Ⅱ507.宰相は誘導する。
「ええ、学校の方はお陰様で順調そのものです。ひと月経過して改善点もいくらか改められましたから」
そう言葉を紡ぎながら、私はカップ一口つけた。
プラデストを開校して、ひと月以上が経過した。プライド様の潜入視察も終え、城内での業務も落ち着きを取り戻している。
私もこうして午前にアルバートの元から一時的離脱ができた。二日前にも城内とはいえセドリック王弟のパーティーへ三姉妹弟で赴かれ、なかなか充実した日を過ごされたようだった。
王配であるアルバートもプライド様の極秘視察が終えられたことはそれだけで安堵が強いだろう。
極秘視察中のひと月間は通常業務と並行して学校に関しての業務が特に忙しかった。初動による必然も当然あるが、プライド様の御身を守るために管理や経過状況などの確認やティアラ様とレオン王子の学校見学で騎士団を派遣も含め気を払い続けた。更にはセドリック王弟の体験入学を呼び水に、ここ一か月間は貴族による体験入学希望が絶えなかった。
近衛騎士達による特別態勢も解かれ、今頃ロデリック騎士団長の方もやっと落ち着きを取り戻し馴染んでいる頃だろう。
事情を知る最上層部やプライド様周囲の使用人達の間では緊張が走り続けた極秘視察だが、こうやって終えてみても価値があったものだと思う。
特にアンカーソンによる学園理事長役職放棄を早々に明かし引きずりおろせたことは大きい。プラデストは同盟共同政策の為の大事な第一歩というのに、その頭がただ足を組み独善のみで私物化する子どもに経営権を任せるなど決して手本になるべきではない。結果としては良い見せしめにもなった。
国が運営を任せた学校経営に少しでも怠惰や違反を働けばアンカーソンのように地位も名誉も全て没収されると、国内の貴族全体にも知れ渡っているだろう。
「アンカーソン、ですか。そうですね、彼のことは本当に残念でした。ですが新理事長の指導の元、今月にはまた新たな取り組みを行う予定ですし今後にさほど影響はないでしょう」
上級貴族だけではない。下級貴族に至るまでプラデストの名は知れ渡っている。アンカーソンの検挙も同様だ。
しかし早々の検挙程度で崩れるほどあの機関は脆くない。プライド様のお陰でその汚名を濯ぐ新たな試みも順次作動し続けている。
〝特待生〟に続き〝奨学生〟制度も今月には取り入れられる見通しだ。それにより、単に成績優秀な生徒のみならず今後〝成績優秀になる〟生徒も別途育成することが期待される。我が国の教育水準が他国を上回り差をつける日も遠くはないだろう。
世界発となる〝学校〟機関の建設を実現したフリージア王国は今や特殊能力者だけの国ではない先進国だ。
学園への教職員や生徒も各国から順調な希望数に達している。
そう希望を上乗せ語って見せれば、目の前の方は容易に夢見心地の眼差しで私を映した。
本当にプライド様は、予知した民の為だけならず我が国にとっても良き道へと導いて下さる。…………そう、我が国にとっても。
「来年の法案協議会が今から楽しみです。毎年のことながらいくらか法を調整する必要も出てくるでしょうし、……私もまだまだ微力ながら提案したい法は尽きないもので」
〝家庭児童虐待保護法〟〝家庭児童虐待取締法〟……カップを置き、指を組んだ私が今最初に頭に浮かんだ法がそれだった。
まだ法案協議会にまでは期間が開いているが、少なくともその二つは来年には法案として通したい。ネイトと伯父であるパットの件は、それなりに私としても不快だった。
そういった事態が存在することは知ってはいたが、宰相である私の耳にその具体的な事件例までは今まで報告されてこなかった。衛兵の詰所や各領主の裁判でもそのような内容は立件されること自体、摘まんだ砂粒程度だ。
しかし今回の件でネイトのような事例は明らかになりにくく更には法に取り締まれないことがわかった以上、その法の綻びを調整するのも王配であるアルバートとその補佐である私の仕事だ。
これでも下級層出身の民としてそれなりに弱者の立場は知れているつもりだったが、私にもまだ発想が行き届いていなかった一例だ。私自身父親には見放されたようなものではあるが、暴力まで振るわれた記憶はない。妻であるマリアもまた同じだ。
親に興味を持たれぬ上での苦痛もさることながら、あの少年のように親族から興味を槍として振るわれ続ける苦痛もまた計り知れない。力を持たぬ子どもには〝当人同士の解決〟などという理想論は不可能に近い。
大人という強者に搾取され打ちのめされそういう生活を享受する、という意味では下級層と変わらない人生に堕とされる。
たとえ路上でも庶民の家でも貴族の屋敷でも王族の城であろうとも。家という一つの檻に閉じ込められ、そこで搾取される側を強制され続けるのだから。
具体的防止策は叶わずとも、せめてこの法案を成立させ正式に法として取り締まり加害者への正統な罰と被害者への救済を可能にしなければ。
ネイト・フランクリンのような子どもを、全て今回のような荒業で救えるわけではない。伯父ではなく両親が相手であればさらに状況は絶望的だ。
今回のように私や国の目が行き届かない法の綻び事例は、恐らく今回だけで終わらないだろう。万物全てを法で律するのはそれほどまでに途方もない果てしない作業に他ならない。
流石はジルベール宰相殿、と褒めちぎってくる相手へ謙虚に振舞い笑んで流す。
流石もなにも、むしろ私にとっては我が国の欠陥を気付かされた敗北感すら未だある。ローザ様の任期中には間に合わずともせめてプライド様が女王となられる間には綻びなき法を成立させたいものだ。
ネイトの身に起こった件については決して喜べないが、しかし結果としてプライド様の予知によりまた罪のない民が一人救われたことは喜ばしいことだ。
アンカーソンの件もそうだが、予知は間違いなく我が国や民を良き方向へ導いている。まるで、あの御方自身の道を切り開いているようにも、……棘へと引きずり込んでいるようにも思えるが。明らかにローザ様の予知と比べても事態の深刻度が異なるものが多すぎる。
いやしかし、それが単なる自棄ではなく民の為であるならば我々が全身全霊でお支えし御守りするまで。近々には女王付き近衛騎士も発足され、更に王族の守りは堅固になる。
もう二度とローザ様にもプライド様にも、アルバートにもヴェスト摂政にもあのような事態は許しはしない。
「プライド第一王女殿下による〝学校〟もまだまだこれからですから。一先ずプラデストの調整も終えましたし、学校見学も順次国内外関わらず王侯貴族を受け入れることでしょう。早ければ今月からかもしれませんねぇ」
レオン王子を代表とされたアネモネ王国のみならず、プライド様の視察を終えた今多くの王侯貴族による学校見学も解禁される。既に希望の申し入れで溢れかえっている今、城の方から正式に一日の限度数や学校との連携が必要になってくるだろう。
女王からも正式に学校創設許可が国内に下された今、先見に優れた者ほど領地や自国で学校を創設したいと考える。
現に、アネモネ王国は既に建設予定地から具体的構想に取り掛かっているという噂だ。レオン王子も国王も否定をしていないことから考えても間違いないだろう。
プライド様の為にとはいえ体験入学を叶えた他国の王族であるセドリック王弟も可能だろうが、彼は生憎ハナズオで直接手腕を振るうことは叶わない。
兄である国王達が訪問したら優先的に学校見学へと案内することになるだろうが、アネモネ王国より先んじることは難しい。それにハナズオ連合王国は学校の前にもう一つの一大機関が間近だ。
それに、と言葉を続け相手方の呼吸に合わせ間を置いた。彼らの場合はこちらの方が恐らく興味深い内容だろう。
「国際郵便機関も今月から人員募集が始まります。重役や責任者など唯一無二の役職者を始めに精査していく予定です。ハナズオ連合王国の方は既に決定済みで、我が国よりひと足先に残すは一般募集する役職だけだそうですから」
学校制度と並行していたフリージア王国と異なり、国を開いたハナズオ連合王国は他国との貿易始動と共に既に国際郵便機関にも準備を万全で整え我が国を待っている。
国際郵便機関用の施設も完成した今、あとは具体的な指導日に合わせ必要人員募集をするだけだ。あとは我が国が人材募集を始め、それぞれの責任者や役職を立て体制を整えれば良い。
統括役であるセドリック王弟の体験入学の関係とはいえ、我が国がハナズオを待たせている状況は一刻も早く改善したい。
セドリック王弟もそのつもりで体験入学と並行し、有力候補の選出に取り組んだ。流石はあの若さで国際郵便機関を任された王子と言うべきか。各役職から担当者の候補者リスト全てを網羅した上で期日にぴったり合わせて全て候補者を絞ってくれた。
学校のように教師と理事長という比較単純な構成と異なり複雑化しているというのに、全く混濁させる様子もなく見事に掌握できている。あとは彼がその手で絞った人員を己が目で見極め精査するだけだ。
私も面接や人員選抜には協力させて貰う予定だが、既に絞られた候補者のリストを確認しただけでも不安はない。全員間違いなく功績も裏付けされた名誉ある貴族達だ。
あとはハナズオと共に我が国も多くの民を集い、職を求める者へ新たな道を提示するまで。…………そう。職を求める者に新たな道を。
そう考えている内に、テーブルを挟んだ相手から既に全員が決まっているのかと尋ねられた。
既に重役に関しては絞られている筈だが、私の口からはそれ以上はと首を竦めればすんなりと肩を落とした。やはり彼らも国際郵便機関には一枚噛みたいらしい。
十八歳以下の娘息子を持たず、学校経営するほどの力を持たない者にとって国際郵便機関の方が遥かに飛躍の機会でもある。
「国際郵便機関の本部もプラデスト同様城下に創設されておりますし、恐らく城下に住まう貴族は優先的に任されることもあるでしょうね」
軽く肯定にも否定にもならない希望を吊るし、事実だけで構成する。
優先と言おうとも、今城下には王都以外にも多くの貴族が集い住んでいる。その中で国際郵便機関に関われる貴族はきっと限られるだろう。特出される特殊能力でも持ち合わせていれば話も別だが。
しかしいずれにせよ学校で多くの民へ教育と未成熟児の死亡を減少させるように、国際郵便機関も各責任者はまだしも、それ以外の労働力に採用されるのは王侯貴族ではない民だ。貴族の称号や名札を増やす為でも各国の税を費用に世界旅行をさせる為でもない。
「まぁ殆どはお察しの通り城との関係が厚い有力者に託されるでしょうが」と一度会話の流れを切る。
国際郵便機関についてはその総責任者はセドリック王弟だ。私にリストにもいなかった貴族を押し入れる権利はない。既にかなりの無理難題をねだっている最中なのだから。
そろそろかと、壁に掛けられていた時計を視界の隅で捉えれば丁度良くコンコンとノックが部屋の外から鳴らされた。
許可を一声与えられてから、扉を開けた従者が湯気の立ったカップを手に入ってくる。冷め始めていた紅茶の代わりは、先ほどと異なり目の覚める香ばしい香りだ。
「もし宜しければ来月、私の屋敷にお招き致しましょうか。幼い娘の誕生日祝いですしささやかなものですが、城の上層部関係の御人も招いておりますので。お知り合いになる機会程度はあるかと」
本当ですか⁈とテーブル越しの彼は目を剥いた。隣に座る奥方もパッと目を輝かせ期待に頬を染める中、テーブルへ順々に置かれていくカップの水面が波立った。
富裕層とはいえ中級貴族でもない彼らのような立場だと、式典は愚か上級層の人間と関わる機会も難しい。今回私が是非お茶でもと誘えば、明日でもいつでもと時間を割いてくれた。
我が娘ステラの誕生日祝いは屋敷で本当に細やかに祝うだけではあるが、プライド様や今年はアルバートの代わりにローザ様もいらっしゃる。〝上層部〟であることには変わりない上、あの方々ならば彼らが招かれても悪い扱いは決してされないだろう。
ええ、本当にパーティーとも呼べないものですが、と。更に一言二言断りながらも彼らの期待に頷く。
誕生日祝いにはアーサー殿もいらっしゃる予定だ。ステイル様も信頼されるあの御方の目ならば、彼らが信頼できるかどうかもある程度推察できる。少なくとも私の目には悪い人間には見えない。目の前の彼らはごく一般的な人種だ。古いカップを下げ、その場を後にする前に礼をするその従者を「ああ、まだそちらに」と私から呼び止める。
「フィリップ・エフロン殿。ちょうど貴方にも用事があるのですよ」
「は、……?私に、でしょうか」
ピタリと足を止め、丸い目で振り返る黒髪の青年へ私はゆるやかに笑んで見せる。
このまま帰すわけもない。珈琲を運んできた彼こそ、今日私がこの屋敷へ訪れた理由なのだから。
突然名前を呼ばれたことに、状況も読み取れない様子の彼は回収したカップを危うく傾けかけた。当然だ、本来ならば初めて訪れた商人の屋敷の従者など名前を呼ぶことすらない。
ええ、貴方に。と言葉を紡ぎながら改めてテーブルを挟んだモーズリー夫妻に彼のことかと確認を取る。
揃って頷き笑う彼らを前に、むしろそうでなくては困ると心の中でのみ落とす。
「実は、先ほど夫人から貴方のことを聞きまして。珈琲を淹れるのもお上手ということなので、早速お願いしてみました」
こちらですね、と確認の意図も込めてカップを手に一口味わってみる。
豆の等級はさておき、確かになかなかの挽き淹れだ。もう少し練習すれば城の侍女にも並ぶだろう。
確かに良い腕だと言葉にして褒めれば、夫人も自慢げに大きく頷き笑んだ。夫人曰く、自身が何度も淹れ直させ腕を引き上げたと言えばその途端僅かに男爵から溜息に近い音が聞こえたが。
軽く耳にした噂だとこの夫人、なかなか若い男を好む傾向があるらしい。その為、熟達した従者や侍女よりも顔だけの若者を選び、夫が苦労させられていると聞いた。確かに客間に通されるまでも使用人全員が妙齢の整った顔の男性だった。……少なからず、私を見る目も初対面から煌めいて見えたのも恐らく自意識過剰ではないだろう。
お陰で彼へと結びつける為に〝若い従者〟だけでは難しかった。夫人から使用人達の話を聞き、そこから特定人物を絞り出すように誘導するのは少々だが骨が折れた。
まぁ顔の整ったと言っても、フィリップ・エフロンは屋敷の中で飛び抜けているが。どことなくレオン王子に似た顔立ちだ。夫人が手を掛け教え込みたかった理由も想像できる。
「実は有望な従者を探しておりまして。今日こちらにお邪魔してみればどの使用人も若くて品の良い従者ばかりだったので、お二人に相談したのですよ。夫人が一から育てたと仰る従者を聞けば、貴方は特に珈琲を淹れるのがお上手だと聞きまして」
顔が整っていることが一番の自慢内容ではあったが。
他にも紅茶を淹れるのが、肩を揉むのが、誉めるのが上手いと特出された従者達はいたが、幸か偶然か特に彼への誉め言葉は多かった。配慮が一番行き届いている、言われずともすぐ動く、目を瞑っていても全部やってくれると夫人が鼻を高くして語っていた彼は実際に優秀な従者なのだろう。……こちらとしても都合が良い。
はい、はい、と返事こそ短く細かいが、瞬き一つしない彼はまだ状況が飲み込めていないようだ。
無理もない、彼からすれば自分はただ珈琲を淹れ運んだだけだ。
自慢げな夫人に並び、今は男爵も笑みをもって彼を見つめている。彼も奥方の趣味がまさか思わぬ拾い物だったとは知らぬだろう。
姿勢のみただし直立する彼に「なるほど」「確かに有望そうで」「たたずまいも」とそれらしい理由で褒めて見せる。
私からいくつか問いを投げかけてみれば、彼は戸惑いながらも答えてくれた。
この屋敷に入ったのはまだ一年程度。住み込みではなく午後から就寝時間までこの屋敷へ通いで働いているらしい。今日を含め週に二日だけはこうして午前から夜までも従者として就いていると。なるほど、話に聞いた通り〝私的事情〟との兼ね合いか。
それまでも従者や使用人仕事を転々とし、若くして経験は豊富。奥様はお優しく感謝しておりますと最後だけにこやかに微笑む彼は、なかなか世の渡り方もわかっている。
彼の身の内も軽く探っても、やはり標的で間違いなさそうだ。最後に「気に入りました」とゆっくりと聞き取れる流れで言い切れば、彼は呆気を取られるように口を開いた。
未だ事情も知れていない彼を今は置き、先に男爵夫婦へと話を進めさせて貰う。
「是非、彼を。早速私の屋敷へ連れ帰らせて頂いても宜しいでしょうか。ちょうど今日、お会いする予定がありますので宜しければこれから早速」
「!ええ是非、是非どうぞ。フィリップ!良かったな‼︎我が家よりも遥かに好待遇だ!決してに失礼がないように‼︎」
「気に入って頂けて良かったです!特別可愛がっていた子なのでとても残念ですけれど~、……先ほど仰っていたお招きの件。期待しても宜しいでしょうか?」
勿論代わりにというわけではありませんが、と前のめりに語る夫人に私は快諾で約束を交わす。
夫人の趣味が宰相との綱渡しになった夫のみならず、夫人にとってもお気に入りの従者より遥かに宰相と家の繋がりは優先すべきなのだろう。しかも上層部とも近づけるとなれば、従者一人手放す程度わけもない。
こう言っては悪意に聞こえるが、事実彼の代わりはきっと彼女にとってはいくらでもいる。商家にとって、上客が増える以上のものなどない。
明らかに己の進退を決めてしまう夫婦に、フィリップという青年だけは未だ目が泳いだままだった。
主人たちの会話へ安易に口出しできぬが、自分が明らかに勝手に売られているような状況は一目瞭然なのだから当然だ。私が裏稼業ではなく宰相であることは客として訪れた時点で把握しているだろうが、生きた心地もしていないかもしれない。
こうして彼を引き渡すことを決める夫婦にもきっと悪意はない。間違いない彼にとっても良い条件であることは明白なのだから。……あくまで人間を譲渡するような身勝手さには、浮かれた頭では気付かない。
「突然申し訳ありません」と無言で狼狽する彼へ、私はゆっくり立ち上がり正面を向ける。とにかく一時的にでも彼の同意を得なければ、人身売買や人拐いと変わらない。屋敷までの片道時間の間だけ〝納得〟させればそれでいい。
「私、この国の宰相を任されておりますジルベール・バトラーと申します。今日はブレンダン殿と奥様とお話させに頂いた身ですが、宜しければこの後少々御同行を頂けませんでしょうか。昼間まででもかかりませんし、本日分の給与も払わせて頂きます。私の話を聞いた上でならば断わって頂いても構いませんよ。しっかりモーズリーご夫妻との約束くらいは果たさせて頂きます。もし紹介させて頂く御方のお眼鏡にかかれば、今よりも給与・拘束時間共に貴方の望む形での待遇が約束されると宰相であるこの私が保証致しましょう」
川の流れのように早くも遅くもない断続的な口で考える時間を奪い、先ずは逃せぬ利だと頷かせる。
わかりました、と未だ理解を終えていない眼差しで頷く彼に感謝を告げ、用済みになった屋敷から「それではそろそろ」と後を告げる。
私が促すままに後に続こうとした彼だが、途中で衣服に気付いたのか「この格好のままでも宜しいのでしょうか……⁈」と私に尋ねた。
聞くによると、彼は支給されたその恰好で屋敷に訪れている為着替えがないらしい。その途端、夫人が慌てて彼に着替えを今すぐ与えようと提案したが私から断った。……先ず、年頃の青年の着替えを夫人が持ち合わせているという事実を夫の前で滑らしてしまったことが今は少々心配になったが。
屋敷の従者も含めこの青年も屋敷で不遇の扱いがされていなかったかも馬車の中で探りをいれてみるか。ネイトのように家庭内と同じように、雇われ囲われた従者や侍女も被害にあっても声を上げにくい。
まさかあの方が期待する青年がそのような目に遭っていたなど想像もしたくない。…………金銭を引き合いにした本人の意思だった場合、この私にそれを否定する資格はないが。遠い過去に相手をした婦人にも、こういう立場や趣味の女性が多かったものだ。
「従者としての雇用には変わりませんし気にされはしませんよ。さぁ参りましょう」
「フィリップ!その服はくれてやる!決して向こうでも失礼がないように‼︎」
「元気でね⁇バトラー夫人にも褒められたら私のことをくれぐれも宜しく伝えてちょうだい」
まだ話をと折角明言したばかりなのに、明らかにもう送り出し終えた発言にまたフィリップ殿の肩が僅かに上がった。
強張った笑みで取り繕っているが、遠回しに「絶対断るな」の意図をくみ取ったのだろう。悪意がないのはわかるが、少々不憫になる。彼からすれば自分がこれからどうなるのかの展望も未開のままだ。
しかしここで私が正直に言えば、彼はこの場で話を断ってしまう。申し訳ないが、せめて馬車までは心臓を自己防衛して貰おう。
正直に話すにせよ、嘘を吐き騙して屋敷へ連れ込むにせよ、馬車に乗せてしまえば後はこちらのものだ。
やはり人拐いのようだと、そこまで考え少し笑みが苦くなってしまいかけたがそこで止める。ここまでお膳立てしなければ叶わない今、これが私の最前手だ。
玄関どころか馬車まで続き見送ってくる夫妻に最大限の礼をし、彼を乗せて馬車を走らせた。
折角アルバートに許可を得た午前休みは一秒も無駄にはできない。馬車が走り出しても手を振る夫人を窓から確認してから、斜め向かいの席に肩を狭めて座る青年を改めて眺める。
カップを持ってきた時は大人びた青年に見えたが、今は少々塗装が剝がれている。ぴちりと閉じた口の奥歯はきっと噛み締められていることだろう。
恐らく馬が走り出した時点で、正常な判断が後悔し始めている。
ふっ、と敢えて音に出し笑ってみせる。そうすれば彼もやっと俯きがちな眼差しを私へ覗くように向けてくれた。「ご心配ありませんよ」と柔らかく言葉を掛け、あの方と似た色の目と合わせる。
彼からすれば売られていく子羊のような気分なのだろうが、決して彼を待つのは斧を持った狩人ではない。先ずは馬車の中だけでも快適に過ごして貰えるように、気楽な話題から緊張を崩してみようか。
『ジルベール、……相談がある』
「紅茶はお好きですか?」
私はハーブも好んでおります。そう続けながら、にこやかに私はその顔色を伺った。
一体どうやって〝あの方々〟を説き落としたのかと興味深く思いながら。
Ⅱ21.170
活動報告更新致しました。
質問コーナーの募集を行います。
宜しくお願い致します。




