Ⅱ74.支配少女は取り組む。
チリンチリンッ……
開かれた拍子に扉の仕掛けが軽やかに鳴った。
店の空気が入れ替わることよりも、その音に店主は視線を上げる。今は閑古鳥が鳴いていたが、王都に店を構える彼はあまり気にもしていない。毎日客が混み合うような店でもない為、こうして訪れる客一人一人を相手にするだけで充分だった。
腰を上げ、いらっしゃいませと深々礼をする。現れた青年の格好は、自分の店にくる客としてはそこまで珍しくもない。しかし髪型が特徴的なその青年のことは店主もよく覚えていた。
初めて訪れた時にはあまりにもよそよそしく、〝おのぼり〟と見られても仕方がないほど、店に入っただけでその緊張を露わにしていた青年が今では堂々と目を泳がすことなく自分の前まで歩み寄ってくる。
「すみません、……今年もお願いします」
「承知致しました。ベレスフォード様」
謙虚な態度だけは昔と変わらず、いつもの注文を望む彼に店主はすぐ商品棚へと向かった。
……
「それで、やっぱり実力試験の範囲も押さえておきたくて……」
「ええ、特にお姉さんの方は高等部ですから。それも兼ねて一度三人まとめて試験内容の復習をするのも良いかと。ディオスの方は綴り間違いが多いので……」
特待生試験二日前。
学校が休日であるこの日、プライドと休息時間を与えられたステイルはすぐにファーナム姉弟の指導相談会を始めた。
昨日の放課後に引き続き今日もジルベールが彼らの家庭教師を担っているが、明日はそうもいかない。ジルベールは本業である宰相業務へと戻り、彼らの勉学を見るのはとうとうプライド達の番となる。本来二日連続で彼らの家庭教師を行おうと考えていたプライドとって、既にかなりの負担軽減ではあったがそれでも最終日は責任重大である。そこで勉学の理解が間に合わなければ、いくらゲームで優秀だったファーナム兄弟でも特待生を確実とは言えない。
細かに彼らの学力の進行具合に合わせての指導パターンを打ち合わせるプライドとステイルの様子に、護衛についているカラムとハリソンもただ邪魔をしないようにと黙し続けた。明日、ファーナム家へ訪問の際に同行するアーサーとエリックが今日は非番の為、ハリソンを含めた三人で近衛を回していた。
「やっぱりステイルが協力してくれて良かったわ。本当にありがとう、私一人では三人を見きれたかわからないもの」
「いえ、プライドは優秀ですから三人程度なら俺がいなくても可能です。ただ、貴方の負担を減らすのも補佐である俺の役目ですから」
改めて詳細な打ち合わせと役割分担を考えればと、感謝するプライドへステイルはにこやかに返した。
もともとプライド一人で受け持つつもりだった家庭教師に、自分も加わるとその場で宣言したのもジルベールに手を回したのもステイルである。当然彼も、プライドの力量はよくわかっている。幼い頃から自分やティアラに彼女は歴史や法律、そして女王公務を教えてくれていたのだから。負担はさておき、こなせないことではないと思う。ただし
……お願いですから距離を保って下さい……‼︎
切に、ステイルはそう思う。
二年前の防衛戦後のセドリックとの誤解とも違う。ただ、純然たる危機感が彼の胸にはあった。
今までプライドに学んだ知識を教えてもらう事はあったステイルだが、彼女に勉強を見て貰ったことなどティアラも含めて一度もない。当時、養子になったばかりの頃でさえ彼女に勉学を教えてもらう事に躊躇いを覚えていた彼は、望んで彼女に教えて貰おうとしたことはない。
それに関してのお門違いの羨みも少なからずは、ある。だが、それ以上にファーナム兄弟へプライドが勉強の責任を取ると宣言した当時に彼が最も強く過ぎったのは、純然たる危惧だった。
今、プライドはあの双子にとって王族ではなく単なる〝同級生〟なのだから。
友人として親しくなってくれるなら望むところだ。しかし、贔屓目を抜いてもプライドが女子としていくら地味な格好をさせても容姿が優れていることは隠せない。
そして、それはこの一週間で同クラス男子の反応や高等部三年の反応で立証されている。その上で、あそこまで見ず知らずだった彼らの為に動いた彼女に年頃の彼らが〝勘違い〟させられない保証はない。
だからこそ双子の勉強指導は自分が担い、姉の指導をプライドへまかせるように誘導した。極限状況で彼女と肩を並べての勉強会など、それこそ既に彼らのどちらかが〝ジャンヌ〟に恋心のひとつも芽生えてしまっていれば勉学に集中どころではなくなる。
何より、できることならばその芽生えが生まれる前に野を焼くくらいの保険はかけたかった。
……いっそ、アーサーを恋人役にでも仕立てるか。
一瞬だが、本気でそうしてやろうかとステイルは思う。この場にアーサーがいれば、確実に視線を受けずとも背筋が反応していた。
しかし、そんなことを本気でやればアーサーから頭突きを受ける上、相棒を戦場以上に追い詰めるだろうとも理解する。嘘が苦手な彼がただでさえ正体を偽った学校生活で更にそんな役を押し付けられて平常心を保てるとは思えない。更にはアーサーに負担をかけたくもなかった。
そこまで考えてから、ステイルはもう一人の適役者である騎士を思い出す。彼ならあるいは……と、プライドとの打ち合わせ中にも関わらず悪い顔をしそうになる。黒い気配を僅かに放つステイルに、プライドも小さく肩を上下させたが上目で覗くだけだった。
しかしそれもその場で諦める。教師と恋愛など、それこそカラムに心労どころか汚名を着せてしまうことになる。
学校以外にもまだ考えることはある。最上層部と共に水面下で進行させている計画は、まだ候補者も確定はしていない。
しかし、今はプライドの望む通りにとファーナム姉弟を最優先に考える。何より、彼らの事情はステイルにとっても見過ごせない。彼もまた元は裕福とは言えない家庭で育ったのだから。
少なくとも昨日までの双子を見てきた限り、二人とも元の頭は良く、飲み込みも早くて真面目だった。自分達が全力で援助すれば、中等部二年でトップを取らせることは夢ではないと彼も思う。
プライドが姉を、自分が双子を。充分に教えきれる範囲だ。
贅沢を言えるのであれば、ジルベールか伯爵家であるカラムを巻き込んで一対一で教えられれば完璧だったが、それは難しい。仮の姿でいるジルベールをアーサー以外の近衛騎士には会わせられない。会わせれば、四年前の殲滅戦で現れた〝ジル〟だと知られてしまう。
殲滅戦でジルがプライドを子どもの姿から大人の姿に戻したことも騎士達は知っているのだから。特にアランはその目撃者でもある。
更に、あくまで山育ちの庶民であるジャンヌ達に保護者として護衛につけるのは親戚役であるアランか、家で世話になっている設定のエリックだけだ。ただの騎士であるカラムが休日までジャンヌ達に関わることは、現時点では不自然になる。教師側である彼がファーナム姉弟の勉学を見たことを万が一にも知られれば、不正も疑われかねない。
「今頃ディオス達はどうしてるかしら。勉学が上手く進んでいると良いのだけれど」
「心配ありませんよ。ジルベールが面倒を見ているのですから。アイツならアーサーでも満点を取らせられます」
その言い方はアーサーに……、と少しプライドは思ったが苦笑いで止めた。
ステイルのアーサー絡みの皮肉は基本的に彼を侮辱するものではない。本人に聞かれても良い程度の軽口だ。アーサーがそれで本気で怒るか落ち込めば、先に折れるのは間違いなくステイルの方なのだから。
そしてプライドやカラムがそのことを理解してくれていることもわかった上でステイルも発言した。が、……直後にもう一人この場にいる近衛騎士を思い出す。
結局、続けるように「冗談です」と一言自分で訂正し、断る。
「アーサーは勉学なんかができなくても最高の騎士です」
その発言に、ハリソンは少し上がっていた肩の力を抜いた。
彼にとっても、たかが勉学如きで何処ぞの生徒よりアーサーが下に見られること自体はどうでも良いが、ステイルの口からプライドのいる前で彼の悪口を聞くことは若干の不満があった。
近衛騎士達にも、あくまでジルベールが自身の〝年齢操作〟で姿を偽り、昨日と今日に家庭教師を行っていることは話している。
彼が自身の姿〝だけ〟を年齢操作できることは上層部であれば周知の事実でもある。騎士団長のロデリックも知っているものを、近衛騎士達に極秘で明かすこともすんなり王配のアルバートから許可された。宰相の休日、更には個人的な慈善活動であれば問題はない。
ステイルから初めて家庭教師の打診を受けた時も全くジルベールは躊躇わなかった。むしろステイルから話があると察した時から大概のことは予想できていた。彼からしてもファーナム姉弟の現状は他人事とは思えない。更にはプライドの望みとステイルからの頼みとあれば断ることの方が難しかった。
「どうせ察しはついているだろうが」と溢しながら、少々苦そうに自分へ休日返上の協力を望んできたステイルの様子は嬉しくすらあった。以前では自分を頼ること自体に不快を示していただけステイルが今はそれとは別に自分の休日を気遣い、命令ではなく頼んでくれたのだから。しかも、その引け目もあってか依頼の口調すら今までになく丸かった。
「喜んで」と前のめりに快諾すれば、ステイルから短く礼まで返されれば口元が緩みかけた。過去の罪をステイルに許されたいとは思わないジルベールだが、彼が心を開いてくれるのも頼ってくれるのも嬉しくて仕方がない。
ステイルもこうしてその時のジルベールがあまりに機嫌良く笑んで返してきたことを思えば、若干の敗北感がある。だが、プライドとファーナム姉弟の為ならば背に腹は変えられない。何より今は昔ほど苛立たしくも思わない。
「明日は俺も全力で手伝います。あくまで正攻法で彼らには特待生を掴み取って貰わなければ。当日はアーサーとエリック副隊長にも手伝って貰います」
二人も綴りミスくらいはチェックできるでしょうと、まだアーサーにもエリックにも断っていない内から断定する。使えるものは全て使うという意思が全身に漲っていた。
全てはプライドの望みの為、そして家族を想うばかりに見据える未来を見失いつつあるファーナム姉弟の為。
プライドのお陰で一度は思い止まった彼らに二度と特殊能力を必要とさせない為にはこれしかない。
たった一人の犠牲で他を幸せになど、奪還戦を越えたステイルが許せるわけもない。
「お姉様っ兄様っ‼︎私もお手伝いしますっ‼︎」
ノックの直後、扉の向こうからティアラの声が響く。
王配業務から休息時間をアルバートから与えられたティアラもまた、プライド達の為に駆けつけた。扉を開けさせれば、目をきらきらさせながら二人の手伝いをと望むティアラの笑顔がプライドとステイルに飛び込んだ。
「ありがとうティアラ。すごく頼もしいわ」
「ならこっちの実力試験の答案解説を書き込んでくれ」
はいっ‼︎と二人からの言葉に元気よく声を上げる。
ステイルから手渡された四枚の問題用紙を眺めた彼女は、サラサラとペンを走らせ可愛らしい字を書き込んでいく。
途中、答えはわかっても解説方法に悩み、首を捻ればティアラは「カラム隊長っ」と近衛騎士にまで協力をと手を伸ばした。
護衛任務中とはいえ、第二王女からの相談程度ならばカラムにも答える余裕はある。一声で返事をしたカラムは、自分が振られたことに目を僅かに開きながら歩み寄った。
ティアラから、どこから説明すればわかりやすいでしょう?と尋ねられれば彼も容易く助言を返せる。教師側とはいえ、今回の試験に実際は全く関わっていないカラムにも指導案や問題の解説程度であれば、騎士達に指導する隊長格である彼の方がティアラより慣れたものだった。
第一王女、第一王子、第二王女、騎士隊長によるたった三人の生徒の為の特待生対策会議は、時間の許す限り続いた。
……
キィ……
「ただいま、マリア。ステラはもう寝てしまったかい?」
扉が開かれれば、その先から現れた薄水色の髪の男性を屋敷の女性は柔らかな笑みで迎えた。
「おかえりなさい、ジル。いまテレザさんが本を読んでくれているわ。貴方に読んで欲しい絵本をトリクシーさんと買ったそうよ。会いに行ってあげて」
ひと月前より更に大きくなった腹部を自分で撫でながら、マリアはソファーで寛いでいた。既に夜も更け、カーテンの締め切られた部屋で彼女には毛布が羽織らされている。
マリアの言葉に「すぐ行くよ」と言葉を返したジルベールは、一度玄関前で払った服の埃を彼女に近づく前に再び払う。ファーナム家ではぶかついた服で過ごしていた彼だが、今は本来の年齢の姿で佇んでいた。しかし、なるべく幼いステラと妊婦のマリアのいる空間は衛生的にしたく、汚れや埃を持ち込みたくない彼は、そのまま新しい服に着替え出した。
「プライド様からの依頼はどう?満足いくまでできた?」
妻であるマリアには、詳細こそ語れていない。
あくまでプライドの為の仕事で休日を返上することになったとしか説明はできていなかった。しかし、その説明だけで彼女には充分送り出す理由になった。
彼女の愛した夫が〝プライド〟と〝家族〟を裏切る人間ではないと理解しているのだから。むしろ今は満足に出かけることも大変な自分よりも、プライドや民の為に時間を費やしてくれて良いとも思う。屋敷には侍女達を含めた使用人もいる上、長女のステラも今は殆ど手がかからない。
そう思いながら、今日までだったという彼の仕事の進捗はと尋ねれば、言葉より先にフフッと含むような笑い声が帰ってきた。新しい服に袖を通し、上等かつ清涼感のあるいつもの服に身なりを整えたジルベールは首だけで愛しい妻へと振り返る。
「ああ、上々だ。及第点には仕上がった」
残すは彼ら次第かな、と溢しながら不敵なその笑みは上機嫌そのものだった。
マリアはそれを一目で理解し、小さく笑う。まるでステラへのプレゼントを買った後のような顔だと彼女は思う。良かったわね、と優しく返す妻にジルベールはそっと肩へ手を添え、座った彼女を上から覗くようにして額に口付けた。
明日、ファーナム家へ訪れた〝ジャンヌ〟達の反応が楽しみだと思いながら。
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