Ⅱ75.支配少女は向かう。
「本当に申しわけありません。自分の都合でいらっしゃる時間を一時間も遅らせて頂き、感謝しております……」
学校前日。
いつものようにエリック副隊長の家から出た私達に、最初に掛けられたのは謝罪だった。
もう一週間で大分歩き慣れた靴で道を踏みならしながら、心地よい風が前髪をなびかせる。学校とは違う方向へ歩く私とステイル、そしてアーサーに反してエリック副隊長は最初から肩が丸かった。
「いえそんな!こちらこそ学校の日でもないのにまたお邪魔させて頂いてありがとうございます!急ですからエリック副隊長に予定を合わせるのは当然です!」
「ジャンヌの言うとおりです、エリック副隊長。僕らは全く気にしてはいませんから」
私に続きステイルも穏やかな声を掛けてくれる。
アーサーも思いっきり同意するように激しく頷けば、途中で銀縁の眼鏡が落ちかかっていた。「恐縮です」と覇気のない声で返してくれるエリック副隊長は、それでもまだ落ち込んでいる。私からも話題を明るくすべく、エリック副隊長に別の話題を振りかける。
「それよりもエリック副隊長。その格好やっぱりすごくお似合いですね。任務以外の装いを拝見するのは初めてだったのですごく新鮮で素敵です」
最初にその格好でお会いした時に思わず言ってしまった台詞をまた殆ど同じように繰り返してしまう。
でも、本当に素敵だなと思ったから仕方ない。自分でも語彙力が足りないと思いながらも、エリック副隊長を見上げて笑ってしまう。すると言った時と同じようにエリック副隊長の顔色がみるみる内が赤らんでいった。さっきと同様に子どもの姿である私に言われても説得力どころかお世辞に聞こえて恥ずかしいらしい。……申し訳ない。
けれど、恥ずかしがる必要もないくらいお似合いに違いないのに。この子どもの格好でいくら言ってもどうやら信憑性はゼロだ。ありがとうございます……とまた弱く擦れた声でお礼を言ってくれたけれど、目がかなり泳いでいた。
今、エリック副隊長は騎士の装いをしていない。
カットの入ったワイシャツとズボン、そして軽い薄手の上着というシンプルな格好だ。三年前にも任務で騎士以外の装いはみたけれど、そのときともまた違って新鮮だ。すごくエリック副隊長のイメージには合っているけれど、……実は彼の服も今回は私達の子ども服同様に仕立てて貰ったものだったりする。
今日、ファーナム姉弟に勉強を教えに行くために外出中である私達だけど、母上達には内緒のお忍びだ。
ジルベール宰相の協力を得て、表向きはジルベール宰相の奥様であるマリアに逢いに屋敷へ招かれたことで許可を得られた。
馬車でジルベール宰相のお屋敷にお邪魔し、そこから一度エリック副隊長と着替えの為にそれぞれ別室に分かれた私達はジルベール宰相に〝招かれた特殊能力者〟によって……という名目でステイルが瞬間移動で連れてきたジルベール宰相に子どもの姿に変えて貰い、着替えも済ませた。
エリック副隊長も上着の下に最低限の武器は携帯しているけれど、騎士の格好では確実に目立ってしまう為、ジルベール宰相の用意した一般の服に着替えて貰った。
万が一にも私達の護衛をしている筈の近衛騎士が中級層の外れで目撃なんてされたら、私達だけでなくエリック副隊長の責任すらどうなるかわからない。……因みに、今回騎士団長は知っている。
もう約束して協力してくれるからには全部話さなければと、カラム隊長達の方から今日のことは事前に報告してもらった。お陰で昨日はアーサーやエリック副隊長の休日も先に取れたし、もし時間通りに私達が城に帰ってこなかったら騎士団総出のお迎えイベントが待っているという時限爆弾付きミッションにもなってしまった。
なまじ夕食までには帰りますと言っている以上、時間は本当に貴重だ。だからこそエリック副隊長が今も気にしてくれているのはわかる。だけど、今日もエリック副隊長の玄関をお借りしますとお願いした時、一つだけどうしてもと頼まれたのだから仕方が無い。いつも控えめなエリック副隊長からの懇願なら聞き入れないわけには行かなかった。
ジルベール宰相の屋敷から、さらにエリック副隊長だけが一足先に徒歩でご実家に向かい待機。そして私達三人が頃合を見てステイルに瞬間移動でジルベール宰相のお屋敷からエリック副隊長のお家……と、本当に二重三重の面倒な段階を踏んでやっと正体を隠して秘密行動ができている。その中でここまで手間を掛けさせてしまったエリック副隊長には配慮すべきだ。
弟さんであるキースさんが仕事に出てから訪問して欲しいというお願いを。
「でも、大丈夫っすか?どちらにしても後からご家族の口からキースさんにもバレるンじゃあ……」
「いやそれは良い。最初にまた問答することになるよりマシだ」
心配そうに尋ねるアーサーの言葉に、エリック副隊長は火照った顔に風を送っていた手で今度は頭を抱えた。同時に顔の赤みもスーッと引いていく。
最終的にはハァ……と溜息も混じったエリック副隊長は朝から疲労の色が濃い。なんでも、以前のことがあってからもキースさんはどうしても私達を王都観光させたいと思ってくれているらしい。
話してくれたエリック副隊長の含み方から考えると、多分それ以外にも何かしらキースさんに悩まされている要素があるのかもしれない。それに、いつも休日は実家の仕事の手伝いがあるからと断っている王都観光を差し置いて、私達が休日に友達の家に遊びに行くなんて知ったらきっとキースさんも何かしら思うところがあるだろう。……本当はキースさんと王都巡りも楽しそうだと思うのだけれど。
正体を隠す為とはいえ、こうして親切なキースさんを避けることになってしまっているのは良心が痛む。いっそ本当にどこか一日くらい今日みたいに都合を付けて空けられないかしらと考えてしまう。
「今日はキースも帰るのは遅いでしょうから、帰りは少なくともばったり会うことはないと思います」
「そういえば、キースさんはお仕事に何を……」
ステイルが思いついたように聞き返すそれに、私も気になって顔を上げる。
そういえばまだ聞いてなかった。城に帰って資料を見ればわかるのだろうけれども、まだ具体的にエリック副隊長のご家族の仕事までは聞いていない。今のところキースさんは朝からいない時もあれば普通に朝食を食べている時もあるし、敢えて私達が訪れるのを待ってくれている時もあった。仕事着……というのもそれらしい格好でいるのを見たことない。この前学校に迎えに来てくれたのもあの日が定休日というような言い方でもなかった。
一体どんな……と思えば、エリック副隊長は視線を一度宙に浮かせた後に苦笑いをした。「彼は……」と若干言いにくそうにする様子に、もしかして聞いちゃいけなかっただろうかと心配になる。なら次の話題を今から考えないとと考えていれば、思ったよりもすぐにエリック副隊長は続きを話してくれた。
「王都の〝新聞社〟という小さなところで働いていまして……。……一言で言えば、民向けの布告紙と読み物を合わせた情報書物のようなものでしょうか」
ご存じないかもしれませんが……と笑うエリック副隊長に、思わず私は目が丸くなる。
新聞⁈フリージア王国にそんなものがもうあったの?!
存じないどころか、前世の記憶がある私にはがっつり知っている文明書物だ。興味深そうにしているステイルとアーサーを置いて、ものすっごく前のめりに聞きたい衝動を必死に堪える。まさかキースさんが新聞社でお勤めなんて全く想像もしなかった。
我が国ではまだ新聞という文化は根付いていない。交付も布告役が広め回ったり、看板を立てたり張り紙で宣伝するとか各地の領主に布告を任せるとかの形が殆どだ。我が国は特殊能力者のお陰で比較的に国中の情報が回りやすいけれど、それでもまだ新聞の文化が広がってはいない。私も城内に居て今まで一度も新聞記者が取材とかに来たことが無いし、きっとキースさんの働いているところは次世代文明の先駆けなのだろう。
今は珍しい仕事扱いかもしれないけれど、私からすればとてもすごいことだ。キミヒカにも新聞の出番なんてー……、……。…………うん。あった。少なくとも第三作目にはきっちりありましたとも。
間違いない。前世で唯一何度もやったほどはまった第三作目の記憶だけは間違いない。第三作目の世界には絶対に新聞の出番があった。ただ他のシリーズはどうだったかというとまだ思い出せない。二作目は……、……うーん、わからない。少なくても全体的な流れとしては新聞の出番は記憶にない。パウエルの電気といい新聞といい……一体時間の流れがどうなっているのか。
乙女ゲームはわりと物語は重視するけれど、歴史とか文明とか文化とか他にも色々矛盾がゲームキャラ都合でふわっとしているものはある。そしてキミヒカはシリーズごとのパラレルワールド扱いだったから余計に気にするプレイヤーなんていなかった。
「興味深いですね。民に多くの見識や情報を広めるという意味でも良い発想だと思います」
「キースさんもすごい人だったンすね……」
続いて新聞社についての説明をしてくれたエリック副隊長に、ステイルも感心している様子だった。アーサーに至っては口が開いたまま目がちょっと輝いている。
二人の真っ直ぐな反応に弟が褒められたのは嬉しいのか、少し照れくさそうに笑ったエリック副隊長は「いえそれほどでは」と謙遜しながら手を軽く顔の前で振った。
「キースは、あくまで雇われですから。その仕事を選んだのも彼らしい理由だと家族は納得していますし応援もしていますが、まだ軌道に乗るには時間がかかりそうです」
その為、キースさんも印刷業務から新聞の編集、場合によっては取材やネタ集めも何でも携わっているらしい。……なんでもないことのように言っているけど、それって結構重労働な上に凄いことだ。エリック副隊長も苦手なものってないイメージだし、ギルクリスト家に弱点という概念はないのだろうか。
アーサー達も同じ意見らしく話してくれるエリック副隊長の顔を食い入るように見上げている。
なんだか、キースさんが城下町を案内したがってくれる理由がわかった気がする。そんな風に町中を色々取材に回ったりもしているなら、きっと色々素敵な穴場とかも知っているのだろう。もしかしたら自分の職場を紹介しようとしてくれていたのかなと思うと、余計に興味が湧いてしまう。どうしよう、本気でキースさんの城下ツアーに行きたい。
ステイルも同じことを思ったらしく、眼鏡の黒縁を押さえながら「休日に都合が合えば見学してみたいですね……」と私にこそっと囁いた。流石未来の摂政、文明開化の先駈けは見逃さないなと私も笑顔で返しながら胸の中で舌を巻いてしまう。
いっそジルベール宰相やティアラも誘ってあげたい。国内の統治管轄する宰相と未来の王妹のティアラこそそういうのに触れるべきだと思う。……いっそ来月にでも王族としてティアラも連れて視察にいってみようかしら。学校制度だけでなく、もっと色々できることがあるなら満足はしたくない。王族だけでなく民が自分から築いたものを応援することも私達の役目なのだから。
ふわふわと私のやるべきことややりたいことが見えた気がしたところで、とうとうファーナム家の区域まで辿り着いた。
ここからは話す言葉も今以上に気をつけないと。そう思いながら、私達は示し合わせることもなく口を噤んだ。いま、大事なのはファーナム姉弟。それを自身に言い聞かせながら私は思考を洗い直す。
今、私達が応援すべき民がこの先にいる。




