案内し、
「兄さん!挨拶くらいで良いからね。ヘレネさんにとっては仲良い人なんだから」
「ああわかったよ。挨拶と食器だけ借りてくれば良いんだろう」
玄関に戻ろうと踵を返すクラーク副団長さんに、ネル先生は念を押すみたいな声だった。
クラーク副団長さんも困ったように笑いながら手を振って、反対の手で僕の背を添えて押す。もしかしてクラーク副団長さんって怒ると怖い人なのかな。全然そんな風には見えないけれど。
一緒にまた玄関に向かって歩けば、居間から「食器は?」って尋ねられた。
お向かいさんから借りてくるって返したらその途端、クロイがわかりやすく顔をぎゅっと顰めた。「レイの家に行くんですか」って低めた声で一歩前に出る。
「じゃあ、副団長さんからも一言お願いします。あの人達うちに来ては我が物顔で、特にライアーって人は女好きの変態でしかも姉さんだけじゃなくネル先生も最初口説こうとしてましたから」
ネルに?!って、直後にはオリヴィアさんとディアナさんの声が合わさった。
目がまん丸で、心配とか怒るっていうよりも驚いているみたい。勢いのままクロイに「どんな人⁇」「何のお仕事してる人?」「顔は⁇ネルはどんな反応をっ」って女の人二人同時に質問攻めされて、クロイも一歩二歩と押されるみたいに後ずさっていた。
やっぱりクロイはまだライアー達のこと嫌いなんだなって思う。むしろレイよりもライアーの方が嫌いかも。僕はライアーよりレイの方がむかつくけど。
「オリヴィア、母さんも。そんな質問攻めしたらクロイが困るだろう。私もこれから挨拶をしてくるから」
クラーク副団長さんが助け舟をくれて、その途端オリヴィアさん達もクロイへの前のめりが落ち着いた。
どういう人か聞かせてね、穏便にねって言われながら見送られて、改めて玄関に足を動かす。
クラーク副団長さんから「クロイの言ったことは本当か?」って確認されたからそれはすぐに返せた。だって本当だし、絶対姉さん狙ってるしレイが変態って言ってたしネル先生のことも絶対最初狙ってた。
玄関を出たところでクラーク副団長さんが「こうくるとは……」って呟いた。
口が笑ってるけど声がちょっと掠れていた気がする。はははっ、って笑いもさっきみたいな楽しそうな音とはちょっと違う。
「あの家です」
僕から向かいの家を指差す。
今日は学校休みだし、絶対レイもライアーも家にいると思う。
レイが最近は機嫌が悪いから挨拶に出てこないかもって、途中で思い出して言えば「留守じゃなければ良いさ」って今度はいつもみたいな口調で笑った。ちょっと首筋に汗が伝っていて、クラーク副団長さんも緊張してるのかなと思う。
まだレイが元貴族ともライアーが元裏稼業っぽいとも言ってないのに。言う気はないけど。
だってジャンヌが探している時の話で、本当にそうだってライアー本人から聞いたわけじゃない。それに、…………ライアーがもし〝裏稼業の罪〟とか何かで捕まったらそれはちょっとレイが可哀想だと思う。
捕まえて欲しいほど酷いことを僕らは別にされてないし、ジャンヌが頑張って協力して見つけてあげた奴だし。僕らだってもしジャンヌが王女様じゃなくて裏稼業だったとしても、それでせっかく会えたと思ったのに騎士に捕まったらすごく辛いし悲しい。
そんなことを考えて、ちょっと何も食べてない胃が重くなるのを感じた時、レイの家の前に立ったクラーク副団長さんが扉を鳴らした。コンコンコンコンッって、ノックの音を一区切りごとに繰り返す。
鳴らしても物音一つしなくて、留守なのかなって思った。
でも数度続けたら、気の抜けた声で「留守でぇ~す」って聞こえてきた。ライアーだ。
居るクセにいない振りしてるのにムカッとして、眉を吊り上げてノックの代わりに今度は僕が声で呼びかける。
「いるじゃんか!!!!嘘つき!!夕食には呼んでなくても来るくせに!!」
食器貸してより先に、嘘つかれたことが腹立って唇が尖る。
すると、怒鳴ったお陰か今度はすごくゆっくりの足音が家の中から近づいてきた。
そういえば僕からレイの家に行くのは初めてだなと思うと、ちょっとだけ今更緊張した。身体の三分の一だけクラーク副団長さんの背後に隠れてしまう。
のしのし近づく足音に、クラーク副団長さんもノックを止める。
僕らの家よりは大きくないけれど、すごい遠くの部屋に居た所為かそれともライアーの足が遅い所為か思ったより待たされた。おもむろに扉が開く。鍵を開ける音がしなかったから、もしかしたら開けっ放しにしてたのかもと思う。
翡翠と黒色の短い髪を意味もなく搔きあげたライアーは、直後に「なんだ弟だけか」って音に出して息を吐いた。
「ヘレネちゃんだったら良かったのになぁ。えーとディオスかクロイか?どうした、姉ちゃんが俺様を呼んでるなら今すぐ行くぜ」
「そんなわけないだろ!どうせ夜には来るのに絶対呼ばない!!」
「お望みならもっと深夜でも会いに行くぜ?ヘレネちゃんの為ならそりゃもう何晩でもー……ってこりゃあガキにはわかんねぇか。レイちゃん以下の純粋培養ちゃんだもんなぁ」
そちらさんは?って、怒鳴った僕を無視してライアーがクラーク副団長さんを見上げる。
今は騎士団の服も着てないし、僕も私服だとこの人が騎士って感じが全然しないからライアーもわからないんだなと思う。どうもどうもって適当な首の動きで挨拶すると、そのまま僕が紹介するより前にライアーが親指でクラーク副団長さんを指差した。
「まさか今度こそヘレネちゃんの〝コレ〟か?いやそんな奴俺様のとこ連れてくんなよ弟。間男の趣味はねぇから全然引くぜ⁇こっちはウチの我儘元可愛い子ちゃんがブスついててご機嫌取りでそれどころじゃねぇんだからよ。末永くお幸せになって野郎だけ爆発しろ」
ち、が、う!!ってまた僕は大声で怒鳴る。
言っている途中にも構わず早口で平然とライアーが捲し立てるから、僕の声も段々もっと大きくなった。いっつもこいつはそうやって僕らをからかってくる。
クロイなんて何度無視してもあしらってもライアーがこんな風に絡んでくるから最近は姿が見えるだけで顔を顰める時も増えていた。……その所為か時々レイと似たような顰め顔をクロイがするのがちょっと心配だけど。
この人はって、僕が負けない声になるようにいっぱい吸い上げてから叫んだら途中でクラーク副団長さんが手を前に遮った。言わなくて良い、って止めるのがその動作だけで伝わって僕も唇を絞る。
僕が言うのを止めたことで、ライアーも今度は顔ごと向ける形でクラーク副団長を見た。クラーク副団長さんは僕らへと変わらない落ち着いた表情でライアーを見返してて、やっぱり騎士で大人だとすごいなと思う。
「どうも。今日越してきたネルの兄のクラーク・ダーウィンです。先日の下見ではネルがお世話になりました」
「……………………………………。…………あー……どうも……」
サァーーーーー、って驚くくらいライアーの顔から血の気が引いていった。
蚊の鳴くような音で最後に挨拶が聞こえた気がしたけど、小さすぎてよく聞きとれなかった。さっきまで眉間が伸びていた顔が今は完全に引き攣っている。やっぱり騎士の副団長はライアーも怖いんだ。
ネル先生が前にお兄さんは副団長って言ってたし、もう信じたんだなって思う。正直僕は紹介されても最初は本当に副団長なのかなって首を捻りたくなったのに。
さっきまで扉を開けた手のまま前のめりに上体だけ出していたライアーが、次には速足で玄関から出てきて後ろ足で勢いよく扉を蹴った。バタンッて耳に響く音で玄関扉が閉じられて、風圧が僕の顔まで届く。
目に空気が差し込む感覚が気持ち悪くてゴシゴシ目を擦る間も大人二人の会話が続く。
「えーーと、……ネル、さんのお兄さんということは王国騎士団の……?」
「ええ、一応副団長を務めています。今日はネルの引っ越し手伝いで訪れただけですが、何か困ったことがあればいつでも相談してください」
「いえいえいえいえいえいえいえ。ありがとうございます、お気持ちだけで充分です。本当にお綺麗な妹さんをお持ちで。こっちは夕食で顔を合わせるくらいで他は何もないのでわざわざお兄様が挨拶に来て下さらなくても。本当に、絶対、死んでも誓って妹さんに良からぬことはしませんから、私共のことはどうかお気になさらず」
今日はわざわざご挨拶ありがとうございました。って、…………なんか、すごく気持ち悪い言葉遣いをライアーがして、僕まで顔が引き攣った。
これが大人っていうことなのかなって思うけど、ライアーがそういう話し方するととにかく気持ち悪い。思わず「うえっ」って言いそうなのを喉で飲み込んだ。
腰まで低いし言い方も柔らかいし、もしかしてこの人も双子じゃないかとか思っちゃう。でもさっきまでは絶対ライアーだったし、途中からは凄い強調するような言い方だった。そんな風に手のひら返してもさっきまで僕の前の全部見られてるくせに。
クラーク副団長さんもライアーがあまりに思いっきりわかりやすい変わり身だったからか、最初はちょっと目が丸かった。
ライアーが深々頭を綺麗に下げて早々に送り出す姿勢になったのが面白かったのかもしれない。「帰れ」って言ってるのが全身で伝わってくる。本当に騎士が嫌なんだな。
クラーク副団長さんはそれからフッて口元を手の横で押さえながら笑うと「それはどうも」ってまだ笑い気味の声でライアーを見返した。




