Ⅱ556.嘲り王女は持ち掛け、
「ああ、是非。噂の刺繍職人の既製品ならいくらでも引き取るよ」
楽しみだな。そう滑らかな笑みと共にレオンは快諾してくれた。
予定通り定期訪問で我が国に訪れてくれたレオンに、早速私はネルの商品について相談した。もともとセドリックのパーティーの時点で気に入ってくれていたレオンは、件の刺繍職人と話題に出した時点ですぐに興味を持ってくれた。
口へ運ぼうとしていたカップを置いて、待ってましたと言わんばかりに首が少し前のめりになったレオンは見事に交渉人の顔だった。……商人の、といってもいいかもれない。アネモネ王国の次期国王にそんなこと言うのは失礼だけれど。
取り敢えずネルの要望をステイルが上手く聞き出してくれた通り、暫く彼女は私達フリージア王家の発注を中心に一つ一つ仕事を選んで受注性にしたいことから説明をした。そして今抱えている大量の在庫を好条件でという場案でならばアネモネ王国に全て今回は独占委託したいと考えている旨も。まるで前世で有名だった名立たる画家みたいな話だけれど、これから名を馳せるだろうネルの抱える在庫は今がまさに売り時でもある。
恐らく刺繍職人として今一番注目を浴びている彼女が本人の希望で大量受注ではなく、一つ一つ仕事を選ぶ方式を選んだ以上、王国貴族でも簡単に手に入らない話題の品はたとえ製作から時間が経過していても新品であれば間違いなく売れる。話題のデザインや御洒落を一秒でも早く取り入れて見せて回りたいのが社交界だ。
父上から得た休息時間がちょうど合ったティアラも「良かったです!」と嬉しそうに声を弾ませる中、レオンもネルの刺繍が手に入ることを嬉しそうに笑ってくれた。
「それにしても、そのネルって職人もなかなか良い売り方をするね。大抵は光明が見えた時点で名前も売って契約も可能な限り取り付けるのが定石なのに。プライドからの提案かい?」
「いえ、どちらかといえばステイルかしら。だけどネル自身の希望が強いわ。彼女、本当に刺繍をすることが大好きで……」
大量生産よりも胸ときめく依頼を優先させる筋金入りの職人気質なんです。と、頑固親父の工房みたいな言い方しそうな口を、オブラートで丁寧に包み直し彼女の愛らしい印象で言い換える。
ネルも大量生産やデザインの普及に興味がないわけじゃなさそうだったけれど、それよりも今は自分にとって一番優先したい仕事に絞りたいということなのだろう。いきなり山のような選択肢をずどんと置かれちゃったのだから、気持ちはわかる。
もし手あたり次第全部に取り掛かろうとしていたら逆にキャパオーバーになる前に止めに入ろうとも思っていたから、私としてもネルが方針をすぐに固めてくれたのは良かったと思う。
私の言葉に「流石ステイル王子だね」と褒めてくれるレオンは、そこで一息吐くようにカップを口に運び直した。
「まぁプライドの直属刺繍職人になったというのなら、どう選んでも安定は約束されたようなものだからね。プライドを優先するなら、後は自分の好きなように選ぶのも良いんじゃないかな」
本来職人というのはそういうものさ。そうなだらかな声で続けるレオンはやっぱり流石は貿易国の王子だなぁと思う。取り扱う側だけじゃなくて作る側への理解も凄まじい。
昔から貿易船に同行しては直接貿易品の交渉から選別にまで携わっているだけある。レオンが貿易に携わってから一気に貿易国としての名を高めているアネモネ王国だけれど、単に交渉術とか見る目があるだけじゃなくてきっとレオンだからこそ卸したいと考える売り手も多いんじゃないかなと考える。本当にどこからどこまでも完璧王子過ぎる。
今も既存作品はともかく、刺繍の受注はもう暫くアネモネ王国に流すのは難しいということに全く不満すら見せない。むしろ上機嫌だ。
ふと気になって背後に軽く目を向けてみたら、近衛騎士のアラン隊長とカラム隊長は二人とも口を結びながら少し笑みを抑えているのか若干強張っているようにも見える。気持ちはわかる。まさかの自分達の副団長の妹さんまで凄まじい地位に上って行っているのだから。
最後に満面の笑みのティアラと目を合わせてから、私も紅茶を口に運ぶ。それから次の要件をレオンへと投げかけた。
「それで、もし良かったら早速取引したいと思っているのだけれど、再来週はどうかしら。式典の翌日だけど定期訪問だし、時間の調整さえ合えば。その時の商品も持ってきてもらうから」
「そうだね。来週の定期訪問はネルにまで時間は取れないだろうし、僕もその日が良いよ」
良かった。交渉成立だ。
もし一日でも早くネルに会いたいとかだったら、忙しいレオンとネルで改めて予定調整をしないといけないところだった。定期訪問でなら私もじっくり時間が取れる。ネルとしても知り合いが誰もいないでレオンよりも私や友達マリー、癒し担当のティアラが居た方がきっと落ち着くだろう。………年頃の女性であるネルが、レオンを間近に卒倒しないとも限らないし。
過保護かもしれないけれどなるべくネルの将来の為にも、レオンとは円滑に交渉を進めて欲しい。………個人的に、ネルの刺繍は美男子レオンにも絶対似合うこと間違いないからいつか見たいとも思ってしまう。勿論ネルがご自身でレオンの発注を受けたいと思ってくれた時だけれども。
そんなことを考えていたら、不意にレオンがフフッと笑った。なんだか思い出し笑いにも見える肩を微弱に震わす笑みに私も首を傾けてしまう。ティアラも目をぱちくりして不思議そうだ。
「どうなさったのですか?レオン王子」
「いや、………来週が楽しみだなぁって」
明後日の式典も勿論だけど。と、そう言って、ふふふっとまた笑うレオンの気持ちがわかって今度は私とティアラも釣られてしまう。フフッ、ふふっと三人分の笑い声が重なった。
ネルとレオンとの邂逅も楽しみではあるけれど、こちらもまた別の楽しみがある。先週はアーサーの誕生日だったし、学校が終わってもこうして楽しみが続くのは幸せだと思う。………まぁ、その前にアレがあるけれども。
ふぅ、と肩で息を吐く。別の用事が浮かんだ途端、一気に落ち着いてしまった。レオンとティアラもそれぞれ笑い声が自然に落ち着いて、タイミングを読むようにそこでマリーとロッテがそれぞれ私達のカップに紅茶のおかわりを注いでくれた。
「プライドには今回も感謝しないとね。たったひと月で注目を浴びる商品ばかり提供して貰えて助かっているよ。今度のオークションの為にここ最近は要り様だったから」
ネイトの発明と、フリージアとその同盟国で話題筆頭の刺繍職人の作品。
こちらからすれば寧ろ本当に毎回お世話になります!くらいの気持ちなんだけれど、そう言って貰えると私の方もほっとする。もともと貿易関連に次期国王としても多忙なレオンは、ここ一か月は私の為に遠出をせずに自国に留まってくれていたからその分の外出や予定がどどどっと雪崩れ込んで余計に忙しいことは知っている。
その間もこうして定期訪問には時間をきっかり空けてくれるから凄まじい。今日も最初にそれをお礼したら「プライドに会う為ならいくらでも空けるよ」と滑らかな笑みで断言してくれた。本当に心強い。
来月は遠出出張で今月も貿易船旅数件予定、今日もこの定期訪問の後に自国で商談が待っているらしいレオンを思うと、本当に身体も心配になる。本人はそういう忙しさも全てひっくるめて楽しいらしいけれど。正直、ネルとの邂逅も私の定期訪問と重ねないと近日で予定を合わせるのも大変なのもあるだろう。
ネイトの発明提出と学力チェックをカラム隊長に委託しているのも、レオンの多忙も理由にある。そうでなければレオンの性格上自分の目でネイトの発明だけでなくネイトとも接触したいと思う筈だもの。
母上からも聞いているわ、と多忙な彼に私からも労いをかけるべく笑いかける。謹慎中の私と違い、レオンは王位継承者として着実に階段を昇っている。
「来月は国王陛下の代理として出席するのでしょう?盟友として私も鼻が高いわ!」
「それは僕もだよ。プラデストだって学校見学と体験入学希望者が殺到しているのだろう?それに、城からも正式に国内貴族へ件の許可も下されたそうじゃないか」
「!そういえばアネモネ王国も学校設立されるのですよねっ!そちらの進捗はいかがですか?!」
なんだかお互い褒め合い合戦みたいになりそうなところでティアラが目をきらめかせる。………ちょっぴりこの流れのままティアラもすごいのよ自慢もしたかったところだけれど。
ティアラの問いに、レオンも「勿論」とにこやかにカップを掲げながら返してくれた。
今や国王代理としての公務や外交も当然のように任されるレオンは、当然アネモネ王国の学校創設にも中心の一人としてに立っている。
もともとフリージア王国の関係の長い同盟国兼私の盟友として優先権を与えられたレオンは、他国の代表者より一歩先に学校の内情もシステムも把握して取り掛かっていた。他国がこれから学校の内情を把握していく中、レオンがその一歩差リードを手放さないわけがない。
スラスラと話してくれたレオンによると既に学校として用意済みだった建物にレオンの提案の元、改良工事を施している最中らしい。教師も募集を始めていて、早ければ半年以内には世界第二の国立学校をアネモネ王国の創設ができる筈だと。
「大体はプラデストと同条件の設備を想定しているけれど、……ただ寮完備はまだちょっと考えあぐねているかな」
「寮制度にはされないのですか??」
うーん、とあいまいに笑うレオンにティアラも少し首を伸ばす。
既に寮にできる程度の規模の建物は併設済みらしいけれど、それを本当に全て寮に使うかそれとも学校の別の設備や授業教室規模拡大に使うかは悩ましいらしい。まぁ確かにアネモネ王国で考えるとそれも無理はないと思う。
先ず、アネモネ王国は我が国フリージア王国よりも城下の規模が小さい。国自体の規模が全然違うのだから当然だ。更には、………とても耳が痛いというか自分で言うのも色々思う所はあるけれど、アネモネ王国はフリージア王国ほどは貧富の差も激しくない。
フリージアには下級層を中心に貧困に苦しむ民がいるけれど、アネモネ王国は貧民自体がフリージアほど多くはない。城下であれば余計にだ。
もともと海に面しているアネモネ王国は、貿易が盛んな関係もあって肉体労働系の仕事も多いから学や手に職のない民も仕事にありつきやすい。ちょっと前までは貧富の差が大きくない代わりに刑罰を含んだ一部奴隷容認制度があったけれど、それも今や撤廃に向かって順調に進んでいる。奴隷が今まで担っていた分の労働も、賃金の発生する仕事として民に還元されるようになった。これで奴隷制度完全撤廃が完了したらいよいよ我が国よりも先進国と呼べると思う。
勿論寮を完備すれば、アネモネ王国にも親や家がいない子どもを含む民がいないわけではないから希望者は出るし喜ぶ民もいるだろう。ただ、フリージア王国ほど切迫して必要とされる設備かと言えば難しい。
それよりも将来の為に学びたいという意思を持つ民を一人でも多く収容するための規模を大きくしたいという考えは当然だった。ただでさえフリージアほどの規模の学校を作るのは他国でも難しい。
「我が国はフリージアほど国地に余裕もないからね。勿論、そういった民の為の設備は欲しいと思うのだけれど」
一人でもいる限り、その民の為にできることはしたい。
それは国と民を一番に愛するレオンの本音だとわかる。ただ、民の税で成り立っている国のお金である以上、なるべく効率的に機関へ回したいと考えるのも王族として当然だ。
レオンの口からもアネモネ王国事情を説明されるティアラも、すごく真剣に何度も頷いて聞き入っていた。もともと我が国のことも、周辺国のことについても王女としてしっかり関心があって勉強もしていたティアラだけれど、最近は次期王妹として一層意識が高まっている。
今もレオンから話を聞き終わると「父上もジルベール宰相と同じようなことを議題にあげられておりましたっ!」と教えてくれた。恐らくそっちはプラデストの方ではないだろうけれども、レオンの悩みとも近しいものがある。
「きっとこれからもっと増えてくるだろうね。学校を取り入れたい全ての国が、フリージアほど大国ではないから」
少し力なく肩を落としながら言うレオンの言葉に、私も深く頷いた。
自国だけでの問題で済まないことも見通すレオンの先見通り、これからプラデストをモデルにする全ての課題でもあるだろう。………同盟共同制作の学園が設立されれば、もっと。
フリージア王国のプラデストが、決して贅沢に土地と金を注ぎ込んだだけの設備とは思わない。だけど、やっぱりそれを参考にしても全ての国が丸まるその通りに作り上げるのは無理だ。今後の父上が話している課題にも当てはまる。
「……。ところで、来週の話なんだけれど。プライドとティアラは何か考えているのかい?」
少し空気が重くなってきたところで、レオンが晴れやかな声で話題を変えてくれた。
レオンの優しい気遣いに私達も理解し、そこで一度話を打ちとめる。お互いに国を担う側として、考えるべきことはたくさんある。ただ今のこれは、私達同士ではなく互いに自国の民同士で話し合うべき課題でもある。
レオンやアネモネ王国の気持ちを考えた上で、私達からフリージア王国の政索をそのまま寮を進めるのはきっと違うのだから。




