そして受け取られた。
「私が自信を持ってお勧めいたします新しき従者。〝フィリップ・エフロン〟です。まだまだ城に来たばかりですが、どうぞステイル様のお好みに育てて頂ければと思います」
「ぶふっ!!!!……~~っっど、……この奴隷商人だお前はっ……」
とうとう耐えきれず、第一王子が噴き出した。
翻弄されたまま情けない表情で焦燥に汗で顔を湿らせるフィリップに、ジルベールが秘蔵っ子を紹介するように彼を押し出す姿はそれだけでもかなり面白かった。
しかも言っていることが聞きようによっては犯罪現場だ。まるで攫ってきた青年を売りつけているようにも聞こえる文言に、確実にジルベールがわかって言っているのだとステイルは理解する。
くくくくくっ……、と一度吹き出しても収まらず顔ごとを逸らしたまま肩を震わせるステイルは、必死に崩壊した顔を二人に見せないことだけ死守する。「立ち聞きで誤解されたらどうする」と続けて言いたかったが、笑い声が先立って途切れ途切れの空回った一単語しか出なかった。
想定以上のステイルからの良い反応に、ジルベールも「少し冗談が過ぎましたかね」と置いていたフィリップの肩へ軽くそのままポンと叩いた。
今のも冗談だと伝えたままに、彼から手を離し再びソファーへ腰を下ろす。そして置かれたままだったポットを自ら手に取ると、そのまま自分以外の二つのカップに珈琲を注いでいく。
「……とまぁ、そういうことでフォリップ殿の進退を私が紹介させて頂いたという形にさせて頂ければ、ステイル様も受けやすいかと」
「~~っっ……待っ、……まだ、話せ、状況じゃなっ……」
くくくくくっ……!!と、背中を完全に丸め、ソファーに顔を突っ込むようにして小さくなったステイルの背中はまだぴくぴく震えていた。
ジルベールの策謀に納得できたこともそうだが、それ以上にさっきまでジルベールが敢えて使った言葉一つ一つをかみ砕けばその度に腹がよじれそうになる。
完全にツボに入ったまま抜け出せないステイルに、ジルベールまでつられ小さく噴き出したが自分のカップに残った珈琲の苦さで誤魔化す。ステイルよりは先に取り直した彼は、フィリップに座るように促すとそのまま「失礼な物言いをしてしまい申し訳ありませんでした」と深々頭を下げた。
「事実、貴方様を物のように扱う気は毛頭ありませんので、ご安心下さい。今のは私もつい興が乗ってしまいました。気分を害されたら心よりお詫び申し上げます」
「いえ、そちらは別に……。…………それよりも」
仲良いんですね???
最初に、やっと状況を飲み込めたフィリップが口から滑りかけたのがそれだった。しかし実際は飲み込んだ。
以前にも思ったが、更にも増して昔のステイルがこんな風に笑う姿なんて一度も見たことがない。
なんでしょう?遠慮なくどうぞとジルベールが促すが、安易に口にするのは躊躇う。ぽすんとうっかり音をたててソファーに座ってしまったフィリップはまだ瞬きもできなかった。
ジルベールからの続きの促しに、未だ微弱に震えるステイルを眺めながら口を開き出す。
ステイルにとっての大事な友人だろう彼に、ある程度の失言を受けても笑って受け流す心づもりだったジルベールだが、今さっきの己の失言も自覚がある為心は更に広い。もともとはここまでステイルに言ってのけるつもりもなかった。
「……恐れながら、ステイル様のご親友とはやはりジルベール宰相殿のことで」
「それは違う」
ビシリッ!と。
さっきまで沸点最高潮だったステイルの熱が急降下した。
フィリップからのまさかの発言に熱が冷め、一瞬でいつもの口調と顔色に戻る。さっきまでのやり取りも一度頭から抜けたように断言するステイルは、くるりと身体ごとフィリップに振り返る。
何故そんな勘違いをするんだと、強い口調で咎めたくなるのを抑えながら気付けば目線だけは若干鋭くなった。自分がジルベールに開口一番に怒鳴り込んだというのに、そこで親友扱いされる理由がわからない。
本調子に戻ったステイルに、切れ長な目を開きながらジルベールは微笑む。勘違いでもフィリップにそう見えたのなら失言どころかむしろ喜ばしい。しかし、同時にステイルの親友という称号が自分ではないこともよく知っている。
「ああ、〝あの方〟のことですね。残念ながら、私などあの方と比べれば全く足元にも」
「そもそもコイツは友人でもない。そいつについてはまた今度紹介する。とにかくジルベールではない、絶対に。ジルベール、お前やはりフィリップに何か吹き込んだだろう」
「ジルベール宰相殿も、ステイル様の親友をご存じなのですか……?」
ははは、と軽やかに笑って流すジルベールが敢えて名前を伏せて〝あの方〟を含めば、ステイルも眉を寄せた。
最初の迎え入れも珈琲もジルベールに奪われた以上、アーサーのことだけはちゃんと今度こそ自分の口で紹介したい。しかし何故よりにもよってジルベールがそう勘違いされたのかと思いながら、眼鏡の黒縁を押さえつけた。
フィリップに自分の親友について仄めかした上、まだ自分の関係者で会ったことがあるのがジルベールだけなのだから無理もないと思うが、間違うにしても別の相手で間違われたかった。
むすっと少し顔をむくませながら、フィリップの問いに改めてジルべールへ目を合わす。「ええ、勿論」と楽しげに言うジルベールは満面の笑みだった。
「ステイル様のご親友といえばあの方しか居られませんから。フィリップ殿も、遠からずお会いすることになると思いますよ」
「やはりどこかの王侯貴族の方でしょうか……?自分はまだ城に住まわれる方々のことも詳しくは把握しておらず、勉強不足で申し訳ありません」
「いえいえ、私の口からはこれ以上言えませんが。……まぁ、ステイル様のご親友として相応しい御方ということは保証致しますよ」
ご安心ください。と、静かに笑んだジルべールに、ステイルは顔が変形するほどに頬杖をつく。
友人だった自分よりもジルベールの方が目上な感覚があるのは無理もないが、自分よりもさっきから親し気に話しているフィリップに少し腹立たしさを覚えてしまう。
何故俺に聞かない?と理由をよくわかっていても不満に思う。ジルベールの口の堅さは確かなものだったが、自分だけ蚊帳の外にされている感覚が面白くない。一番アーサーを紹介したいのは自分だ。
「とにかく、ジルベールから無事に紹介も済んだ。〝誕生日祝い〟についてはありがたく頂戴してやる」
ジルベールの提案を受け入れると、そう言葉で示しステイルは二杯目の珈琲を味わった。お前もそれで良いか?と、念の為フィリップからの意思も確かめた後、頷きを受けると共にカップを更に傾ける。
それはなによりですとジルベールに返されながら、ステイルはまたやり取りを思い出したら珈琲を吹き出しかねないと、さっきの記憶を今は思い出さないように意識する。ごくり、と自分の中に響く音で飲み切ってから一度席を立った。
「俺の従者としての仕事は後でじっくり叩き込ませるとして、……先に紹介しないとな。またどこぞの宰相に先取りされては困る」
少し待っていろと、扉の外に控える衛兵に伝言を頼むべく動くステイルにフィリップの目線が顔の角度ごと上がる。
紹介?と、今度こそステイルの親友か、それとももうこれ以上の大物に紹介されるのかと鼓動を速めればジルベールからも「おや」と言葉が零された。
「姉君に紹介しよう。フィリップ、お前もそれで良いか?」
「えっ?!あの……ステイル、様の姉君とはまさか─……」
良いけど、よりも喉が干上がった。
さらりと言われた〝姉君〟という単語に勢いのまま立ち上がり、否が応でもこの国で最も話題性の高い人物を思い出す。ステイルが仕える、血統から筋金入りの王族。ステイルが扉の向こうの衛兵に誰を呼ばせようとしているのかも見当ついた瞬間、反射的に「ちょっと待て!」と言いたくなる。国で最も尊ばれれる城で、宰相に会った上にまだステイルの関係者には大物が残っている。
戸惑いのあまりつい「様」をつけ忘れそうになったフィリップに、ステイルはニヤリと笑う。「当然だろう?」と言いながら、折角ならティアラと一緒に紹介したかったと思う。しかし早めに貰った自分の休息時間とティアラの休息は被らない。
取り敢えず今日はプライドにだけ紹介して、また後日来た時にはきちんとティアラでも説明しようと決める。
「俺の従者になるんだ。俺がお仕えするプライド第一王女にお目遠しするのは当然だろう?」
いや当然だけど!とその言葉を飲み込み、フィリップは口を結ぶ。
まさか城に受かった当日に、怒涛の面談が待ち構えているなど想像もしなかった。ステイルがご機嫌のままに扉の向こうへプライドへの伝言を伝える中、席から勢いのまま立ったまま棒立ちになり続けた。
その傍で寛ぐ宰相も、その実ステイルに負けず劣らずご機嫌なのだと知る由もない。付き合いが長い、ステイルさえも。
『こんな優男に見えるが、二回り差がある大男でも素手で叩き伏せられる。背後には気を付けろ』
まさか。よりにもよって、自分の前科を知るステイルから。
「こいつは嘘ばかり吐くから信用するな気を付けろ」と言われなかったことに、ジルベールが密かに隠しきれずはしゃいでしまっていたことに。




