Ⅱ517.学友は隠し、
「おはよう、パウエル」
「ただいま」
水を汲んできた間に起きたらしいリネットさんに挨拶を返す。
昨晩、日雇いの仕事から帰った時は「ただいま」って言っても返事がなかったし、早めに寝たのかなと思う。起きてくるまでに水を補充したかったのに、と少しだけ遅かったことに一人で肩を落とす。
水を汲んできてくれたのね、と言われてお礼を言われたけど俺が帰るまで水がなくて困ってたらと思うと素直に喜べない。
せっかく今日はリネットさんが帰ってくる日だったのに、つい忘れてた。俺一人で暮らしているとどうしても水が無くなってから汲みに行っちまう。ちゃんとフィリップみたいに減ってきたらすぐ補充できるくらい気が回せるようになりたいなと思う。
「昨日は気付かなくてごめんなさいね。つい本を読んだまま寝ちゃって」
「いや、それよりちゃんと寝れたかそれ?まだ朝も早いしもうちょっと寝ていた方が」
「大丈夫。朝食にしましょうね、いつものパンで良い?」
普段は居間で本を読んでそのまま寝ていることの方が多いから気付かなかった。部屋で転寝してたのか。
やっぱりノックして確かめれば良かった。鍵が閉まっているわけではないけど、俺はリネットさんの部屋には入れないから確認のしようがなかった。こういうことがたまにあるからいつも心配になる。女子寮でもちゃんと寝ているのかなとか、ていうかベッドで休めてるのかな。
女子寮で働いてからも休みの度に帰ってきてくれるのは嬉しいけど、こうして朝から色々気を回してくれるから余計心配だ。昔からすごい優しいし働き者だし尊敬してるけど、頼むからあんまり無理しないで欲しい。
休みくらいゆっくり過ごしていて欲しいし、水汲みでも掃除でも、料理だってできることなら俺が全部やるのに。
『パウエルは本っ当にリネットさんにだけは懐いたなぁ』
……フィリップに拾われてから半年くらいした頃。この街に根を下ろすか出ていくかをずっと考えていた俺に、一緒に住まないかと誘ってくれたのがリネットさんだった。
当時の俺は、フィリップとアムレットには慣れたけど他の街の人達とはあんまり上手く話せなくて物理的にも距離を取っていた。
一回外を出たのをきっかけにアムレットと外出は増えたけど、それでもやっぱり触れられるのが怖いし皆フィリップ達の知り合いなら良い人だって頭ではわかっていても、腹の中ではとか考えちまって駄目だった。
そんな中、フィリップとアムレット以外で唯一まともに話せる大人がリネットさんだった。
リネットさんはフィリップ達の近所さんで、旦那さんに先立たれてから一人でこの家に住んでいて、毎日街の人達の髪を切ってあげていた人だ。
初めて会った時からすごい優しくて、上手く話せなかった俺にも根気よく時間をかけて聞いてくれた人だった。外に出ることは気が乗らなくても、アムレットやフィリップが髪を切りに行くと聞いた時とか、そうじゃなくてもリネットさん家に食事に誘われた時は絶対一緒についていった。
フィリップやアムレットが好きなのと同じくらい俺も、リネットさんにたまに髪を切って貰えるのが楽しみだった。……最初の時はぐずぐず泣いて、鋏が怖いんじゃねぇかとかすごい心配させて困らせたけど。
街の人達と同じで、リネットさんも俺の特殊能力を知っても怖がらない。
一緒に暮らす前にも何度かリネットさんの前で特殊能力を見せちまったことはあるけど、目を丸くするだけだった。「光を生み出せるなんて素敵な才能だわ」って言われた時はうっかり泣いた。
ずっとフィリップの家に居たいくらいの俺だったけれど、……実は結構最初の時からずっとは居れないと思ってたからリネットさんからの誘いは本当に助けられた。
フィリップの家に不満があったわけじゃない。ただ、……今思っても子どもだった俺達三人が一緒に住むのは無理があったと思う。多分フィリップもアムレットもそれをわかってたから、俺がリネットさんの家に世話になると言っても止めなかった。
アムレットはちょっと寂しそうにしてくれたけど「これからも街にいてくれるんだ」って最終的には喜んでくれたし、フィリップには「リネットさんを宜しく頼んだぞ」「守ってくれよ」って何度も言われた。
『女と子どもは守られるべき存在なんだからな』
……フィリップの口癖の一つ。
一緒に住むようになってからも時々言ってたけど、俺がリネットさんと住むようになってからは会う度に言われるようになったなと思う。
リネットさんを守れ、女子どもはいつだって守れ、人に優しくしろ、そうすればいつか自分にも戻ってくる、そうじゃなくても女子どもは大切に。守られるべき存在なんだからって。
あの頃の俺はまだフィリップに恥ずかしいくらいべったりで、絶対言われた通りにしようって決めていた。……多分、言われた通りにしないとまた見放されるって思ってた。
今はフィリップもアムレットも俺が何言っても一緒にいてくれるってわかってるけど。でも今も、やっぱりあの頃からフィリップに教えて貰えたことは俺の中にすげぇ根付いてる。
多分偶然だけど、それまで人相手には全部能力使わないようにしようって強張ってたのが女や子どもには絶対絶対と考えるようになったら少しだけ能力を〝使わない〟とは別に〝抑える〟感覚がわかってきた。……多分、いや絶対偶然でフィリップがそんな方法知ってたとは思えねぇけど。
フィリップは、リネットさんとはアムレットが生まれた頃より前からの知り合いらしい。
親御さんが亡くなってから色々良くしてもらってるらしくて、俺を紹介する前からもちょくちょくリネットさんの家には手伝いに通っていたと聞いた。そんでリネットさんも、実はフィリップの家にはなるべくできることはしてあげたいと考えていたんだと、それを知ったのはリネットさんの家に住み始めてからわりとすぐの頃。
『フィリップは、……とても友達想いの優しい子だから』
本当にフィリップは友達想いで、街の人みんな良い人ばっかだと知った後も変わらない。やっぱりフィリップは特に人気者で友達想いの良い奴だと思った。
今はアムレットと喧嘩することが増えているけど、あいつがムキになって怒るのはアムレットがフィリップの友達を悪く言う時くらいだ。
俺も詳しく聞いたことはないけど、あいつは事あるごとにアムレットや俺に〝昔の友達〟の話をしていた。
顔とか名前とかは言わない、だから俺達も城へ親の都合で引っ越したこと以外はなにも知らない。でも「すげぇ良い奴」で「兄ちゃんの話すごい聞いてくれたんだ」「元気だと良いなぁ」「女にモテモテで」「パウエルよりモテたかも」「アムレットも好きになったかもな」とか昔はよく話してた。
リネットさんも誰もその〝友達〟がどういう奴だったか「フィリップに口留めされている」から教えてくれないけど、友達の話をするフィリップのことを見るリネットさんはいつでも優しい目だった。
「パウエル、貴方こそ朝食できるまでは休んでいて良いのよ。ついでにお部屋の空気変えていらっしゃい」
「あっ、うん。じゃあ他の部屋も空気変えて来る。リネットさんなんか足りない食材とかあるか?」
ないわ、と断れた後に取り合えず家の中の窓を開けることにする。
今日は天気も良いし、最初は俺の部屋を済ませてそれから他の部屋も順番に開けていこう。
俺の部屋はリネットさんの寝室とは少し離れた部屋だ。
俺が住まわせて貰う前から、家の中をお邪魔して何度か見たけどずっと空き部屋だった。ずっとそのままっていうよりも、敢えて物置にも何にもされていない部屋はちょっと妙だった。
昔、買い物で荷物持ちさせてもらった後にでかい荷物だからこの部屋に置いて良いかってきいたら別の場所にと止められた。
なんでここは開けっ放しにしてるのかって聞いたら、長い間ずっと使ってないから何となくそのままだったらしい。「本当はいつか専用の部屋にしてあげる予定だったんだけどね」って少し寂しそうな目で言われて、夫さんの書斎とかにでもする予定だったのかなと思う。
俺が住むようになった途端、ここを使ってって言われた時は流石に遠慮した。まさか自分用の部屋まで貰えるとは思わなかったし、多分大事な部屋だと思ったから。
『良いのよ。パウエルが使ってくれた方が嬉しいわ』
自分の部屋から、他の部屋の窓も一つ一つカーテンも全部開けていく。
前は毎日やっていたけど、リネットさんが女子寮で働くようになってからは帰って来た日だけ開けている。リネットさんが家にいる日にこうして家の中に光を差せる瞬間は結構好きだ。
最後の一部屋の窓を開け終わった頃、台所の方向から甘い香りがしてきた。
毎回家に帰ってくる度に俺の好物だからって大量に焼いてくれている。いつ食べても美味しいけど、この焼き立てで食べる日が一番美味い。リネットさんが家にいなくても、このパンを食うだけですごい身近に感じられた。フィリッ……ステイルも、毎日美味い美味いって褒めてくれて嬉しかった。
一部屋を残して他の部屋全部空気を入れ替え終わった俺は、もう一度居間に戻る。
台所に立っているリネットさんに手伝うって言ったら「また塩と砂糖間違えるでしょ」って笑われた。…………一人で住むようになってからちょっとだけ料理をするようにはなったけど、やっぱり俺一人だと簡単に済ませることが多い。
昔から俺とアムレットは、フィリップとリネットさんばっか料理してくれるから食べる担当が多かった。学校の料理の授業も、もし男にもあったら俺も受けたかったなと思う。時々リネットさんと台所に一緒に立つフィリップは昔から羨ましいし尊敬する。
「今日、リネットさんもフィリップん家行くか?」
「そうねぇ……せっかくだし。お菓子作ろうかな。ケーキのほうが良いかしら」
「ケーキは作るって言ってた。ご馳走なら…………えーーーと、……あいつってほんとなんでも食うんだよなぁ」
あの子は好き嫌いないから、ってその途端リネットさんが笑った。
フィリップは好物聞いても毎回自分じゃなくてその聞いた人が好きな食べ物ばっかり言う。街中の人の好物把握してるのってあいつくらいなんじゃないかと思う。
最終的には毎年通りフィリップよりアムレットが好きな料理にすればフィリップも喜ぶって結論になる。パンが焼けるまで時間はあるし、材料を買ってくるって言ったら今度は任せてもらえた。
買ってくる食材をメモしてくれるリネットさんを待ちながら、俺は一度椅子に腰を下ろす。今じゃ不思議なくらいこの光景も見慣れてる。
誰かが台所に立っていて、料理が出てくるのを待つなんてちょっと昔には本当に諦めてたのに。
「…………ねぇパウエル。本当に貴方は寮にしなくて良いの?」
途中でペンの手を止めたリネットさんの声に、頬杖を突こうとしていた顔を上げる。
もうひと月経ったけど、と続ける眼差しは少しだけ沈んでいるようだった。でも俺は素直に首を捻る。フィリップは仕事してるしアムレットも特待生になってから女子寮になったし俺も、って思ってくれるのはわかるけど。
でも俺はアムレットみたいに頭が良くない。男子寮は金もかかるし、こうして往復するのも別に苦じゃない。フィリップにだって仕事終わりにたまに会えるし、それに…………
「もし往復が大変だったら無理しないで。お金なら心配ないし、今からでも男子寮に……」
「いや俺は良い。近所にはフィリップもいるし、やっぱここが好きだから」
「…………ありがとう」
ほっと肩の力を抜いた様子のリネットさんは柔らかく笑った。相変わらずすごい綺麗な人だ。
もうひと月にもなるのに、リネットさんは未だ俺のことを気にしてくれている。今まで四年も住まわせてくれて、そんな遠慮しないで良いのに。
『女子寮の寮母募集というのがあったの』
リネットさんが突然女子寮で働きたいと打ち明けてくれた時は驚いた。
もともと助け合っていた街だけど、リネットさんは金で困っている印象が全くなかったから。毎日慎ましやかな生活をしていたこともあるけど「夫が遺してくれたお金があるから」と、もともとの貯金もあるようだった。俺の為にも家具とか服とか買ってくれて、本当に何不自由ない生活だったと思う。
それでも「パウエルも大きくなったし、私も城下の子ども達の為にもっといろいろしてあげたいから」と言われた時は納得した。
リネットさんは昔から子ども好きで優しいし、そんな人が女子寮で働くならきっと生徒になる子達も幸せだなと思った。俺ももう小間物行商人に雇われた後だったし、その時は独り立ちするかとも考えたけど。
『もし運良く雇われた時は、……この家も引き払おうかと考えているの』
寮母はほとんど毎日女子寮に居る仕事で、パウエルも学校に通うのならって。
そう言われた時は流石にすぐには言葉が出なかった。
勿論パウエルの新しい家や男子寮でも工面はするから心配しないで、とか。空き家になればまた新しいどこかの家族に住んで貰えるからって言われてもやっぱりただただ嫌で、何より〝駄目だ〟と思った。
女一人で、こんな広い家が寂しいのもずっと前からわかってる。女子寮の寮母の部屋ならちょうど良いと言われたのもわかる。殆ど帰らない家を持ち続けても意味はないし、女一人で管理だってきつい。全部まとめて寮母の部屋で暮らした方が絶対楽だ。空き家をいつ盗みに入られるかもわからない。でも、それでも、やっぱりこの家を俺が離れるのも嫌で、何より絶対に無くしちゃいけないと思ったから。
『俺が住む!リネットさんが帰ってこない日は俺がこの家守るから!』
初めて、リネットさんに反抗した。
俺みたいな居候が家を半ば下さいっているようなもんだってわかってたけど、どうしてもこの家をリネットさんの家以外にはしたくなかった。
この四年間、リネットさんにとってこの家がどれだけ大事なもんかって知ってたから。
『夫の遠縁が地方の衛兵でね、月に一回仕送りを送って下さるから私もお礼の手紙を必ず出すの』
月に一回、衛兵が来る日に必ず早朝から起きて、ずっと家から出ずに手紙を握り締めて待っていること。
前の晩には深夜まで部屋の向こうからペンの音が必ず聞こえること。この前だって、毎年一回受け取る手紙を宝物みたいに抱き締めて夜まで部屋から出てこなかった。
「この家であの手紙を待つのが一番の楽しみなの」って笑ってくれた日のことを今でも覚えている。
その遠縁が直接ここに来たことはないけれど、リネットさんにとってはきっと大事な人なんだってわかった。
もしかしたら夫さんを亡くしてからの好きな人かもしれないし、恩人とかかもしれない。ずっと遠くにいるから会いにいけないって言ってたけど、手紙の受け渡しを待つリネットさんはいつだって幸せそうだった。
たまに話してくれる昔話も、夫さんの話も、この家が大事なものだって伝わって来た。夫さんがこの街も、家も選んでくれた。どの部屋をどう使うかも引っ越す前から決めていたって。
リネットさんがそんな家を手放すのも、俺にとっても思い出に残った家が人のものになるのも、リネットさんが女子寮じゃなくてこの家で手紙を受け取る自分だけの時間を無くすのも全部嫌だった。それに
一度だけ、俺は見た。
『あとの部屋も好きに入って良いからね。……ああ、でも私の部屋だけは』
絶対に入らないように。
そう言われたのは住まわせて貰うことが決まった時から。リネットさんの部屋だけはまだ一度も入ったことがない。
夫婦の部屋だったらしいし大事なものもあるだろうから、俺も深くは気にしなかった。開けちゃいけない、見ちゃいけない、入っちゃいけない。本当に大事なものがあるからって。わざわざそんな大事な場所を覗こうと思ったこともなかった。フィリップもアムレットも遊びに来た時には絶対閉まっている部屋だ。でも、一度だけ俺は見たことがある。
わざとじゃない。リネットさんが一度だけ前夜遅くまで手紙を書いて転寝したとかで、衛兵が来た時間もそのまま部屋から出てこなくて俺が呼びに行ったことがあった。ノックを鳴らしてすぐに飛び出してきたリネットさんが衛兵のいる玄関へ駆けて行った時、ほんの一瞬だけど部屋の中が見えた。
大きな夫婦用のベッドの傍らに並べられた、小さなベッド。
子ども用かな、ってそれだけ思ってあとはわからなかった。
夫さんを早くに亡くして子どもが居たなんて話したことがないリネットさんの部屋に、なんでそんな部屋があるのか。あれから、見てしまったことの罪悪感ばっかで深く考えたことはない。もしかしたら子どもが生まれる筈で駄目だったとか、夫さんと同じで早くに死んじゃったのかなとかそれくらいだ。
俺が知ってるつもりのだけで、きっとリネットさんには触れられたくないそういう過去が俺よりあるのかもしれない。
でも、ずっと俺の過去だって詮索しないでこうして住まわせてくれて家族みたいに迎えてくれたリネットさんだから俺も絶対探らないって決めた。
最初は恥ずかしい理由で唯一安心できる大人だったけど、今はもう似てるとか関係なくただただ大事な人だ。
俺にとって本当の家族よりもずっと家族で、優しくて、料理を作ってくれて笑ってくれて、…………帰る場所をくれた。
だから今度は俺が住んで、街の人からの預かり物とか時々放課後に女子寮へ届けてる。まさかその帰りにフィリップ達とあんなことになるとは思わなかったけど。
夫さんもそれに子どもも……多分いなくて。たった一人で広い家に住んでいたこの人とこの人の大事な人との繋がりとか思い出を、この人が好きだった人ができなかった分俺が一生かけてでも守りたい大事にしたいって思って、それは今も変わらない。
いつか、…………もし運よく、本当に運よく結婚とかできて所帯持てても今の近所に住めたらなと思うくらい。
母親なんて畏れ多いけど、俺にとって家族って言えるくらい大事な人だって紹介して、子どもができたら毎日でも会わせたいとかたまに思う。
今は恋とか彼女とかよりリネットさんに心配させないくらい自立することの方が大事だし、…………そもそも、こんな俺でも好きになって良いって人ができたらの話だけど。
「!おおおおおおおおぉおおおぉぉぉぉぉいパウエル!!!お前も買い物か!?」
買い物へ出たところで、いきなり背後から凄い声で叫ばれる。
けっこう離れている距離なのにギンと響いて、相変わらずだなぁって振り返る。家の方角から手を振って駆け込んでくるフィリップは、今は本当の姿のままだ。
お前も、ってなんで誕生日に自分が買い物しようとするんだって毎回のことだけど思う。言ってもどうせ「それくらい俺がやる!俺は兄ちゃんだからな‼︎」だ。
アムレットは?って聞いたらやっぱり寝てる間に抜け出して来たらしい。誕生日くらい俺とアムレットが楽させてやるって毎年言ってるのに。この日だけはアムレットもなるべくフィリップと喧嘩しないように気をつけてる。
一緒に並んで歩きながら市場へ向かう。昔は怖かった街並みも、今は一番居心地の良い街だ。
「今日はどんなケーキが良いと思う⁈やっぱいつもの蜂蜜ケーキに果物いっぱい乗せてさ。本当は苺乗せたいけどこの時期はないから」
「だからお前が食いたいもん言えよ……俺やアムレットの好物じゃなくて」
「良いんだって!俺はお前らが美味そうな顔すんのが好きなんだから‼︎それよりお前は良いのか?アムレットだけじゃなくお前まで学校休まなくても」
もともと友達想いのフィリップだけど、俺のことは今でもちょっと弟みたいな扱いしてくる。
リネットさんが家に住まないかと誘ってくれるまでは、本気であのまま俺を弟として面倒見続けようとしてくれてたと思う。正直、それもいっかと思いかけたこともあったけど、結局はフィリップん家には世話にならないと決めた。
こいつ、俺がいると余計に無茶な生活したから。
自分の食べる分を毎回俺に寄越すし、自分だけ明らかに切り詰めていた。
もともと、アムレットと二人暮らしの頃から生活は街の人に支えられてのギリギリだったらしい。
初めて俺が家に入れてもらった時なんか、冬じゃなかったとはいえ暖炉の横には一回分の薪しかなかったし、夕食もフィリップはパン一つで、それからもリネットさんにご馳走して貰うまで俺はフィリップん家で料理を食べたことがなかった。パンとか乾燥肉とか卵とかホットミルクとかばっかで。
フィリップは料理ができないんじゃなくて、単純に料理できるほどの食材が全くなかったと知ったのはリネットさんの家で料理を手伝う姿を見てからだ。
あんな無理な生活をフィリップやアムレットにさせるくらいなら街を出ようと本気で思ったくらい、本当にフィリップは昔から無茶ばっかだ。そんなに自分ばっか負担しないでくれって言ったけど、その度に「大丈夫だ、俺は兄ちゃんだからな」で押し通された。
もう兄ちゃんと呼べとかは言ってこないけど、昔はすげぇ言われた。……いや、というのも俺が悪いんだけど。なにせ四年前、リネットさん家に世話になってからも合わせて一年近く俺は
フィリップに寝かし付けて貰ってたんだから。
『パウエル。今日から暫く夜はフィリップとアムレットが泊まりに来るけど良い?』
リネットさんにまで気を回されて、本当に恥ずかしかった。
フィリップもアムレットも迷惑がらないで一緒に寝てくれたけど、俺は良い年して、折角フィリップん家に厄介にならずに済むと思ったのに結局は暫く駄目だった。
リネットさんの家は間違いなく最初から落ち着いた。なのに、夜になるとどうしてもまともに眠れなかった。明け方までずっと起きてたり、魘されて廊下まで聞こえる声で唸っていたりが続いて。
それから暫くして、フィリップ達が夜だけ泊まりに来ることになった。
一人で平気になってから聞いた話だけど、リネットさんがこっそりフィリップに相談してくれたらしい。どうやったら眠れるかとか、フィリップん家ではどうしてたかとか。そしたらフィリップの方から泊まりに来るのを提案してアムレットも一緒に付き合ってくれて。
でも、フィリップに寝かし付けられると本当に簡単に眠れた。恥ずかしいからアムレットが寝てからにしてもらったけど、それこそ特殊能力でも受けたみたいだった。
『ほら。俺は姿を変えて見せるだけだけど。……な?俺のこと、化け物とかお前も思わねぇだろ?』
だから大丈夫だって。
フィリップが街の人にも隠してた特殊能力を教えてくれたのも、うじうじ夜に泣く俺を慰める為だった。
拾われた最初の頃は毎晩毎晩泣いて、時々弱音を吐いて、その度にフィリップに宥められた。リネットさんの家でも、フィリップフィリップって子どもみたいに呼びながら寝かし付けられた。人には言わないでくれてるけど、未だに思い出すと顔から火が出そうになる。
二人のフィリップを唱えて呼んで、片方のフィリップに返事貰って慰められてやっと俺は安眠できたんだから。
「?どうしたパウエル。風邪か⁇体調悪いなら俺が買い物そっちの分もしてやるから家で寝てろよ。ケーキならちゃんとお前の分も取っておいてやるから」
「いや……大丈夫だ」
だから、まだ俺は〝ステイル〟のことをフィリップにもアムレットにもリネットさんにも言えてない。口止めされてる名前とか以外も、全部。
あれから四年。俺を助けてくれた恩人がいるとか、会いたいとかは思い出す度につい口にでる。けれど、未だフィリップって名前だったこともどういう奴だったかも言えてなかった。……言えるわけがない。
「それよりフィリップ、今度その……前話してたお屋敷の仕事とか紹介してくれるか?従者じゃなくて、衛兵の雇用とか?経験積みたくて……」
「あっ。良いけど俺、近々辞めると思うぞ⁇城の使用人受けるから」
「えっ?!!!!!!」
『何度でも呼んで良いぞ。兄ちゃん、ちゃんと傍にいるからな』
恩人と同じ名前に釣られて付いていって、恩人と同じ名前だから安心して、恩人の名前を重ねて唱えて寝かし付けられて、恩人と同じ名前の奴が一番の親友になった。
『本当に好きなのね。明日から毎日焼くわ』
恩人と同じ顔の大人に懐いてそのまま家まで押しかけて、今じゃ一番大事な人になった。
全部が全部フィリップで。
その〝フィリップ〟の雛みたいだった自分が、今ではどの過去よりも一番恥ずかしい。
Ⅱ172-2.36.43-2
Ⅱ390.18.67
Ⅱ172-1




