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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
支配少女とキョウダイ

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Ⅱ73.女は遭遇する。


「……とーさまもかーさまも、一緒におでかけできないなんて」


ぷくっ、と。

含まらせたその小さな頬に、侍女のトリクシーは苦笑する。

せっかく馬車を借りての外出だというのに、少女の機嫌は少しだけ傾いていた。楽しみにしていた連休にも関わらず、急な用事で結局家に帰ってこれなくなった父親への不満だった。

薄桃色の髪を流したその少女は、降りた馬車から侍女と手を繋いで王都の買物街へ来ていた。出店や露店ではなく、フリージア王国自慢の専門店が所狭しと並ぶそこに訪れた彼女はいつもなら目を輝かせるが、今日はまだ膨れた頬が治らない。


「旦那様も残念がっておられましたから、あまり責めると悲しまれますよ」

「良い‼︎ステラと同じくらい寂しくなった方がとーさまにも良い薬!」

ぷんっ!と侍女に尖った言い方をしながらも握った手は強く繋がられたままだ。

可愛らしいその反応にトリクシーは「まぁまぁ」と軽く受け流す。彼女が怒っているのは、単に自分だけに構ってくれないことではない。父親と母親のことが大好きな彼女は、せっかくの家族三人の時間が無くなってしまったことを一番怒っている。

そしてトリクシーもそれはよくわかっている。最終的にはトリクシーの手を繋ぐのではなく腕にしがみつき「ステラを放っておくとトリクシーと結婚しちゃうんだから」と子どもの頃から大好きな侍女の一人である彼女に甘えた。


「今日は何を見ましょうか。奥様と旦那様にも見せてあげられるものが良いですね」

「新しい絵本‼︎とーさまとかーさまに絶対読んでもらうの!」

母親が身篭ってから、彼女と外に出る時は代わりに侍女が付き添うことが多くなっていた。

休日には父親と二人で買い物に行くことも多い彼女だが、残念ながらすっぽかされた為いつものように侍女との買い物に変更された。トリクシーとの買い物自体は楽しいステラだが、やはり期待していた父親とのデートではない為どうしても不満が残る。これは代わりに買った物を理由に甘えさせて貰わなければと、今日はその為の武器を探そうと決めていた。


畏まりました、とトリクシーは笑顔で返し王都でも子ども向けの絵本が豊富な本屋へと彼女を案内する。

所狭しと並ぶ店は、数メートル歩くだけで必ず欲しいものに巡り合えるほど充実している。

買うものが決まったことで少しだけ機嫌を直したステラは、トリクシーを締め付ける腕を緩めた。周囲を見回し、改めて都の美しさに息を飲む。彼女が王都の中心を訪れること自体は珍しくないが、何度みても綺麗な場所だと心から思う。

街中が整備され、活気に溢れ、治安も良い。巡回に回る衛兵とすれ違う時に手を振れば、必ず誰もが彼女を知らずとも振り返してくれた。「おつかれさまです!」と声を上げれば、どうもと笑い返してもくれる。時折、白の団服をはためかせた騎士を見掛ければ、父と母の〝友達〟と同じ格好だと声を弾ませた。


「あと、帰りに何処かでお花も摘みたい。とーさまも仕事ばっかりだし、かーさまも家とお庭に篭ってばっかりだもの」

本屋へ向かう途中で様々な店の外装だけで心を躍らせたステラは大分機嫌が治った。

思い出したように呟く彼女の言葉に、ふふっとトリクシーは笑いを零す。さっきまで決めていた父親への良い薬はどこに行ったのかと思う。逆に自分の方が「あんまり旦那さまを甘やかしたらだめですよ」と言ってしまいたくなる。

長年、ステラの両親に仕えてきた彼女を含める侍女や衛兵はもう家族のように雇い主と仲が良かった。今もそんな可愛い台詞を言ったのだと帰った二人に教えてあげれば、と考える。絶対に顔を綻ばすという確信が彼女にあった。


「あ!あれ、ローザさんのに似てる!」

母親の友人の名前を叫びながら、ステラは目に留まった先に向かって思わず駆け出した。

ステラ様⁈と不意打ちを受けたトリクシーは声を上げる。さっきまでは自分から掴んでいなくてもべったりだったのに、急に今度は離れてしまった。

ステラの視線の先にあるのは上等な衣装屋だ。その硝子越しに佇む豪奢な白のドレスは子どもの目には同じように見えるが、実際は彼女が思い描いているドレスと全くの別物だ。

しまった、とトリクシーはすぐに駆ける。馬車の往来は少ない交差点ではあるが、人混みの多いこんなところで幼いステラからは一秒も手を離せない。「いけませんステラ様!」と自分を置いて硝子にへばりつこうと駆け出す少女を追いかけた時


「っきゃあ!」

ばふっ、と彼女の行く手を店から出てきたばかりの客が阻んだ。

勢いのままに止まれないステラは、突然現れた影に正面から衝突する。女性の外出用のドレスが一瞬だけ彼女の息を塞ぎ、反動でふらつきそのまま尻餅をつかせた。一拍遅れてトリクシーが駆けつけ「申し訳ありません!」と女性に謝り、ステラの身体を支えた。

お怪我はありませんか、と身体を確認するが幸い何処にも怪我はない。それにほっとトリクシーが安堵の息を吐いた時


「ごめん遊ばせ?」


先程まで何も発言せず、ただただ佇んでいた女性がその口を開いた。

自分の上等なドレスにぶつかり、皺を作ったステラに声を上げることもなければ、トリクシーを責めることもない。ただその場に悠然と佇んでいた女性は、片手に携えた羽根の扇を仰ぎながら二人を見下ろした。

その格好から間違いなく何処かの貴族だろうと推測したトリクシーは、深々と頭を下げて謝罪する。自分が彼女にぶつかったのだと遅れて理解したステラからも「ごめんなさい」と謝られるなか、先程まで表情を変えなかった女性はにっこりと笑顔で返した。


「いいえ?ドレスのことならお気になさらないで。所詮は父上が用意させた安物ですから」

パタパタと優雅に煽ぎながら笑う女性は、そのままゆっくりと腰を折り曲げた。

笑顔を作ったまま上からぐいっと覗き込むようにステラを見下ろす女性は、薄手の手袋が嵌められた手で少女の柔らかな頬を撫でた。「あら柔らかい」と輪郭から耳へと触れるように撫で、更に顔を近付ける。


「……幸せな子ねぇ」


ゆっくりと染み入るような声で女性は呟いた。

にっこりとした笑顔を固めたまま突然言われた言葉にステラは目をぱちくりさせる。その間も女性はステラの柔らかい頬を猫でも可愛がるようにすりすりと撫で続けた。

ぶつかった側だからこそ強く言えないが、その様子にトリクシーは僅かに眉を顰める。親しくない、それどころか初対面の子どもに断りもなく触れ続けるなど不躾としか思えない。「あの」とその動きを静止させようとすれば、先に女性が紅の塗られた唇で上塗った。


「きっとパパとママに愛されて愛されて育ったのねぇ?可愛いがられて何不自由なく育てられて怒られたこともなく幸せに幸せに育ったのよねぇ?幸せで幸せで怖いものなんて何もないのね羨ましいわぁ。きっとまだこの世に辛いことも悲しいこともないと思ってるのね⁇あぁ……貴方が大人になって真実を知る日が楽しみねぇ」

こちらが返す暇も与えないほどに続けて語りかける女性に、トリクシーはぞっと背筋を冷たくさせた。

まるで独り言のように語る女性からはうっすらと自己陶酔とはまた違う末恐ろしさを感じた。ステラは真正面から貼り付けた笑顔が向けられ、ぽかんと口を開けたまま手だけが助けを求めるように泳ぎ、がっしりとトリクシーの腕を掴んだ。ステラに応えるべくトリクシーはとうとう強い眼差しで女性の手を止める。ステラの頬から掴んで止め、そのまま握り締めてゆっくりと女性へ突き返した。


「ステラ様が大変失礼致しました。ですが、……それ以上はそちらの方が無礼では」

あら?ふふっ……と突き返されたことを意外そうな表情で受け入れる女性からはまだ余裕しかない。

ステラに触れていた手を今度は自分の頬に当て、にこにこと笑いトリクシーを見返した。「こんなことで怒るなんて」と言いながら、その艶やかな化粧を施した眼差しを今度はトリクシーへと向けた。


「貴方も……とても幸せに生きてきたのねぇ?羨ましいわ。使用人の身でありながらどうやればそんなに怖いもの知らずで居られるのかしら。私の身分がわかって?」

そう言いながら女性は、視線だけで自分の背後を示した。

女性に続いて出てきたその男性は年配ではあるものの明らかな使用人だ。買ったドレスを両手に抱え、女性の発言に眉間へ皺を寄せて控えている。もう一言何かを言えば、一言嗜めそうな様子でもあった。

熟年の使用人を従える立場の女性、それは間違いなく侍女であるトリクシーより身分の高い証拠だ。

しかし、彼女もただの侍女ではない。ステラを守るように抱き締め、膝をつきながら真っ直ぐと女性を見上げて声を張り上げた。


「それは無礼を致しました。重ね重ね失礼ではありますが、御家の名前を伺っても宜しいでしょうか。私から責任持って旦那様であるジルベール・バトラー様に無礼を働いてしまったことを御報告させて頂きます」

「ジルベール⁇」

ふぅん、と聞き返す女性に反し、控えていた使用人の方が顔色を変えた。

荷物を落とさないように抱えたままコソコソコソと急いで女性に耳打ちする。前のめりにしていた腰を上げ、扇で自身の口元から使用人の顔まで隠して聞いた女性は、それにみるみる内に顔色を変えていった。絶対優位だった筈の眼差しを開き、信じられないようにトリクシーとステラを見る。

つまり彼女達は……!と理解した瞬間に一歩後退ったのをトリクシーは見逃さなかった。


「どうか、御家名を。ジルベール様へ私から娘のステラ様が御迷惑をかけたことも詳細にお伝えさせて頂きます」

「……いいえ?名乗るほどの者でもございませんわ。ごめんなさい、あまりにも可愛い二人だったから、からかいたくなって」

ふふっ、と気を取り直したように笑んだ女性は、そこまで言うと踵の高い靴を鳴らし、悠然とその場を去って行った。

後に続く使用人が代わりに深々と頭を下げ「大変な御無礼を致しました」とトリクシーとステラに謝る。足早に女性を追いかけていく男の背中を眺めながら、トリクシーはフンッと小さく鼻息を鳴らした。


何かあれば自分の名前を使っても良いとは主人であるジルベールに言われていた彼女にとって、最後の最後の切り札でもある必殺のカードだった。

ジルベールの屋敷で働く前は城で侍女も務めていた経験もある彼女は、今まで一度もあのような女性が宰相であるジルベールの屋敷に招かれたこともないことも記憶していた。

城の上層部であり、現王配の片腕である彼よりも地位の高い人間など国内では数えるほどしかいない。今までジルベールに屋敷へ招かれたことがないことを考えても、間違いなく今の女性はジルベールより遥かに下の地位の人間、更に言えばジルベールの娘であるステラの方が今の女性よりも地位は上に決まっていた。


「まったく。あの扇に刻まれていた紋章のことだけでも旦那様に御報告してしまおうかしら」

しっかりと家を聞く前から、女性が使っていた扇の紋章を記憶していた彼女はやろうとすれば詳細にジルベールに報告し、本当に家を炙り出すこともできてしまう。

自分のことは良いが、大事なステラまで手を出されたのが許せない。

ぶつかったのはステラだが、その後に転んだステラに手を貸さず、声も掛けず、更には「怪我がなくて何より」というお決まりの返しもなくドレスのことだけ返したあの女性を、その時点でトリクシーは警戒していた。

しかもステラは決して女性が言うように甘やかされて育ってはいない。身体こそ今の今まで擦り傷一つ負うことなくトリクシーの助力も必要無しに育ったステラだが、父親のジルベールにも母親のマリアンヌにもそして侍女である自分にも泣くほど怒られたことは何度もある。それなりに厳しくも躾けられて育ってきた。更には褐色肌の配達人という〝怖いもの〟もちゃんといる。

それを知ったような口を、と母親のような気分で怒りたくもなった。しかし、そこで待ったを掛けたのは怖い思いをした筈のステラだった。


「いいよ、本屋さん行こう。ステラがぶつかっちゃったのが悪いんだもん」

勝手に離れてごめんなさい、と改めてトリクシーに謝るステラは自分から立ち上がる。

パタパタと服の埃を自分の手で払った彼女は、トリクシーが立ち上がれば彼女の分の埃も払うのを手伝った。そのまま彼女と手を繋ぎ「行こう」と気を取り直すように明るい声で呼びかけた。

まるで自分の方が大人気ないと思ってしまいそうなトリクシーは、笑いながら溜息を吐いてしまう。どうしたの?とステラに尋ねられ、彼女は目の前の今年で四歳になる少女を前に柔らかく言葉をかけた。


「ステラ様は本当に大人ですね。その年の子は泣いて怖かったと言って、泣きついても良いのですよ」

「アルバートさんがね、とーさまは敵を増やすのも味方を増やすのも上手だって。だからステラはとーさまが敵ばっかり増やした時、かーさまやアルバートさんやステイルさんみたいに、とーさまを怒ってあげられるくらいに大人になるの」

うんとね!と屈託なく笑うステラの笑顔は母親にそっくりの笑顔だった。

そうですか、と返しながら、トリクシーも釣られて笑う。


先ほどの女性よりも、自分と手を繋ぐ少女の方が遥かに立派なレディーだと思いながら。



……




「うそでしょう〜〜?もっと早く言いなさいよぉ……あ〜、もうちょっとで家ごと消されちゃうところだったわ」


もぉ〜〜……と馬車の中で項垂れながら女性は唸る。

まさか相手が宰相の娘とは思いもしなかった。そんな立場の人間では自分の一族の誰でも敵わない。


「ほんとに危なかったぁ……あの侍女が頭に花が咲いていて助かったわぁ。たまにいるのよぉ、ああいう大した身分でもないのに幸せだと思い込んで、辛いことなんてなぁんにも知らず、他人の施し舐めて生きてる人間ってぇ」

思い出して気分も悪そうに彼女は自分の手袋を外す。

庶民、ましてや使用人などに触れられたなど手袋越しでも気分が悪い。


「あの、宰相の使用人なら納得だわ。お父様が話していた〝人の良さそうな男〟でしょう?どうせあの使用人も運良く拾われて甘やかされてきたのよ。主人に大した躾も受けず愛玩にされた犬ほど自分の立場を幸せと勘違いするのよねぇ」

ばっかみたい、と悪態をついたところで彼女の使用人が一つ尋ねる。するとケラケラと返事の代わりに笑い声で返した女性は、それを肯定するように言葉を続けた。


「あの使用人欲しいわぁ。ああいう怖いもの知らずに〝ハジメテ〟を教えてあげたいと思わない?私だったら手取り足取りで、震えを止められない身体に躾けてあげるのに」

ふふっ……ハハハッ!と笑いながら女性は馬車に揺られる。

そんな彼女に呆れて何も言えなくなる使用人は頭を抱えて首を振った。「また旦那様に怒られるだけでは済みませんよ」と窘めれば、女性の笑いが止まった。代わりに思い出したように足を組み、腕を組み、「ちょっとぉ」と声を上げる。


「貴方からも叔父様に言っておいてちょうだい!私も〝学校〟が欲しいわって。……もう、お父様ったら私をプラデストに捻じ込むこともできないなんて。今月中に入学すれば噂のセドリック王弟にもお近付きになれたのに」

使えないわ!と、実の父親に対して信じられない発言をする女性は扇を大きく揺らした。

目の前の男は自分の使用人ではない。あくまで自分の叔父がつけてくれただけの従者だ。だが、そんなこと知ったことないと言わんばかりに傍若無人な態度を取る女性に、年配の使用人は溜息混じりに言葉を返しそれ以上は黙して諦めた。



「畏まりました。ベリアル様」



あの宰相を敵に回せば、彼女の地位も財産も一夜で消えかねないのにと。


そう思いながらも、彼女には愚かさを指摘する価値すらないと口を噤んだ。


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