Ⅱ533.本隊騎士は訪れ、
「どうぞ、入って下さい」
騎士団の演習を終えた僕が、アーサー隊長の御実家へお邪魔したのは招かれた中で一番後だった。
以前と同じところに馬を止めようとすれば、既に一頭アーサー隊長が乗って来たのだろう馬が止められていた。いつもは足で帰ることが多いと聞いたが、今日は「準備があるンで」と僕同様に馬を借りて真っすぐにご帰宅されていた。
準備もなにも、ご自身が何故準備をする為に帰る必要があるのかと言いたくなったが我慢した。僕も僕で寄るところがあり、できるだけアーサー隊長達を待たせないようにと馬で急いだ。
到着すれば扉を開ける前から明るい光が窓から溢れていた。馬の気配に気付かれたのだろうアーサー隊長自ら、僕がノックを鳴らす前に扉を開けて招き入れてくれた。
急いだつもりはあったが演習場を出る前に着替えて来た僕と違い、騎士の団服のままだったアーサー隊長も今は自宅で普段着に戻られていた。ここがアーサー隊長の家なのだと改めて思い知らされる。
「遅くなって申し訳ありませんでした。こちら、菓子店がまだ開いていたので」
「!あ、りがとうございます!すみません、気ィ遣わせて……、…………??」
復帰前に購入しておいた菓子を差し出せば、両手で受け取ってくれる。
正直に言えば事前に「手土産いらない」は催促に近いものだと言いたくなったが口の中を噛んで抑える。今日明日だけはアーサー隊長の大事な日なのだからと自分に言い聞かせる。
両目が零れそうなほど丸くしたアーサー隊長に、なにか嫌いなものでも入っていただろうかと思考を切り替える。確か甘い物は嫌いではなかった筈だが、まだ箱を開ける前から甘い香りに誘われるように顔を近づけている。
むしろ逆に好きなものがあったか、いや中身は見えない筈だ。ならば逆に好きなものかもしくか知っ…………!
「この匂い……なんか覚えがー……」
しまった!!
未だ菓子に注視するアーサー隊長を前に、一気に血の気が引いていく。
口を結びながらすぐには言葉が出てこない。うっかりいつもの菓子店で買ってしまったのだと今気づいた。僕は以前、同じ菓子を〝ジャック達〟に渡している。いやしかしステイル王子殿下がアーサー隊長にはまだ話していないと仰って下さっていた。
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながら、足がガチリと固まる。喉が渇いていくのを感じながらなんとか打開策を考える。ここはアーサー隊長が思い出す前に菓子なんてどこの菓子も同じだと言い張って誤魔化すべきかと考えたその時。……上着の裾を引っ張られた。
「のん兄ー?」
はっ、と我に帰る。
ずっと僕の隣で待っていた妹に振り返り、慌てて肩に手を添えた。手土産を渡したらすぐ紹介する筈だったのに。
すまない、と声を掛けそのまま前へと促す。人見知りはしないライラだが、流石に夜中に見知らぬ店は緊張したのか到着してからずっと黙したままだった。
演習を終えてすぐ学校へ迎えに行ったライラは、誕生日の時と同じ服だった。母さんに見せてやれなかったからちょうど良かったと僕も思う。
寮に入ってからずっと母さんに会っていなかったライラに、学校へ会いに行った際に今夜の話をしたら「行くっ‼︎」と目を輝かせてはいた。ブラッドと母さんに会えるのもずっと楽しみにしてくれていた。
瞬きをぱちぱちさせるライラの肩に手を添えたまま、「紹介が遅れました」と前置いて僕はアーサー隊長へと目を合わす。ライラが呼びかけてくれてから視線が菓子からこちらに移ったアーサー隊長に安堵しながら、一度深呼吸の後に口を開く。
「……妹の、ライラです。今は学校の女子寮に住んでいて、家族とは離れて暮らしています」
「ライラ・ゲイルです!のん兄とブラ兄がお世話になっています!よろしくお願いします‼︎」
僕が紹介した途端、ぴょんと跳ねて姿勢を正すライラは最後に行儀良く両手を前に礼をした。
待たされた分、気合が充分に込められていた声はアーサー隊長どころか店中に響いた。そういえば店内に客はいないかと今更確認すべく首を回したが、幸いにも一人も見当たらなかった。
母さんやブラッドは、と。探すべく店の奥へと繋がるカウンターへ目を凝らせば、フフッと複数の笑い声だけが聞こえて来た。どうやら三人とも今は厨房の方にいるらしい。
高い身長からライラを見下ろすアーサー隊長は、ライラの挨拶を聞き切るとゆっくりとした動作でその場に両足を曲げしゃがみ込んだ。
それでもライラの視線より高いが、首が疲れるほど見上げていたライラの顎の角度が代わる。くりくりとアーサー隊長へ目を向けながら、今度は瞬き一つせずに見返している。
「アーサー・ベレスフォードです。挨拶ありがとうございます。ノーマンさんにはいつもお世話になっています」
「あーさー??……あーさー隊長??」
ギクッ!と肩が揺れた。
しまった……。アーサー隊長のこともブラッド同様ライラには飽きられるほど何度も話している。……むしろ話し過ぎてうんざりされている。
首を右に左に傾けるライラを前に、アーサー隊長も目に見えて顔が引き攣った。強張った表情のまま目だけで僕とライラを見比べるアーサー隊長は恐らく「言っても良いんですか?!」と聞きたいんだろう。
そこについてもっと事前に打ち合わせをするべきだったと今後悔する。ライラには、ブラッドの仕事場なんだから僕が騎士だということは言わないようにと約束していたが、アーサー隊長のことまで口留めはしていない。
さらには僕が黙ったからか、丸い目で僕に振り返るライラが「ジャック??」と恐ろしいことを思いつきのような口調で聞いてくる。まずい、そっちはバレたらもっと困る。
口の中を噛み、無意味に眼鏡の丸縁の位置を直す。「ライラ」と声を掛けながら、僕からもその場で腰を曲げて妹の両肩へ手を置き直す。
「この方は僕の上官である、アーサー隊長だ。来る前にも話したが、僕が騎士であることも店では秘密だからアーサー隊長の部下だということも内緒にしてくれ。…………できるか?」
うん!と、直後には元気よく頷いてくれたライラは首ごと回して僕に笑顔で返してくれた。…………良かった。取り敢えずアーサー隊長を前に苦い顔はしないでくれている。
ライラも、ブラッドが村の人達にうちの家系のことで色々言われていたことも、それにブラッドが肩身の狭い想いをしていたことも理解してくれている。ブラッドもそうだがこういう子どもながらに空気が読めるところは母さん譲りなのだろうなとひしひし思う。
まさかライラとアーサー隊長が会う日が来るなんて想像もしていなかった僕にとって、ライラとアーサー隊長を引き合わせるのはそれなりに覚悟がいることだった。
いつかはブラッドの職場に連れて行ってやりたいとは思ったが、子どもであるライラがうっかりブラッドや僕のことを客に話してしまわないとも限らない。…………そういう意味でも、今日こうして客がいないうちに連れてみてこれたのは良い機会だった。
「ライラもアーサー隊長って呼んで良いの??」
「自分はなんでも良いですよ」
「いえ、…………隊長呼びは今後店内では浮く可能性があるので今のうちに「アーサーさん」と呼ばせて頂けませんでしょうか」
隊長呼びなんかしたら今後客に怪しまれるかもしれないじゃないか。
頭が痛いと額を片手で押さえながら早々に訂正する。子どもであるライラ相手に寛大なのはありがたいが、この年の子どもがアーサー隊長なんて呼んだら家族も騎士かと疑われる可能性があるに決まっているじゃないか。
せっかくブラッドだって隊長呼びしていないのだからそこは合わせるべきだ。今日は確かに客はいないしアーサー隊長呼びをしていても問題はないが、今後ライラが店に来る際に慣れた呼び方でアーサー隊長と呼んだら今後どうするおつもりなんだ。この前まで毎日店に客として訪れさせてもらったからわかるが、客の誰もアーサー隊長のことを隊長呼びなんかしていなかった。今後ライラがブラッドの職場としてここにお邪魔することを考えても最低限浮かないようにそこは呼び方も配慮するべきじゃないのか。とそう思考が回るままに、…………気付いたら本当に口でも言っていた。
「すみません……」
アーサー隊長の背中が丸くなっている。
しまったまた言ってしまった。せっかく今日はなるべく控えようと決めていた筈なのに。
そう胸の中で後悔しても、頭ではまた目の前で小さくなって部下である僕に謝罪までするアーサー隊長にまた一言言いたくなる。いや駄目だろういつもなら未だしも僕の妹の前でご自宅でしかもこれから誕生日を祝われる筈の人にこれ以上言うつもりか僕は。
下顎に力を込め、必死に堪える。それでも確実に顔が眉間に皺が寄っていると自覚する。重苦しい沈黙に、この場で僕だけ帰りたくなる。




