打ち合わし、
「あの悍ましい男とティペットがまだ生きていたとは……!」
ギリッ……と、ステイルは整った歯を食い縛った。
あくまで可能性。本当に本人かもわからないとプライドが語ったことは誰もがわかっている。しかしこの場で、あくまでも仮定だという気になれる者は一人もいなかった。
そんな気楽に構えられるわけがない。ラジヤ帝国の二人がフリージア王国に、プライドに残した傷はそれほどまでに大きい。
「確かに二人とも死体は上がりませんでしたね。騎士団でも当時総力を挙げて指一本だけでもと探しましたが」
当時一番隊でも捜索にあたりました、と続けるアランが直後にジョッキの中身を半分一気に飲み込んだ。
頷くエリックとカラムを横目にしながら、アラン自身もまた戸惑いはある。死んだ証の一つでもあれば安心できたが、どちらの死体も見つからなかったことは騎士団でも不穏を感じていた。
しかし、アダムが塔の中に逃げてから爆破までの間隔と規模を考えれば逃げるのは到底不可能。〝もし仮に〟隠し通路などがあったとしても、逃げる間もなく爆破の衝撃か塔の崩壊に巻き込まれているに決まっている。透明の特殊能力者であれば透き通れるのはあくまで見かけだけ。何より、ティペットはさておきアダムが死んだと判断できる確証が、一つはあったことも大きかった。
アランにつられるように、カラムもグラスを一口だけ含む。それから思い返すように眉を寄せた。
「最初に話を伺った時は、プラデスト学校に厄災が迫っていることで関わるか否か戸惑われているのかと考えましたが、まさか他にも予知をなさっていたとは。」
「ええ、ですが納得もできました。……本当に、昨晩の姉君の戸惑いは異常でしたから」
昨夜のプライドの姿を思い出し、ステイルは苦々しく顔を歪めた。
プライドの異変を目の当たりにしたのはステイルとティアラ、そして数名の城の人間だけだ。女王であるローザを含めた上層部やステイルから既に話を聞いていたアーサーも直接目の当たりにはしていない。プライドが突如放心し、顔面蒼白で動揺していたと聞いても、想像には限度があった。話を聞いただけの彼らには最初のプライドの告白だけで納得もできたが、ステイルには本当にそれだけなのかという不安が胸の底を燻り続けていた。
「気休めにはなりませんが、……もし皇太子が生きていたとしてももう狂気の特殊能力はプライド様には効かないのですよね?」
エリックが口元まで運んでいたジョッキを話し、身体ごとステイルの方へと向ける。
一言で返したステイルは表情が全く晴れなかった。寧ろ、当時のアダムの所業を思い出せばつくづく塔の上で対峙した時に殺しておけば良かったと思う。そして同時に一つの疑問が頭に浮かんだ。
「もし、奴が生きていたとなると姉君に掛けられた特殊能力が何故解けたのか……それも疑問です。アダムは死んでも姉君を戻す気はありませんでしたから」
「あのままだとプライド様が発狂死にしてたからじゃねぇのか?」
アーサーが思い付いたことをそのまま口にする。
ティアラが見せた予知を思い出せば、プライドはあと少しで発狂して死んでいたのだから。彼女を死なせない為に仕方なく特殊能力を切ったのではないかと。
首を捻り、隣からステイルを覗き込んだが、それでもステイルの表情は苦々しい。
当時、アダムが死んだと判断された理由の一つはプライドに掛けられた特殊能力が解けたからだった。ティアラの予知と説得でプライドの暴走を一時的に引き止め、そして能力者のアダムが死んだことで特殊能力が時間を空けて解けたのだと。それがフリージア王国の見解だった。まさかプライドがティアラに攻略されたことで強制的に救われたのだと思う人間は誰もいない。
「姉君を戻すくらいなら自分が死ぬと言っていた人間だぞ?つまりは姉君を手放すくらいなら殺しても構わないと考えていたということだ」
「ならば、自分が死んだと見せかける為の偽造では?」
ステイルの言葉にカラムが更に仮説を投げる。
しかし、それでも納得がいかない。どうしてもステイルにはアダムが自分の意思でプライドから特殊能力を解くとは思えなかった。
グラスの水面に視線を落とし、考えを巡らせるステイルに近衛騎士達も次第に黙した。他にステイルを納得させられる案は思いつかない。しかし暫くの沈黙が続いてから、ふとエリックから静かに潜ませるような声が落とされた。
「……ですが、知れて良かったです」
その言葉にステイルも全員がエリックへと目を向ける。
ステイルと同じように俯き気味だったエリックだが、その言葉が口から溢れた途端に小さく目が笑んだ。緊迫した空間だった部屋に、エリックだけがどこなく柔らかな空気を纏っている。彼の言葉の続きを待てば、視線を感じたエリックはすぐ口を動かした。
「プライド様は、常に自身だけで重荷を負われる御方だったので、……その脅威を一人で背負われずに居て下さったことが自分には唯一救いでした」
ははは……と自分でも少し前向き過ぎるだろうかと思い、弱く笑ってしまう。
だが、全員がエリックの言葉に小さな動作だけで強く同意した。特にプライドをよく知るステイルとアーサーにとっては、それは大きな変化でもあった。
エリック達の目から見れば、自分達や騎士団よりも遥かにプライドと秘密を共有することが多い二人だが、実際は違う。今までのプライドは、急を迫られるまで抱えたものを口にしようとはしなかった。本当に助けが要る時には頼ってくれるが、そうでなければ自分達が問い質さない限りは黙してしまう。
そうして隠され、強くは詰問できず、その度に不甲斐なさを感じてきた二人にとっても、今回のプライドの告白は驚くものだった。まだアダムの生存が疑問視される時点で、彼女は憂いを語ったのだから。
そして、有事の前に騎士団長に話したのは何よりも大きい。それはこの場にいる全員の見解だった。
「騎士団長にも話されたことは僕も驚きました。……騎士団長がその場で飲んで下さったことは、姉君だけでなく僕もティアラも心から感謝しています」
エリックに感化されるようにステイルからの声にも先ほどより深みが薄れる。
この場にロデリックはいないが、代わりに近衛騎士三人にステイルは軽く頭を下げて感謝を示した。アラン達もそれに頭を下げながら片手で止めるように示して返したが、彼の言葉には激しく同意だった。
騎士団長であるロデリックにプライドのことを任されていたアランとカラムは、当然もしそれを自分達だけが聞いたらロデリックに報告させるように勧めるか、もしくは止められても自分達から報告をするつもりはあった。しかし、最初からプライドがロデリックに告白したことは今までの彼女からは考えられないほど大きい。そしてロデリック自身もそれを理解しているからこそ、プライドからの告白を聞いても尚彼女を止めることはできなかった。
初めて、止められることを承知で本心を語った彼女に。
今まで、プライドが自分やその身近な存在だけで全てを解決しようと危険に身を晒すことに、何度もロデリックは頭を抱えてきた。
本来であれば王族が危険に身を晒すべきではない。安全な場所で守られ、そして騎士達がそれを遂行する。それが本来の王族のあるべき姿だ。
最初の学校の危機だけであれば、プライド自身への危険性は感じられないことと彼女の予知したものを明確に判断させる為の必要事項として、女王のローザ達と同じくロデリックと副団長のクラークも頷いた。女王に内密にという点に躊躇いがなかったわけではないが、プライドからの願いならば断れない。
しかし、別の予知とはいえ、ラジヤ帝国のアダムとティペットの話が出てくれば話は変わる。プライドに直接害を与え、奪還戦の最終標的であった大罪人の二人が生きている。ならば、プライドが狙われる可能性は大きいのだから。
全てが確定するまで防衛の施された城から出ないように判断するのが最も正しい。本来であれば、ロデリックも知ってしまった時点で女王であるローザに報告すべき案件だった。しかし、今回ロデリックはプライドの望み通りにそれを胸の内に止めることで決した。
やっとプライドから得られた相談と信頼を、間違いなく〝次〟へと繋げる為に。
「恐らく、騎士団長は以前からそうされることは決めておられたのではないかと思います。……プライド様自らご相談さえ頂ければ」
「俺達も、それに騎士団も気持ちは一緒ですよ。プライド様のすることが自分本位でないことは全員が知ってますから」
カラムの言葉にアランも今度は明るい笑みを繋げた。
ジョッキを掲げ、「なっ」とエリックの肩を叩けば彼もまた一言と同時に笑みをステイルへと返した。エリックもまた言われずともロデリックの意図は何となく察せていた。
現段階でローザに報告すれば、今回のプライドの身の安全は守れる。しかし、その後はまた以前の彼女に逆戻りしてしまう。止められることを恐れ、阻まれることを恐れ、それでも助けたいと望む誰かの為に〝自分一人を犠牲にして〟危険を冒そうとする彼女に。
下手をすれば今回たとえローザの口から学校潜入を禁じても、自分一人で城を飛び出した可能性すらある。良くても、また彼女の周囲の人間だけで解決しようとしてしまう。ロデリックはそれを確信と言えるほどによく理解していた。彼女には瞬間移動をする補佐や、国壁すらものともしない高速移動の配達人がいるのだから。
プライド一人で、もしくは彼女と極限定される人間のみで危険を冒されるくらいならば、いっそ騎士団長である自分を巻き込むことで〝騎士団全てを〟巻き込んでくれた方が良いとロデリックは判断した。少なくとも自分がそれを知れば、騎士団を動かせる。そして理由付けさえジルベールやステイルに任せれば適した騎士や騎士隊を彼女の元へ正しい指示で動かせるのだから。
そしてそのロデリックの判断を、副団長のクラークだけでなく近衛騎士の全員があの場で既に理解していた。彼が八年ほど前からずっとプライドの身を案じていることを彼らも知っている。特にアランとカラムに至ってはそれ以上も聞かされていたのだから。そのロデリック自ら自分達に箝口令を敷けば、従わない理由どころか疑問にすら思わない。
近衛騎士の心強い言葉に、そこでやっとステイルから小さく笑みが溢れた。
ありがとうございます、と感謝を静かに伝えながらグラスの中身をこくんっと飲み込んだ。そのステイルの横顔を見てから、アーサーも少しだけ肩の力を抜くようにテーブルに頬杖をつく。
アダムの存在やティペットのことを考えれば不安も不穏も消えないが、今回は騎士団も付いているというのはアーサーにとっても心強い。そして昨夜、自分に瞬間移動でプライドの報告をしに来てくれた時からずっとピリピリと張り詰め、表情全てに違和感を感じていた彼が、やっと柔らかく笑んだことにもほっとした。自分やプライド達の前だけでなく近衛騎士の彼らにもそういう風に笑うことが増えたなと思えば、アーサーも気持ちが幾分晴れた。
昔、あまり人を信じられないと自分に語っていたステイルに、今は近衛騎士の彼らは値する存在になれたのではないかと胸の内だけで思う。ヘッ、と一人で笑いながらアーサーはバンっと軽くステイルの背中を叩いた。
「ま、お前が目ぇ光らせてりゃァ平気だろ」
絶対の信頼を示すようにはっきりとアーサーが言葉にすれば、突然叩かれたことよりもその発言にステイルは目を丸くした。手を添えていただけのグラスが振動で少し揺れ、「ン」と小さく息が詰まる。振り返り、アーサーがさっきとは打って変わって強気に笑みを向けてくれていることに気付き、ステイルも今度こそはっきりと彼へ笑んだ。
「……お前もな」
ニッと片方の口端だけ上げる表情は悪い笑みにも見えたが、その眼差しだけは今日一番の柔らかなものだった。
ステイル自身、当然プライドの為に目は光らせるつもりではある。しかし、監視という意味だけで言えばアーサーの人を見る目は最も信頼に足るものだった。
彼以上に人の取り繕いを見通せる存在も、自分が無条件に信頼できる存在もあり得ない。ステイルにとって、騎士団全体が味方についたことよりもアーサー一人がプライドの傍に付いてくれていると思い出した方が安心感も強まった。
拳を軽く突き返すようにアーサーの胸に当てれば、カラム達の目から見てもステイルの表情はいつも通りに戻っていた。今朝から薄く纏わり付いていた黒い気配も今はない。自分達にも以前よりは信頼を寄せてくれているように思えるステイルだが、やはり親友であるアーサーの存在はまた別格なのだろうと彼らも思う。
するとステイルは彼らの温かな視線を感じ、思い出したように顔を向けた。先ほどの緊迫した空気が嘘のような彼らの表情に、ステイルは一度だけ気恥ずかしくなり目を逸らし、眼鏡の黒縁を押さえつけた。
「…………皆さんも、よろしくお願いします。あくまで他の騎士達にも御内密に」