追い詰められ、
「ブ、ブライス隊長、ですから落ち着いて下さい!自分は、本当にただ純粋に候補者の中で戦闘に長けた騎士が必要と判断して……副隊長である自分如きが推薦など烏滸がましいことは承知しておりますが!」
ドンガラガッシャンッと。あまりの音の転がりに笑ってしまいそうになる騎士もいる。
同じく食堂で食事をする間も未だにないエリックは、まだ食事を取りにすら向かっていない。
食堂にこそなんとか辿り着けたが、そこで再び捕まってしまった。流石に食事を始めれば殴りかかるのはやめて座って食事しながらの問答にしてくれるだろうと考えたが、一番隊と同じく切り込み特化の二番隊隊長の足は当然速かった。
アランの足を追いかけることには慣れているエリックだが、二番隊隊長に追いかけられることは慣れていない。アランほどではないにしろ騎士団の中でも自力で足が速い彼に逃げ切るのは難しかった。
壁際へついに追い詰められ、これはまた肉弾戦をしなければならないかと半ば覚悟する。彼の本気の拳は早朝演習後の身体には重すぎる。
この前も「よりにもよってあの可愛いプライド様の背中を俺に任せるとか正気かお前は」と殴られた時と同じ言い分を、ぶらさず繰り返すエリックだが未だ目の前の騎士隊長の熱は冷めない。むしろ今日ロデリックから本命の任命と公表を受けたことで再熱は一度目よりも火の気を増していた。
目を尖らせるブライスと呼ばれる騎士隊長も、目の前で顔をヒクつかせる近衛騎士の言い分はわかる。
自分よりも遥かに隊長格経験も浅ければ騎士歴も浅く年も若い。……そんなエリックに推薦されたこと自体に、ブライスは何の不満もない。むしろ同じ一番隊ではなく二番隊である自分を選んでくれたことは嬉しくも思う。しかし、今彼が憤っているのはそこではない。
「だからって俺を選ぶ馬鹿がいるかああ!!!!!隊長格ってだけで安易に選ぶな副隊長ッ!!」
殴らせろ、と今度はいう間もなく拳が飛んだ。
寸前に姿勢を横に逸らしてなんとか避けたが、壁へ僅かにヒビが入っているのを確認したエリックは一気に血の気が引いた。この人今のは本気が入ってた、と以前の一発より対人向けではない拳を前に思う。
ピキピキと血管を浮き立たせながら自分を変わらず睨みで圧迫する隊長に、再び「落ち着いてください」と説得を挑むが次の二撃目に伏せることで中断された。
バコンッと今度は対人向けの音がしたが、これ以上殴られては暫く演習にも支障をきたすとエリックは食堂からも一時退避すべきか考える。
「お前なぁエリック……俺がどういう奴かわかってて推薦したと言ったな??」
「!!ッは、はい。偽りありません、ブライス隊長は騎士としても騎士隊長として優秀な方であると自分も、一番隊も二番隊も騎士団全員が認めていると自信があります」
「で?????俺がどんな人間かもわかって推薦したわけか?えぇ??女王付き近衛騎士って聞けばそりゃあ喜ぶだろうともわかって??へええ??」
「ぶ、ブライス隊長……どうか、どうか落ち着いて下さい…………」
むしろ以前よりも言葉が大分乱暴になりかけている。
バキバキと拳まで鳴らす彼に、もう正論は通じないとエリックは右足に軸をずらした。次に一撃向けられた時は、その隙を突いて食堂から飛び出そうと決める。幸い今日は近衛騎士の任務は午後にずれた為、いくらか朝に余裕もある。
周囲の騎士達もエリックの意思を沿うように逃げ道を作るべく、ブライスに気付かれないように出口扉までの道をそって開けた。
ブライスがここまで腕を振るうことは珍しいが、気性の荒さは誰もが知っている。歴戦の騎士としての証でもある傷痕を顔に残し短い顎髭を蓄える黒髪の騎士隊長に、安易に止めに入れる騎士などいない。
アランやケネスよりも、騎士団長であるロデリックの方に年が近い彼はその出で立ちだけでなく威厳にも溢れていた。
導火線に火がついた騎士隊長に迫られる、未来ある副隊長を救うべく周囲の誰もが固唾を飲んで様子を見守る。
彼らもまた、ブライスが何故ここまで怒っているのか、そして自分を人選ミスだと主張することも、その上で依頼に乗った理由もよくわかっている。
「女王付き??そりゃあ嬉しいぜ嬉しいさ飛び着くぜ。あ~の時のロデリック騎士団長のなんとも言えねぇ顔を思い出すと死ぬほど居たたまれねぇが」
言いながらうっかり利き手が剣の柄に伸びかける。
僅かにぴくりと指先が動いただけで止まったが、エリックは本気で命の危機を感じて肩を上下した。
自分がまだブライスの人柄を知らなかった初対面での第一印象よりも遥かに恐ろしい。アーサーが重傷を負ったと聞いた直後ぐらいの怒りぶりだと思う。
彼は、もともとはここまで乱暴な真似はしないとエリックも知っている。
怒鳴ることはあるが、むしろ気の良い騎士だ。年も関係なくその騎士一人ひとりの実績や実力を見て応じる。エリックに対しても副隊長になってからは特に飲みに誘うことが増えていた。アランやカラム、そして隊長になったばかりのアーサーに対しても砕けて関わる。部下の面倒見も良く、実力も申し分ない。ただし
「女王付き近衛騎士ともなればそりゃあ手取りも良いだろうからなああああああ?!」
そんな奴を選びやがってバカタレが!と、みぞおちを的確に狙った膝撃ちをエリックは戦場と同じ速さで避けた。
しかし膝は避けられたと同時に、本命の拳が甲からエリックの後頭部に打ち込まれた。ガツン‼︎と、幸いにも激痛だけで済んだ拳にエリックは奥歯を噛み締めて堪えたが、確実にコブができたと思う。
エリックへ一発入れられたお陰で一気に大半の気が済んだブライスは今度は拳ではなくその肩を鷲掴む。自分の方へ引き込み、エリックが振り返ったと同時に額がぶつかりそうなほど顔を近づけつつ掴む指を減り込ませ圧迫する。
「女王への護衛ってのは本来騎士団長副団長とついでに聖騎士と同じ誉れ高い騎士がやるべきって相場は決まってんだよ!!!それをよりによって金の猛者に餌ぶら下げるとか納得できるかボケ!!俺以上に信頼できねぇ騎士なんかハリソン以外いねぇわ!!!」
「い…………いえ、ですから。それでもやはりブライス隊長は本当に優秀な騎士で、陛下を御守りする為にやはり必要な騎士だと自分は判断致しました……。それに、ブライス隊長は人格としてもとても騎士として優れておられ自分は尊敬も」
「金目当てで騎士になった俺にお前らみたいな真正の騎士が尊敬するところはねぇ!」
ですから!…………、とまたエリックは同じ説明を繰り返すしかなくなる。
既に一度は行った説明に、それでもブライスが納得も許してくれる気もないことも知りながら。
騎士として間違いなくブライスは騎士団の誰もが認める優秀な騎士の一人だ。経験も豊富で判断も正しく、今では一番隊でも通じる実力者でもあれば部下にも同僚にも好かれている。
しかし、本人が明言する通りもともと高額な給与と褒賞生活の為に騎士を目指し捥ぎ取った彼は、今でも自分がよりにもよって女王付きの近衛騎士などには相応しくないと思う。
しかしそれでも騎士団長のロデリックと副団長のクラークに提示された近衛騎士としての手取り報酬を示されれば断ることはできなかった。
結果として自分の意思で近衛騎士任務を受けたブライスだが、それとエリックの〝人選ミス〟への怒りは全く別物だった。
いつもならば諫めることは上官であるアランか、もしくは騎士団長副団長の役目として他隊のことに口を出さないが今回は自分が強く関わっている為容赦もない。
騎士としての誇りはそれなりに今はある。騎士であることは生活と金銭の為だが、騎士としての職務を全うする覚悟もその為に後身を育てる意思もある。
しかしだからこそエリックがよりにもよって金目当ての騎士を女王に薦めたなど腹立たしくて仕方がない。
「上等だッ‼︎うちの次女の結婚資金にしてやらぁ‼︎覚えとけッ‼︎」
ブライスの目にも、エリックは間違いなく信頼できる優秀な騎士だ。
新兵の頃は向上意識がそこで途切れているように見えたが、「新兵としてでも民や騎士の為にできることさえあれば」と金銭など顧みず語っていた彼は、間違いなく自分よりも誇り高い将来有望な騎士だった。
ある時をきっかけに別人のように実力を伸ばし自主鍛錬も怠らずにエリックが本隊入隊へ入ったことも、人知れず喜んだ記憶もある。
民の為に騎士の為に、金銭ではなく騎士としての誇りを胸に人生をかける覚悟を見せたエリックはむしろブライスの方が尊敬に値し、若い眼差しが眩しくも写った。…………だというのに、その騎士がよりにもよって自分なんかを女王に推薦したことに憤りと少なからずの落胆が隠せない。
「ローザ女王が俺らの世代で当時どう言われてたか知ってるかぁ?前女王陛下の一人娘でそりゃあ美人でフリージアの一輪の薔薇と語られるわ田舎も地方も国中の男共の憧れだったような御方だそれをお前……」
エリックのように誇り高い良い騎士には、ちゃんと彼と同じ誇り高い騎士を選んで欲しかった。
最近では近衛騎士が理由も明かされず無期限停止へと通達をされた時の次の裏切られた感だ。お前はそんな子じゃなかったと言いたいほどに。
よしもう一発、と。そこまで頭を整理したつもりになったブライスが再び苛立ちを思い出し拳を握った時。
「ブライス、その辺にしておけ」
ぴたり、と。
間に入ったその声に、ブライスは固くなっていた拳を停止させる。首を傾けるような角度で向ければ、早々に食事を終えた食器をトレーごと両手に持つカラムが接近してくる。
「それ以上の乱闘は処罰になるぞ」と第一にやり過ぎを諫めながら、迷いのない足取りで肩半分をエリックとブライスの間に入れる。
先ほどまで固唾を飲んでいた騎士達も見守る中、カラムは両目でしっかりとブライスと合わせた。先ほどまで誰も間に入れなかった激怒のブライスを止めに入ってくれたカラムへ心から感謝しつつ、エリックは短く息を吐き出す。
まだブライスから返事が放たれる前から、もうこれで一先ず収まると安堵する。
カラム、と低い声でブライスが拳を解く。怒りに強張り上がっていた肩が降り、熱の入っていた顔色がゆっくりと確かに本来の色を取り戻し出す。
「エリックもお前を信頼して任せたのだから気持ちを汲んでやれ。それにその候補に異議を唱えなかったのは私もアランもアーサーも同じだ」
「…………。…………ハァ。…………」
浅い溜息がエリックの鼓膜に掠れる。
目の前にいるブライスの溜息音だということはすぐにわかった。同じ隊長格として対抗できる数少ない人物に諫められ、ブライスは片手で顔を覆い項垂れた。自分より若い騎士に諫められるほど情けないものはないと思う。
カラムの言う通り、エリック一人の意見で全てが決まるわけではない。それを誰も止めずに通り、更には騎士団長さえもも異議を出さずに自分へその任命を決めたのだから。
更にはエリックからの信頼と言われれば、なんとも無下にしにくい。
もともとそのこと自体は嬉しく思ってはいたのだから文句のつけようもない。しかもエリックだけでなくカラム、アラン、アーサー、その全員が誇り高い意思を持つ騎士だ。そして全員他の騎士達と同様に、ブライスの金目当て入団も知っている。
「……大体、俺はハリソンの近衛騎士任命だってなあ……」
「よく知っている。だがそのハリソンも今はちゃんと近衛騎士としてやってきている。お前も女王付きの近衛騎士をやり通せる自信はあるだろう」
「いやある、ある、あるけどそういう問題じゃねぇんだよ……」
自分が怒っていたのは。そう言いたいところを今度は飲み込んだ。これ以上年下に説き伏せられたくない。
騎士隊長として同じ立場になった瞬間、年齢も経験も関係なく同等として関わることを良しとするブライスだがそれでも年下に怒られることは少なからず落ち込む。
しかもカラムには、彼が隊長になってからは何度説き伏せられたか数えたくもない。そして自分は一度も口で勝てたことがない。
いっそアランだったらお互い殴り合いで気が済んだが、カラムの平和主義は相性が悪かった。頭を掻き、腰を低くするブライスにカラムはとどめを締め括る。
「在籍理由はともかく、お前は騎士として相応しい実力を持つ人格者であることに変わりはない。そこまで自分を卑下するな、お前を慕うエリックや二番隊の部下達が可哀想だろう」
ポン、ポン。何故か今だけは物悲しく聞こえる音と共に、ブライスの肩が叩かれる。壁に亀裂をいれた男の両肩が、あまりにもたやすく丸くなった。
本来の温度に戻っていくブライスに、周囲の騎士達もやっと少しずつ前に出る。隊長、ブライス隊長取り合えず食事を、自分取ってきますので、とやんわりと気遣う声掛けにまたブライスはそれ以上言い返せなくなった。
両手を降ろし、エリックの肩へと今度は自分が重たくなった手を置いた。「悪かった」「またついカッとなった」と立場の低い自分にも謝ってくれるブライスはもういつもの様子だ。
ほっと胸を撫でおろすエリックは、感謝の満ちた眼差しをカラムに向けた。ありがとうございました……‼︎と目が口以上に叫んでいることにカラムも一目で汲み取る。
軽く手を挙げ返し、返事の代わりに「エリック、お前も食事にしろ」と命じた。




