そしてやり尽くす。
演習所から騎士館まで全速力で走っても殆ど息を乱さなかった聖騎士が、今は滝のような汗に濡れてテーブルに突っ伏したままだった。
ゼぇ、ハァと肺が膨らみ萎むのを全身で感じながら暫くは喋る気力もない。最初にもっと酒の量を控えて置けばよかったと後悔するが、同時にアランは自分以上に飲んでいたことを思い出し勝手に二度目の撃沈を覚える。
二番隊隊長のブライスになんとか勝てた時はもしかしていけるかもと一瞬でも思ったが、アランにはどうしても勝てなかった。
決勝戦で腕を組んだ時点で勝負前からきらきらと楽しそうに笑っていたアランを思い出せば、あの時から勝負は決していたような気さえする。自分は何人も相手にして既に汗だくだったというのに、アランは殆ど汗もかかず元気いっぱいだったのだから。
いざ勝負となっても、テーブルが悲鳴を上げるほどの渾身の力を込めたところでアランは「おお!!強ぇなあアーサー!!」と話す余裕すらあった。
自分を下す瞬間にはアランも顔に力が入っていたが、それでもずっと歯を見せた勝利者の笑みは変わらなかったことを思い出せばもう完敗の言葉しか出てこない。痺れて未だぴくぴくと痙攣が残る腕をテーブルから垂らしながら、暫くはジョッキも持ちたくないとアーサーは思う。
他の騎士のように即殺でされればここまでの後遺症は残らなかったが、テーブルごとのトーナメント戦になってからアランは一勝負一勝負をじっくり楽しんだ為、アーサーも体力の限界まで健闘させられてからの敗北だった。
力尽きる前に下してくれたのはアランからの手向けだと思うが、それでもやはり敗北感は強い。肉弾戦も体力もアランに滅多に勝てないアーサーだが、腕力だけならばという希望も見事に打ち砕かれた。
「アラン隊長……っまじ、どう……鍛えてンすか……」
「いや普通だって普通。アーサーも知ってるだろ??」
知ってますけど……!!とそこで息を大きく吸い上げたまま歯を食い縛るアーサーはやっと濡れた前髪ごと顔を上げる。
勝利者の笑みとそのままのアランに、自分を叩き伏せた腕を差し出される。ありがとうございます……と手を取り潰れた身体を引っ張り上げられるアーサーだが、全く疲れていないアランの手の感覚に改めて負けを認める。すげぇ、の一言を溢したが殆ど息の音だった。
アランは普通という通り、確かに特別な鍛錬をしているわけではないとアーサーもそしてアランを理解する騎士は皆が知っている。彼の場合は鍛錬内容ではなく鍛錬量が尋常ではないだけなのだから。
隊長の勝利を最初から確信していたエリック達一番隊が拍手を送る中、アランは大きく手を振って応えるとそこで思い出したように「あ」と口を大きく開けた。腕比べという楽しいことこの上ない勝負事に夢中になるあまり、全く勝者の特権も賞品も誰も考えてなかったと思い出す。
勝てたのだからもう良いと言えば良いと思うアランだが、どうせなら最初に何か提案しておけば良かったと思
「優勝はアランか?」
軽やかな声に、それを耳にした騎士全員が一瞬で静まり返る。
ぴたりと口を貝のように閉じて声のした方向へと振り返れば、予想通り以上の人物がそこに並んでいた。
まさか……!とアーサーも息を止めて顔を向ければ、盛り上がっている騎士達の最後列でにこやかに笑顔を浮かべた人物が肩の位置で自分に手を振っていた。「盛り上がっているな」と笑う相手に、全く愛想でも笑う気分にはなれない。
お疲れ様です‼︎と直後には騎士達全員が姿勢を正し深々と一方向へ礼をした。
先ほどまで参加していなかった騎士に、全員が熱気すらも忘れて心臓の音だけを大きくした。騎士達の注目を独り占めしていたアランもまた、これから待っているであろう展開を予感しつつ背筋を伸ばして頭を下げる。アーサーも深く頭を下げるが、同時に目を合わせにくいと少し思う。
礼をする騎士達に一言「楽にしてくれ」と声を掛けると、その騎士は変わらずにこやかな笑顔でアランへと笑いかけた。
「すまないなアラン、せっかくの盛り上がりを止めてしまった。お詫びに優勝賞品は私達が出そう。なんでも良いぞ?欲しいものなんでもいってくれ、……ただし」
ポン、とそこで副団長クラークは隣に並ぶ騎士の肩を叩いた。
くっくっと喉を鳴らして笑いながら、先ほどまでずっと無言を貫いていた騎士を全員に示す。この先の言葉は誰が言わずともわかるだろうと思いながら、敢えて言葉にしてアランに最大最難関を課した。
「〝優勝〟というからには、最後に騎士団長に勝ってもらわないといけないな」
腕を組み、難しい表情で歩み寄る騎士団長ロデリックはクラークからの提案に敢えて何も否定はしなかった。むしろかかってこいと言わんばかりの表情でアランを見つめ返す。
先ほどまで騎士団長室での仕事を担っていたロデリックとクラークだったが、ちょうど一区切りついたところで赴いてみればすぐに状況は察せられた。
どうやらアーサーも負けたらしいと、テーブル前で背中が丸まっていた主役を見ながら参戦を決めた。
「アラン。腕を一度休めろ、右手左手の二戦で良い。引き分けはない、どちらか一つでも取ればお前の勝利だ」
お……おおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおぉおおおおおっっっ?!!!??と、騎士達も次第に漏れた声が唸りを上げて高まっていく。
イベントごとには殆ど参加しない騎士団長のまさかの参戦に目を輝かせる。息子の敵打ちか、息子の誕生日だからこその特別参加かと騎士達の中でもひっそりと思う中、ロデリックの登場に誰よりも目を輝かせるのがアランだ。
マジですか!!!?とまさかこんなところで騎士団長とも勝負が許されるなどとその場で前のめりに拳を握る。本音を言えば休む間もいらないから今すぐやりたい。
むしろそれが優勝賞品とばかりにアーサーの鼓膜がビリつくほど声を張り上げるアランに、ロデリックも一度だけはっきり頷いた。勿論騎士団長として負けるつもりもない。
最後列から自然と道を空ける騎士達の作った道を通りながらロデリックが前に出る。一番隊隊長対騎士団長というこの上ない看板に、騎士達も湧き上がる。先ほどまで参加していなかった八番隊まで噂を聞きつけた騎士から騎士館や近くの演習所から駆け集まってきた。
既に二位として敗者になったアーサーがふらりと覚束ない足取りで騎士団長に道を譲ろうと一歩ずつ下がれば、途中でフラつきを止められるようにロデリックに肩へ手を置かれた。汗ばんだ肩を騎士団長の大きな手が触れ、その重さを感じながら顔を上げればちょうど自分と同じ蒼の瞳と目が合った。
「誕生日おめでとう」
フ、とその瞬間だけ僅かに父親が笑んだのをアーサーは確かに見た。
もしここで優勝したのがアランではなく自分だったら、ここでロデリックに勝負を受けて貰えたのも自分だったのだろうと思えば改めて敗北が悔しくなる。むっと唇を絞りながら隠せない表情で見返してしまえば、まだ小さく笑まれた。
まだ子どもだと言われるような表情に口の中を噛みながらアーサーはさらに三歩下がった。
空けられた空間を通り、騎士団長の後に副団長のクラークも続いていく。
騎士団長自ら現時点優勝者のアランへ賞賛の言葉を掛ければ、それだけでアランの顔が満面に輝いた。いえいえ、はい頑張ります、ありがとうございますとロデリックからの言葉に返すアランがこの上なく今は羨ましいとアーサーは思う。
時間となり、腕を組み、緊張が張り詰める中で決戦開始の合図をクラークから告げられる。次の瞬間、ズガン‼︎とテーブルが割れたのではないかと思える音を立て、アランの腕が初めてテーブルに沈んだ。
歓声が上がり、更にまた反対の腕での勝負が始まる。互いに利き手とは反対腕だったが、やはり勝負は一瞬だった。
どちらも速攻で勝負がついたアランと絶対覇者騎士団長への歓声と拍手が留まることなく溢れる中、アーサーもこれには思わず不満も忘れて目を煌めかせてしまう。
おおぉ!と声を漏らし、気付けば最前線で見学できた腕比べ勝負に目を奪われる。自分を余裕で下したアランまでもが瞬殺されるのを見て、まだ自分もいつか勝ってみせるぞという挑戦心と同時に、やはり騎士団長はすごいのだという興奮が全身に血を駆け巡らせた。
「さぁどうするアーサー?次はどんな勝負がお好みかな」
今日ならロデリックも付き合ってくれるぞ、とまた喉を鳴らしながらクラークがそっとアーサーに並び囁きかける。
アーサーはまだ自分が主役という特権は残っているのかと思うと同時に、さっき合流したばかりだというのに状況を見事に把握しているクラークに唇を尖らせ睨む。ぼそりと小声で「テメェも騎士団長と優勝争いしろよ」と言ってやったが「私がやったら折られてしまう」と冗談めかして返された。そんなわけねぇだろち言いたかったが、それよりも柔らかい銀色の眼差しで笑まれれば、これ以上悪態をつく気も失せてしまった。
「どうする?」と弟の我儘を聞こうとしてくれる兄のような眼差しに、アーサーも口の中を飲み込んだ。
騎士団長、このまま参加されるのですか、あのアラン隊長を下すとは、流石です騎士団長、と騎士達が熱を持った声で賞賛を投げる中、今度のアーサーの声は勢いと呼べないほど、クラークにしか聞こえない声量だった。
「飲み勝負」
それは負けないなと。笑い混じりに言いながら、クラークは騎士達に合図をと手を上げた。
今日こそクラークも巻き込んで吠え面かかせてやると睨む挑戦状と、父親を交えた最も〝飲み会らしい〟種目提案がどちらもアーサーらしいと心から思う。
クラークの注目の元、改めて本日の主役により発せられた第二戦目に、騎士達も威勢の良い声で応えた。
腕比べに続きロデリックとクラーク参加のアーサーの祝会は、日付けを超えても尚盛り上がり続けた。
……正々堂々初戦から参加での一位二位を掴み取り、本日の主役を含む部下達全員を文字通り飲み潰した騎士団長副団長による解散が告げられるまで。




