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フリージア王国備忘録<第二部>  作者: 天壱
嘲り王女と結合

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Ⅱ513.母親は想い、


私の人生を人はどう形容するのだろう。


夫は、流行り病で亡くなった。

もともとあまり身体が丈夫ではなかった夫は、医者にかかった時には虫の息だったらしい。

出会った頃から本ばかりを読んでいたあの人はとても賢く、盤上であれば負けたことは一度もない人だった。驕らず優しく諍いを嫌う彼は、私にはもったいないくらいの良い夫だった。


城下へ共に移り住んでからは城下でも大きな商人の元で雇われ、息子が産まれた頃には商品の交渉や取引を任されるほどに出世していた。…………そして、取引の為に出た先の土地で流行り病に侵され亡くなってしまった。


けれどあの人が長年少しずつ遺してくれていたお金と家のお陰で、息子と二人で細々と生きていくには困らなかった。

表情が硬く愛想のない人だったけれど、平和主義な優しい人だったから街の人もとても夫の死を悲しんでくれた。遺された私達親子にもとても良くしてくれた。

幼かった息子の面倒も見てくれ、私にも仕事を紹介してくれた。城下へ移り住む地にこの街を選んでくれた夫の目に狂いはなかった。

息子は夫に似て表情を出すのがとても下手で、そしてとても賢い子だった。

物心がつく頃にはもう私の力になろうと気を遣ってくれ、我儘の一つも言わない子どもに育った。母親としては楽をし過ぎではないかと心配になるくらい、本当に手のかからない子だったことをよく覚えている。

しかも成長すれば特殊能力に目覚め、城下でも珍しいとされる瞬間移動を扱えるようになった。街中の人にも「すごい」と「城で働ける」と「将来が楽しみだ」と褒められ、やはり私には勿体ないくらいのできた息子は




『王家が貴方の息子さんを養子にと望まれました』




……本当に〝勿体ない〟息子だったのだと。そう思い知らされたのは、あの子が七歳の時。

最初はあまりのことに王族の使いからの言葉を理解することもできなかった。

できれば早々に、相応以上の保証と謝礼を、この国の未来の為に、そう言葉と共に届けられた手紙を見ても顔を覆うしかできなかった。

衛兵を引き連れた使いの言葉を聞いても首を縦に触れるわけもない。私にとってはあの子が人生の全てだった。


夫を亡くしてもあの子がいてくれたから幸せだった。夫の空白を埋めてくれ、生きる目標も一日の幸せもあの子がいてくれたから成り立っていた。

あの子が私の息子でい続けてくれるのならお金も特殊能力も要らなかった。手がかかって面倒で我儘で平凡な子どもでいてくれても良かった。


息子が王族の養子として望まれることはとても光栄で、国中の母親にとって誉れであることを頭ではわかっていた。それでも、息子を早々に城へ連れて行こうと望む衛兵に私は膝から崩れたまま言葉も出なかった。

喜んで引き渡さないといけない。……そうわかっていても、指先一つそれを受け入れられなかった。絶句し茫然とする私を横に、困惑のまま無表情で私と衛兵を見比べる七歳息子の方が現実を受けとめることは早かった。




『いやだ』




今まで我儘の一つも言わなかった息子が初めて拒絶を言葉にし、家の奥へと逃げ出した。

衛兵が待ってくれと追いかければ、信じられないことにあの子は家中の至る物に触れては衛兵の頭上へ落とし続けた。本なら未だしも食器や花瓶まで落とし、衛兵が頭から血を流した時は流石の私も声を上げてしまった。

街中の人に褒められていた特殊能力を、いつの間にかあの子は最大限まで使いこなしていた。衛兵がやっとの思いであの子を両手で掴んでも瞬間移動で抜けて家の外まで逃げ出した。それも一度や二度ではない。

次期王族となるあの子に城の使い達も乱暴な真似ができなかったこともあり「また何度でもお迎えに上がります」と衛兵が帰っていけば胸を撫でおろしたが……もう心を決めるしかないのだとも思い知らされた。


衛兵が帰った後、街中を探し回ってやっと出てきてくれたあの子は「僕、絶対行かないから」「一緒に逃げよう」「母さんとずっといたい」と、七年分の訴えを私に何度も何度も口にした。

初めてのあの子の優しい願いを私も叶えたかったけれど、城に逆らうことなどできるわけもなかった。

一日に何度も何度も訪れた衛兵に歯向かうこともできなければ、息子を説得することもできなかった。衛兵を迎撃しては逃げ続けるあの子を止めることしかできなかった。

心の整理もできず、…………王配殿下から二週間の猶予を与えられたことは本当に救いだった。



『母さんなら大丈夫、もう悔いはないわ。……だから、決して会いに来ては駄目よ』




あの子が起きている間はひと時も離れず笑い、そして寝静まっては毎晩一人で足りることなく泣き続けた。

最後の別れの日、あの子を悲しませないようにと必死に取り繕い言葉を掛けたけれどそれでも上手く笑うことはできなかった。

特殊能力者の手枷を掛けられた時には息が詰まり、崩れないようにするだけで精一杯だった。


『王配殿下の計らいのお陰でこうしてちゃんとお別れもできたし、沢山貴方を愛せた。この二週間、……いいえ。この七年間、母さんは世界で一番幸せだった』

私が二週間後の別れを告げた時から我儘をまた言わなくなったあの子は、最後まで一度も泣かなかった。最後の最後の瞬間まで私のことを気遣い続けてくれた。

私よりも先に心の整理がついて、王族となる決意もできたのかしらとも二週間の間に何度かは思った。庶民の母一人よりも、王族として何不自由ない暮らしの方が自分にとっても幸せなのかもしれないと。


『だからね。プライド様に尽くし、私のことは忘れてお城で幸せになりなさい』

別れの日、今にも耐えきれなくなりそうだった私と違い、泣くどころか表情も崩さなかった。「どうか元気でね」「身体を大事にしてね」と私のことを気遣ってくれたあの子はやはり私には勿体ない息子だったのだと思った。王族にも相応しい、強い子なのだと。……違うとわかったのは、あの子が馬車へ乗り込む寸前だった。


『…………母さん』

二週間の間、一度も「いやだ」も「行きたくない」も言わなくなり、受け入れ私を困らせず、私の息子でいてくれたあの子が馬車に足をかけてから振り返った。

別れを告げた時と同じ表情のない顔を、一度だけぎこちなくも笑顔にしてくれた。あの子にとってはそれが精一杯だったのだろう、震わせた唇と力のない声で




『ずっと、大好きだよ』




そう言ってくれたあの子が、最後の最後にしか〝笑うこともできなかった〟のだと気が付いた。

小さい頃から表情に出すことが苦手だったあの子が、それでも可愛い笑顔を見せてくれることは何度もあった。夫で慣れていた私にはそれが意図的に頑張って顔を動かしてくれていたのだとわかったけれど、私の気持ちに応えようとしてくれたことが嬉しかった。

街でも無表情が多くても笑う時はちゃんと笑ってくれるから愛想は良いと評判だったくらいで、大人や友達にも愛された。その息子が、二週間の期限が近づいていくごとに無表情が増えていたことに、自分が笑顔を絶やさないことで必死だった私も気付ける余裕がなかった。


別れる時に泣くことも、そして最後に絞り出した一回以外意図的に〝笑うことも〟できなくなっていたあの子は心の整理がついていたわけでも別れが悲しくなかったわけでもなかった。

鎮まりきった表情の下でどれだけ我慢し続けてくれたのだろうと、…………ちゃんと一緒に泣いてあげれば良かったと後悔したのはあの子の馬車が遠ざかった後だった。

私にできたのは、賢くて優しいあの子にこれ以上私のことで心配も悲しい想いもさせないように振舞い続けることだけだった。


滲み出した視界の中で、馬車が捉えきれなくなるほど小さくなった。

糸が切れた私は膝から崩れ、地面に泣き伏し続けた。

最後の最後まで私のことを想い続けてくれた優しい息子は、その日を境に〝私の〟子ではなくなった。

数日は仕事も手が着かずあの子との思い出が残った家で泣き伏した。街の人達の優しさがなければ、食事も喉を通らなかっただろう。

毎日のように温かなスープや気持ちが晴れるように花を持ってきてくれ、何度も励ましてくれた。お蔭で少しずつ心と身体も持ち直し、あの子と夫と過ごした家で思い出と共に生きていこうと思おうとした頃。





『報奨金について王配殿下よりご提案を伝えに参りました』





……





「…………すて……いる……。……、……?」


ぽつりと。口から零れた自分の寝言で、目が覚めた。

ぼんやりとした頭のままに、今自分が呟いてしまった言葉に思わず指の先で口を覆う。もう語ってはいけない筈だったあの子の名は、独り言でも人に聞かれればきっと許されない。


机に突っ伏したまま自分の両腕を枕に眠ってしまったらしいとそれから気付く。

窓から洩れる朝日に瞼を絞り、ゆっくり身体を起こせば肩や首がぎしりと痛んだ。ベッドで寝るべきだったと反省しながら、顔を両手で挟み大きく息を吐く。皆を起こさなきゃ、と習慣的に思ったところで今日はその必要がないのだと思い出す。

見慣れた窓、見慣れた机、見慣れた部屋。寮母部屋ではなく、ここは長く住んだ我が家なのだから。

寮母として与えられる休日。その日だけ、私は住み慣れたこの家に帰ってくる。昨日の夕暮れに家へ帰ったけれど、そのまま自室で眠ってしまったらしい。


「…………姿絵、はっ……」

ぼんやりと放心した後に、大事なことに気付く。

慌てて腕の下敷きにしていたものを覗けば、幸いにも二枚とも手紙と共に本の間に挟まった状態だった。転寝してしまう直前に本には挟んでおけたらしい。

無事を確認する為にゆっくり本を開き、挟み重ねられていたものを確認する。皺ひとつないことにほっと息を吐き、改めて見ればそれだけで自然と笑みが零れた。

今の私にとって大事な、大事な大事な唯一の〝息子〟の姿がそこにある。




『この姿絵の視線の先に、フィリップがいたことをどうか忘れないでいてください』




この姿絵と手紙がなければ、きっとあれが現実かどうか疑っただろう。

何度も思い返しはしたけれど、今でも信じられない。十年以上一目も見られなかった息子にまさか会えただなんて。

それでもこの姿絵を見れば疑いようもない。あの日から毎日毎日目を通しては誰にも見られないよう本の間に挟んだ容絵には、目を赤くした黒髪の少年が映っていた。

姿絵も残せなかった夫の面影も残した顔がくしゃりとこれ以上ない柔らかな表情で深紅の髪の少女と銀色の青年の間に挟まれている。今までの手紙で教えてくれた幸せなあの子の日々が本物だったのだと示してくれる表情は、それだけで何度見ても涙が零れそうになる。


一生大事に保管しておく為にも、今日からはこの家に置くことを決めた。毎日見れないのは惜しいけれど、誰にも見られず無くさないことの方が大事だった。それにこの方が家に帰る楽しみも増える。

封筒だけ抜き、パタンと二枚の姿絵を挟んで本を閉じ、棚へと仕舞う。昔、読書が好きだった夫が遺した本は難しいものが多く私もあまり読むことがない。

その中でも夫が一番お気に入りだった本の中にあの子の姿絵があると思うと、それだけで胸が蝋燭のように灯り温まる。きっとあの人もこれで寂しくはないだろう。


「あと手紙は……、やっぱりここね」

本の間では嵩張ってしまう手紙を封筒ごと手に私は一度席を立つ。私以外誰も知らない保管場所へと寝ぼけ眼で足を動かし、一番上にそっと重ねた。これはあの子からの手紙ではないけれど、……同じくらい大事なものだ。


一年に一度枚数が増えるそこには、息を飲むほどに美しい封筒と便箋が積み重ねられている。

毎年、プライド王女殿下が私の為にステイルへ用意してくれているという便箋はどれも庶民の私には手の届かない高級でなにより女性らしい品ばかりだった。

手紙の許可と、毎年変わる美しい便箋にそれだけでもプライド様があの子と私の関係を寛大に受け止めて下さっていることがわかった。

何よりこの手紙にはー……。



『心配するような内容は書いていませんから』



「…………本当に、お優しい……」

今日まで毎日、姿絵と共にこの手紙も読み返した。

夫と息子からの手紙以外でこんなにも繰り返し目を通したことはない。昨日も夜遅くまで読み返し、そのまま幸せな気持ちで転寝してしまったことだけは覚えている。

保管場所がちゃんと元通り閉じられ施錠もしたことを確認し、羽織っていた上着を両手で押さえながら私は自室を出る。なにか温かいものを飲んでから居間のソファーでもう一休みしよう。

音をあまり立てないように扉を閉め、廊下を歩く。居間へと向かいながら、水はまだ足りていたかしらと考える。昨晩、身体を拭く時に全て使いきったかもしれない。転寝してしまった所為でまだ昨晩の記憶も薄い。そう思ったところで、不意に玄関から音が耳に引っかかった。

ガチャリ、と扉が外側から鍵を開けられる音に私は一度両足を止める。ノックを鳴らされることもなく開かれる扉に私は考える間もなく顔だけで玄関の方へ振り向けば
























「……あっ。おはようリネットさん」



水で満ちた桶を片腕に現れた彼に、私は笑いかける。

わざわざ早朝から水を汲んできてくれた彼に。

昨晩、私が眠ってしまっている間に帰ってきていたのであろう彼に



「おはよう、パウエル」



()()()()()()()と、言葉を続けた。


Ⅰ10

Ⅱ455

本日アニメ10話放送です。よろしくお願いします。

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