじく書きこまれているのが遠目でもわかった。本来は食事の為のテーブルなのだろうけれど、今は勉強範囲九割、食事一割といったところだろうか。
二人の話だとペンと紙の束はジルベール宰相が「貰い物」と言って提供してくれたらしい。アラン隊長に製紙業のお兄さんを勝手に作ってまで提供した紙に、今度はジルベール宰相からの補給だ。ありがたい。昨日も学校から帰った後、アラン隊長にお詫びも兼ねて兄弟の職業設定決定を伝えた時は「良い職業ですね」と笑って許してくれたけれども、なるべく架空兄弟設定はボロを出さないためにも多用は避けたい。
「お食事中にお邪魔してごめんなさい。大丈夫よ、ディオスとクロイも朝食をしながら勉強しましょう。せっかく作ったのだから」
「作ったのは僕らじゃないよ。……あのジルって子」
再び私の言葉を切ったクロイの言葉に思わず「えっ」と声が漏れる。
見返せば、キッチンからクロイがスプーンの刺さったマグカップを片手に戻ってきてくれた。じっ、と私を上目で睨みながら真っ直ぐ歩み寄ってくると、押し付けるようにカップを手渡してくれた。受け取る瞬間、小声に「言い過ぎたごめん」と早口で囁いてくれたからお詫びのしるしもあるのかもしれない。




