Ⅱ508.兄は焦り、
うーーーーーあーーーーーーーーーーやっばい。
「それでは、ご夫人も従者にそういったことは何も?強要もお誘いも」
「ええ、奥様には本当に良くして頂きました。三年以上働いている先輩達もそういうことは全く。まぁ顔が良いから採用して頂いたのは使用人全員がわかっていることですけれど」
「…………因みに、夫人がお持ちの着替えというのは?」
「旦那様のお留守時、あの衣装で「お嬢様」と呼んで給仕をすると給料が倍上げなので……」
ははは……と、枯れた笑いを零しながらくだらな過ぎる自分の話にやっと頭から「やばい」以外の思考も回ってくる。
ジルベール宰相さんは話が上手くって、気付けばわりと口を動かせるようになった。一体どんなことを聞かれるかと思ったけど、普通の話題ばっかでやっと肩の力も抜けた。
気付けば奥様の話になってるけど、もしかしたら最初から奥様か旦那様のことで探りを入れる為に俺を連れ出したのかなとも考える。
俺が知る限り奥様も、それにちょっと可哀想な旦那様も悪い人じゃない。奥様の好みじゃない年齢や顔つきになったら躊躇なくクビにされるけど、それ以外は今までの雇い主の中でも大盤振る舞いで良い人だった。俺も他の使用人の人達も奥様にきゃあきゃあ言われて悪い気はしなかったし。
どっちかというと俺は珈琲の淹れ直しさせられまくった時の方が辛かった。
奥様に雇われるまでは顔が良かったら結構なんでも許されたけど、奥様はそういう妥協は逆にしない。俺も今後の為にもモーズリー家で身に付けられるものは何でも身につけて腕上げたかったから良かったかなとは思う。そうすれば他の屋敷でも気に入れられて給料も上げられる。
アムレットの為にも稼げるときに稼がねぇと。今日は一日中モーズリー家の予定だったけど、この後の予定が空くならアドキンズ家の方に仕事入れられないか行ってみるかそれとも瓦礫拾いかいっそ新しい日雇い探すか……ていうか本当に俺帰れるのかな。明日は休み取ったし今日は絶対帰りたい。
「安心致しました。モーズリー家の奥様が若い男性を優先的に雇い入れているとは聞きましたが、非人道的な扱いは受けておられないようで。ちなみに今お尋ねした話は何卒内密に」
「わかりました……。あの、自分がお話ししたということも内密にして頂けますか。本当に奥様にはお世話になっただけですので……」
勿論ですとも、と大きく頷くジルベール宰相さんを前に取り合えず口留めするってことは生きて帰してくれるつもりなんだと再確認して、胸から息を吐けた。
つい茫然としたまま口が滑ったけど、俺も俺で今後アムレットにそんなことしてたって万が一にでもバレたら困る。リネットさんにも心配かけるかもしれねぇし、パウエルにも誤解されたらまた仕事減らせ辞めろって言われる。……あーーーーなんで本当俺馬車に揺られてるんだろ。
奥様と旦那様から今日は重大なお客様が急遽来られることになったとは聞いたし、この国の宰相ってことも聞いた。
成り上がり商人の下級貴族の元にもそんなお偉いさん来るんだなぁ程度にしか俺は思わなかったし、どうせ出迎えと給仕なら平気だろとわりと気楽だった。まさか宰相に紹介されるとは想像しなかった。
今までも客や友人に俺らを見せびらかしていた奥様だけど、まさか旦那様と一緒の時にまで紹介するとは思わなかった。
しかも今回自慢する相手は女性じゃなくて男だ。わけわかんないまま俺の働き先が変わっていくのは結構焦った。
宰相なのにまさかそういう人買いまがいしてるのかとか、偉い人だからこそそういう予感もして怖い。もし本当に正規で雇って貰えるとしても商人の屋敷や下級貴族の使用人と、宰相の使用人じゃ敷居が違い過ぎる。……いや紹介されるだけで俺を雇うかもしれないのは別の人だっけか⁇あーーだめだもう全然思い出せねぇ。聞き直すのも怖い。
ていうか宰相‼︎宰相って城で働いてる人だろ⁈まさかこのまま屋敷が城ってことないよな⁈宮殿とか城じゃなくて「屋敷」って言われたからほいほい付いていったけど!!もしこれで城だったら馬車から飛び降りてでも逃げねぇと……ッ駄目だんなことしたら今度は旦那様に殺される!!ていうか明らかにこんな上手い話が俺みたいなのに転がり込んできた時点で断れよ俺!!!モーズリー家は働いてる場所で一番稼ぎが良いところだったし断っても良かったのに!!いや奥様達にあんだけ言われたら断れねぇけど!!それにっ……
『今よりも給与・拘束時間共に貴方の望む形での待遇が約束されると』
その言葉に、俺は弱い。
いやだって金は欲しい。アムレットの為にも何かあった時用に稼ぎたいし、アムレットが嫁に行く時には大奮発してやりてぇしただでさえあんな可愛い良い子なんだからいつ結婚するかもわかんねぇし!!
しかも城で働きたいなんて夢まで持ってるからどっちにしろ仕事に就くまでは学校卒業した後も変わらず俺が支えられるようにしねぇと!!いつぶっ倒れても怪我しても死んでもアムレットには苦労かけないように今から貯められるだけ貯めときたい。うちは親どころか身内もいねぇし俺が兄ちゃんなんだから!!……ッッいや!でも‼︎
やっぱり宰相は駄目だろ
「…………やっちまった……」
吐き切った息と一緒に、うっかり零れかかって口の中で留める。
何か仰りましたか、ってジルベール宰相さんに言われて慌てて従者用の口調に戻すけど本当にやっちまった。あの場で頷くしかなかったとしても給料垂らされても俺は断んないといけなかった。あの時はつい逃しちゃ勿体ないと思って頷いたけど、やっぱり駄目だ。
宰相は、城で働いているお偉いさんだ。俺は学もなにもねぇけど、確かアムレットが王配の補佐って言っていた。
王配って……今のステイルの父親みたいなもんだろ。王族同士が親子で関わりがあるかどうかなんてそれこそ俺にはわかんねぇけど。
もしこれで宰相と関わりを持ったら、しかも宰相が紹介するような上層部とかすごい貴族とかに紹介されたらいつかステイルと会うことがあるかもしれない。下手すれば城に住んでいる屋敷の使用人かも。
そんなところで働いたらいつかステイルに迷惑がかかるかもしれない。それだけは絶対駄目だ。
『今後ステイル・リーリヤの名を口にすることを固く禁ずる』
国の為、ステイルとリネットさんの安全の為、関係者である俺達の安全の為。その全部の為に、あの日からステイルの名を語る人間は一人もいなくなった。
十年以上前、王族の養子になったステイルは突然俺達の街から姿を消した。母親想いで、本当に本当に良いやつだった。今思い返してみても、あんなに母親の為に色々気を回せて考えられた子どもなんかまずいない。
あんなに大好きだったリネットさんからいきなり引きはがされたあいつが、庶民からどんだけ苦労して城での立場を得られたか。せめての救いはあいつが王子としてちゃんと良い暮らしをしてくれていることだけだ。
それなのに俺なんかの所為であいつの立場を少しでも悪くしたくないし迷惑なんて絶対かけられない。アムレットが城で働くのだって止めたいくらいなのに。
一体何があいつに迷惑をかけることになるかわからない。
もしアムレットや俺が城で働いて、一目でもステイルに会ったらそれだけで規則違反になるかもしれない。もしかしたらあいつが手引きしたとか疑われて、折角の立場を悪くするかもしれない。
アムレットには本当に悪いけど、それでも絶対アイツが頑張って築いてきた立場に少しの影響も与えたくない。あいつは俺みたいなのもう友達だったことすら忘れているかもしれないんだ。
今のアイツは俺なんかと違う、立派な王子だ。




