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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り王女と結合

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Ⅱ542.刺繍職人は踏み出し、


『さぁネル。お前もアーサーに挨拶してやってくれ』


初めて私に会った時のことを、アーサーは覚えていない。私が兄から紹介された時、彼はまだ生まれたばかりだったから。

兄の友人として紹介されたベレスフォードさんに子どもができたと、兄が会わせに連れて行ってくれたことはうっすらと覚えている。具体的にどんなことがあったかなんて覚えていないけれど「抱っこしたいと言って、できるまでずっと手を伸ばしていた」と兄が笑いながら当時のことを話してくれたことがある。


兄の関係でアーサーとは昔からの知り合いだったけれど、会う回数は少なかった。年に数回くらい。お互いベレスフォードさんか兄に連れられてこなければ顔は会わせないし、何より子どもの頃から私もアーサーも好きなものが違い過ぎた。

私は縫物や服を見ることが好きだったのに対し、アーサーは小さい頃から外で騎士になる練習ばかりに夢中だったから。家は近所とは言わなくても歩ける距離ではあったけれど、兄さんとベレスフォードさんが仲良くなければきっと私とアーサーは友人どころか知り合いにもなれなかっただろう。年の近いアーサーよりも、同じ女性だったクラリッサさんの方が好きで昔から仲良しだった。


小さい頃のアーサーは、お父さんであるベルスフォードさんが大好きでそして私の兄さんにも懐いていた。私がクラリッサさんと仲良くなったように、アーサーも私よりも私の兄さんと仲が良くなっていった。

赤ちゃんの頃は可愛くても、大きくなればなるほどにやっぱり男の子なんだなと子ども心に思った。立派な騎士のお父さんがいて、剣の玩具や騎士の話ばかりが好きだった彼に、きっと将来は騎士になるのだろうと信じて疑わなかった。

兄さんもアーサーに甘くて、少しだけ私もアーサーが羨ましかったこともある。私のことをずっと大事にしてくれた兄さんだけど、私から甘えることはあまり上手くなかったから。


『ネル、さんは相変わらず手先器用だな』


私をネルと呼ばなくなったのは、アーサーが八歳になった頃。

それまではネルと呼んでくれたけど、成長して久々に会うとぎこちなくそう呼ばれた。お互い接点が少なくて、アーサーの中で私は呼び捨てを続けられるほど近い友人ではなかった。

私も私で小さい頃から知っていた筈の彼を弟とも思えないくらいの距離感で見てきていたから、別に大して残念でもなかった。大きくなったんだな、と年上相手にさん付けできるようになったアーサーを見て関心すらした。


大きくなっても私とアーサーの関係はやっぱり変わらなくて、たまに家族付き合いで会って少し話すようになっても寧ろ彼の方が私に歩み寄ってくれていた気がする。

ある日、久しぶりに家族同士の食事会でいつもは兄やベレスフォードさんにくっついていた彼が、自分から私に話しかけてきてくれた。………本当に、ずっとアーサーは優しい子だった。


同年代の子よりも身体も出来上がり始めていて手も大きかったアーサーは、小さい手で針に糸を通す私を馬鹿にせず関心してくれた。

頬杖を突きながら「すげぇ」とか「これ全部ネルさんがやったのか?」とか、子どもらしくて純粋な感想がとても嬉しかった。あの時だけは私もそれなりにお姉さんぶれた気がする。

「騎士になる」と立派な夢を持ってずっと頑張っているアーサーと違って、私はただ縫物が好きなだけで将来そんな仕事ができたらな思う程度の子どもだった。あの日唯一の得意が褒めて貰えたのが嬉しくて、その年初めて私は彼の誕生日に


『アーサー、誕生日おめでとう』

『……ありがとう』


たった一度、ずっと知り合いだったアーサーへの初めての贈り物。そこで私は酷くやらかした。

食事会からまた暫く経って、初めて私から彼に会いに行った。いつの間にか前髪も切らずに髪を伸ばし出していたアーサーを見ても、てっきり騎士の練習で忙しいのかなと気にしなかった。

突然訪問した私にも目を丸くするだけで嫌な顔一つせず、贈り物を両手で受け取ってくれた。

初めて作ってみたの、わりと上手く出来たかなと思う、兄さんのを参考に作ってみたのと、一方的に言葉を続けた私は初めて作ったそれを人に渡したことにいっぱいいっぱいで、アーサーの髪の下の顔色にもすぐには気付けなかった。

両手で受け取って俯かせるように首を垂らしてそれを見つめるアーサーが少し無言なのが長くて、下から覗き込んだ時。……やっと私は、何かを間違ったのだと気が付いた。




騎士の人形を彼に贈るのは、もう遅過ぎた。




『すげぇ上手い。……大事にする』

口ではそう言いながら苦しそうに笑う彼の目が酷く濁り、今にも泣きそうだったのは忘れられない。

小さい頃から騎士を目指していたアーサーが、今もずっと変わらず騎士を目指していると信じて疑わなかった。ずっと騎士が大好きだった彼に似せた騎士の人形を作ればきっと喜ぶと思った。その為に兄の団服を参考に、細かいところまで子どもながらにがんばった私にとって、アーサーがあそこで人形を投げ捨てずに受け取ってくれたことは救いだったと今でも思う。

あの時、「こんなものいらない」と彼が傷付けられた気持ちのままに私へぶつけたら、あそこで縫い物や刺繍への心が折れていたかもしれない。微弱に震える手で、それでも私からの贈り物を大事に握ってくれた彼は本当に、本当に子どもの頃から




優し過ぎるくらい優しい子だった。




自分本位で今の彼を知ろうとすらしなかった私より、ずっと。

大分前に騎士を目指すのを諦めると断言してベレスフォードさんと喧嘩をしたのだと、兄から聞いたのはその後だった。それまで私はアーサーが特殊能力に目覚めていたことすら知らなかった。

兄も、私に聞かれなければわざわざ言いふらすつもりもなく、……私もアーサーの話を聞こうとしたことなんてなかった。


ただあの日褒められたのが嬉しくて、騎士を目指しているに決まっていると思い込んで今の彼を知ろうともせずそして傷つけた。

周囲の勝手な偏見や言葉で騎士を諦めた彼が、ずっとどれくらい騎士が好きで憧れていたかは知っている。

仕方なく諦めたのだろうその夢をあんな形で鼻先に突き付けられて、一体どれだけ傷付いて苦しかっただろう。それでもあの人形を大事に両手で受け取ってくれた彼を、きっと誕生日に誰よりも傷つけたのは私だったに違いない。

事実を知ってからアーサーに謝りに行こうとしたけれど、兄に止められた。「そのことには触れないでやってくれ」「きっとそれを言葉で突きつければ余計に傷付く」「お前の気持ちが嬉しかったことは事実だよ」と言われて、結局一人じわじわと罪悪感に苛まれた。


『アーサーおはよう。今日も畑のお手伝い?』

『あー……まァ』

それから少しして私からもアーサーに関わるようになった。

クラリッサさんに会いに行くという名目で、少しずつ。あの時のことを謝れない代わりに、触れないで欲しい話題は避けてアーサーに話しかけた。

偉いね、とか今日は雨も降るかもしれないから気を付けてとか、本当に大したことないことしか言えなかったけれど。


クラリッサさんも兄もそれで良いと言ってくれて、アーサーも毎回挨拶を返してくれた。私も今までずっと会話らしい会話が少なかったから、相手がアーサーでも男の子相手にどういう会話が良いかもわからず本当に他愛のない会話で終わらせてすぐに逃げ帰った。

その頃にはアーサーも友達と会う回数が少なくて、何故かと思っていたら、……私以外にもアーサーに同じようなことをして傷つけてしまった友人はいたらしい。


アーサーが騎士を目指しているというのは周囲にとっても良くも悪くも当然で、だからアーサーが騎士を目指すのを止めた後にも彼へ話しかける話題も贈り物も全てが〝それ〟だった。

アーサーから騎士を目指すのは諦めたと聞いたところで友達も騎士の話題は控えてくれるようにはなったけれど、同時に彼への話題が一気になくなってしまった。

人の話を聞くことも好きだったアーサーはそれで友人を無くすことはなかったけれど、彼へは何を投げかければわからなかったのは皆そうだった。

今まで彼を取り巻き彼が好きだったもの全てが禁句になってしまったのだから。それからは私も苦肉で送れたのなんてクッキーくらいだっただろうか。


次第に家の畑作業にばかりのめり込むようになったアーサーだけど、その横顔は全然楽しそうじゃなかった。

それなのに月日を重ねるごとにアーサーが畑に出る時間は多くなっていって、しまいには雨や嵐の日まで「暇だから」という理由で外に出るから心配になった。

クラリッサさん曰く〝畑が好き〟なんじゃなくて〝何もしない〟のが嫌なのだろうと言っていて、店の手伝いもお客さんに会うのが嫌で閉店後の片付けや下拵えぐらいしか手伝えなかったらしい。

今まで騎士でいっぱいだったアーサーの生活は、それを避けた途端埋めるのは簡単ではないほど空白ばかりになった。それを別のことで必死に埋めようとしているのだろうとクラリッサさんは話していた。


『これ、アーサーにあげる。結構難しいから暇つぶしくらいにはなると思うから』

今度こそ何かしてあげたくて、苦肉の策で贈ったのは安物の玩具だった。

城下で買った知恵の輪を渡すと、アーサーは私の思った以上に気に入ってくれたと後から聞いた。お蔭で雨の日に飛び出すことが減ったとクラリッサさんには感謝されてほっとして、……同時に、本当にアーサーにとっては〝何もしない〟がどうにかできれば本当に何でも良かったんだなと思った。


同年代の子よりもずっと立派で元気な身体を持て余して、あんな玩具に夢中になるくらい。本当にただただ騎士以外で時間を埋めるものが欲しがっていた。


それをきっかけに、と言ったら変な話だけれど、私も自分でやりたいことを真剣に考えるようになったのはその頃だった。

ちゃんと私にはまだ好きなことがあって、仕事にしたいことがあって、……だからちゃんと向き合わなければいけないと思った。国を出てもっと縫物や刺繍に通じた国で学んで考えたいと思うようになって、国を出てやっていく為の資金も兄には頼らず自分の力で貯める為に酒場で仕事を始めた。

十六になって国を出ることになった時に、アーサーは見送りに来なかった。まぁそれも当然で。けれどベレスフォードさんやクラリッサさんは見送りに来てくれた。

最後に見たアーサーはもう女の子みたいな長さまで髪が伸びていて、……まだ自分の空白を埋めれてはいなかった。このまま彼が将来どうなるのかも私には想像もできなくて、結局大したこともしてあげられない内に私だけが先に進んでいってしまったけれど。




──『ベレスフォード家のアーサーなんだが、もう一度騎士を目指すことになった。今は毎日のようにロデリックと稽古と鍛錬を続けているよ。とても楽しそうだ』




兄からの手紙で知ったアーサーは本当に突然の変化だった。

それまでも故郷にいる兄からは定期的に手紙を貰っていたし、アーサーのこともよく話題に書いてくれた。

けれど、それまでは代わり映えのない知らせばかりだったアーサーが急にその手紙だけでいくつも変化が立て続けていて驚いた。二度も三度も何度も何度も読み直した。


騎士を目指すことになって、ベレスフォードさんとも仲良くなって、今は顔がよく見える。

一体何があったのかと私も手紙の返事で尋ねたけれど、それに関してはすんなりと文面で流された。まさか兄が何かやったのかと今でも思うけれど、もし兄に何とかできたことならもっと早くそうしていただろうとも思うから結局わからずじまいだった。彼女でもできて心境が変わったのかしらとも思ったけれど、それなら兄も嬉々として教えてくれるだろうから。

それからは手紙が来る度に書かれているアーサーは私が最後に会った時とはまるで別人で、……そして




あの日私が傷つけてしまう〝前〟の、彼そのもので。





…………





「…………来ちゃった……」


ハァ……と、言いながら自分でまた溜息を吐いてしまう。

ずっと煩い心臓を片手で押さえつけながら、門前で足を止めた私は首が痛くなるくらいの角度で見上げる。


この国で最も大きい建造物だろう城を前に、なんで自分がここにいるのだろうと何度も思う。


Ⅱ536-1.530-1

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