Ⅱ512.兄は聞き、
「そんなに疲れてるならもう自分の部屋行く?明日は朝からパウエルも来てくれるんだし」
確かに気疲れはしてるかもしれないけど。そう思いながらアムレットの頭から手を降ろした俺は首をぐるんぐるん回す。
二十分でも一回寝たからか今は全然眠くない。もともといつもは早朝から結構夜中まで仕事でも睡眠足りてるし、明日は仕事ないなら余計ゆっくりするし別段早く寝る必要もなぁと思う。いやでも折角久々にアムレットとパウエルも揃って家に来るなら思い切り楽しむ為にも早めに寝た方が良いか?でもなぁ、アムレットが折角家にいるのに寝て潰すのも勿体ない。
時計を見てもアムレットすら寝るような時間じゃない。部屋の飾り付けとか準備は段取り良くやってくれたアムレットも、この後はやることなんて読書か勉強くらいだ。
「もうちょっとこっちで寛ぐ!せっかくアムレットが飾り付け頑張ってくれたんだからな!どうせソファーもベッドも寝心地変わんねぇし」
「飾り付けは明日の誕生日に楽しんでくれれば良いよ。もう私は荷物も殆ど寮に移したんだし、兄さんが私の部屋使えば良いのに」
「いや兄ちゃんはあの部屋で充分だ!それにアムレットだってこうしてたまに帰ってきてくれるから使うだろ?」
子どもの頃の両親が死んで、それからは残された小さい家に俺とアムレットで住んでいる。
もともと大して裕福な方ってわけでもなく、玄関に繋がった居間と台所、あとは寝れる部屋が二つだけの、街でも珍しくはない小さい家だ。昔は両親が死んでからもそのままアムレットと一緒の部屋で寝てたけど、アムレットが年頃になってから居間の次に広い両親の部屋をアムレットが使っていた。アムレットが一人で留守番できるようになったら俺も仕事を増やして帰りも遅くなったし。
学校の寮に移り住むようになって今はアムレットの私物も大半はそっちに移したから確かに俺がそこに部屋も移しやすくはある。でも家具はそのままだし、もうあそこはアムレットの部屋なんだからいつでも帰ってきて使ってくれれば良い。俺は俺でもうあの部屋に愛着があるし。
それはそうだけど……と口を一度紡ぐアムレットは、そこで一度溜息を吐いた。「わかった」と言いながらソファーの俺が転がる隙間に腰を下ろす。
ちょっとそっちに寄って、と言われて俺も身体を起こしてアムレットが座る分端に寄る。もう眠くないからソファーに座り直した。
隣にちょこんと座るアムレットは、学校で習ったのか前より座る姿勢も良い。さっきより高い姿勢でアムレットの方へ向くと、ソファーの背凭れに畳まれたままの毛布が掛けられていた。もしかして俺に毛布かけようとくれてたのかなと思うと、少し勿体ないことした。魘されてさえなければ今頃アムレットが毛布をかけてくれてたのに。
「アムレットは遠慮しなくて良いぞ。勉強したかったら部屋使えよな」
「折角家に帰ってきたんだし、…………最近あんまり兄さんと話してなかったから」
そういえば。
うん、と俺もそれには言葉で返す前に頷く。
特待生になるまでは家に毎日帰ってきていた時はアムレットから色々学校のことで話題は絶えなかった。だけど、それよりずっと前からわりと言い合うことも多かった。特にこの前ジャンヌ達の前で思い切りお互い言い合いしちまった後は、引っ越し作業中も少し気まずかった。
お蔭で手伝ってくれたパウエルには余計な気を回させた。パウエルは俺とアムレットが喧嘩をする度、呆れるか自分のことみたいにオドオドして心配する。昔からそういうところは変わってない。
あれから大分経ったけど、それからはあんまりアムレットとそれらしい話も聞けなかったなぁ。正直明日誕生日祝ってくれるのも半分今年は諦めていた。…………というか、十年以上前に俺はもう祝われなくて良いやと決めてたんだけど。
わざわざ話そうとしてくれるってことは俺の誕生日前だから気を遣ってくれてるのか、それとも悩みはあるのかなと考える。俺になら気を遣わなくて良いけど悩みがあるなら絶対聞いてやんねぇと。
膝に両手を重ねて置いたまま少し顔を俯けるアムレットに、俺からも少し顔の角度を変えて覗き込む。
「なんかあったのか?」
「ううん、大ごとってわけでもないけど。……でも最近だと、ほら。紹介したジャンヌ覚えてるでしょ?あの子達が学校辞めちゃった」
えっ?!と思わず家の外まで聞こえそうなくらい遠慮なくでかい声が出る。
うっかり傍にいるのに遠慮なく張り上げて、アムレットが両耳を手で塞いだ。眉をぎゅっと寄せて顔を顰めるから俺から慌てて謝る。
わりぃ、ごめんなと繰り返しながら改めてアムレットの話に戻る。あんなに「仲良くなった」「勉強教えてくれるの」「すごく頭が良くて大人っぽくて」って友達になれたこと喜んでたのに。
アムレットの話によると、親と爺さんの都合とかで山に急遽あの親戚の二人と一緒に山へ帰ることになったらしい。
まだ用事があるからとかで山には帰ってない筈だけど学校は辞めていて、でも文通はできるかもしれないから今は返事待ちだと。言いながら少し肩が落ちているアムレットの横顔はやっぱり少し寂しそうだった。他にも女友達はいるアムレットだけど、ジャンヌのことは凄く好きだったからなぁ。
「あんな女の子になりたい」と言ってたし、休み時間の度に勉強会するくらいの仲だったんだから当然だ。
俯きがちのアムレットの頭にもう一度手を置いて撫でる。今回は怒った顔もされず、撫でるまま手の動きと一緒に小さく頭が左右に揺れた。
「そっかぁ、寂しいな」
「でも勉強会はまだディオスとクロイと一緒に続けてるから。ジャンヌのお陰で仲良くなれた子で、同じ特待生の男の子」
「アムレットもとうとう男友達かぁ~~」
「別に初めてじゃないよ。パウエルとだってもともと仲良いじゃない」
いやパウエルはなぁ、とアムレットの言葉に思わず撫でる手を止めて腕を組む。
街にも男の知り合いがいないわけじゃないアムレットだけど、いつも仲良くしてるのは女の子ばっかだった。唯一凄く打ち解けて仲良しなのは確かにパウエルだ。でも、……あいつは友達っていうか一緒に住んでないだけでもう俺にとっては弟みたいなもんだし。
そうなるとアムレットと並べても二人揃って可愛い弟妹にしか見えない。まぁパウエルは相変わらず俺のこと兄ちゃんと呼んでくれないまま終わったけど。
パウエルもパウエルでアムレットのことは妹みたいに可愛がってくれている。
でもこれからそのディオスとかクロイとかきっとアムレットも他にも頭が良くて気が合う男友達とかもできるんだろうなぁと思う。そんで友達じゃなくて好きな子とかできたりして。
そのディオスとクロイもちょっと会ってみたい気がしたけど流石に我慢する。兄ちゃんの所為でアムレットが好きな子に嫌われたり気持ちがばれたりなんかしたらそれこそアムレットに嫌われる。ちょっと寂しい気持ちもするけどアムレットが好きな奴できたら絶対応援したい。
「パウエルはなぁ、って。兄さんの親友でしょ?」
「親友っていうかそりゃ一番仲良いけどなんかもう弟っていうか」
「言っておくけど最近はパウエルの方が兄さんよりお兄さんっぽいからね」
「だろ~?やっぱアムレットにとってもパウエルは兄ちゃんみたいなもんだろぉ?だからアムレットの男友達っていうとなぁ」
「そっ、そうは言ってない!兄さんっお願いだからそれパウエルの前でも言うのやめて!!……~~っ……」
口を結んだままじわじわと顔を火照らせるアムレットに、怒らせたみたいだと俺からもわかったわかったと謝る。
最近じゃアムレットの反抗期は俺だけじゃなくパウエルにもたまに来る。こういうところもやっぱパウエルが兄ちゃんっぽいからだろうなぁと思う。ちょっと前までは何があってもパウエルパウエルって毎日べったりだったくらいなのに。年の近い子が好きな子できたり恋の相談したり恋人できたりしてもアムレットはパウエルにばっかりべったりで。…………いや違うか、パウエルはともかく俺に対しての場合は反抗期じゃなくて。
「あ、あとねっ兄さん」
そこまで考えたところで、さっきまで真っ赤な顔で黙り込んでいたアムレットが口を開く。
ちょっとさっきより声が上擦って、顔は俺に向いたまま目だけが逸れた。なんかジャンヌの話より改まるように膝の服を掴んで肘も少し上がっているアムレットに俺も座り直して上体を向ける。
どうした?って聞いてみたらすぐに続きはなかった。ごくりと口の中を飲み込んで、「実は」と言いだしたアムレットはさっきより早口になる。
「私っ、選択授業もう決まったから。被服と料理と男女マナーと女性教養マナーと国外情勢。他にも気になったの色々あったけどけどとりあえず一年はそれに集中するから」
この先もなるべく外したくない。そう続けるアムレットは肩まで強張り出した。
被服と料理、って聞いて今はそっちの方がちょっと意外だった。どれも今まで俺が家でやってきたことだし、アムレットは皿は割るし調味料も間違えるし本や勉強の方がずっと得意で楽しそうだったからそっち系統の選択授業ばっか選ぶと思ってた。
やっぱり恋愛とはまだ疎くでも、将来のそういうこと考えるようになったのかな。俺と一緒に暮らす間は良いけど、アムレットが嫁に行ったらやっぱり避けて通るのも難しいだろうしアムレットも好きな男にはやってやりたいと思うんだろう。
そう考えたら確かに今のうちに身に着けるのは良いかもしれない。今までだってアムレットが苦手なことは無理せず全部俺が代わりにやってきた。俺は自分ができても教えるのは慣れてない。
学校には専門の講師もいるって話だしきっと俺より教えるのも上手い。
「そっかぁ、頑張れよアムレット。怪我だけはしないようにな?針とか包丁は特に気を付けろよ」
「?…………それだけ??」




