耳を疑い、
「私の方はご心配なく。身体の自由が叶うまでは専属侍女として尽くさせて頂きたく存じます。後身育成や、それこそネルさんのお店でお手伝いさせて頂くのも老後の楽しみに良いかもしれません」
その頃にはとっくにロッテも復帰して良い頃合いになっているだろう。そう思いながらも今度は口には零さない。
代わりに「もし雇って頂けるのであればの話ですが」と紡げば「良いわね!」とプライド様が目を輝かせた。
プライド様直属の刺繍職人となられたネルさんとはまだ一度しかお会いしていないが、とても気立ての良い女性だった。被服や裁縫であんなにも話を弾ませられた相手などいなかったからか、こうして正体を明かした後も叶うならば親交を深めたいと思ってしまう。
きっとプライド様やティアラ様と打ち解けられるのも時間の問題だろう。
「私のことよりも今は、プライド様の婚約者候補の方が気にかかっております」
私もロッテも、と。
そう話を切り替えれば、ン゛ッと僅かに低い喉の詰まり音がプライド様から零された。
直後にはコホンコホンと女性らしい咳払いで誤魔化されたが、背後に控える近衛騎士の一人であるエリック副隊長が笑いをかみ殺すように顔に力を込めたまその様子を見守っておられた。彼もまた、私と考えることは大概同じかもしれない。
城内ではいまだにプライド様の婚約者候補の噂は絶えず、きっと騎士団でもそうなのだろう。
ロッテもこくんこくんと無言のまま目をきらきらと輝かせてプライド様を見つめている。侍女という立場上、踏み込んだ話や探りはできないだけで、侍女の中で一番プライド様の恋愛について気になって仕方ないのは間違いなく彼女だろう。
もうさっきまで自分の結婚もまんざらではないと自供してしまったことも築く前に忘れている。
両手の指を組んだまま、私へ「マリーさん流石です!」と言っているのが一瞬の目くばせでよくわかる。……もう私にとって、彼女は妹のようになってしまった。
呼吸を整え、先ほどよりも僅かに顔色の変わったプライド様は「どういう……?」と控えめに私へ尋ねられた。私からも「いえ、ただ」と一つ、言葉を置いて投げかける。
「婚約者候補を決められてから、プライド様が手紙以外で特定の男性とやり取りをされているのを私共は目にしておりませんので。プライド様がどうような殿方を候補にされているのかは存じませんが、プライド様を想う一人としてはせめて確定される前に何度か直接やりとりされることも必要なのではないかと」
婚約者候補。三人いるその男性が何者かは、専属侍女である私もロッテも知りえない。
手元に届く手紙こそ未だにステイル様やジルべール宰相による確認を受けつつもしっかり全て拝読されているプライド様だが、未だにそれ以外で生活の変化がない。
婚約相手を探す年頃の令嬢であれば、社交界で知り合った男性から内密に外出や相手の家での語らいの時間を重ねるものだ。しかし、プライド様が王侯貴族と関わるのは常に社交界や式典のみ。
しかも奪還戦での罰則として式典や社交界も極力控えるようにされているプライド様は、ただでさえ他の王侯貴族と会う機会が少ない。
そして、その誰とも特別多く語らっている様子もない。周囲の目に入念に注意を払われているといえばそうだが、あまりにも接触が少なすぎる。どの相手も婚約者候補としての関わりとしては薄いと思う。これではステイル様やジャック、近衛騎士の方々の方が遥かにプライド様との接点が多い。
まさか確認する必要もないほど、既にプライド様は特定の何者かと私達すら知れない深い仲になっておられるのか。そうであれば他の婚約者候補と関わらないことも、本人とすら今まで以上に接触を重ねられないことも納得できる。
「ええと……、でも今私は自粛中だし……。公務にも携われないのに、そんな男性とばかり関わるのも」
「お言葉ですが、婚約者候補を期間内で定めるのは今ではプライド様に課せられ、そして許された大事な公務の一つです」
急に言葉の歯切れが悪くなるプライド様へ、布地へ糸を通しながら訂正させて頂く。
件の奪還戦で確かに社交界等に出ることは禁じられているが、婚約者候補は別だ。制限期間が定まっている今、むしろプライド様が今最も取り組むべき役割の一つでもある。
王女としての視察は難しくとも、お忍びの外出であればきっと許されるだろう。
もともと婚約者候補の正体も秘匿の今、外出はお忍び以外に手はない。もしくは、この城へ招き入れてお茶会や夕会を行うだけでも良いだろう。多くの貴族が行き交い、最近では他国の王族を招き入れることも珍しくなくなった我が国で二人三人と呼んでもその程度で気付かれるとは思えない。
まさか婚約者候補は使用人達にも隠しきる方向で定められているのか。しかし、主人の身の回りを行う我々にそういったことを隠すのは女王であっても無理がある。守秘義務があり、決して口外されないことも前提で我々は雇われているのだから。
うろうろと視線まで迷子になるプライド様は「そうね……」半笑いで肩を竦められる。
「でも、今のところそういうお誘いもないし……どちらにせよ三人を変えるつもりはないから」
お誘いがない?
は??と、うっかりはしたない音に出そうなのを私は意識的に口を閉じて防いだ。
プライド様一人が照れたように頬を指で掻きながら「マリー達だから言うけれど」と専属侍女の私達へ不要の口留めを重ねる中、ロッテも今の発言には目が零れそうなほど丸くしていた。
私も私で表情にでないように表情筋を引き締めたが、こればかりは同じ女性として聞き捨てならない。何故プライド様はそのような男性を婚約者候補にと、立場さえ許されればこの場で言及したくなる。
プライド様がこの方と決めた一人から誘いがないという意味か、それともまさかあろうことか男性三人全員からそういう誘いがないという意味か。
後者であれば、プライド様はそのお相手を真面目に選ばれたのか人選が本気で心配になる。いや、全員どちらにせよあのヴェスト摂政やローザ女王が選ばれた男性だ。決して不備があるとは思いたくない。
誘いがない?男性から???本来デートや食事会、お茶会などは男性から誘うべきであるというのに??まさか我が国の第一王女相手に彼女から誘われるまで動かないなどという傲慢な男性ばかりなのか。
てっきりプライド様のことだから手紙や社交界での挨拶内などで誘いを受けている上で断っているか先延ばしにされているのかと考えていたが、今正しく判断を改める。どうやらプライド様は未だに男性から待ちぼうけを受けているままらしい。
ラジヤ皇太子に操られ、王女として本来ならばあり得ないお辛い時間を過ごされ、皇太子としてどころか人間として最悪な下品たる男と何日も時間を共に過ごすことを余儀なくされたプライド様にとって、それ以外の男性との時間がどれだけ貴重で必要なものなのかわかっていない痴れ者ばかりだというのか。
ただでさえ今、義弟であるステイル様や元婚約者であるレオン王子殿下を除きプライド様が最も長く、そして密接に時間を共に過ごしてしまったのであろう相手があの害悪皇太子だというのに‼︎
「マリー……?」とプライド様が不思議そうに私へ目を向けられる中、今はすぐに言葉を返せない。ぷるぷると顔の筋肉が震えながらもこれ以上の感情を表に出すことを必死に制御し阻む。
もちろんプライド様があの皇太子とあるまじき密接な時間を過ごされたことは極秘中の極秘。その婚約者候補の内一人もその事実は知らないのだろう。
しかし、そのような状況であるプライド様の婚約者候補が、三人もいて一人もこの御方をデートどころか「一緒に話しませんか」の一つも提案できない腑抜けか傲慢揃いなのかと言いたくなる。
ぶすり、と布へ手の動きだけで糸を通しながら、心では別の物に針を通したい気持ちになる。
年にたった数回式典でしか会わず、できていても手紙を一方的に送るだけ。そんな状況で大国フリージア王国の第一王女、しかも今では各国から恋文も贈られ虜にしているプライド様相手に自分は決して外されないと確信しているのか、それともこの期に及んでプライド様との婚姻に乗り気ではないとでもいうのか。
そしてプライド様もまたそれを全く期待しておられない。
年頃の、歴代王女であれば今頃婚約者と甘い時間を過ごしていてもおかしくない筈の齢であるプライド様が。
子どもの頃からそういった内容の娯楽に触れていなかったこの御方は、成人し婚約者候補を三人も持つようになってそれでもまだこのような状況に晒されておられるのか。
つい先ほど想起してしまったプライド様の幼少期から、今だけは目の前のプライド様が綺麗に重なってしまう。
このままでは婚約者候補が確定した後も、それから一人に選定するまでも、まさか一人に決まった後でさえプライド様はまともに男性と甘酸っぱい時間どころかデートすることもなく生涯を終えてしまうのではないかと気が気でならない。
このままではプライド様が最も長く恋人らしい時間を過ごした相手があの害獣皇太子になってしまう。
ぞわぞわとそんな悍ましい事実に背中が気持ち悪くなぞられながら、こんなことになるのであればレオン王子との婚約期間がもう三か月ほど先延ばしになっていれば良かったものをと考えてしまう。
いっそ一番付き合いが長いという面ではステイル様が婚約者候補であればその最悪な記録も打ち消されるものを。
もうラジヤの皇太子でなければ誰でもマシだと考えると、いっそ「あの配達人の誘いに一度くらい乗ってみても宜しいのでは?」と口が先走りそうになる。
疚しい誘いは受けるべきではないが、今最もプライド様をデートに誘ってくれそうな身近な相手は彼くらいのものだ。
それに比べ、やはりティアラ様はちゃんと恋愛もされておられー……。……いや、何故かそこについてはティアラ様も拗らせておられる。何故か。




