Ⅱ63.支配少女は見送る。
「じゃあ姉さん、ちゃんと戸締りしてね」
「僕は仕事があるけど、ディオスはわりとすぐ帰ってくると思うから無理はしないでよ」
ええ、いってらっしゃいとお姉様が二人を玄関まで見送る。
私達もお邪魔しましたと挨拶をし、家を出た。これからクロイは急ぎ今日の仕事と退職の挨拶に、そしてディオスは退職と入学手続きへいかなければいけない。ディオスも同じくクロイも、流石に当日ドタキャンで仕事に穴は開けられない。
二人に消えたセドリックの行方を問いただされたけれど「騎士が送ってくれた」としか言えなかった。実際、窓さえ開いていればハリソン副隊長はセドリックを連れて逃亡も可能だったもの。
それからクロイも職場に走って向かった後、私達はそのままアーサーを迎えに行く。もう大分時間が経っているけれど、まだあの倉庫にいるだろうかと心配になってディオスに聞いてみる。
私から目を逸らした後、彼は口を開いた。
「絶対いる。馬車は、あの後もいくつも来るし、……休む暇もないと思う。」
ぼそっ、とまだ怒っているのか、お姉様に事情を話す前からディオスは目を合わせてくれない。
さっきよりは大分棘は無いし、落ち着いてはいるけれどムスっとした表情だ。当然のことだけど、セドリック相手とはえらい違いだなと思う。セドリックの、あの誰にでも好かれる能力が本当に羨ましい。
ただ、背後にステイルだけでなくエリック副隊長やカラム隊長、アラン隊長が付いてきてくれているからか、何度もちらちらとこっちに振り返ってはいる。私の方も見てくれている気はするのだけれど、目は全く合わないし多分その背後の騎士達が気になるのだろうなと思う。
ステイルがこそっと耳元で「ジャックを連れたらすぐ戻りましょう。遅らせた時間から更に下回ってしまいます」と教えてくれる。うん、それはまずい。
既に遅くなると連絡をしたのに、更に遅刻してしまったらジルベール宰相や色々な人に迷惑がかかるし、心配もかけてしまう。手違いが起これば、ジルベール宰相が時間通りに私達の特殊能力を解いてしまうかもしれない。
ステイルに頷きで返し、私は少し歩く足を早める。先ずはアーサーを連れてすぐ城へ帰ろう。
「いや〜、使えるなぁお前!」
倉庫に近づいた途端、機嫌の良い声が飛び込んできた。
その声にディオスが肩を上下させると、そのまま角を前に立ち止まる。すぐにまた足を前に出したけれどさっきまでと違い、恐る恐るという動作でその先を壁から覗き込んだ。
私達もディオスの背中を越えて角を覗き込む。見れば、さっきの倉庫の前にいた雇い主らしき男の人とアーサーが立っていた。ディオスを呼びに行った時の不機嫌そうな様子から一転して、気持ち良いくらいの笑顔でアーサーの肩をバシバシ叩いている。
「流石若いだけあって体力も有り余ってるじゃねぇか!良かったら明日もうちに来ねぇか⁇」
額に色もつけてやるぞ?とリクルートする雇い主に、アーサーは「ありがとうございます」と頭を下げる。
もしやと思って馬車の方を確認すると、荷車の中が空っぽだ。アーサーと一緒に荷運びをしていた人達も今は倉庫や馬車に寄り掛かって休んでいる。……もう、何があったかはステイル達と目配せするまでもなかった。
「ですがすみません、自分は他に仕事があるので」
「なんだぁ?そりゃあ残念だ!あっという間に運んじまうからなぁ!そりゃあ他の連中も放っとかねぇよな!」
はっはっはっは!と大声で笑う雇い主はさっきとはまるで別人だ。
それだけアーサーの仕事っぷりが良かったのだろう。ぺこぺこと頭を下げるアーサーに、雇い主が何度も肩を叩く。取り敢えずディオスの仕事は恙無く終わっているようでほっとする。そう思って振り返ると、……ディオスの表情が一気に沈んでいた。壁に手を付いて塞ぎ込んだまま、綺麗な白髪がまるで老人のように垂れている。
「ダドリーさん……僕ら、あんな褒められたことないのに……」
ぼそぼそぼそ……と呟く声は大分落ち込んでいた。
アーサーへの対応の差が大分ショックだったらしい。いやでも!それはアーサーだから仕方がないというか‼︎
満足に食事もできずに細い身体で頑張っていた十四歳と最年少で騎士団入団した天性騎士十四歳を一緒に並べること自体間違っている。ゲームでもディオスもクロイも肉体派じゃないし‼︎
だけどディオスにそんなこと言えない。アラン隊長とカラム隊長も顔を見合わせて苦笑いを浮かべている。多分私と同じことを思っているのだろう。
不憫そうに眉を垂らしたエリック副隊長が、ポンと慰めるようにディオスの細い肩を叩いた。
「ジャックは……山育ちだから。君達とは鍛え方が違うよ」
「その通りです。彼は素手で熊も倒せますから」
熊も⁈とエリック副隊長に続き、重ねたステイルの言葉にディオスが声を上げる。
いや熊は……と思ったけれど、十四歳の身体でも今のアーサーの戦闘技術なら本当にできてしまうかなと思い直す。今のところ熊と闘っているのを見たことはないけれど。でも、その言葉にカラム隊長とアラン隊長も無言で頷いているからきっとそうなのだろう。……素手で熊を倒す十四歳って結構凄まじい。
思わずといった様子でディオスが声を上げたことで、雇い主とアーサーもこちらに気がついた。壁の影に隠れているディオスと違って私達は前に出ていたからすぐに目が合う。
「ぷ……ジャンヌ!フィリップ!」と呼ぶアーサーと一緒に雇い主が眉を顰めた。またあいつらか、と言わんばかりの眼差しに私まで腰が低くなる。何度も仕事場を引っ掻き回して申し訳ない。
壁に引っ付いているディオスに行きなさいと声を掛けたけれど、まだ背中が丸くなって項垂れたままだった。貴方が行かないと話にならないでしょ!と今度は彼の腕を掴み、引っ張る。
「だって、僕なんかが行ってもジャックの方が良いって言われる……絶対比べられ」
「今日で辞めるんだから別にいいでしょ‼︎単に貴方に合っている仕事が違っただけよ!」
弱音を吐いて蓑虫みたいになりそうなディオスを渾身の力で引きずる。非力プライドの腕力でも、背後に体重をかければ細くて軽いクロイの身体はずるずると動いた。どんだけ軽いのこの子!
「むしろそんな身体で弟とお姉様の為に頑張った自分を褒めてあげなさい‼︎‼︎いい加減自分にご褒美をあげてもバチは当たらないわよ!」
ぐぐぐぐぐー!と彼の身体半分が壁から出た。
もう予想できていたのか、雇い主が「ディオスか?」と呼ぶと、その途端また跳ねるようにディオスがビクリと震えた。
大きく肩から上下すると、さっきまで私に引っ張られるままだった手が掴み返してきた。無言で俯いたまま、足だけは前に出そうとしなかったディオスがゆっくりと顔を上げてくる。
泣きそうに潤んだ目と弱々しい表情が向けられ、ここに来てやっと目が合った。彼に掴まれた手をそのままに私もそれ以上引っ張るのを止めると、反対の手も私の手を掴んできた。
両手で私の手を掴み返してきたディオスが何を訴えたいのかは、よくわかった。結んだ唇が、言いたくないけど察して欲しいと言っている。
「……一緒に行きましょう。私が付いててあげるから怖くないわ」
ね?と、今度はディオスの手を力尽くではなく軽く手前に引いて呼ぶ。
するとまるで北風と太陽のように、ディオスはゆっくりと自分の足で前にでた。よたよたと寝ぼけた子どものような足取りで雇い主の前に出るディオスと手を繋ぎながら、私は並んで雇い主の元へ歩いた。
雇い主と並んで迎えてくれるアーサーに手を振り、ステイルとエリック副隊長も背後に付き添ってくれる。今度は騎士がいるお陰でかなり心強い。少なくとも辞めると言って殴られることはないだろう。
遅い足取りで雇い主の前に立つ。そこから先はやっぱりディオスから言わないと。顔色が悪い彼の手を強く握り、言いなさいと無言で促す。
ディオスは「あのっ……」とか細い声を漏らしてから、口を開いた。
「すみません。……僕、今日で辞めます。……折角雇ってくれたのに、ごめんなさい……」
弱々しい声に反し、私の手を握り続ける力は男の子らしい強さだった。
……
「ということでジルベール宰相。明日からお願いします」
「勿論ですとも」
急でごめんなさい、と謝る私にジルベール宰相はにこやかに答えてくれた。
ディオスの退職を無事に終え、城に帰った私達は元の姿に戻ってから早速ジルベール宰相を呼んだ。いつものように学校制度の見直しと打ち合わせもあるけれど、改めてお願いしたいこともあった。
私達の帰りが遅くなっていたことを心配してくれていたジルベール宰相は帰城してすぐに駆けつけてくれた。それから順を追ってファーナム姉弟についてから例の件についてもお願いした。
明日はせっかくジルベール宰相には貴重な二連休だったのに、前日に仕事を増やしてしまったことが申し訳ない。改めて感謝と謝罪を伝えると、ジルベール宰相は「いえいえ」で首を振って見せてくれた。本当に皆に迷惑をかけてばかりだ。
いつもなら近衛騎士として付いてくれているカラム隊長は、今はこの場にいない。代わりにアーサーが今もアラン隊長と一緒についてくれていた。カラム隊長にはディオスと一緒に、学校に戻って途中下校した事情説明と、入学手続きの付き添いをお願いした。特別講師として教師に近い立場だし、カラム隊長なら上手く仲介してくれるだろう。……私達はもう帰ると言って任せた途端、ディオスに睨まれちゃったけれど。退職に追い込んで強制入学までやらせておいて騎士に丸投げなんてしたら、まぁ当然の反応だろう。その分明日からはみっちりだし、それで許して欲しい。
「不正はできませんが、未来ある若者の為にならば容易いものです。では早速、私から話は通しておきますので」
本当にジルベール宰相心強い。
そのまま部屋を退出すべくソファーから腰を上げるジルベール宰相に合わせ、私の隣に座っていたステイルも立ち上がった。父上から休息時間を貰ったティアラが「兄様も行くの?」と首を傾ければ、ステイルは眼鏡の黒縁を押さえつけながら私達の方へ向き直った。
「俺もヴェスト叔父様の補佐に戻ります。今は母上と相談中とのことですし、一度父上のもとに。……ついでに道すがら、ジルベールとも話したいことがあるので」
じろ、と眼鏡の奥から漆黒の眼差しを向けるステイルに、ジルベール宰相は「おや」と楽しそうに笑んだ。
ステイルの眼差しは怒ってはいないようなのに、やけに鋭い。何かさっきの提案に問題点でもあっただろうか。
ティアラと一緒に首を傾げてしまう私にステイルは「ところでプライド」と向き直る。
「一つ、忘れない内にお借りしたい物があるのですが」
私に⁇
借りる、というのは一体何だろう。今までステイルに自分から物を貸してと言われたことなんてあっただろうかとまで思いながら聞き返す。すると、希望は予想外の物だった。
別に構わないけれど……と専属侍女のロッテにお願いしてそれを取ってもらう。そのまま直接ロッテからステイルが受け取ると「ありがとうございます」とにこやかな笑顔を返された。そんな物を一体何に使うのか。尋ねてみる私に、ステイルは敢えて含みを持たせるように「大したことではありませんよ」とにっこり笑んだ。
「ただ、プライド第一王女のお望みを補佐として確実に果たさせるだけです」
行くぞ、と私達への挨拶をしてからジルベール宰相を肘で突くとステイルは先に翻る。
そのままジルベール宰相を連れるようにして扉の向こうに去っていく背中をその場で見送った。
……まさか、ステイルが予想外のことを考えていたなんて、思いもせずに。




