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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
誘引王女と不浄

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Ⅱ563.不浄少女は散策し、


「~♪」


〝あの日〟から、ずっと心は嘘みたいに晴れやか。

まるで本当に何もなかったかのような、ただ夢を見ていただけかもしれないと自分でも記憶を疑いたくなるほどで。背中や腕の鞭の後を確かめなければ、本当に夢だと思ったかもしれない。


いつものように街の市場を回って、お金や食事になるようなことはないかなと考えてる。大体は服の下になんとか隠せたけれど、傷が薄くなるまでは今までみたいな稼ぎ方も難しいから他の方法を探してる。

食べれそうな食べ零しを拾うとか、裏稼業の人達へのお手伝いとか、馬鹿な店番さんを探して盗むとか。身体を売れないと私みたいにか弱い人は食べるのもちょっと苦労する。暫くは今まで媚び打った人達におねだりしておこぼれも貰えるから良いけれど。

生きるため以外にも、こういう市場は絶対一度は回る。市場とか人の多い場所にはいつだって大勢の物乞いがいるから、そういうカワイソウな人達を眺めながら歩くのが好きな私には日課に近い。

足蹴にされる子どもとか、泥棒に鞄を奪われるおばさんとか、下級層同士で野良犬みたいに奪い合ってる子どもとかも見てて楽しいのは変わらない。裏通りや路地に行けば、別の〝市場〟に売られていく人の悲鳴が聞こえるのも楽しい。子どもの悲鳴は特に馬鹿みたいで面白かった。……地獄を見た今でも。


「今日はパン屋さん、あのお爺さんのままかしら」

むしろ心が浮き立って、独り言まで意味もなく何度も溢す。

〝あの日〟からずっと足元がふわふわする感覚が抜けない。

地面を軽く蹴るだけで空でも飛べちゃいそうな気がするほど全身が軽い。いつもの日常の筈なのに不思議なくらい世界全てが違って見える。


あの時から全部違った。それまでは一人ずっと空っぽな感覚が抜けなくて、一人の夜はぎゅっと胸よりも下の部分が縮むような感覚に襲われたのに、そんなことなくなって空虚になる暇があればあの時のことが脳裏に浮かんで全てを埋めてくれた。

目と耳の奥まであの人の姿と声が響いて笑って、ぞわぞわと全身の肌表面が逆立つ感覚に唇を絞った。心臓を押さえれば、自分でも可笑しくなるくらいバクバクドキドキ鳴っていて、あんなに一日一日過ぎるのが待ち遠しくて張り詰め続けたのは生まれて初めてだった。

寝床に転がりながら足をバタつかせて、自分の荒れる息の音すら心地良かった。

あの日を超えてから暇な日なんてどこにもない。信じられないくらい毎日が充実していた。市場を歩いていた時だって、何も面白いものも収穫もなくてもあの時のことを思い出せば一日中でも心臓が跳ねてくれたから。


例えば、あの時一緒にいた他の奴隷はカワイソウ。私は助かったからこうして自由を謳歌して幸せだけど、あの人たちは奴隷か殺されちゃっているかのどちらか。きっとあそこで奴隷にも殺されもせずに助かったのは私だけ。絶対そうに違いない。

あの気持ち悪い拷問器具で何人が手足を切られちゃったかしら。他にも酷い拷問や殺し方をする道具が、今思えばたくさんあった。

あそこに何人が連れ込まれたか想像すればぞくぞくと背筋まで擽るような感覚が這い上がるし、あのまま奴隷にされて今頃どこかの市場で売られているかもしれないと思えば場所も考えずに踊り出したくなる。

あんな怖い中でたった一人助かって今も自由に過ごしている私はやっぱり、ってそう思えるから。それになによりあの日のことは一番特別で。


よく腰を休めてパンを並べたまま目を離しちゃうことがあるお爺さんがいるパン屋さんでも大成功した。

たまに立っているおばさんは目敏いけれど、お爺さんの時はパン一個も二個も簡単に盗めてとても楽。店先でこっそり物陰に隠れてから覗けば、やっぱり運よくお爺さんだったから横切りざまにパン二個余裕で盗れた。これで今日明日は飢えずに済む。素早くそのまま市場の人混みに紛れて、市場を後にし






「ッッレイちゃん⁈」






パシンッ!と。突然手を掴まれた。

すれ違いざまに、パンを掴んだままだった手を大人の大きな手が思い切り。その一瞬で、いつもならパン屋にバレたとか盗んでるのを見られて捕まったかとかが過った筈なのに、……今回は違った。

見つかった、バレた、レイちゃんって?ってその全部を塗りつぶす圧倒的な〝恐怖〟が全身指先まで込み上げかけ走った。

キャアアア!!と、自分でも大き過ぎる声で叫ぶ。

あの荷車の中の息苦しさとまだ助かると思わなかった、列に並んだ時の絶望感。大男に髪を掴まれ引きずられた時の怖気の走る心臓の煩さが全部一気に蘇ってきて目の前が真っ暗に胃の中身が喉まで競りあがる。捕まれた腕を何も考えず振り回し、……簡単に解けた。


「アアア‼︎アッ……、?」

たぶん、すぐ放されたというほうが正しい。

私も私で、パンを盗んだ直後なのに目立つことをしてしまったと我に返る。人混みの人達の目がこっちに向いているのが首を回さないくてもチクチクわかって、このまま叫んで逃げようかと思ったけれど。

その人を見たら、頭が覚めた。


「⁈も、申し訳ありません!!大変失礼致しました!お嬢さんお怪我はありませんでしたか?!どうかここは……」

私よりもずっと背の高い男の人が、パンを盗んだ私に向けて小さくなって何度も何度も謝っていた。

眉も目も垂れた真っ青な顔で、冷や汗で顔がべったり濡れたおじさんは、明らかに私をパン泥棒と気付いていない。それどころか、頭の先から足までみて明らかに同じ下級層。

丸刈りを放置した後みたいなボサボサ短髪の黒髪と安物の服は上も下もドロドロに汚れて黄ばんでいた。

靴も持たず裸足で歩く男の人は、きっと私より何も持っていない。無精ひげが伸びて余計に汚らしい。同じ下級層の私でもそう思う。

頬はこけて首も細い、畑に立たされた木偶人形よりも情けない姿のおじさんは、泥棒した私よりもずっと人の視線を気にしてた。


呆けて棒立ちになった私と、高い背を小さくするおじさんはどちらも下級層。叫ぶのをやめた私に、段々とすれ違う人からの視線も減っていく。

「いいえ」と殆ど何も考えずに言葉を返した私におじさんはホッと息を吐いた。この人の目からみても私が下級層なのはわかる筈なのに。同じ下級層同士であんなに諂う人も珍しい。


「本当に、申し訳ありませんでした。あの、……私、何か言いましたか?貴方は、私のことをご存じでしょうか……?」

しかも、妙なことを続けて聞いてくる。もうこの時点で変な人。……同時に、興味も沸いた。

私とおじさんがまともに会話をするように向き合えば、とうとう人も綺麗に流れていった。騒ぎさえなければ下級層の私達が向かい合って立っていることなんて誰も不思議には思わない。

もしかすると中には親子、もしくはおじさんが私を買っていると思う人もいるかもしれない。


最初はおじさんの言っている意味がわからなくてぽかんとした私に、おじさんの目は垂れながらも真剣だった。

「いかがでしょう……?」なんて言われても私はこんなおじさん覚えてない。どこかで買ってくれたことがあるかもしれないけれど、あんな貧相な恰好じゃ私に一食すら見返りできたとは思えない。しかも何か言いましたかなんて、自分で私を呼んで手を掴んできた癖に。

何も言わないで見上げる私に、会話を諦めるのはおじさんの方が先だった。「すいません、変なことを言いました」と肩を落としながら私にぺこりと頭を下げて踵を返そうとする。

「まさかお嬢さんと知り合いなわけがありませんね……。それでは、これで」



「待って」



一言引き留めれば、おじさんはすぐに丸い目で合わせてくれた。

にっこり笑って私から「ちょっとお話聞かせて?」と右手に持っていたパンを見せる。これも一個あげるから、とパンを餌にすれば簡単におじさんは頷いた。

さっきまでは私からパンを奪おうとするどころか、狙う素振りも見せなかったおじさんなのに掲げて見せればわかりやすく喉を鳴らした。見た目通りお腹が空いていたみたい。

取り敢えずここを離れましょう、と井戸のある裏通りの小さな広場へとおじさんを連れて行く。ふらふらとした足取りのおじさんは、路地の野犬よりもずっと大人しくて大きくて痩せていた。



イイ匂いがしたの。



今まで見つけて来た人達と同じ、カワイソウな匂い。

ただでさえ私と同じ下級層で、若さも美しさの欠片もない浮浪者のおじさん。話を聞いて、カワイソウな生い立ちを聞いてこの胸の幸福感を際立たせたかった。

あきらかにろくな人生を送っていない上に頭もおかしいおじさんは、きっと楽しい話をたくさん聞かせてくれると確信できたから。


井戸について、腰を下ろして話を聞く。まだ明るいから裏稼業もたいして歩き回っていない裏通りは、しんとしているだけでとっても平和。

それでも視線をうろうろと泳がせては「本当にこんなところにきて大丈夫でしょうか」と不安そうなおじさんは、まるで私より子どもみたいだった。

少なくとも私が連れて行った場所が裏通りってわかったということは、下級層以外にもわりと地に詳しいのかもしれないけれど。


井戸の淵に腰かけて、パンを一個差し出せばおじさんは本当にお恵みというように両手で受け取った。

「ありがとうございます」と言うおじさんは、調子が狂うくらいに苛々とはしない。こういう腰が低い人は嫌いじゃないけれど、こんな見かけのお金もないおじさんに遜られたら気分が悪くなるのに。天然なのか計算なのか腰が低いだけなのか私の心が広くなったのか。


一緒にパンを齧って、井戸の水を直接桶から飲みながら。おじさんはゆっくりと私の言う通り話を聞かせてくれた。

おじさんには、過去の記憶がない。ついひと月前くらいまでの記憶しかなくて、それ以降は何も覚えていない人。今まで下級層でもそういう浮浪者の話は聞いたことはあったけど、直接記憶喪失者なんて人を見るのは私も初めてだった。

自分が誰かも、名前すらわからない。家族や友人どころか、フリージアの人間かどうかも自信がない。

そんなことを話すおじさんは私が期待した以上にカワイソウで、そして正気の人だった。もっと頭のおかしくなった人を期待してたのに。


「そっか。カワイソウねおじさん。でも私もおじさんのことは知らないの。多分会ったこともないと思う。ごめんなさい?」

「いえ、こちらこそ失礼致しました。突然子どもの腕を掴むなど、……実はこれでもう六度目で……」

ハハハ、と苦笑気味に笑うおじさんにちょっとだけ私も冷めてきた。

確かにカワイソウな人だけど、記憶がないんじゃ辛いことも何もない。私だって記憶を消せるならいっそ母親だった人と過ごした全て忘れたいくらいだもの。あの母親に殴られながら見せ物にされた時のことは何度も夢に見た。

むしろ「いいなぁ」とうっかり口が滑りかけた。どうやって忘れたのかはわからないけれど、こんなおじさんならどうせ生きててもろくな思い出だってないんだし忘れた方が絶対楽。


おじさんは話し方こそ柔らかいのに、あまりにも他人事みたいに話すから余計にカワイソウな感じがしなかった。

話しながらも私より先にパンを一個食べきったおじさんは、それでもちゃんと最後まで私の質問に答える気があったのか両手が空のまま井戸の淵に座ってた。

ふーん、と私も私で適当に相槌を打ってパンを飲み込んだ。その時だった。


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