Ⅱ514.追いやられし少年は抜け、
『約束してやる。特殊能力でお前が傷つくことなく、お前も、お前の大事な人も皆が笑っていられるようにすると。…俺の、命の限り』
─ 神様みたいだと、思った。
「……⁈……フィッ……⁈」
息が、止まる。
冷たい空気で皮膚より先に肺が冷えた。何が起こったのかも分からなくて、呆然と瞼だけが開かれるのが目の渇きで理解した。
目が覆われたかと錯覚したけど、違う。妙に胸が大きく膨らんで、首ごと見回したけど視界に入ったものが何かまでは頭に入らない。確かに暗い洞窟に居た筈なのに、ここはどう見ても外だ。
足元は岩肌じゃない土の上で妙な懐かしさが込み上げた。
一体いつからあんな場所にいたんだろうと、時間の経過もわからない体感だけで考える。新しい空気が肺を通って、さっきまで籠った場所にいたんだなと実感する。家明かり一つ見えないのに明るくて、周囲が見回せることに遅れて違和感を持って空を見上げれば月明りに目が眩んだ。
俺の能力とも違う、温かくて眩い光に視界が眩んですぐに顔ごとそらして目を絞った。
何が起こったかはわからない。ただ、間違いなく今俺がいるのが外の世界なんだと確信した。
夢でも見てるのか、それとも一瞬の間の気がするだけで気を失っていたのか。
顔を指先で撫でおろすとべったりと真新しい湿った後が残っていた。本当に、ついさっきまであいつと話してて、今は別の場所にいる。皮膚に静かに刺さる夜の冷たさと真新しい空気の感覚が、これを現実だと言っている。
フィリップ、と最初に枯れた喉が呼びかけた。フィリップどころか人身売買も、誰もいない。
ここが洞窟の外か近くかもわからない。茫然と正面を見つめれば、見たこともない大きな湖がぽっかりと広がっていた。上か下かもわからない二つ目の月が湖に浮かんでいる光景に、いっそあの世かなと思うけど。
『パウエル、帰るぞ。フリージア王国に』
「う゛…………っ」
思い出した瞬間、また喉から競りあがった。
また感情と一緒に能力が溢れそうで、下唇を噛んで堪える。
違う、あれは夢じゃなかった。絶対間違いなくて、俺の前からも消えたり現れて手を差し伸べてくれたあいつは夢じゃない現実にいた人間なんだと思えばそれだけで目の中が熱くなった。
どうやったかはわからない。ただ、たぶんフィリップも特殊能力者で、本当に俺をどこでもない場所に逃がしてくれた。
縛られていた俺を助けてくれたのだって一瞬で、あんな酷い攻撃をしても無事でいてくれたのだってきっとそうだ。
本当に今さっきの言葉が最後の最後で、一瞬でのさよならだった。
俺からはまだ何も礼もできていないのに。何も言わせてくれず返させてもくれず移された。もうここには誰もいない。盗賊も、騎士団も、誰もいない本当に俺が望んだ場所に送ってくれた。フリージア王国の、…………いつか俺が住みやすくなる国の、どこかに。
フリージア王国は、好きじゃない。こんな特殊能力者になる国に生まれなかったら、きっともっと普通に生きられた。前にいた村で、今だって普通に人間として生きられた。
フィリップが、いない。騎士も、助けてくれる奴も頼れる奴も、人すら誰もいない。俺の知る村でも森でもどこでもない。もうここにはきっと
化物だった俺を知る奴もいない。
「……ッう゛、あ゛あ゛あ゛あ゛……」
自由なんだと。
そう思った瞬間、耐えきれず大口開いて喉を張り上げた。あんなにもう自分のことなんかどうでも良くなった筈なのに、身体が芯から震えるみてぇに苦しくて嬉しい。
膝から座り込んだまま、空に吠える動物になる。零れた水がまた溢れてきて、月明りが温かい。
あんなに希望も何もない世界だと思ったのに、今は全部が光って見える。
俺の何が変わったわけでもねぇのに、ただ〝やり直せるかもしれない〟と形もなく思えたら声を出さずにいられなくなった。
アレも、今目の前のこれも全部本当に現実なら、まだ生きていてみたいと本気で思えた。百年千年続くような地獄じゃないと神様みたいな奴が約束してくれた。
重い両手を地面に垂らして、湖の月を揺らすほど声を上げる。
何処に行けば良いかもわからないのに、この国に居ようと思えるだけで死ぬほど足場が着いた。喉が苦しくてガラついてえぐづいても足りなくて。
パチリ、パチッと絞った目の中でまた閃光が跳ねた。耳に掠れた音も嫌なほど聞きなれて、わかった瞬間反射的に息を止めて口を閉じる。
しゃくりあげで肩まで上下させながら、それでも必死に自分の中の心臓の音に集中する。駄目だ、ここで光ったら全部無駄になる。人里や集落でもあったら見つかる。折角フィリップがくれた機会が無駄になるのは絶対嫌だ。
顔ごと曲げた膝に埋めてそのまま両腕で固めて小さくなる。
身体の震えも、喉のヒリつきも、特殊能力も全部感情と一緒に収まるまで目をぎゅっと閉じて固くなる。狭い呼吸で意識的に深く息を吸い上げ吐き出して、このまま朝になるまで待とうかと考えだしたその時。
「お~い!そこ誰かいるのか??」
間の抜けた声が、背後から遠く掛けられた。
急な人の声に渾身の力で押さえていた両腕の力が抜けて身体ごと思わず跳ねる。膝の中で目が勝手に開いて、どうすれば良いかもすぐにはわからず物音一つ立てないように小さくなったまま固まった。
えぐえぐと喉だけがひくつくのを必死に殺しながら、背後を振り向くことすらできない。人も誰もいないと思ったから木陰にも隠れていない。でも動いたら見つかりやすいのもわかるから、ただただそのまま岩の振りをする。
背後の声が遠ざかるどころか近づいてきて「おーい」「いるんだろ?」「人間だろー」って言いながら返事もない俺に距離を怖いくらい縮めてきた。
奥歯を嚙み縛って、特殊能力が出てないようにばかり考えながら待てばとうとうガザガザと足音までくぐもった耳に届き出す。ガサリガサリと草を踏む音だけで心臓が暴れて能力が出たらとそればっかり考える。
いつもいつも俺の能力は一回始めると意識して抑えるのには時間がかかったから。せっかくフィリップのお陰で一度止まったのに、また一人で泣いて溢したのが自分でも嫌になる。
そう思ったら耳の傍で聞こえたパチリッが、背後からの音か自分の能力かもわからなく聞こえて全身が強張った。
「ほらお前お前そこの。ぴかぴか光ってる奴!」
言われた瞬間、本気で一度心臓が止まった。
まずい、見られた。やっぱり能力を抑えきれていなかった。知らない振りしたくても「光ってる」って言われてもう言い逃れもできないとわかる。せっかく、折角やり直せると思ったのにと瞑っていた目を力の限り絞ったら雫が数滴また地面に落ちた。
また化物って言われると、耳を押さえたくなったのに膝を抱いた指が強張って動かない。しかも呼びかけてくる奴は逃げるどころか、むしろ一直線かと思うくらい信じられない早さで俺の方に足音を立ててきて「無視するなよ!」って言いながら無遠慮に
肩を掴んでくるもんだから。
バチィッ‼︎と。
また、今度は耳の傍どころじゃない激しい音と一緒に「いってぇ?!」と男の声が飛び出した。俺の意思じゃない、本当にただ能力が抑えきれてないだけだったのに。
またやった、と息も忘れて振り返れば一人の男が右手を押さえて思いっきり背後に仰け反った瞬間だった。一瞬だけみえた熱の名残と感触に考えるよりも前に「すまねぇ‼︎」と声を張り上げるけど、男はそのまま地面に尻から転んでついた。
パチリッ、ってまた弾ける音がして視界が月明りじゃないもので一瞬だけ照らされ消える。落ち着け出るなって頭では思いながら、身体ごと背後に向き直る。
「すまねぇ!本当に!!怪我っ、怪我なかったか⁈本当に、本当にすまねぇ、今のは俺の特殊能力で……」
どうしようもない言い訳を並べながら、ちゃんと顔が見れなくて目が泳ぐ。
ついさっき、フィリップの奴に酷い攻撃をしたばっかなのにまさか続いてまたやっちまった。どいつもこいつもがフィリップみたいに許してくれるわけがないって俺が誰よりもわかっているのに。
向き直った先では男が右手の指を押さえながら摩って、目だけは俺から離れないようだった。たぶんまだパチパチ光ってるだろう俺に驚いてる。当たり前だ、何も知らない奴がこんな光ってたら驚くに決まってる。
すまねぇ、声を掛けてくれたのに、って返事を貰えるまで何度も何度も謝ってどうかあの言葉を言われないようにだけ願う。
目をまん丸にして地面に崩れた体勢のまま俺を見る男は、独り言みたいに俺の言葉へ上塗りおもむろに口を開いた。
「すっげー……ランプ要らずかぁ……」




