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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り王女と結合

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そして聞かされる。


「失礼致しました。あまりにも整ったお顔でしたので。……さて、そろそろお互いにそれ〝らしい〟指導もさせて頂きましょうか」


伸ばしていた首と共に前のめっていた身体をソファーに預け、ジルベールはゆっくりと扉の方へ目を向けた。

フィリップも釣られるように首を向ければ、まるで図ったかのようにコンコンと扉が鳴らされる。ジルベールの許可により開かれた先からは、侍女がワゴンと共に器具一式を用意して現れた。

「お待たせいたしました」と優雅な動作と共に入ってきた従者の言葉を聞きながら、自分が来る前にジルベールから指示があったのだろうと理解する。ワゴンを二人のテーブル横で留めた侍女は、それ以上は何もせずペコリと頭を下げた後に退室してしまった。

その間、にこやかに笑んだまま何も言わないジルベールは、扉が完全に閉じられてから「さて」と言葉を切った。

投げかけた一声にフィリップが自分へ注目したことを薄水色の瞳で確認しつつ、笑みを広げ目を合わす。


「珈琲を、淹れて頂けますか?」

先日、飲み逃してしまったもので。と、そう笑いかけるジルベールにフィリップの背筋も伸びた。

はい、と反射的に出た声はこの部屋に入ってから一番張りのある声だった。ソファーで寛ぐよりもずっと落ち着ける作業に、酸素が肺まで一気に通る。

以前ジルベールの屋敷へ招かれたフィリップだったが、結局珈琲をご馳走した相手はジルベールではなかった。

侍女により運ばれたワゴンには、珈琲をこの場で淹れるのに必要な一式が全て揃っていた。煌びやかな器具一つ一つに、ジルベールの屋敷で借りたものよりも更に高価な品だろうと確信するが、そこはなんとか堪え覚悟した。どうせ城で働くことになったら触れないといけない品だと自分に言い聞かす。たとえ自分の家の食器全ての総額で、この器具一つ買うこともできないだろうと理解しても。


カチャ、カチャと最低限の音だけを立てながら順調に手を動かし珈琲を立てる。

うっかりいつもの癖でジルベール一人分を用意しようとしたが、途中で「二杯分お願いします」と言われ今は自分も飲む立場なのだと気付く。

フィリップの珈琲を淹れる手並みは、ジルベールの目から直に見てもやはり基準値の腕前だった。プロとは言えないが、それでも間違いなく板についている。覚えは良い方なのだろうかと、夫人から聞いた話を思い出しながらのんびりと珈琲を淹れる使用人服の青年を眺め口を開いた。


「……ステイル様は、普段は紅茶を嗜まれるのですよ」

「?はい。紅茶の方も勿論淹れることはできます」

「いえ良いのですよ。王族の飲食は基本、専属の侍女が全て用意しますから。別段そこは重視されません」

勿論できるに越したことはありませんが。と断りながら、扉の向こうを手で示す。

使用人の数が限られる下級貴族と異なり、湯水のごとくそれぞれ専門の使用人を雇う城では紅茶を淹れるだけの給仕の侍女や従者もいる。主が求めれば専門の者ではなく専属の侍女や従者が淹れることも当然あるが、言い換えれば主さえ求めなかれば従者は専門の者に用意を命じるだけでも良い。専属侍女や従者とはそういう立場の人間だ。

ジルベール自身、給仕役の侍女に紅茶を命じ、時には自分で淹れることも、そして主である王配に自分が振舞うこともある。そして第一王子の従者もまたそれだけ自由度は高い。

ステイルが紅茶を淹れられない程度で部下を怒鳴りつけるような人間ではいことも明白だ。


「そうではなく」とゆっくりとした口調で告げるジルベールに、手を変わらず動かしながらフィリップは心の中で首を傾げる。もともと自分の「珈琲の腕が」というのがただのこじつけで、屋敷に誘われたことは自覚している。だが、なら何故いま紅茶の話になるのだろうと考える。


「どうか、ステイル様のお傍に立つことになりましたら。珈琲はなるべく勿体ぶり、頻度も少なめに出して差し上げて下さい」

はい。そう一応は返したフィリップだが、心の中では「どうして?」と思う。

目上の相手からの望みに自分が疑問や理由を尋ねるなどあり得ない。言われた通りに動くことが使用人の基本だ。だからこそ言葉だけはそのまま快諾しながら、別の言葉で探ることにする。

考えることも放棄しただ務める場合もあるが、今のジルベールの眼差しはたとえ自分が「どうしてですか」と尋ねても笑って許してくれそうなほど優しかった。


「頻度は、どの程度で宜しいでしょうか。週に一度程度か、もしくはひと月に程度まで下げるべきでしょうか。ステイル様には「私の一存で」とお伝えすれば宜しいでしょうか」

「いえいえそこまで厳密には。時々、貴方の目から見て必要だと思う時にのみ差し上げて下されば。頻繁を断る理由については、責められるようであれば私から言われていると遠慮なく明かして頂いて結構ですよ」

使用人として詳細な命令内容と、そして原則として依頼者に火の粉がかからない方針を口にするフィリップに、ジルベールはわざと少し大げさに両手の平を振って見せた。

別段そんな深刻なものではないことを表情と声色で示すジルベールに、フィリップも少し肩が降りる。ただ、代わりに疑問だけが余計に大きく残れば今度は既にその疑問も読んでいたジルベールが言葉を重ねた。


「珈琲は胃が荒れやすいですから。ステイル様は業務中の飲み物を求められることは多いですが、目覚めや気付けの為ではなく気持ちの癒しを求められることが殆どです。なので、なるべく今まで通り茶の類を嗜んで頂きたいのですよ」

集中力や気持ちの切り替えに必要であれば、全てを珈琲に切り替える必要はない。

しかし、古い友人の得意科目を知ればステイルが「折角だし飲ませて欲しい」という理由だけで求めることが予想できた。今は珈琲を常用はしていないステイルだが、もし頻繁に珈琲を飲むことになれば彼の性格上珈琲中毒になるまで飲み続ける可能性もある。そう遠くない未来、ステイルが「こっちの方が目が覚める」「集中力が途切れない」「疲れていても仕事に打ち込みやすい」と言って珈琲を常用し朝も夜も飲み続け仕事に励む姿がジルベールには容易に頭に浮かんだ。そうさせない為にもここは、常に珈琲の摂取量を減らさせておく必要がある。

なるほど……、とフィリップもやっと納得する。自分を雇っていた夫人は珈琲自体を好んでいただけだが、確かに最初からそうでないなら常用する必要はない。更にジルベールから「ステイル様は恐らくミルク無しを求められますから」と言われれば余計に納得できた。



……この人ステイルのことよく見てるんだな。



「わかりました。留意させて頂きます」

言葉を返しながら、フィリップは少しだけ珈琲から目を離しジルベールを確かめる。

物腰の柔らかい男性だが、少なくとも自分よりもずっと年上ではあろう相手にステイルとも長い方の付き合いなのかなと考える。宰相と第一王子であれば、それなりに関わりも深いと察しは付く。

ここまでステイルの身体のことまで心配しているということはもしかして彼がステイルが自分に紹介したがっている人かとまで推測した。


「……あの、過ぎたことをお聞きします。ステイル様は、それほど無理をなさりやすい環境なのでしょうか……?」

「許容量は超えておりませんよ。私が超えさせませんとも。……ただ、とても真面目な御方ですから」

純粋にステイルを心配し出した様子のフィリップに、ちらりと顔色を確認してから心配をかけないように笑んで見せる。

今の話でステイルが珈琲を常用しそうなほど忙しない日々を送っていると心配するのも当然。そして、実際はそこまで業務に追い詰められた日々ではない。……基本的にはと。


その最後を敢えて今は伏せながら、ジルベールは涼しい顔で当たり障りない事実だけを告げた。

まだ今の第一王子となったステイルとの再会自体は浅いだろう彼に、いきなり深い事情まで告げるのは好ましくない。それは自分が言うのではなく、彼の目で理解していくべきだろうと考える。

まさか、大事な相手の為には多少とは言いにくいほどの無理をし手段を選ばない時もあり、プライドの為にならば何度でも深淵に顔を覗かせ、自分ざ把握しているだけでも許容量を超える無理を重ね平気な振りを断行しようとした前歴があるなど、この場で言えるわけもない。


ジルベールの言葉に、ほっと息を吐くフィリップは全くその裏の言葉までは気取らない。

珈琲を淹れ終わり、一滴の零しもなくカップに注ぎ終えたフィリップはそこでゆっくりとジルベールと自分の席に珈琲をカップ皿ごと置いた。ミルクと砂糖も中央へセットされた容器ごと音もなく配置し終えれば、また「どうぞ」とジルベールに向かいの席を促される。

わかっていたとはいえ、やっぱりソファーよりもこの位置で立つ方が落ち着くなと思いながらフィリップはゆっくりとソファーへ腰を下ろした。今度こそこの国の、舌が肥えているだろう宰相に自分のような素人上がりの珈琲を目の前で飲まれるのかと地に足が付いていないような感覚で待つ。

奥様と共に出した時は客として一度飲まれてはいるが、あれだってお世辞だったのだろうと思えば余計今は緊張してしまう。今度こそ間違いなく自分への査定だ。

しかし、飲み出せばジルベールからは何ら言葉がなかった。険しい表情もなく、ただいつもの用意される飲み物のように口にする。お世辞で「美味しい」も逆の「不味い」もないただ味わい沈黙を落とすジルベールに、今度はフィリップがきつく絞った唇から意を決す。何か話題をと「ステイル様は」と発声しようとしたその時だった。




「ジルベールッ!!!!!!」




「思ったより少々遅かったですねぇ」

扉の向こうから突如響いた怒号にフィリップが大きく肩を上下させる中、ジルべールは水面を揺らすことなく珈琲を飲み直す。

足音は乱れた音が聞こえないのは、早足で済ます程度の落ち着きがあったのか、それとも瞬間移動を使われたのかと考えながらまた一口珈琲を味わった。

覚えがある気がする声の知らない怒号に目を白黒させるフィリップは、自分の珈琲を一口もつける間もなかった。

扉向こうの怒声と落ち着いたジルベールの対比に自分がどうすれば良いかもわからず、とにかく一度その場で席を立って待つ。


ドンドン!!と宰相の扉を叩くにしては乱暴過ぎるノック音に、ジルベールが「どうぞ」となだらかな声を返すのはその直後だった。


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