Ⅱ543.刺繍職人は受け、
「ッだ、駄目です……‼︎」
絶対、絶対‼︎と、固く意志で断じるように告げるアーサーは、繰り返し首を横に振った。
目の前で悲しげに眉を垂らすプライドとティアラに詰め寄られ、大きく背を反らし身体を仰け反らせる。いつもならば大概のことは折らせる王女二人の合わせ技だが、しかしアーサーは気を強く持つ。ブンブンと左右に振る首で風を切り、唇を硬く閉ざした。
汗を垂らしながら拒み続けるアーサーに、同じく近衛騎士として第一王女の部屋に訪れたエリックも半笑いを浮かべてしまう。プライドに休息時間を合わせたステイルも、今はどちら側に付くべきか珍しく考えあぐねたままだ。
そして第一王女の部屋に招かれ、美し過ぎる向かいのソファーに腰掛ける直属刺繍職人ネル・ダーウィンもまた発言権を持て余していた。
プライドの専属侍女であり自分にとって比較的親しい関係に思えるマリーに、助けを求めるように視線を向けるが無言で首を振られる。むしろ「私の主人が申し訳ありません」と言わんばかりに、最後は深々と丁寧に頭を下げれば隣に並ぶロッテもべこり!と勢いよく下げた。扉わきに立つジャックに至れば、終始無言で我関せずのままだ。
テーブルにはトランクから出した刺繍のデザイン画や実際の刺繍を畳んで重ねて置いてあるが、今はプライドもティアラもソファーから立ちアーサーに詰め寄っている。
今朝からネルの刺繍を心待ちにしていた二人だが、今は更なる興味に胸をわし摑まれていた。
「別にアーサーの人形をそのまま欲しいっていう訳じゃないから……‼︎」
だ、め、で、す‼︎‼︎とアーサーの意志はやはり固い。
プライドからの訴えも虚しく、ティアラから「私も欲しいです!」とつま先立ちも半歩退いて逃げた。
ネルと共に訪れたエリック、そしてアーサーの団服のポケットからチラリと顔を出していた人形が全ての発端だった。
いらっしゃい、待っていたわと両手を広げて迎えたプライド達だったが、交代し部屋を去っていったアランとカラムを見送ってから最初にティアラが気付いた。団服のポケットではなく、懐に仕舞っていればこんなことにもならなかった。
そのお人形は?と尋ねるティアラに、アーサーも最初は動じなかった。ポケットから手に取り、そのまま二人へ人形を見せる余裕もあった。
『ネルさんがくれました、誕生日祝いに。ガキの頃も一度作ってくれて』
自分を模しているといっても髪型や瞳の色程度。それよりもネルが見事に作ってくれた団服衣装の出来を見て欲しい気持ちが強かった。
すごい!上手!と二人揃って目を輝かせ、ソファーから立ちアーサーが見せてくれた人形をもっと間近で見ようと駆け寄った。至近距離で見れば見るほど素晴らしい出来の人形は、どの角度で見ても暫く飽きなかった。
騎士の人形自体は、両手をちょこりと降ろした簡易的な布人形だ。しかし着ている衣装の精巧さは桁違い。騎士を毎日目にしているプライドやティアラにはその正確性がよくわかった。
そしてその人形を王女二人が欲しがるのも当然の流れだった。
〝私にももう一つ〟と。そうネルへねだるように言い出すプライドとティアラに、アーサーが待ったをかけるのも。
あくまで、昔馴染みのネルが騎士の自分に似せて自分に送ってくれたから喜んだだけ。自分以外のしかも異性にそんな人形を持たれるなど耐えられない。しかも今所望しているのはプライドとティアラだ。
二人からすれば仲の良いアーサーに似た可愛らしいぬいぐるみを、純粋に欲しいだけ。しかし同時にアーサーに似せられたそれが欲しいと認めた時点でアーサーにも止める権利はあることは二人も理解していた。自分を模した人形を他人に持たれて嬉しいか怖気が走るかは人と相手による。王女である彼女らは自分達を模した品や絵画なども見慣れているが、聖騎士とはいえアーサーは一応一般人だ。
「じゃ、じゃあアーサーじゃなくてただの騎士の人形なら、良い?とにかくすごく可愛いしこの前頂いたあの人形と並べるのにもうちょっと小さく作ってもらえたらなと……」
そしたらきっとぴったりと。
控えめに声を細めながらプライドは上目に覗く。そのままちらりと視線を横に配れば、エリックの肩がぎくりと上下した。
既に自分の家族のやらかしにより、プライドの部屋には愛らしい人形が三つも並んでいることをよく知っている。半笑いだった顔が半分以上強張りながらエリックも言葉が出ない。ええ……と一音を漏らしながら自然と視線が一方向へ向けばネルも釣られるようにそちらへ振り返った。棚上に飾られた三つの人形に気が付く。自分がアーサーに贈ったのより一回り小さな
「あっ……あの、失礼ですがそちらの品はもしかして城下の……」
⁈と、ネルの恐る恐るとした問いかけにプライドとティアラは勢い良く振り返った。
目を水晶のように大きく見開き唇を結ぶ王女二人に、ネルは思わず肩が大きく揺れた。何か無礼なことを言ってしまったのではないかと身を強ばらせる中、反してプライド達の瞳の奥は輝いていた。
無言のままネルの続きを待てば、躊躇いがちに続きの言葉が紡がれる。王都の、とある雑貨店の名前を出した瞬間今度はエリックの顔色がわかりやすく変わった。
ネルが〝城下の〟と口にした時点でまさかと察したエリックだが、店名を言われればもう否定のしようがない。家族がプライド達へ人形を贈った後、自分が教えて貰った店名と全く同じだった。
エリックの顔色と、そしてネルの確信めいた「そちらで御購入を……?」という問いにアーサーもじんわりと喉が干上がっていく。
「あの、ネルさん。……もしかし、なくてもその人形もネルさんが作っ……?」
「え、ええ。プラデストで働く前に、色々と商品をお願いして店に置かせて貰っていて……」
冷や汗を垂らしながら問うアーサーに、ネルは小さく頷きながらも目が泳ぎそうになる。
フリージア王国に帰ってから暫く、プラデストの講師募集を知るまでは細々と市場で出店した。それでも売れず、既存の他店を回っては刺繍のみに拘らず、服でも人形でも裁縫で作れるものならば作ってはとにかく交渉し置かせて貰う日々が続いていた。
その後プラデスト講師、更には王女直属刺繍職人という怒涛の日々で、結局一度置いた作品や商品も新たに置きにくくなった店もあった。特に、本来の刺繍と離れた品であればあるほどに。
状況が読みきれないネルの肯定に、きらきらとプライドとティアラの目に輝きが増していく。ときめく胸を両手で押さえるプライドと、両指を組むティアラは二人とも心は一つだった。
つい最近欲しくて堪らなかった人形シリーズの職人に、ネルへの尊敬が更に高まった。
刺繍に服に小物に人形まで‼︎‼︎と心の中で叫ぶプライドは、ネルとの補習が頭を過った。
『刺繍以外も服とか人形とか色々他店に置かせてもらってはいるけど』
まさかネル先生が作っていたなんて、と。
衝撃のまま、瞬きも忘れてしまう。刺繍や小物だけでも素晴らしい出来なのに、他の作品でも胸をわし摑みされていた。これは刺繍以外も是が非でも欲しい品が増えてしまった。これは具体的に刺繍と並行してお話を……‼︎と思った時。先にティアラがネルへと大きく振り返った。
「わ、私のお人形も作れますか⁈」
お姉様達のお人形みたいに‼︎‼︎と力いっぱい両手拳を作りながら熱のこもった視線を向けるティアラに、ネルはわずかに座ったまま身を引いた。刺繍を見せた時も目を輝かせてくれた第二王女だが、今はそれに勝る必死さが感じられた。
城下にある雑貨屋に民にも人気が高い第一王女や騎士の人形ならばと言われたからいくらか作ったが、完成度としては自分の納得をいく作品でもなかった為に戸惑いが隠せない。
当時は第一王女に会ったこともなければ、騎士も副団長である兄とその友人も騎士団長の為、一般的な騎士の団服にも自信がなかった。
そして今は、本物の第一王女がまさかの自分の人形をと所望している。
ええ、恐らく、作れるかと。そう辿々しく答えながら、瞬きのできない目は本物御本人に向いていた。むしろ今ならば本物を見る前に作った第一王女と第一王子の人形よりは完成度も高くなると思う。
ティアラからすれば、兄と姉、そしてアーサーを彷彿とできる騎士の人形があるのにそこに自分がいないのは寂しさすらあった。可能であれば、一日でも早く自分の人形も姉の人形達の仲間に入れたくて仕方がない。
ネルの嬉しい返答に金色の瞳をきらっと力いっぱい輝かせたティアラは、ぱたぱたと駆け寄った。自分よりも大きくしっかりとしたネルの手を両手に取り包み、真剣な眼差しで顔を近づけた。
「是非っ!是非お願いします‼︎‼︎あとできたら私と兄様の分もお姉様達のお人形を……」
「えっ!ティアラの人形私も欲しいわ‼︎」
ステイルの人形最新版も!と。
妹の勢いの良さに、とうとうプライドも釣られてしまう。
ひっくり返りそうな声のままの本音に、ステイルはソファーに前のめりに潰れたまま顔を覆ってしまった。眼鏡の隙から指を滑らせ目も覆う。さらりとティアラに自分の分の人形までネルに依頼されてしまったが、そこでうっかりでも「俺まで巻き込むな」と言えない。顔を上げるだけで間違いなく本音がだだ漏れでしまう事実が恥ずかしく、黙認した事実から目を背ける。
ティアラに続き、プライドも注意がネルへと変わったことにより取り敢えずアーサーは息を吐く。
自分の人形ならばまだしもティアラ達の人形ならば問題ない。隣でエリックの顔は未だ微弱に引き攣っていたが、女性三人は平和なものだ。
わかりました、と頷いたネルは早速メモを取り始める。注文された人形の数と種類を忘れないように記載する中、まさか人形まで王族に発注を受けるなんてと思う。
刺繍と比べ人形の方は手間も時間もかからないが、こちらは服や小物と比べ本職というよりも暇つぶしや気晴らしにも近かった。店を出したとしても、自分の作る人形は置くつもりもなかった。
あくまで自分の本分は刺繍の為、それを込める機会のない人形は作品の中では最も思い入れが薄い。だが……
「でもネルもこれから忙しいし、いきなり沢山お願いされても困っちゃうわよね……」
「!そ、そうでしたっ。あの、では最初はせめて私のお人形を一つ……お姉様の部屋に一緒に並べたいので……!」
良いの?良いんですっ!と王族とは思えない慎ましやかな注文一つにネルは正直に口が笑ってしまう。
あと五個くらいなら暇な短い時間にでも同居人と一緒にちょこちょこ縫うのに……と心の隅で思うが、それを言ったが最後彼女達の欲求が大爆破する気もする。
これからも確認や発注の為に城へ訪れるのだし、その時にまた聞いてみようと思い直した。もしまだ作れそうならば、既存品の人形から個数を増やして要るか否かも聞けば良い。
わかりました、それでは、とネルは第二王女の人形一つの注文書を書いたメモを閉じた。それから一度深呼吸後、王女達へ交互に視線を送る。
「あの、……それで刺繍の方はー……」
はっ‼︎‼︎と、直後にその場の全員が息を飲む。
既にネルが訪れて二十分以上が経過していた。それまで人形に夢中で大事な本題に全く触れられなかったことに今気付く。
早足で駆け寄り、ソファーに座り直し、姿勢を正し、温かな紅茶を入れ直す。
プライド達のあまりにも慌ただしい光景を前に一人固まるネルは。
─ 意外に可愛い……。
今にも笑ってしまいそうな表情筋を王族の手前引き締めながら、脳裏では学校で最初に自分の刺繍を認めてくれた補習女子生徒二名を思い出してしまう。
やっと全員が何事もなかったかのように今度こそ本題に入るのは、それからだった。
Ⅱ272




